クソガキ
「森田だっけか」
「そう、2年3組の。飛び降り自殺した奴。俺ちょっと見ちゃったんだよね、死体」
「俺はその日休んでたんだよな。惜しいことしたわ、マジ。人生に一度あるかないかだろ、そういう現場見れるのって」
「うわっ。それ、フキンシンだよ」
不謹慎の不の部分しか書けないようなバカなガキが、この世には確かに存在している。だが、そんな奴がそこそこ幸せな人生を歩んでいるのもまた確かだ。
稲葉周平は頬杖をつきながら、1つ前の席で談笑している男子生徒達の会話にこっそり耳を澄ませていた。
朝の教室は人が少なく、声の大きいクソガキ達の会話は嫌でも耳を貫く。
「てか森田ってさ、アレで有名な奴じゃないっけ」
「アレ?」
「ほらなんか、ゲイ、だとか。噂になってたような」
机の上に座って格好つけている男子生徒は、森田と親友だった俺が一ミリも知らないような秘密を教えてくれるようだ。これからは椅子に座っている男子生徒をクソガキA、机に座っているマセガキをクソガキBと呼ぶことにした。
「えっ、マジで? それどこ情報?」
「わかんないけど、声が女っぽくて、あと仕草が乙女だって言ってた。確か、去年ぐらいに清水から聞いたよ、俺」
彼は決して女っぽい声ではなかった。しっかりと芯のある、アニメの少年キャラクターみたいな声だ。仕草が乙女だとかいうのは、彼が少し華奢で、女性のように綺麗な手をしていたからだと思う。スポーツをするタイプではなかったからあまり日焼けはしていなかったし、おとなしい性格なので、男らしさというのはなかったけれど、彼は決して同性愛者ではない。そう断言できるのは、俺自身が同性愛者だからだ。同類か否かなんて、一緒にいれば何となくわかる。そして、なにより俺は森田零のことが好きだった。彼がゲイなら俺は飛んで喜んだだろう。さっさと告白して、致して、そしてハッピーエンドだ。何度も何度も脳内でシミュレーションしたから、彼との仲直りの仕方も、彼を誘う文言も、おやすみLINEを送る時刻まで完璧に決めてある。
「うわぁ、なんか、それ」
引き攣った笑みを浮かべているクソガキAがこの後発するであろう言葉を、俺は簡単に予測できた。中学時代、300ページある本を一冊埋められるぐらいは言われてきた言葉だ。だからと言って、聞いていなかったフリをできるほど、好きな人への悪口を許せるほど、俺は人格者でもお人好しでもなかった。
「気持ち悪いな」
やっぱり。そう思うと同時に、俺の拳は「気持ち悪い」と動いた唇を目掛けて飛んでいた。
「えっ」
整頓されていた周辺の机と椅子が散乱するのにも躊躇わず、俺は一心不乱にクソガキAの顔を殴った。ついでにクソガキBのすねも蹴った。床に転がったクソガキAの鼻からは血が垂れていた。ああ、でも、そんなことどうでもいいな。幸せな人生を歩んできたんだから、こんな時ぐらい痛い目を見ればいいんだ。クソガキAの体の上にダイブして、俺の自慢の石頭をぶつけてやった。
「イッテェ!」
「おいクソガキA! 今の言葉取り消せ!」
「どけよお前! 急になんなんだよ」
「俺は『お前』じゃなく『稲葉周平』だ、覚えておけ! この世界で一番、森田零を愛していた男だ、クソガキA」
「俺だってクソガキAじゃねーよ、橋本裕樹だクソ稲葉!」
「クソガキAごときが橋本環奈と同じ苗字名乗ってんじゃねーよ!」
本当に、誰がクソガキなのだろう。小学生のボールの奪い合いのように醜く幼稚な喧嘩を吹っかけるだけじゃ飽き足らず、好きな人の名前まで恥じらいもなく叫んだ。ああ、もう。クソガキは俺だった。今ここで、それが証明されてしまった。
「ちょっと、あんた達何やってんの!?」
教室の扉が勢いよく開いて、学年主任のおばさん先生が俺達を怒鳴る。先生の後ろには同じクラスの女子生徒が覗いていた。おそらく彼女が先生を呼んできたのだろう。
「今すぐこの2人引き離して!」
指示されたクソガキBが俺を橋本裕樹から引き剥がして、その隙に学年主任が橋本の鼻血を拭った。
「なあ、おい」
橋本は存外冷静な態度で、というより戸惑っているような態度で俺の顔を指差した。
「なんだよっ、まだ何かあるのかっ!?」
激しい乱闘を終えたばかりの俺は息切れと共に汗だくだった。顎に伝った汗を拭い、拭い、拭い、拭い切れないこの水滴で袖を濡らした。
「なんでお前が、泣くんだよ」
ああ、さっきから視界が揺らいでいるのは、そのせいだったのか。
膝から崩れ落ちて、土下座をするように顔を隠して、俺は幼児のように泣き腫らした。
「零……!」
本当に俺は、どうしようもないほどのクソガキだった。
追憶 夏空 青 @natsuzoraao
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