いつかの為の目撃

「本当に申し訳なかった!!!」


天板の低いテーブルに額をぶつける勢いで頭を下げる長身男性をサクラは冷ややかな視線で見下ろした。や、やっぱり怒ってるよこれ!


おろおろとサクラと男性の間で視線を行ったり来たりさせていると、男性の秘書さんであろう眼鏡をかけた女性が嘆息と共に男性の肩をトントンと叩いた。魔法省が配給している魔法衣姿の男性は眼鏡を掛け直しながら体を起こす。年齢は五十代といった風貌だけど隈が酷い。大丈夫だろうか。


居住いを正した男性は俺とサクラを見て口を開いた。男性から感じる保有魔力量の多さに少し気圧される。


そういえばサクラからはそんなに魔力を感じない。魔力を隠すのは、出来ないことはないけど普段使いするにはかなり難しい技術だと聞いたことがある。だけどサクラだし、もしかして?


「改めて、私は【廻遊の魔法士】アルグレット・マラフ。此処東都支部の支部長をしている」

「!」


この人が…!!思わず息を呑む。この男性が、東都支部で最も権力のある人。


支部長に就くには優れた魔法省職員としての能力だけでなく、魔法士資格も第一位のものが求められる。つまり支部長さんはサクラと同等の実力者ということになる。この魔力量も納得だ。


「組織である以上、下の失態は上の責任よ。貴方も帝国民であるならば、それは勿論お分かりよね」


そんな大物を前にして、サクラは一切たじろく事なく言葉をぶつけた。こ、こっちも大物。


対する支部長さんは重々しく頷く。


「あぁ、無論理解している。今回のサス君の事は私の責任だ。貴女の処罰に従おう、【閃雷の魔女】殿」


【閃雷の魔女】。その単語にそっと隣のサクラを見た。魔法士階位が第一位の魔法士は、男性ならば魔法士名、女性ならば魔女名という異名を与えられる。それは本人が指定するものであったり、希望がなければ国が作ってくれたりするものなんだとか。特段隠すものでもないし、寧ろ身元の証明として名前と一緒に名乗ることの方が多い。


ずっとサクラの魔女名はなんだろうと思っていたけど、まさかこんな形で知ることになるなんて。実は以前東方行きの汽車の中で尋ねたことがあったんだけど、あの時はサクラが苦手そうな顔で口篭って答えず終いだったから、今の今まで知らなかった。


エフィロテ渓谷の暗雲で覆われた空を貫いた雷の気高さに相応しい、素敵な魔女名だと思うけど。【閃雷の魔女】と呼ばれた少女は僅かに顔を顰めた。


「魔女名で呼ぶのはやめて頂戴。サクラでいいわ」

「失礼した。ではサクラ殿。改めて、貴殿が下した処罰はサス君が提出してきたこの紙に書いてある通りで違いないだろうか」

「ええ。一言一句違わずその通りを頼みたいのだけれど」


差し出されたあの紙に素早く視線を走らせて軽く頷くサクラ。紙を秘書さんに手渡した支部長さんは茶を出すように言って下がらせた。


「承った。今回の非は全てこちら側にある。必ずやその通りにしよう。それからサス君から貴殿らの御用件はお聞きしている。あのエフィロテ渓谷の魔獣を討伐されたとか。サクラ殿とアマリア殿のお二方で?」

「いえ、俺は何も。サクラの単騎討伐です」

「ほう、単騎とは」

「一位じゃ珍しくもなんともないことでしょう?」


いや、一位でもなければ珍しいどころか天変地異の騒ぎだけどね。


不思議そうな顔のサクラに内心でつっこんでいると、支部長さんが頭を振った。


「いや、エフィロテ渓谷の魔獣には過去に派遣された【爛酔の魔法士】も苦戦してとどめはさせなかった。まぁ彼はただ単にあの時体調が優れなかったが……」


【爛酔の魔法士】は存命だぞ、と付け加えられて胸を撫で下ろす。あ、あの白骨の山の何処かに、なんて思っちゃったよ。


サクラは隣で「蘇生回数が少なかったのはそういう事だったの」と納得顔。


「コホン。脱線したな、話を元に戻そう。サクラ殿は浄化魔法の使い手の派遣を要請されているとのことだが、生憎と現在見合った人材がいない。彼等の手が空くのを待つにしろ、貴殿の報告では黒霧と見紛う程の瘴気であったそうだが、それに彼等が対応出来るといえば否だ」


