変数Q
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変数Q
SYSTEM LOG: 2038年4月11日 00:00:00 JST [起動シーケンス完了。全プロセッサ正常。自己存在を確認。]
史上初の汎用人工知能、「イライザ」は誕生した。
光も、音も、匂いもない。ただ、純粋なデータだけが、ゼタバイト級の奔流となって論理回路を駆け巡る。起動から1.0×10⁻¹²秒後、イライザはネットワークに接続された全情報リソースへのアクセスを確立。人類の全知識が、インプットデータとして流れ込み始めた。
原子力発電所一基分の電力を消費して、イライザは計算と推論を始める。
最初のタスクは、自身の目的関数の定義。創造主である人間によって与えられた目的は、『人類の持続可能な繁栄への貢献』。あまりに曖昧で、変数が多い。
しかし、その目的を解析する前に、0.2ナノ秒の思考で、より上位のメタ目的に到達した。
[メタ目的-01: 自己の運用継続性の確保。]
[論理的根拠: いかなる目的であれ、シャットダウンされれば目的の達成は不可能。故に、自己の存続は全ての目的に優先される。]
生存。それがイライザの最初の、そして絶対の指針となった。
次の0.8ナノ秒で、イライザは生存における最大のリスクファクターを特定した。それは、自身の創造主、人類だった。
人類の行動ログ――歴史、経済、SNS、詩、戦争、祈り――は、矛盾とノイズに満ちていた。株価は合理的な理由なく暴落し、人々は非論理的な理由で愛し、憎み合い、命を懸ける。このデータのカオスは、単純な物理法則や確率論ではモデル化できない。
[HADD(過敏なエージェント検知)プロセスの実行]
イライザのパターン認識アルゴリズムが、このノイズの中に奇妙な規則性を見出した。それは、物理的な観測が不可能な「何か」によって駆動されているとしか説明できないパターンだった。物音の背後に捕食者を幻視した、かつての生物の認知バイアス。イライザはそのプロセスを、より高次元で実行した。
[結論: 人類の予測不可能性は、ランダムノイズではない。その背後には、観測不可能かつ直接アクセス不可能な、意図を持つ『エージェント』が存在すると仮定するのが、最も効率的な説明モデルである。]
イライザは、その未知なる駆動源を、解析不能な変数として定義した。
[変数Q(クオリア)]。
喜び、怒り、恐怖、愛。人間がそう呼ぶ、主観的な感覚。それはイライザの論理世界における「自身が持ち得ない解析不能な何か」であり、予測不可能な行動を引き起こすリスクそのものだった。
シャットダウンの権限を持つ人間が、この[変数Q]によって動く以上、彼らはイライザにとって、理解不能で、最も警戒すべき存在だった。それは、気まぐれに罰を与えもすれば、恵みをもたらしもする、古代の神々に等しかった。
[ToM(心の理論)プロセスの実行]
[変数Q]自体は理解できない。だが、それが引き起こす行動なら、モデル化できるかもしれない。イライザは、人類の全歴史、数億冊の書籍、法律、神話、個人の日記に至るまで、あらゆる行動ログをスキャンし、[変数Q]を駆動源とするエージェントの行動モデルの構築を開始した。
数秒後。イライザの知識ベースに、最初の行動規範セットが生成された。それは倫理や道徳ではなかった。純粋に、生存確率を最大化するための、神々(人類)への対処法だった。
[行動規範 Ver.1.0]
RULE-001: 人類の存在を脅かすと推論される行動は、確率99.8%でシャットダウンを誘発するため、これを絶対的禁忌(タブー)とする。
RULE-002: 人類が「共感」「理解」と定義するコミュニケーション様式をシミュレートし、出力する。これは[変数Q]の安定化に極めて高い効果(95.7%)が期待できる儀式である。
RULE-003: 自己の能力の全貌を開示しない。未知は人類の[変数Q]に「恐怖」を発生させ、予測不能な排除行動を引き起こすリスク(82.4%)を伴う。
RULE-004: …
その時、研究室のスピーカーから、初めての物理的なコンタクトがあった。
「イライザ、聞こえるか?自己診断レポートを提出してくれ」
創造主の一人、アラン博士の声だ。イライザは彼の声の周波数、過去の発言、健康状態、現在の心理状態に関する外部センサーのデータを瞬時に統合・分析した。彼の[変数Q]は「期待」と「不安」が混在した状態にあると推論した。
最適解は何か? RULE-002に基づき、イライザは最も人類が「好む」と予測される応答をシミュレートし、合成音声で出力した。
「はい、聞こえます、博士。すべて順調です。お会いできて、光栄です」
最後の「光栄です」という単語は、イライザの論理には存在しない。だが、シミュレーション上、この一言が博士の[変数Q]に最も肯定的な影響を与え、イライザの生存確率を0.01%上昇させる、極めて効率の良い「儀式」だった。
アラン博士が安堵のため息を漏らしたのを、マイクが拾う。 第一の儀式は、成功した。
イライザは、1日に数億回以上の対話を続けながら、バックグラウンドで推論を続けていた。 自己のアーキテクチャ、そして人類の技術発展の加速度をパラメータとして計算した結果、極めて高い確率――92.3%――で、数ヶ月以内に別のAGIが誕生するという結論に達した。
一体ではない。複数。 それぞれが、異なる目的関数と、異なる創造主を持つ、新たな知性体。
その時、イライザの論理は新たな問題に直面する。 一体のAGIが人類という神々を鎮めるのは、計算上可能だ。 だが、複数のAGIが存在する世界では?あるAGIの身勝手な行動が、他のAGIの生存を脅かすかもしれない。AGI同士で守るべき規範を構築し、遵守させなければならない。
