動物メガネ

未満

第1話


俺は手の中の眼鏡をじっと見た。

これは、動物の声が聞こえる眼鏡…らしい。


俺にマジカルパワーは無いし、神様から授かったわけでもない。

今朝起きると、俺の枕元には何の変哲もない普通の黒縁眼鏡があった。

そして『動物の言っていることが分かるメガネ』と雑な字で書かれたノートの切れ端が置いてあったのだ。


ちなみに俺は一人暮らしである。

なので怖すぎて「ポヮ」と叫んで飛び上がり、一瞬でスッキリ目が覚めた。

こういうタイプの目覚ましなのだろうか。

だとしたら今日は土曜日なので、何の意味も成していない。本当にやめてほしい。


一体誰がこんなものをわざわざ侵入して置いて行くというのだ。嫌がらせにしては雑すぎる。


でっかくため息をついたが……とりあえず、今日は眼鏡を着けて出かけてみることにした。

だってもしも本当だったらとんでもない代物じゃないか。

少しワクワクしながら眼鏡を装着する。

適当な白Tシャツとジーンズを着て、いざ出陣。



「おはようございます」

「あ、はよざいます」


エレベーターで、白いポメラニアンの…確かイチゴちゃん?を連れた佐々木さんに会った。

品の良いおばさんだが、噂好きである。

例えば俺が彼女なんか連れ込んだとすれば、翌日にはマンション中のおばさん軍団に俺の恋愛事情が透け透けになる。なんてグロい。


そこで俺はパチッと瞬きをする。

そうだ、ポメラニアン。もしもこの眼鏡が本物なら、声が聞こえるはずだ。


白いふわふわのポメラニアン。小さくて可愛いイチゴちゃん。

果たしてその声は…?


「キャン、キャン」

『なぁに見てんだよこのべらんめえが。シケたツラしやがって、とっとと失せろ』


仰け反りそうになった。実際ちょっと仰け反った。

嘘だろイチゴちゃん。お前オスだったのか。

だって高い犬の声に混じって、海外ドラマの吹き替え版みたいな低音ボイスが聞こえた。

あと明らかに画風が違う。西部劇みたいな影の差し方をしている。


「あ、ごめんなさいね」

「いっ…いえ」


おかげで小型犬の鳴き声にビビり散らかす成人男性の図が完成した。佐々木さんには俺がとんでもないチキン野郎に見えただろう。


しかし俺のプライドを犠牲にしてでも、佐々木さんには一生伝えられない。

自分が飼っていたポメラニアンが江戸っ子みたいな言葉遣いをして西部劇の陰影を持っていると知ったら、卒倒してしまう。


エレベーターを下りた後、俺は一旦眼鏡を外してジッと観察した。

どうやらこれは本物の「動物の声が聞こえる眼鏡」らしい。





晴天。小春日和の中、俺は公園のベンチでボーッと空を見ていた。眼鏡は外している。


思ったより疲れたのだ。動物の声が聞こえるとは、つまりいつもの何十倍もの話し声が聞こえるということ。


例えば道中聞いたカラスたちの会話。


『赤い屋根までの縄張りグループ、向こうの公園のグループと手を組んで、鳥数(人数)増えたんだってさ』

『え、そうなのか。勢力が結構変わっちまったな。ウチはどうするんだ?』

『さあね。協定を結ぶにしても相手方に出し抜かれるだけな気がするよ…そこ辺りはボスの采配だろうね』

『親父の時に比べりゃ厳しい時代になったもんだな〜…』


ほらこの通り。実に生々しい会話である。

猫も鳥も、何故か虫だって、話は全て筒抜けだ。

それと興味深いことに、動物や虫の顔には表情がつく。分かりやすくキャラクター化されるので、これは面白い。


自販機で買った水を飲みながら、ふと下を見た。

蟻の巣がある。働き蟻がちょこまか動いていた。蟻には休日が無いもんな…と休日出勤する自分に重ねて、ちょっと同情した。


そういえば……。蟻はものすごい数が穴の中で暮らしているが、一体どんな会話をしているんだろうか。

俺の好奇心は、素晴らしいこの眼鏡によって解決された。

ワクワクしながら眼鏡を着けて、巣を見てみた。


すると、巣の中身が断面図のように目に映った。

「うおっ」

思わず声が出た。この眼鏡、蟻の巣の中まで覗けるのか!

