花束をもう一度

SEN

本編

 彼女はまるで花の妖精のようだった。


 私が住んでいた街には小さな花屋があって、彼女はそこの看板娘として働いていた。彼女は朗らかな性格で、お客さんを出迎える笑顔は春の陽気のように温かくて、街の人々から愛されていた。私は彼女が働く花屋の近くに住んでいて、両親は仕事で家に帰るのが遅かったから、幼い私は彼女によく相手してもらっていた。私は十歳年上の彼女が大好きで、いろんなことを話した。幼稚園であったこと、小学校で学んだこと。彼女は私のことを両親以上に知っている。


「なるほど。それならこの花がいいですね」


 彼女はお客さんの話をよく聞いて、ふさわしい花を選んでくれる。けれど、その手順が少し不思議だった。彼女は花の種類や色を決めるよりも、その種類の花の中から花束にどの花を使うか選ぶのに時間をかけていた。ジッと花を見つめて、花と会話をするように指を動かして、これだという花を決める。同じ種類ならどれを選んでも同じだろうし、花を選ぶときは花の色や花言葉を重視する人が多い。幼い頃の私はそう思ったから、なんでそこに時間をかけるのかと疑問を投げかけた。


「それじゃあ、花の魅力は完全には伝えられないわ。花言葉なんて人が勝手に決めたルールで花を語れるわけない。同じ花で同じ色をしてても、その花にしかない個性があるの。人と同じなのよ。人種がどうとか、どこの国出身だとか、それだけで人を語ることなんてできないでしょう?」


 彼女の言葉の意味を、幼い私は完全には理解してなかった。でも、彼女の言葉に納得して、彼女の真似をして花を指でなぞってジッと観察をした。最初は差なんてわからなかった。でも続けていくうちに、ちょっとだけ花の個性というものがわかるようになってきた。そんな気がした。


「見て」


 高校生になった頃、私は彼女に花束を渡した。私は彼女が働いていた花屋でバイトを始めたのだ。それで店長の厚意で花束を好きに一つ作っていいと言われたのだ。私は迷いなく彼女のための花束を作った。彼女の真似事を続けてきた私が、ちゃんとできているか見てもらうために。彼女は私の花束を受け取ると、優しく微笑んだ。


「できてるかな」


 その問いかけで、彼女は花束に目を落とした。そして愛おしそうに花たちを撫でると、私の方に目を移してゆっくりと口を開いた。


「ありがとう」


 その言葉の意味は、彼女の顔を見れば一瞬で理解できた。何も言わずに私が手を伸ばすと、彼女はそっと私の手を握ってくれた。壊れないように、萎れないように、そっと花に触れるように。


 あれからさらに時間が経って、私は大人になった。高校を卒業してすぐにデザイナーとして働くために企業に就職し、修行を重ねて今では企画の担当者を任されるくらいになった。


「花が好きなの?」

「えっ、まぁはい」


 この企業のエースとしてバリバリ働いている先輩に突然そんなことを言われた。花は好きだけど、ほとんど会話をしたことがない人だったからいきなり好みを当てられて驚いた。


「とても素敵な花柄。でも、単に花が好きなだけじゃこんなに綺麗なものは作れないわ。何か特別なものがある。後学のためにも教えて欲しいわ」

「……私は花屋の花しか知りません。昔憧れていたお姉さんと一緒に居たくて、そのために彼女と同じように花のことを知って……それだけです。私にとっては幸せで特別な時間でしたけど、ただ単に花屋でバイトをしていただけ。特別なことなんて何もないですよ」


 昔の私は彼女に憧れていた。でも、私は彼女に触れることはできなかった。ただ彼女に気に入られるように振る舞っていただけ。私にとっては特別かもしれないけど、傍から見ればごく普通の取るに足らない若気の至りだ。


「そうかしら?」

「え?」

「普通の体験なんてない。大勢の人が同じことをしていても、それぞれに違った想いがある。それぞれに特別があって、あなたのそれはとっても素敵な特別だった。だから、あなたの作る花は他の誰にも真似できない特別なものになったんでしょうね」

「……そうですかね」

「そうよ。だって、花と聞いたあなたは、すぐに特別な思い出を引き出せたじゃない」


 先輩の言葉を聞いて、私が今まで見て見ぬふりをしていた蕾に日が当たる。ずっと暗闇の中にいたそれは不思議なことにまだ枯れていなかった。


「すみません。今日は早退します」

「わかったわ。私の方から伝えておくから、あなたはもう行きなさい」

「はい。……その、いろいろありがとうございました」

「ふふっ、どういたしまして」


 先輩にお礼を言って、荷物を持って会社を飛び出す。ここから目的地まで電車で二時間。行けない場所ではないけれど、簡単に行ける場所じゃない。実家を出てここ周辺に一人暮らしをするようになったのは、そうやって会えない理由を作るため。本当に馬鹿なことをしたものだ。忘れられるわけないって分かっていたのに。


 電車に揺られて、久しぶりに故郷の地を踏む。働き始めてからはお盆や年末年始にも帰ってきていない。親には仕事が忙しいからと嘘をついて心配をかけたが、本当の理由はここに居ると彼女を思い出してしまうから。正直、不安だった。ここに立ったらまた逃げ出してしまうんじゃないかと。でも、自分が想像していたよりも私の足取りははっきりしていた。


 もう一度向き合う覚悟をして、私はあの場所に足を踏み入れた。


「お久しぶりです」

「え……?」


 看板娘の彼女は変わらずそこにいた。突然現れた私に大きく目を見開くと、先ほどまで対話をしていたであろう花から目を逸らして、信じられないものを見るかのように私を見つめていた。よかった。忘れられていなかったみたい。


「……どうしてここにいるの?」

「あなたにもう一度花束を渡したくて」

「どうして? 私はあなたを傷付けた。あなたの花束を受け取れなかった。だから、私にはもうそんな資格はないの」


 彼女は苦しみで歪んだ表情を見せた。太陽のように温かくて、花のようにきれいな彼女のそんな顔は初めてだった。幼い私にとって彼女は特別な存在で、自分にはない特別をくれる彼女を神聖視していた。でも、本当は違ったんだ。妖精のように自由気ままに飛び回ることはできない。空を飛べない手足で、必死にもがきながら歩いている。だから、一方的に想いを伝えるだけじゃ彼女を苦しめるだけだったんだ。


「もういいんです。花のように大切にされるだけじゃ、あなたの隣には立てないって分かりましたから」


 彼女のそばに居たかった。でも、幼い私はそれを一方的に伝えるだけで、彼女が何を思うのかまで考えられなかった。花のようにそこにいるだけでは、彼女に負担をかけるばかりだと分かっていなかった。けれど、子供の私にはそれしかできなかった。


「これが私の答えです。受け取ってくれますか?」


 でも、今は違う。それを示すように私は自分がデザインした花柄のワンピースを彼女に差し出した。


「これって……」

「私が作りました。結構評判良いんですよ。私の花柄」


 彼女に微笑みかけると、さっきまでの震えが止まり、昔と同じような太陽みたいに温かい笑顔を見せてくれた。


「ありがとう」


 あの時と同じ言葉。けれど、その意味は違っていた。


 花だったら折れてしまうくらい力を込めて、少しシワが増えた彼女を抱きしめた。

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花束をもう一度 SEN @arurun115

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