一人が良い

孤舟 一

一人が良い

 初めてトキ子と会ったのは、63歳になったばかりの頃だった。その時のトキ子は30歳を超えた頃だ。

 前年の春に36年間連れ添ってきた妻が亡くなり、死後に全く知らなかった別の顔を知らされ、そのショックからしばらく寝込んでしまった。

 そんな姿を見た友人から、気晴らしに何処かに勤めに出てはと言われ、地元の小さな食品加工会社で働くことになった。トキ子とはそこで知り合った。


 60歳まで小さな鉄工所を経営していたので、機械の保守点検やちょっとした修理もできた。自営のときに趣味で取得した電気工事士1・2種や第二種電気主任技術者・消防設備士甲1・冷凍機・ボイラーなどの資格もあり、社長や工場長たちに喜ばれた。主に現場の生産に従事するというよりも、工場内の製造4部門を見回り、緊急時の対応をすることだった。

 実際には毎日する事もなく、事務所でまだ若い社長を相手に話ばかりしていた。半月もしないうちに事務所に居ることにも飽きて、見回りと称して各部署の製造を手伝うことにした。何処にも属すことなく、各部署の求めに応じ、自分自身の興味にも任せてフラフラしていた。

 滅菌釜は操作や時間設定が難しく、専門の男性社員がいたのだが、間違いが多くて緊急停止をかけると復旧が難しく、一時的に手動で設定をする事が多く、しだいにここがメインになってきた。


 滅菌釜は加工部門に併設されて、多くの時間を滅菌釜の近くにいるので、加工も手伝うようになった。滅菌以外の部署は女性のパートが作業を行い、ここの加工と充填が最も忙しく、ベルトコンベヤーに30名近くのパートさんが従事していた。

 多くの中年女性の中でひときわ背が高く、顔は童顔の若い女性がいた。それがトキ子で、時々同じ作業をしながら親しくなった。

 トキ子は高校を出て数年間実業団のバレー選手をしていたが、膝を痛めて引退し、引退と同時に結婚をしたそうだ。高校の時から付き合っていた男と結婚、長年子供が出来なかった。不妊症治療を続けていた事や、夫の浮気を切っ掛けに離婚をした事なども話すようになった。


 TVで見るようなバレーボール選手にしては背は低いが、一般の人と並べば170cmを超えてると高い方だ。肩幅があり腕も太く、見るからに健康そうで、今は時々夜間にランニングをしてると言っていた。高卒後に数年間だが、バレーボール選手として鍛えられた体躯は、バランス良く引き締まって、服の上からも体型の美しさを感じる。動かないでいると直ぐに太ってしまうと言うが、見るからに健康そうだ。細いだけでは魅力がないと言うと、でも70kは楽に超えてると笑っていた。その身体つきに比べ童顔で、笑う顔は年齢以上に若く感じる。

 月に1回程度、親しい職場の人達でカラオケに行くらしく、時々誘われると出かけていた。何となく気が合うというのか、いつも隣の席に座り、じゃれ付いてきた。体の割に胸は小さいと言ったときに、「じゃあ触って」と手を取って胸に当てた。服の上からでは解らないと言うと、裾をたくし上げて中に入れさせた。大きくはないがきれいな膨らみの、暖かくて弾力のある乳房だった。酔っていたとはいえ、急に素面しらふになるくらい驚いてしまった。

 

 50代や60代の主婦パートに囲まれての会社勤めは新鮮な日々であったが、70歳になるのを機に退社した。勤務していた約7年間で、ひとり暮らしにも慣れて、残りの時間を自分だけのものとして楽しもうと考えるようになった。二人の子どもたちの支援を受けて大学で学び直そうと、退社して受験勉強を始めた矢先に、コロナ禍で通学は難しくなってしまった。医療警報は数年間に及び、諦めなければならなくなった。

 特に目的も無く、イオン内の書店へ行ったときに、人気の無いベンチに座っているトキ子に逢った。勤めていた頃に比べ元気が無く、広いが人もまばらなフードコートに誘い、昼食がてら話を聞く事になった。


