カフェ刹那と二万円

ナカム・ナヒラム

1 ミサ

 関西で四番手か五番手の繁華街といったところだが、行き交う人を見れば、ここがどんな街だがわかる。問屋街に近いからだろう。荷物を運ぶ業者が多いし、キャリーを引きずる外国人も目立つ。あとは、場外馬券売り場に通う老人集団。派手目の女性を腕を組んで歩く、髪毛を逆立たせた黒スーツの男。若い男女が常に何組も歩いていくし、歩道の真ん中で酔っ払いが睡眠中だが、誰も踏んだりしない。

 僕が休日に一人、この辺りを歩くのは、何も人間観察目的ではなく、今日は気分を変えて外で仕事を裁こうと考えていたからだった。

 40歳。フリーランスのITコンサルタント。年収650万。独身。彼女なし。僕はリュックを背負い、パソコンを開いて居座れるカフェを探し歩いていた。

 脇道に逸れ、ふと雑居ビルの最上階を見上げた際、カフェと書かれた看板を見つけた。飲み放題と大きく書かれていた。

「……カフェで、飲み放題?」

 所見だが、ネットカフェの類いなのだろうか。僕はそのビルの極狭エレベーターに乗り、8階を押した。雀荘やバー、ネイルサロンが入居するビルの8階は「カフェ刹那」。エレベーターを降りて一歩踏み出すと、お踊り場はなく、すぐ店内だった。

「2時間制で5千円でございます」

 初老の店員が「18歳未満の方の入店はお断りしております。」の貼り紙の前に立っている。白髪にタキシードと蝶ネクタイが似合っていた。

「……え、えっと、はい?」

「そこの冷蔵庫から、お飲み物どうぞ」

 僕は少し戸惑いながらも支払いを済まし、時刻を刻印した伝票を受け取り、座席へ向かおうとすると、

「おっと、殿方はそっちだよ」

 僕は入口を訂正され、銭湯のような青い暖簾のかかった部屋へと進んだが、そこは異空間のようだった。

 格安の漫画喫茶のような店内は、古びた漫画本の棚が四方を囲み、10席のうち8席がすでに埋まっている。自分と似たような中年男が、おのおの自分の席でモニターを眺めるか、雑誌をめくるか、タバコを吸っていた。

 このカフェには、すべての席にモニターが備えられていた。映像が9分割され、室内カメラの先にはそれぞれ女性がいて、ヘアアイロンをあてているか、タバコを吸うか、眠っている。男部屋の仕切りの向こうは女部屋で、実際にその女性たちがいるのだった。

 僕は、空いた席に座った。両どなりには他の客がいるが、お互いに一瞥もしない。さらに、男女の部屋の奥に小部屋があり、その入口には談話室と書かれたプレートがあった。ここが、この異質なカフェのすべてを象徴していた。

「1・5でいいかな?」

 ときどき、話し声が聞こえてくる。

「3はほしいんだけどな」

「じゃあ、2でいい?」

「うーん、2・5かな」

「お兄さん方、お静かにね」

 店員が慣れた声で注意を促し、話声が聞こえなくなるのがデフォといったところか。

 談話室から戻った男性は、伝票をもって退店した。同じく談話室にいた女性も、カバンを肩にかけて出ていった。

「はい、いってらっしゃい」

 店員は、あえて聞こえるように声を張り上げる。その女性の容姿は、モニターで何度も見ていた。キリッとした美人顔だが、少し怖い。ニコチンとアルコールで仕立て上げられたやさぐれ感がハマっている。

 その後も、出入りが続いた。男性客はタキシードの店員に番号を告げて談話室へ移動。店員は女性の肩を叩いて談話室へと送り出す。数分後、その男女は時間差で店外へと消えていく。この繰り返しだ。