やっぱり。サクラも小さく頷く。


「そこで、サクラ殿の仰っていた通り、帝誓魔法士殿に要請を出そうかと考えている。要請書に事の顛末を書く必要がある故、サクラ殿の魔女名を添えても構わぬだろうか」

「勿論。正式な書類に魔女名は必須だもの。私が個人的に魔女名で呼ばれるのが苦手なだけだから、そういった場面での配慮は不要よ。気にしてくれてありがとう」


承知したと頷く支部長さんとサクラのやりとりに一人で内心首を傾げる。


魔女名は自分で決められるし、いい魔女名が思いつかなかったなら国に名付け親を頼めばいい。仮に国から提案されたものが気に入らなくても却下出来る。だから殆どの一位魔法士は自分の異名を気に入っているものだとばかり思っていたんだけど。


どうしてサクラは自分の魔女名が苦手なんだろうか。ただ単に大仰に呼ばれたくない、だけかもしれないけどなんだかひっかかる。


「それから前持って言うが、サクラ殿の事を疑っているわけでは決してない。決してないのだが、帝誓魔法士殿に要請を出すとなれば不正は許されんのだ。よって要請を出すのは調査団に渓谷の黒霧の規模を確認させてからにしたい。良いだろうか」

「ええ。もしかしたら今は瘴気が晴れていたりするかもしれないものね」

「ご理解いただき感謝する。ではその様に手配させていただこう」

「こちらこそ対応ありがとう。しばらくは東都にいるから、困った事があったら力になるわ」


はっ、考えている間に偉い人達の間でどんどん話が進んでる。いや俺が何か突っ込むこともないけど。


「お茶です。どうぞ」


戻ってきた秘書さんが目の前にティーカップを並べてくれる。することもないのでお礼を言って早速一口。わ、ルベフィーブ。流石東都支部、出すお茶もこの時期の最高級品なんて凄い。いや、もしかしたら支部長さんと第一位魔法士のサクラがいるから、居合わせてる俺にもお情けで良いのを出してくれただけかもしれない。


……これ、帝国南方産かな?それとも共和国産?お母さんは「南方産はふんわり甘い感じ、共和国産はさらさら甘い感じ」なんて言っていたけど俺じゃふんわりとさらさらの違いなんて分からない。うーん。


「ルイカ、ルイカ。ルイカってば!」

「わっ、あ、ごめん。どうかした?」

「どうかした?じゃないわよ、もう!話は済んだから帰りましょってば!……随分真剣な顔で飲んでたけど、紅茶、好きなの?」

「うーん、まぁ好きな方かな。ごめん、帰るんだよね」


御馳走様でしたとティーカップをソーサーに戻す。やけに笑顔な秘書さんが会釈してくれた。秘書さんも紅茶好きなのかな。


サクラは軽く頷いてフカフカの一人掛けソファーから立ち上がりながら支部長さんを見た。俺も追いかけて立ち上がる。


「ええ、付き合わせちゃってごめんなさい、ルイカ。アルグレットさん、後はお願いね。サスさんの件も」

「あぁ。責任を持って双件預かろう。アマリア殿も本日は御足労いただき感謝する」

「え、い、いや俺は何も!」


急に話を振られて盛大に噛む。もう成人になる十八歳なのになんたる失態。支部長さんは気にしてないようでカラカラと笑った。


「はは、いやいやそんなことはない。これは私見だが、人を決して傷つけられぬ程の無尽蔵の優しさには、それを守る者が必要だ」

「………?」


急に何の話だろうか。無尽蔵の優しさを守るもの?サクラも分からなかったようで二人して首を傾げる。支部長さんは軽く手を上げる。


「いや、失礼。こちらの話だ。それではお二人共、今日は迷惑をかけてすまなかった。気を付けて帰ってくれ」

「ええ、何かあればまた今度。失礼するわ」

「今日、は、本当にありがとうございました。失礼します」


サクラどころか俺にまで深々と頭を下げる支部長さんに驚き慌てふためきながらもなんとか噛まずに挨拶を返して、秘書さんに見送られて部屋を出た。


き、緊張した。もうこの部屋に入ること、っていうかこの階に上がってくること自体二度とないだろうな。そう思うとなんか目に焼き付けておきたい気がしてきた。


てっきりもうこのまま帰るのかと思いきや、用があると言ってサクラは高位魔法士用の窓口に行ってしまった。すぐ終わるから一人で大丈夫、と言われたので階段の踊り場で帰ってくるのを待ちぼうけ。