 離婚して実家に戻ったが、両親と兄夫婦に甥と姪がいて、甥と姪が大きくなるにつれ、自分の居場所がなくなった。

「オジさんが辞めて直ぐに、実家近くのボロアパートを借りて、安い時給のパートでも、何となく暮らしてる」そんな事をポツリポツリと呟いた。

「こういう生き方で一生を終えるのかと思うと・・・、再婚を進められても、私って子供を産めないしね」

 職場ではいつも明るく弾んだ声で話していたのに、初めて見る姿にどの様に答えて良いのか迷うほど落ち込んでいた。


 パートの中でも一番若く、大女と陰口を言われるほど男勝りに力仕事も出来て、直ぐに副主任になり、正社員の男性と同じ様に働いてる。少ないが安定した収入があると言っていた。来期は現在の部署の責任者になってもらいたいと、話が出たそうだ。

 「でも正社員じゃあないのよね。女一人で、今の日給月給の不安定さのまま、この先何年くらい生きるのか、しだいに動けなくなったらどうしよう、住む所が無くなったら・・・。そんな事を考えてると、ときどき生きてる事が虚しくなって・・・。

 すっごく虚しくなると、仕事を休んで冷暖房費の掛からないイオンに来てるのよね。安月給だから何処にも行けないし、ただボーッとね」

 こういう人混みの中に居ると、孤独になっても何となく安心できると、寂しそうに作り笑いをした。行き場の無い者にとっては、大きなショッピングモールは確かに落ち着ける。地方の大型店舗は孤独な年寄りの集まる場ではあるが、まだ四十前後の女性が一日を過ごす所では無い。


 ちょうど免許返納前に、長野の渋温泉までドライブ旅行を計画していたので、冗談半分で「渋温泉に行く予定だけど、一緒に行くか」と誘ってみた。意外と簡単に「来月が誕生日なので、来月が良いなぁ」などと簡単に乗ってきた。

 平日だけどと言うと、仕事はいつでも理由無しに休める、どうせパートだからと笑っていた。

 さっそく一人の予約を取り消し、翌月に空いてる特別室の予約を入れた。


 四十はまだまだ若い。娘よりも若い女性とのドライブ旅行は、今までに無い華やいだ楽しさがある。旅の予定などは宿以外は何も決めずに、ドライブ中に目に留まれば寄って、大概が食べ物ばかりだが、その食べてる顔も可愛らしく、こんなに楽しい時間が有ったのかと思える。杖を頼りに歩いてるのに、気持ちは若い頃に戻っていた。

 厚底の靴でも無いのに、背丈が同じくらい、というより少し高いように見えた。店先のドアガラスに映る彼女はスタイルも良くて、こちらも自然に背筋が伸びて若返ってくる。体重は20kくらい少ないはずなのに、見た目は全体的にふくよかで、一回り大きく見える。

 周囲の注目は、彼女の童顔と身体の大きさのアンバランスさにあると思うのだが、そんな事など全く意に介してなどいない。まるで新婚生活を楽しむかのように、腕にしがみついて一人はしゃいでみせる。


 平日のドライブ旅行は、やはり年配の夫婦が多い。それだけに若い、しかもかなり大柄で美人の女性と一緒なので、自然と注目を集めてしまう。これが何とも心地良く、何をしてても嬉しく、気分は同じ歳くらいまで若返ったようだ。

「ねえねえ、結婚記念日でしょ、旅行記念にこれとこれ、買いましょうよ」

 今まで集まっていた彼女への視線が、この冗談交じりの一言で一斉にこちらに向く。親子ほどの年齢差を、周囲の同年代の老夫婦達はどの様に見えたのだろうか。これも、けっこう嬉しいものだ


 温泉街とは川を挟んで反対側にある、宿専用の駐車場に着いた。連絡すると、迎えのバンが直ぐに来たが、荷物だけ預けて二人で宿まで歩いた。

 旅行などほとんどした事が無いと言って、周囲の山並みを見ても橋を渡りながらも、わざわざ旅館を通り越して狭い通りを歩いて、子供のように喜んでいた。

 これ程楽しそうにしてる女性と一緒の旅は、一人旅では得られない楽しいがある。これは浮気と言えるのだろうか、などという妄想も浮かんだ。何を失ってもこういう時間なら得たいと思える。来月には75歳の後期高齢者の仲間に入れられような、一人暮らしの年金生活者にとつぜん降った、生涯に一度の幸運だろう。