 僕は、パソコンを開きながら、同じ空間で男女が行き来する様子を飽きもせずに眺めていた。やがて男部屋は僕一人、女部屋も一人になっていた。

「お兄さんさ、ラスト20分ね」

 店員が背後に立っている。

「せっかくだからさ、女の子と話してみようよ」

 タキシードを着た店員からタメ口をきかれるとは、たぶんこの店だけだろうなと思いながら、僕は初めて談話室へと向かった。壁には「トークは15分まででお願いします。」と「売買春に関わる会話はご遠慮ください。」という注意書き。向かい合った赤と黒のソファのうち、黒を選んで座っていた。

「呼んでくれて、ありがとね」

 小太りの女性が現れ、赤のソファに腰をおろして足を組む。30歳後半くらいか。吊り上がった眼と、平面的でごつごつした顎。ノースリーブのトップスに、贈答品のハムのような二の腕。そして、これ以上ないタイトなミニスカート。僕は彼女の顔すら見れず、立派な白太股を凝視するだけだった。

 僕が彼女を選んだというより、お互い最後の一人だったからだ。「いい子だから、おすすめ」と店員にうながされるまま「あ、はい」と返事をして談話室に来ただった。

 狭い部屋で向かい合いながら、何もしゃべれないでいると、彼女から話しかけてきた。

「今日は、お休み?」

「ええ、まあ」

「へえ、休みなんだ。あたしも休み」

 彼女は、小さく手をたたく。

「あ、こんにちは。はじめまして」

 と、僕はいまさら挨拶するので精一杯だった。

「それで、今日はどんな感じでいく?」

 彼女は、足を組み替える。

「……感じというと? ごめん、初めてでわかってなくて」

「食事とかカラオケとか。というか、ワリキリだよね?」

 女性は、小窓の外を見下ろしていた。そこは、小さなホテル街でもあった。

「ワリキリ……」

 一緒にホテルへ行くということだ。現金と時間で割り切って。

「ごめん、戻るよ」

 僕は、逃げるように談話室から出た。

 そのとき、長身の痩せた女性とすれちがう。ほんの一瞬。眼は合っていない。

 僕は男部屋に戻り、いまやってきた彼女をモニターで眺める。残り時間は8分間。このカフェから出れば、彼女と会うことは二度とないと思った。辞書を引くように刹那の意味を思い起こす。僕は店員を呼び、彼女の席番号を告げた。



 仕切りひとつ向こうの部屋にいるのに、なぜ時間がかかるのかわからない。壁に貼られた注意書きを眺めながら、僕は彼女を待った。彼女について知っていることは、身長と横顔と服装くらい。当たり前だ。一瞬すれちがっただけだ。

 彼女は無言で現れ、赤ソファに座った。白シャツに紺色のロングスカート。少し垂れた細い眼に、長めの付け睫毛。幸薄そうな顔立ちに、人なつっこい唇。僕から声をかけた。

「今日は、休み?」

「そうだね。そりゃそう」

 談話室でお決まりの会話をして、僕らは外を出た。ホテルまでの短い距離を並んで歩く。

「君さ、歳はいくつ? 差し支えなければ」

「32だよ」

 彼女と視線が合う。ちょうど身長が同じだった。

「……ちょうど?」

 彼女は、さっと僕の真横に移動し、自分の身長を見比べる。

「バレーボールやってたから」

 彼女は、歩きながら右手をふりかぶってアタックのポーズした。その動きのある手が、僕の目の前を通り過ぎた。

「君のこと、何て呼んだらいい?」

「ミサでいいよ」

 ホテルの無人フロントで部屋を選び、エレベーターに乗って、部屋へ入ると、ドアが自動で閉じる。僕らと密室にいた。8分前に会ったばかりだった。ミサはソファに座ると、腕時計を外してテレビをつけ、テーブルに置いてあるお菓子をぼりぼり食べ始めた。

「……あの、これ」

 僕は、ミサに一万円札2枚を差し出す。

「ありがと」

 ミサは一万円札を手に、自分のカバンをとろうとしたが、姿勢を崩してよろける。そのとき、スカートの中の白が見えた。人生初パンチラか。ミサはよろけたまま、こちらを向く。