……それにしても、東都支部ってすごく綺麗な建物だなぁ。まだ数階上にある天井から吊り下げられた、数え切れない程の暖色光を放つランタンを見上げる。敷き詰められた赤の絨毯の模様も綺麗だし、階段の木製の手摺も細かい彫刻が掘られてるし。窓辺に飾れた小さな観葉植物達もどれも手入れが行き届いていて、流石、これが国内有数の施設。


「…でしょ……ったら」

「……けど!」


……ん?なんだろう、階下が騒がしい。誰かが言い合っている声がする。階段の方を振り返ると、丁度二段飛ばしで階段を登ってきた長身の男性と目が合った。


「!」


薔薇の蔦のような、濃くも鮮やかな深緑の瞳。


その棘を思わせる眼光の鋭さに、思わず肩が跳ねた。


咄嗟に体を強張らせた俺と違い、相手はあっさりと目線を外した。俺なんかが目に留まる筈もないから当然である。少し長く一つ括りにした橙色の髪を翻して上の階へと登っていく。


「いやだからぁ、休養なんて十分取ったからもう要らないってば」


二段飛ばしで上階へ登っていく魔法士の後ろを追うのは一段ずつ丁寧に階段を上がる魔法省の男性職員。見てるこっちが心配になるくらいの必死な顔だ。


「ですから、要る要らないではなく二ヶ月間の休暇は支部長の厳命なんです!その間貴方の仕事も一切禁じられていますから!」

「じゃあその厳命撤廃してもらお?そうすればいーんでしょってさっきから言ってるじゃん」

「こちらもさっきから、支部長は絶対休暇命令は取り下げないし取り下げるなと仰っていましたと申し上げているじゃないですか。そもそも半年連勤してただなんて本部に見つかったら大目玉なんですからね!?」

「五月蝿い五月蝿ーい。オレが本部、オレが労働基準法〜」

「あのですね……いや後半は兎も角前半は別に間違ってないのか……いや間違ってます!あちょっとっ!」


魔法士と職員は言い合いを続けながらあっという間に姿を消した。ま、魔法省も大変だな……。


「……それにしても、魔法省って魔窟だなぁ」


一瞬見えただけだったけど、それでも同性ながら羨ましい程整った顔立ちに少し着崩した黒紫の魔法衣姿、耳元で揺れる緋色の宝玉の耳飾りも相まって纏う雰囲気は軽かった。


……でもあの人絶対、魔法士としてはサクラと同等かそれ以上だ。


そんな存在と普通にすれ違うなんてやっぱり魔法省は怖い。俺みたいな弱者には魔境以外の何物でもないな。密かに戦慄していると階段を降りてくる少し慎重になった軽快な足音。


「ルイカ、お待たせ!帰りましょー…って、どうしたの?何かあった?」

「おかえり。ううん、何にもなかったよ。ただ、さっき通りかかった人が魔法省の人と言い争ってたから」


手のひら程の大きさの巾着袋を片手に戻ってきたサクラが不思議そうな顔をするのに訳を話すと、サクラは納得顔で頷いた。


「あぁ、その声なら私にも聞こえたわ。休養を命じられているけれど不要だから従わない、みたいな内容だったかしら?」

「み、耳が良過ぎない……?」


天才は魔法や剣だけじゃなくて五感も常人を置き去りにするのか。内心慄いていると、サクラが唐突に満面の笑顔を浮かべて俺の手を取った。ん?


「ところでルイカ、この後時間あるかしら?」

「あるけど、どうしたの?」


浮浪から帰ってきたばかりの無職に時間に追われてやることなんてない。強いて言えば今日中に書庫の換気をしたいくらい。首を傾げると、サクラは桜色の瞳を輝かせて言った。


「デートしましょ!」

「…………はいっ?」


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落第魔法士と天才魔女の救世 空月ユリウ @hujimaru

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