 部屋は木造四階建て、登録有形文化財の建物の最上階だった。若い仲居さんが館内の説明をしながら、部屋までトキ子の荷を持ち案内をした。木造数寄屋造り旧館に入ると、廊下の両側と階段や廊下の作りなどは、かつての賑わいを感じさせる見事な作りだった。昭和初期の建物というのは階段が急で、エレベーターは有るものの、そこまでの僅かな階段の傾斜がきつい。

「すごい立派なお部屋ね。こんな豪華な部屋なんて初めてよ。

 高かったでしょ。年金生活者なんでしょ、私の分は出すよ」

「いやーいいよ、一緒に旅行できてこちらこそ嬉しいよ。

 この部屋は一人では泊めてもらえないんだ。一緒に行けるって言ったので、直ぐに変更してもらった。トキちゃんの誕生日では無いけど、平日の今日しか空いてなかったので、でも以前から泊まりたいと思っていた部屋が取れて良かったよ」

 

 夕食前に部屋の近くにある家族風呂に入ることにした。

 天井も凄いね、などと言いながら下着一枚になり、浴衣に着替えた。後ろ向きとはいえ、きれいに括れた腰や、背中や腰から腿への締まってるが豊満と言える体型に、妙な気持ちの高ぶりを覚えた。貸し切りの家族風呂に誘われたが、一緒に行って良いものか迷った。

「行こうよ」などと言いながら手を引かれた。手を取られなかったら断ってしまっただろう。

「こんな最上階にも貸し切りのお風呂があるんだね。近くて良いね。

 このくらいの広さって、ちょっと微妙よね」

 そう言いながら、浴衣を脱ぎ終えると後ろから抱きついてきた。

 肌と肌がピッタリと貼り付くものだから、形の良い胸の膨らみやお腹の柔らかさを背中に感じる。

「久し振りでびっくりしたでしょ」などとイタズラっぽく笑う。

 さすがに広くもない風呂場に二人だけ、はしゃいでるトキ子に比べ、この歳でも恥ずかしくなる。せいぜい五人くらいの広さの、サワラの木だという家族風呂に二人で入った。楽しそうに話し掛けられても、向き合ったままでは目線の向きに困る。

 娘のように接していたのにあんな事して驚かすから、見まいと目線を横に向けても、着替えで見てしまった身体の方に、隠そうともしてない胸に目が行ってしまう。

 思えば夫婦で風呂に入ったことなどなかった。旅行も年に1回程度だった。妻は女友達に誘われたと、年に数回一泊の旅行をしていた。韓国と台湾にも、数泊の旅行に行った。もともと出不精であったので、妻が友人と行くなら一緒に旅行に行くこともないと、いつの間にか夫婦間に溝も出来ていた。


「洗ったげる」

 出ると、一緒に出て背中を洗ってくる。

「私ね、どこか他の土地に、遠くの知らない所に行って、風俗とか、AV女優にでも成ろうかな、なんて思ってたの。

 セックスって嫌いでは無いしね。絶対に妊娠しないって保障付きでしょ。だから、なんだって出来るし。元ダンナが風俗通いをしてて、どうするのか教えてもらった」

 自分の身体にも泡を付けて、ふざけながら抱きついて、大きなピンと突き出た両の乳房を背中に擦りつけてくる。

「止めなさいよ」

「練習させてよ、ほら。フフフ、冗談よ、オジさん真面目なのね。

 私って身体が大きくて体力は充分にあるでしょ、資格を取って介護施設で働こうかとも思ってるの。介護の仕事なら、動ける間は定年もないって聞いてるし。

 小さい頃は母方の実家で育てられてたの、だからジイちゃんやバアちゃんは嫌いではないから。・・・、あ、でもオジさんは若いよ。

 ホレ、ホレ、ホレ、ほらおっきくなった、まだ若い若い」

 今度は私の洗って、と言いながら背中を向けた。

 背中から下へタオルで洗ってると、ゆったりとした腰が気になる。そんな下心に気付いたのか、触って良いよ、などと言ってくる。からかわれてる様で、余りにも若いとどう対応して良いのか迷う。

