赤い道化師

酒囊肴袋

第1話

奴らの首領が、巨体をきしませながら最後の言葉を吐く。

「見事だ、ワールド・サーカス……だが、これで本当に世界を救えたと思っているのか?」

秘密結社「メルトゥ」。その圧倒的な科学力で世界を恐怖に陥れた秘密結社の首領が、今、俺たちの前で膝をついていた。


「お前たちの野望は終わりだ!」

空を舞うブルー・ウィングが叫ぶ。

「俺の友である聖獣に敵はいないぜ!」

大地を駆けるイエロー・テイマーが吠える。

グリーン・ジャグラーとパープル・マジシャンが、奴の最後の抵抗を無力化する。


そして俺、レッド・ピエロは奴の前に立った。

「観念しろ。『おまえ達が信じる正義の押しつけ』にはうんざりだ」


俺がとどめを刺そうとした、その瞬間。

「ならば見せてみろ、レッド・ピエロ。我々のいない世界で、お前が何と戦うのかを」

時空が裂ける。回避不能の光が俺を包み込み、仲間たちの絶叫が遠ざかっていく。俺は、意識を手放した。


見知らぬ路地裏で目覚めた俺に、スーツに内蔵されたサポートAI『フェアリー』が冷静に告げた。

「時空転移を確認。ここはマスターのいた世界と酷似した、別次元の世界と想定されます」

「メルトゥの反応は?」

「センサーに反応はありません。この世界に、彼らは存在しません」


敵・侵略者がいない世界。俺たちが命がけで求めた理想の平和。

だが……、街角のビジョンが映し出すニュース映像は、見知らぬ国同士の軍事衝突、宗教対立による自爆テロ――人々が、人々を憎み、殺し合う光景だった。

「マスター。この世界の紛争における民間人被害率は、我々の世界での対メルトゥ戦と比較して、推定120倍以上です」

フェアリーの無機質な報告に、俺は愕然とした。


大地震が起きた時、俺は迷わず変身した。

「ワールド・サーカス、レッド・ピエロだ! 救助に来た!」

瓦礫を持ち上げ、炎を払い、人々を救い出す。俺の力は、こういう時にこそ輝くはずだった。

「ありがとう、神様。その力で、私が愛した家族を奪った奴らを皆殺しにしてください」

助けた老婆の瞳に宿る、純粋な希望と憎悪。そして、涙を流しながら紡がれる言葉に俺は言葉を失った。


だが、俺は見た。昨日までいがみ合っていたはずの人間たちが、被災地では互いに手を差し伸べ、助け合う姿を。この世界の人間が持つ、醜い悪性と、美しい善性。その矛盾に、俺の心は引き裂かれそうだった。

「警告。スーツの自己修復機能にエラー。エネルギー残量、38%。あと数回の変身が限度です。メンテナンスが必要です」

この世界ではヒーロースーツのメンテナンスはできない。俺がヒーローとして存在できる時間は短い……焦りだけが募っていく。俺は一体、何のために、誰と戦えばいい?


安アパートの一室。窓の外でかすかに聞こえる信号のメロディーが、この世界の日常を告げている。無力感に苛まれながら、俺はタブレットの検索窓に、あの忌まわしい敵の名を打ち込んでいた。


「メルトゥ」


それは、俺たちの世界では意味不明の、絶対悪の記号だった。

検索結果はすぐに出た。見慣れないアルファベットがそこにあった。


【 Mêle-tout 】

言語:フランス語

品詞:名詞

意味:おせっかい焼き。何にでも首を突っ込む人。でしゃばり。


「……は?」


息が止まった。脳が理解を拒絶する。

「フェアリー。この単語の意味を……音声で再生しろ」

「了解しました。"Mêle-tout" — フランス語の口語表現。他人の問題に不必要に介入する人物、すなわち「おせっかい焼き」を指します」


その瞬間、俺の中で何かが砕け散った。

侵略者は、分かっていたのだ。自分たちの行いを、自ら「おせっかい」と名乗っていた。それは人類を救うという歪んだ善意の表明であり、同時に、俺たちを「自分たちで何も決められない子供」だと見下す、究極の侮辱だった。


「……あはは!……はははは!」

乾いた笑いが止まらない。涙が頬を伝っていることにも、気づかないまま。

「フェアリー! 元の世界の戦闘データを再解析しろ!奴らの真の目的を!この検索結果を考慮に入れてだ!」

俺の絶叫に近い命令に、AIは淡々と応えた。

「再解析完了。結論。メルトゥの目的は侵略ではなく、彼らの定義する『より良き世界へ導くこと』……すなわち、人類の管理と教育である可能性が98.7%」

フェアリーは続けた。

「民間人被害率の異常な低さ。子供たちの前で演じられた象徴的な戦闘。全ては『わかりやすい悪』の概念を植え付け、人類が内輪で争うことから目を逸らさせるための、壮大な“ショー”です」


そうだ、俺たちの戦いは、ショーだった。ワールド・サーカスは、その主役。

そして俺、レッド・ピエロは……文字通り道化だった。


しかし、俺はヒーローでありつづけた。そしてある日、大規模な洪水が街を襲った。俺は最後のスーツ使用だと覚悟を決め、変身した。

濁流に飲まれる人々を、片っ端から高台へと運び上げる。スーツが限界を迎え、火花を散らし、装甲が剥がれ落ちていく。

「ヒーロースーツ耐久性0。緊急転送シーケンス、作動」

最後の一人を助け終えた瞬間、俺の体は閃光に包まれた。


次に目を開けた時、そこは懐かしい司令室だった。仲間たちが泣きながら駆け寄る。

「リーダー!」

俺は、彼らに真実を告げることはできなかった。彼らの信じる純粋な正義を、俺が汚すわけにはいかない。


その時、新たな脅威の警報が鳴り響いた。

「行くぞ!」

仲間たちが飛び出していく。俺は一人、転送された異世界を思い浮かべていた。


世界の真実がどうであれ、俺のいる場所はここだ。目の前の人々が築いた、脆くて、愚かで、それでも美しい日常を守る。そのためなら、喜んで舞台に立とう。この世界の誰よりも、最高の道化になってやる。


俺は決意の笑みを浮かべ、空を仰いだ。


「俺は、ピエロであることを誇りに思う」


赤い閃光となり、俺は仲間たちの後を追った。ショーの続きを、始めよう。

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