白蛇様の妻
白李と共に蛇目家へ戻ってきた澪は、そわそわと落ち着きなく夕飯の席についた。
(白李様と出掛けたときに、一言お返事すればよかったのに……!)
そう己の中で自戒するも、過ぎた時間は戻らない。
白李に正式な妻にならないかと告げられてから、もう随分経っている。
白李から返事を急かすようなことは言われていないものの、もうそろそろ答えを出すべきだろうと澪は思っていた。
「……あまり食が進んでいないようだが、歩き疲れたか?」
ちまちまと根菜を箸で割り、口に運ぶ澪に白李が声をかける。
思い悩みながら食事をとっていたせいか、白李に心配されてしまった。
そんなことはないと首を振るも、意識がそぞろになってしまう。
ついには具合が悪いのかと心配され、澪は何も言えず、早く風呂に入って寝ろと白李に急かされてしまった。
(結局、何も言えなかった……)
枕元に白李から買って貰ったばかりの手袋を畳んで置く。
滑らかな肌触りの生地に、きらきらと光る糸のようなものが編み込まれた手袋は、白李そのものに見えた。
――とても美しくて、強くて、自分を導く光のような人だ。
そんな光を手元に置くのは、罪を犯しているような気がしてしまう。
白李と違い、澪にはなんの力も持たない。厄介事を招き入れただけの、ただの人間。
そんな人間が、神の使いであるという白李の妻になってよいものなのだろうか。
何度も何度も悩み、そのたびに澪の脳みそは悲鳴を上げそうになった。頭では、白李と釣り合わないことを、澪もよくわかっているのだ。
だけど、心の奥底では白李の傍に居続けることを望んでいる。白李を庇おうと、咄嗟に体が動いたときのように、何とも言い難い衝動が胸の裡に燻っているのだ。
(たとえ、どんなことがあっても、私は白李様の傍にいたい)
手袋を握り、祈るように額に押し当てる。
――どうか、彼の傍に。
その願いは、他ならぬ自分の口で言わねばならないのだと澪が自覚した頃。
すっと部屋の戸が開いた。
「まだ寝ていなかったのか」
「はくり、さま……」
疲れているなら早く寝ろと呆れた顔で言う白李に、澪はいらぬ心配をかけてしまっていると自省する。
布団までやってきた白李の前にずいと体を近付けた澪は、勢いのまま手を握った。
「澪……?」
「……ごめんなさい。実は体調不良ではないのです。少し、考え事をしていただけで」
「考え事?」
「はい。白李様のことです」
頬がじわりと熱くなるのを感じつつも、まっすぐ白李の目を見つめる。
この気持ちがそっくりそのまま彼に伝わればよいのに、と都合の良いことを考えて、打ち消した。大事なことは、口で言わねば。
「少し前に、本当の妻にならないかと、言ってくださったでしょう」
そう言えば、白李の手に力が籠もる。息を呑んだのか白李の喉が鳴って、澪の手にも緊張が伝わった。
「あれからいろいろ考えました。私では、白李様の妻に相応しくないのではないかと。……でも、だとしても、私は白李様の傍にいたいです」
「澪……」
「私を……本当の妻にしていただけませんかっ」
声が詰まる。もはや、懇願だ。
それでも逃げては駄目だと目を逸らさない澪を、白李は衝動のままにぎゅっと抱き締めた。
「……あぁ、やっと聞けた」
「は、白李様……!?」
「待ちくたびれて、もう一度言おうかと考えていた」
痛いぐらいに体を抱き締められて、背骨がみしりと軋む。だけど、その痛みすら心地よく感じて、澪は白李の背に腕を回した。
「お待たせして、すみません」
「本当に。俺は待つのは苦手なんだ。……だがその分、喜びもひとしおだ」
いつも以上に弾んだ声で白李が言う。
喜びを噛み締めるように白李に抱かれ、やっと体を離された頃には心臓が壊れたのではないかと思うほどに激しく脈打っていた。
「そうと決まれば、正式に祝言を挙げねば」
「……私、白李様のご家族にも挨拶したいです」
「もちろん、紹介しよう」
未来の話をしながら寝転がる白李に引きずられる形で澪も布団の上に横たわる。
その日の晩、蛇目家に来て初めて眠る直前まで白李と話し続け、次の日、仲良く布団の上で眠る二人を見て、平野が微笑んだのだった。
◇
白李の正式な妻として蛇目家に入ることを決めた次の日、澪は再び蛇目家にある小さな社の中に来ていた。
前回と同じように社の中で血判を押し、白李がその紙を回収する。
以前、血判を押したものは、実は偽の書面だったのだと聞かされた澪は、驚いたものの、それもそうかと納得したのだった。
「私の痣を調べるために、だったのですか……?」
「……広義の意味で言うならそうだ」
白李が言いにくそうに言葉を紡ぐ。
澪はなんとなく、白李の心中がわかってしまった。
(きっと痣を調べるため、そして私が逃げ出さないようにするためのものだったんだわ……)
鼠屋に左腕の痣を診てもらったとき、"ボクたちもずっと探してたんだ"と言っていた。きっと、そのボクたちには白李も含まれるのだろう。
都合よく、手掛かりになる娘が転がり込み、本人も外で仕事をすることを拒んだ。
だから白李は体よく渦中の人間を傍に置くために、契約結婚を持ち出したのだと澪は推測する。でなければ、出会って間もない外の人間を仮初妻に仕立てないだろう。
だが、いまさらそれを確かめる気にはなれなかった。どうであれ、すべて丸く収まるところに収まったのだ。
白李を非道だとは思わない。むしろ命の恩人だ。そして、澪の未来を先導する光でもある。
今、白李が傍にいてくれるだけで、澪にとっては幸せだった。
「正式な儀式は、もう少し先になるが待っていてくれるか?」
「もちろんです」
今日は白李との婚約を取り交わしたのみだ。
実際に祝言を挙げるには、いろいろと準備が必要らしい。
以前は未来を楽しむ気持ちなど、持てなかった。だけど、いまは白李の正式な妻となれる日が待ち遠しい。
「……これから、俺の人生をかけて澪を幸せにする」
白李に肩を抱かれながら小さな社をあとにする。
外は眩しいほどの快晴で、これから蛇目家の人間として新しい人生を歩むにはぴったりの日だった。
仮初妻の本懐 〜白蛇様と痣持ち少女〜 夜見星来 @yomi_seira
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