「……見た?」

「あ、見えた」

「もう!」

 再びミサはくつろぎ始め、お菓子を食べ尽くそうというところで、

「こっち、来なよ」

 自分のとなりへ促すように手招きしてきた。

「仕事、してなかった?」

「え、まあ。どうしてわかった?」

「さっきのカフェでパソコン開いてたから。おつかれさま」

「まあ、あんまり仕事してないんだけどね。女性の部屋にも、カメラがあるんだ」

「うん。じゃあ、シャワーいこ」

 ミサは立ち上がると、部屋の照明を落としながら、シャツを脱ぎ、スカートをおろし、さっき見えたパンティをさっと脱ぐと、前屈みになってブラジャーをとった。生の胸を、僕は横目で凝視する。小ぶりの胸だが、身体とのバランスがよいのか、サイズよりも美しさが勝っていた。

 二人でシャワーを浴びる。ボディーソープをプッシュして、おのおの自分の身体を手で洗った。

「頭、洗わないよね?」

「あたりまえじゃん」

 浴室にシャンプーが備え付けられているが、僕らは頭を洗うことはなかったが、このときミサは突然、僕の頭を嗅ごうと、背伸びして自分の鼻を寄せてきた。

「これ……、プロシードでしょ? あたし、人が使ってるシャンプーの銘柄、わかるの」

 テレビはすでに消されており、部屋の照明も落とされていた。ベッドの上に、僕とミサ。枕元の黒い化粧箱の中に、ホテルのロゴ入りコンドーム。僕らは、無言のまま天井を眺めていた。

 四十歳。経験がないわけでもない。交際した女性くらいはいたし、数回だが風俗に行ったこともある。でも、そんな経験など、このとき何の意味はなく、童貞に戻ったような感じだった。

「いいよ」

 ミサが口を開く。僕は途端に息を荒くし、布団にもぐってミサの上半身に覆いかぶさった。空中の額の汗がミサの顔にたれる。ミサは僕の汗をぬぐおうともせず、息を吐くようなやさしい声をかけてくる。

「深呼吸、深呼吸」

 僕は、言われるがままに空気を吸うと、再びミサの身体に覆い被さり、愛撫を始めた。いや、行為こそ愛撫だが、手の動きは痴漢のようなものだ。

 ミサは太ったり痩せたりを繰り返したような身体をしていた。その身体をすみずみ愛撫し、挿入しようというタイミングで、ミサは細い手を広げ、僕の手を握ってきた。

 彼女の反応を確認する余裕なんてなかった。行為を終え、お互い無言だったけれど、彼女はベットから出るまで、手をつないでいてくれた。また二人で暗い天井を見上げ、あたりさわりのない会話をした。

「うぇーい!」

 帰りのシャワーの最中、ミサは僕にシャワーの水をかけて楽しんでいる。僕は冷水を浴びながら、全裸ではしゃぐ彼女を眺めていた。

「じゃあね」

 ホテルの出口で、ミサが小刻みに手を振る。すでに陽は落ち、通りは暗かった。

「じゃあ。今日はありがと」

 ミサの後ろ姿を見送り、反対方向へ歩きながら、僕はついさっきまでのことを思い起こしていた。生身の人間に触れた感覚が指先に残っていたし、ソファの上でよろけたミサと、一瞬見えたスカートの中身が脳裏で繰り返された。

「結局、パンチラか……」

 駅へと歩いて帰路につく。

 この日から、僕のカフェ通いが始まった。3年間、ここで何人と会ったのか。数えたことはなかった。

 カフェ刹那に出入りする男性のことはよく知らないし、誰とも話したことはない。たぶん僕と大差ない年齢、ルックス。毛量も、それなりの収入も、たぶん同じくらいだろう。

 カフェ刹那に出入りする女性は、無職、女子大生、派遣社員、主婦もいた。本人の意志で来ているが、理由は現金か暇かのどちらかだ。でも、必ずあった。僕が番号で呼び出し、出会った彼女たちには、必ず何かひとつ、魅力があった。光っても輝いてもいないが、魅力としか言いようがない。僕はその彼女たちに、生かされていた。

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カフェ刹那と二万円 ナカム・ナヒラム @shige-zone

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