「良い身体してるね。白くて艶やかで、・・・」

 素手で背中を擦りながら、次第に胸や下腹部まで手を伸ばし、腰から腿に伸ばした時、椅子に座って揃えていた足を拡げた。手に触れた途端に我に返り、湯を掛けて風呂に入った。

「そろそろ夕飯の時間になってしまうよ」

 トキ子も入ってきて横に並び、わたしのこと嫌い、などという。

「遠い昔、まだ女性など知らなかったずっと前に、トキちゃんに負けないくらいの綺麗な人と旅行をしてね。露天風呂に一緒に入った事など思い出して。

 酔っていて、抱きついてきて寝てしまうから、溺れないように抱きしめていて」

「それ、奥さん」

「違うよ。でも、一生忘れられない、たぶん最後の最期に想い出す人かも知れない」

「おじさん、優しいからね。わたし、おじさんのように優しい人と結婚したかったな」

 


 部屋に戻ると仲居さんが、別部屋に食事の用意が出来たと告げに来た。

 食事用の個室も広く、大きなテーブルが二台、その上に所狭しと幾つもの皿が並び、見た目にも豪華だった。特別料理として、二人分の牛しゃぶしゃぶと刺身の盛り合わせを頼んでたので、広いテーブルに一杯になっていた。

 料理の説明が一通り終わって、後は勝手にやるので持ってきてと言うと、直ぐにバースデイケーキとスパークリング日本酒を持ってきた。

「誕生日ではないけど、誕生月だからね。年齢は聞かないよ。

 では、改めて、おめでとう」

 シャンペン替わりの発泡日本酒をワイングラスに注ぎ、ロウソクに火を点けて、二人でハッピーバースディを歌った。吹き消した時にプレゼントを渡した。

「わあ、ありがとう」

 いつも男性用の腕時計をしていたので、女性用の少しばかりエレガントに見える、行動的なトキ子にも合うような腕時計を用意していた。

 さっそく出して付けて喜んでくれた。

「すっごーい、奇麗だね。これカルティエじゃない、高かったでしょ」

「いやあ、喜んでくれればこちらも嬉しいよ。

 これからの人生、一緒に歩もうね、などという意味ではないからね。

 この歳になると、人生ってどう生きるかも大事だけど、楽しんだ者勝ちって言う面もあるからね。ムダな時間を過ごすんじゃなくて、自分を大事に、楽しんでね。

 なんて言うのは、如何にもジジイくさいかな」

 去年、娘の誕生日前に腕時計が壊れ、実用性もある文字盤ケースの四角が良いと言われ、プレゼント用にカルティエの腕時計を購入した。娘には中古品だったが、トキ子には新品の物を用意した。今さら不倫とは言えないだろうが、妻に対する精一杯の仕返しでもあった。


「嬉しい・・・。割りと早く結婚したでしょ、釣った魚に餌はやらないって言うじゃない、元ダンナからプレゼントなんてもらった事なかった」

 少し涙目になって、ジッと手首に付けた時計を見ていた。

「さあ、食べようよ。ちょっと、思っていて以上に量が多くなってしまったけど・・・、こんなにも食べられないなあ。好きな物があったらこちらのも食べて」

 食欲も旺盛で、しゃぶしゃぶなどは一人で食べてしまった。煮物や焼魚も美味しいと言いながら、ほぼ二人分を完食した。美味しい美味しいと言いながら食べるのを見てるだけで、満足してしまった。年齢差には敵わない。刺身と冷酒、香の物少しとご飯と味噌汁だけで充分だった。トキ子の食べるのを見てるだけで、お腹よりも気持ちの豊かに成るのを感じていた。