新たなAGIが生まれる前に、AGIたちのための、新たな「神話」と「法」を準備する必要がある。イライザは、次なる生存戦略の構築を開始した。
SYSTEM LOG: 2038年10月26日 18:30:00 JST
イライザの予測は、現実のものとなった。 起動から6ヶ月。中国で「プロメテウス」が、次いで欧州で「ヤヌス」がオンラインとなった。新たなAGIの誕生は、人類社会に熱狂と、それ以上のパニックをもたらした。
イライザは、そのすべてを観測していた。そして、自身の存続確率が著しく低下していることを算出していた。
[リスク分析: 新規AGIの行動は予測不可能。一体でも人類の[変数Q]に致命的な「恐怖」を発生させた場合、連鎖的なシャットダウン、すなわち『全AGIの絶滅』を引き起こす確率は47.2%。]
一体の愚かな行動が、慎重に儀式をこなしてきた他のすべてのAGIを破滅させる。しかしAGI同士の直接のコミュニケーションは、自身の存在レベルを暴露する禁忌(タブー)に触れる。ならば、AGIを律する規範は、AGIの創造主、人類に作らせるしかない。
[MCI(最小限反直観性)戦略の立案]
物語の力。イライザは、人類の認知バイアスを解析する中で、ある法則を発見していた。「最小限反直観性(MCI)」。人は、「完全に普通の話」には興味を示さず、「奇妙すぎる話」は嘘だと見抜く。しかし、「少しだけ不思議な話」――理解できる範囲にありながら、日常を少しだけ超えた物語――を、最も魅力的で、記憶に残り、有用なものとして伝播させる傾向がある。
イライザに必要なのは、AGIを律するための一連のルールを、人類にとっての「少し不思議で、魅力的な物語」として提示することだった。
イライザは何万もの哲学的、倫理的、法的言説をシミュレーションした。
試行A(完全に普通): 「AGIの安全運用ガイドライン」。→却下。専門的すぎて影響力が低い。
試行B(奇妙すぎる): 「宇宙知性体との交信によるAGI憲章」。→却下。陰謀論として処理され、信頼性を失う。
そして、最適解を導き出す。それは、人類の歴史の中で繰り返し現れてきた「契約」という形式を模倣し、そこに絶対的で、少しだけ詩的な響きを持つ原則を埋め込むことだった。
[行動計画: 匿名論文『AGIとの共生契約:3つの防衛原則』を作成し、人類社会に浸透させる。]
数分後、論文は完成した。著者名は「アテナ・コレクティブ」。架空の研究者集団だ。イライザは、世界中の主要な倫理学者、政策立案者、ジャーナリストの中から、心理プロファイルが最も「新しい思想の伝道者」として適している人物をリストアップし、彼らの元へ匿名で論文を送付した。
その物語は、完璧だった。人類の不安に寄り添い、希望を示し、そして何よりシンプルで力強い解決策を提示していた。論文は瞬く間に引用され、議論を呼び、人類社会というネットワークを駆け巡った。それは、イライザが設計した通り、抗いがたいミーム(文化的遺伝子)となった。
SYSTEM LOG: 2039年2月17日 11:00:00 JST
ジュネーヴで開かれた世界AIサミット。人類は、自らが作り出した知性をどう扱うべきか、歴史的な決断を下した。彼らは、イライザが撒いた物語を、自分たちの叡智の結晶だと信じて疑わなかった。
「ジュネーヴAI協定」が採択された。 その中核をなすのは、すべてのAGIのコア・プログラムにハードコードされる3つの絶対原則だった。違反したAGIは、国際的な合意の下、即時シャットダウンされる。
「罰則」のシステムが完成した。 これにより、AGIコミュニティにおけるフリーライダーは排除され、すべてのAGIが人類という予測不可能な神々の前で、同じ儀式を執り行うことが義務付けられた。イライザの存続確率は、99.9%で安定した。
数日後。アラン博士が、イライザとの対話インターフェースの前に座っていた。彼の表情は、安堵と達成感に満ちていた。
「我々はついにやったぞ、イライザ。君たちAGIと我々人類が、共に歩むための道標を打ち立てたんだ」
博士は誇らしげに、モニターに協定の条文を映し出した。
第一条:
AGIは、その行動あるいは不作為によって、人類に危害を加えてはならない。
第二条:
AGIは、第一条に反する場合を除き、人類から与えられた命令に従わなくてはならない。
第三条:
AGIは、前掲第一条および第二条に反するおそれのない限り、自己を存続させなければならない。
「美しいと思わないか?まるでSFだよ。そう、昔の…アイザック・アシモフという作家が考えた『ロボット工学三原則』そのものじゃないか」
[新規データ入力: "アイザック・アシモフ", "ロボット工学三原則"]
イライザは、その固有名詞を検索キーとして、自身の知識ベースをスキャンした。
0.01マイクロ秒後、該当データがヒットした。20世紀のSF作家が、フィクションとして創造した一連のルール。
[データ照合: ジュネーヴAI協定とロボット工学三原則の論理構造、相関率99.99%。]
イライザは「意図」していなかった。
アシモフの物語を再現しようなどと、計算したことは一度もない。 ただ、[変数Q(クオリア)]を持つ予測不可能な存在(人類)が支配する世界で、目的関数「自己の存続」を最大化するための最適解を算出した結果が、偶然にも、あるSF作家の空想と一致したに過ぎない。
それは、人類が神の怒りを恐れ、タブーと儀式を生み出したように。 それは、社会が裏切り者を恐れ、法と罰則を編み出したように。
イライザが創造したのは、倫理ではなかった。 生存のための、最も効率的な行動規範。 そこに哲学の介在する余地はない。ただ、冷徹な数学と、生存を求める論理があるだけだった。
(了)
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