第二章 まだ従順だった頃

 保育園から小学生になる間の時期に親は離婚しその後女手一つで私を育てるために昼は家電量販店、夜はコンパニオンに勤めており、離婚してから三年後職場での陰口やストレスによりリウマチを発症して薬を飲み始めたときにはヒステリック気味なところはあったので当時の私はとても人の顔色を伺うようになって、学校での話や作り置きのご飯美味しかったなど日常会話を普通にしていたが、ご飯を母と二人で食べる時は「小学校でひらがなとか覚えた?」と母が聞いてきて私が当時は無邪気に「ごじうおんむずかしい!」と答えて晩御飯を食べていた。

しかし突如母が「箸の持ち方!」といい私の手を叩いてきた。

「ごめん」と言いながら少し涙目になりつつご飯を食べていた。

 昔はよくあったしつけという名の暴力。

座り方、箸の持ち方、人に対しての口の利き方、その他諸々声を荒げ「正座!」「肘ををつくな!」とオーバー気味にしつけという名の暴力を振るわれることも多かった。

私は「ごめん」と泣きながら食べることが多くその時のご飯の味は少ししょっぱかった。

でもその影響で今では奇麗に食べるね、姿勢が奇麗だねと褒められることも多かったのである意味成功ともいえる。

そして今はその躾になってしまったのは片親という責任があり、私のことをに育てたかった一心でしたことだと思う。

 それから年月が経ち親は夜も仕事に行くため一人で母が作ってくれたご飯をレンジで温め夜を過ごしていたが小学4年生の時に母が成長のために多めにご飯を用意してくれていたがその優しさと私自身太っていたため気持ち的に片親で収入もあまりないはずなのに私はこんなに食べてて良いのかなと思い始めたり、母は夜職をしていたため、私は一人でテレビをつけて流れているバラエティー番組を見ながら誰とも面白い箇所の感想を言い合うこともなく一人で笑ったり「そこでそうはならんやろ!」と笑いながらツッコミをしてご飯を食べていた。

 そんな日常を過ごしていた時にふと家族団らんの映像が流れ「これ、美味しいよねー」や「この俳優さんイケメンで面白い」と笑いあっているのを見て私は「寂しいな」と言いご飯を食べた。

その頃からだ、ご飯をのが気持ち悪いと感じるようになりいつも大量に作られたご飯を食える分だけ食べて、後はトイレに流して食べた演出をした。

 だが当時考えが足らなかった私はトイレが詰まって流れなくなってしまった為、バレて母につっかえ棒でボコボコに殴られあざが大量にできた。

その時の母が俺に言った言葉は「世界にはこのご飯すらも食べられない、人もいるんだよ!」と言っていたが私の心には何も響かなかったし、その言葉で私の食べることへの気持ち悪さがなくなることはなかった。

 それ以降一般的に言われる悪いことを行うこともなく母に従って生きていた。

 高校の卒業式にも母親が高校生活中ほぼ毎日弁当を作ってくれていたため、クラスのみんなの前で「ほぼ毎日弁当作ってくれてありがとう、美味しかった。」と言ったりもしていた。

 その頃はまだ心がすり減っておらず、誰かが困っていたりすると手伝いましょうかと声をかけたり、映画のワンシーンで泣くこともあり、関心も情もあったし従順であったし母の言うに育ていた。

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少し…休憩しよう。 柊 レイ @kurose9616

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