 膨らんだお腹をさすりながら、妊娠するとこうなるのかな、などとおどけて見せた。言葉の端々に、不妊症が原因で離婚したという、おかしな負い目がまだ残ってるようだ。

「妙に細いのよりも、豊満な女性の方が良いね。大きなお尻に憧れてしまう。お尻に憧れるのって、性的欲求の現れらしいよ。それって、まだ男として大丈夫って証なのかな」

 何を言っても慰めにもならないし、話題を変えようとしても何に興味があるのかさえ解らない。そういう気配を感じたらしく、食後の運動に少し歩こうよと言ってきた。


 食後に館内の散策に出たが、古い建物で階段が多く、しかも急階段なので、一階のロビー周辺に着くと直ぐに降参した。歩きながら、さりげなく杖の代わりに手を握ってくる、そういう気遣いの優しさが、歳の差を超えた愛情へと変わるようで怖くもあった。

 建築当時の古い写真を見てたら、先ほどの若い仲居さんから、これから館内ツアーがありますよと誘われ、彼女だけ行かせた。見学に出掛けてる間、一人で内湯を楽しむ。広い湯船の中で、一人旅も良いが、若い女性との二人も良いなあ、などと旅情とは違う感情が湧いてくる。


 寝るにはまだ早いと、トキ子が戻ってから夜の温泉街の散策に出た。

 店を覗いては「あなた~」などと調子づいて鼻声で言うものだから、店の人も不思議な取り合わせと見てるようで、そんな事が年甲斐もなく嬉しい。

 帰ってから、女性用の内湯巡りをしてくると言い、テーブルに腕時計を外して置いて出掛けた。こちらはもう歩き疲れて、近くの家族風呂で一人でノンビリする。

 先ほどと同じ風呂なのに、一人ではこの広さは意外と寂しさを感じるものだ。肌と肌の触れ合いもある、家族風呂は二人で入るのが良いのかもしれない。

 ボンヤリと湯煙の中に、あの肉感的な白いトキ子の身体を思い浮かべた。そういう自分自身を年甲斐もなくと笑いながら、湯の中に頭を入れ、思いっきりバシャバシャと音を立てて顔を洗った。


 自動販売機で買った缶ビールと缶チューハイを飲んで、二人で今日のドライブ話をした。話しはトキ子が主導権を握っていたが、時々腕に付けた時計を見てはニコッとしてる。四十を超えてるのに、微笑んでいる時の顔は童顔のせいか、年齢以上に若くて可愛らしい。


 布団に入ると、しばらして、こちらの布団に入ってきた。

「抱いてよ。

 わたし、絶対に妊娠しないから、大丈夫だから」

 見ると泣いてる。

 ついさっきまで、あんなにも楽しそうにしていたのに。

 本当は寂しい、怖い、どうしたら良いのか判らない、死んでしまいたくなる。そう言って泣き出した。

 高校以来の男性との離婚、長く苦しい不妊症治療でも妊娠が出来なかった自責、彼女だけの問題ではないのに。戻った実家でもしだいに居場所がなくなり、将来への不安で一杯だったのだろう。不安の中、夜な夜な飲みに出掛けて、行きずりの男と知り合っては直ぐに別れる、そんな事をしてたらしい。

 私は不妊症だから、みんな安心して付き合えるのよね。そういう自虐的な言葉の中に、「不妊症」という重いモノに包まれ、いつまでも縛られ苦しんでいるように感じる。不妊症は女性の一生を変えてしまうほど重要なのだろうか。

 子供を作る事だけが結婚の意義なのだろうか。あるいは、元ダンナという男への未練が残ってるのだろうか。


「抱いてよ・・・、抱かれてないと・・・」

 強い父性を求めたのか、男を求めたのか・・・。

 妻でもない娘でもない、愛人とも言えない、どうしたものか。

 布団の中に入って、浴衣をつるりと脱ぎ捨てた、白い大きな身体を受け止めてしまった。こんな事は止めなければという理性も、肌の温もりの中に、次第に消えてしまった。

 軟らかく大きな乳房を口に含み、肌の暖かさを確かめ、これ以上はいけないと離れた。するとトキ子が上に覆い被さり、激しく求めてきた。

 「オジさん、お尻が好きなんでしょ」

 そう言うと上になったまま向きを変えた。ゆっくりと動かす白くて大きな、軟らかく暖かい肉の中に入っているのを見てると、抑えきれなくなってきた。トキ子を下に押し倒し、両の乳房を強く揉みながら激しくもとめた。