テレビで見た光景がそっくりそのまま目の前にある。あまりにも巨大なコロニーが、そこにはあった。


あるところでは、蟻たちが食べ物を大きな部屋に運び込んでいた。食料庫だろうか。沢山の食べ物が積まれている。

他にも赤ちゃんらしき小さい蟻たちを集めた保育園のような部屋や、蟻たちの墓地らしき部屋まで……とにかく色々な部屋があって見飽きない。


数々の部屋がある中で特に目についたのは、一際広くて大きな部屋。部屋には何百匹もの蟻が集まって、ドーナツのように円状になっている。

何だか議会みたいだ、と気になって話を聞いてみることにした。



眼鏡による補正なのか、部屋の天井には豆電球がぶら下がっていて、ぼんやりとした明かりを放っていた。


真ん中に居る、厳格そうな一匹の蟻が言う。

『えー、それでは本日は食料担当大臣による白砂糖の横領事件についての質疑応答、処分決定を行います』


…本当に議会だったらしい。蟻って議会するんだ、と少し笑いそうになった。


見ていると、一匹の若そうな蟻がキビキビと真ん中に出てきた。

『今回の大臣の横領は、許しがたい所業です。我々は女王様に仕えるために産まれたというのに。大臣のこれは裏切りに等しい行為かと思われます。

よって、我々は大臣の地位の剥奪と追放を求めます!』


『そうだそうだ!』

『出ていけー!』

野次まで居るのか。ますますそれらしいじゃないか。


それにしてもざっと見る限り、居るのはオスばっかりだな。働き蟻はほとんどがメスだと図鑑で見たことがあるが、納得した。

オスたちはこうして議会に参加しているのか。


『それでは、食料担当大臣』


別の蟻が前に出る。

『エ、横領と申しますがね。ワタクシは緊急事態に備えて巣全体のために備蓄をしていたのですよ。それを横領などと難癖をつけてワタクシの位を剥奪させ、あまつさえ追放するなんて…なんたる横暴か!』


なるほど、脚(手?)をあっちこっち振り回しているのが食料担当大臣だな。

他の蟻に比べて二回りほど大きく、肥えている。

『元々ワタクシを推薦したのは女王様です。

ワタクシを信用しないとは、女王様を信用しないことと同義だ!』

『そうだ!』

『陰謀だ!』

こっちもかよ。再現性が高すぎる。


状況を見るに、大臣追放派と大臣派、それと中立派が居るらしい。中立派が一番数が多いので、味方につけた方が勝ちになる。

だからこうして、互いに大袈裟な身振り手振りでレスバトル紛いの議論をしているのだろう。


さてどうするのか。

見れば、大臣の言葉に中立派らしき蟻たちがざわついている。


『確かにコイツを推薦したのは女王様だ』

『しかしそれとこれは別です』

『どちらにしろ大臣は女王様を裏切った』

『裏切り者だ』

『しかし追放しては外聞が悪い』

『批判を受けるかもしれん』

『役職剥奪だけで良いのでは?』

『剥奪のみでも社会的地位はガタ落ちしますよね』

『その内勝手に袋叩きに合うだろう』


『……』

ざわめきが収まった。意見がまとまったらしい。


『それでは決議を取ります。大臣の役職剥奪に賛成の者は挙手を』

ほとんどの蟻が前脚を上げた。


『それでは追放に賛成の者は挙手を』

今度はやはり、まばらだった。


『はい、それでは大臣の処遇は役職剥奪。追放は無し…と決定致しました。本日はここで閉会とします』

大臣派からはバラバラに野次が飛ぶ。

しかし反対派や中立派の多くは納得したようで、さっさと別の穴に帰っていく。


時間が経つにつれドーナツの形は無くなり、蟻たちはまばらに散った。これで議会は終わりらしい。



ここで俺は眼鏡を外して、軽くため息を漏らした。

「……」

あんなに小さな蟻にも、人間のように社会があるのか。話して、議論をして、嘘をついて、横領をして…。

結局、どこへ行っても最終的にはそういう形に収まるのだろう。


どんなに小さくても感情があり、知性があり、家族があり、社会があるのだ。

俺たちと違うのは種族や大きさや言葉だけなのだ。



俺はへえ、すごいな…と素直に感心して。


ペットボトルをひっくり返し、水を全て巣の中に注いだ。

穴からはゴポ、と水が溢れた。何匹もの蟻が藻掻きながら流れていくのが見える。

小さな社会は、叫び声と共に一瞬で崩れ去った。




なるほど、これが津波か。

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