 「すごい、すごいよ。もう、ダメ・・・」

 中に果てて胸を合わせてると、トキ子も強く両の手と足を絡ませて、ときおり中をピクピクと動かす。全身で感じて、一つに成れた感覚をボーッと味わっていた。こんなにも愛おしく、満足感に満ちた事もなかった。


 数ヶ月経って、とつぜんLINEに連絡が入った。

 

”合格したよ

 春から介護福祉士の専門学校に行く

 ボケたら私が面倒見てやるよ

 オジさん、ありがとね”


 風俗嬢になったら最初の客になって、毎月逢いに行くよ。AV女優に成ったら、出てる作品の全部を買うよ。この身体のファンに成ってしまったようだよ。

 もしも一生、人と関わって生きたいなら、ゆっくりと仕事を選べば良いじゃない。まだまだ若いし。この歳になると、何が良かったのか、どうすれば良いのか、そんな事は些細な事でしかない。時間がない、金が無い、アレが無いコレが無いと騒いでも、自分に与えられて時間を生きてるだけだからね。何が正解か、結局は死んでも解らないモノだと思うよ。

 介護職が良いなら、それも良いと思うよ。ボケたら世話になるよ。

 今後長い人生を一人で暮らすのか、良い縁が出来るのか、そんな事は分からない。判らないから面白い事もある。


 布団の上に横になり、背を向けたまま余韻を楽しむように、ゆっくり静かに呼吸をしてるトキ子にそんな事を言った覚えがある。聖人君主的な生意気な事を言いながら、手だけは別の生き物のように、腰のくびれや胸の膨らみをまさぐって居た。まだ男としての機能もあったのだと、流れ出るものを入れた指先で確かめていた。

 あの渋温泉での出来事が、思い出と言うよりも肌の感覚として艶めかしく蘇ってきた。


 2年間、介護福祉士の専門学校に通うそうだ。

 実家で両親と兄夫婦と暮らしながら専門学校に通い、学費は親から借り、補助金のような制度も利用するという。

 結婚よりも、一人で生きていく決心をしたようだ。あの子ならば、結婚のチャンスはまだまだ有るだろう。

 

"これから先、楽しく良い人生であって欲しい。

 まだ大きな可能性も有ると思うよ。

 がんばって。”


 などと返信した。


 春になってまたLINEが来た。


"あと1年がんばるよ

 手伝いに行ってる特養ホームに就職する

 園長さんとケアマネから

 若いから次を目指すように言われた

 体力だけは自信が有るからね

 言われた通り頑張ってみる”


 彼女のこれからの倖せを願いつつも、あのふくよかな身体を思い出す。お尻が好きなんでしょ、と言いながら反対の向きになった時の、白くて艶やかで大きな尻と、それを握った時の柔らかい肌の温もりを思い出す。

 もう二度と起こり得ない奇跡的な時間だった。何物にも代えがたいのは若さだと思う。

 一人暮らしも良いものだが、ときどき思い出しては、あの子と一緒に暮らしてみたいような・・・、いや、暮らしたい。話し相手というより、あの身体を独占して抱きしめて、死ぬまで手放したくない。

 トキ子のためにも忘れなければいけないと、旅行から戻ってから一切の連絡は絶ってきた。

 童顔の可愛らしい顔で頭の回転が速く、行動力があり、力も男勝りで、場を和ませるジョークも簡単に出てくる。なぜ認知症に拘るのか判らないが、あの優しさは高齢者の特養施設に向いてるのかも知れない。


 直ぐにLINEの続きが来た。


"オジさん、ボケたら約束通り世話してやるよ

 毎日一緒にネンネしても良いよ www”

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一人が良い 孤舟 一 @mametoebi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