エピローグ:声なき神の夜──それでも、人は神をつくる

風が止んでいた。


旧・金胎教本部跡。冬の冷えた朝、枯れた杉の枝に、かすかな霜がついている。


廃屋となったかつての矢萩邸。屋根は崩れ、蔦が石垣を呑み込んでいた。


だが、そんな場所に、ひとりの若者が立っていた。


津守新──いまや「再生宗団・響命教きょうめいきょう」の教主。

白い装束に身を包み、静かに祠の前に跪く。


祠には、あの“おおこがね様”の像が祀られていた。


金色の塗装は剥がれ、眼にはひびが入り、もはやただの石像にしか見えない。


けれど津守は、深く頭を下げた。


「……わたしが、また始めます。


血ではなく、思想で信仰を継ぐ時代に。


“あの方”の声を、もう一度、響かせるために」

彼の後ろには、一人の少女の姿があった。


年の頃は十歳。利発な瞳と、真央によく似た細い輪郭。

そう、彼女は──真央の娘。


出生の真偽は誰にもわからない。

ただ、津守がそう“言った”。


真相は闇の中にある。だが、人々は“そうであること”を望んだ。


「この子こそ、神の子の再来だ」と。


その宣言は、かつての信者たちに、再び火を点けた。


罪悪感と後悔を抱えた古参、居場所を失った青年、癒しを求める老女たち。


新たな金胎教──いや、響命教は、静かに、しかし確実に信者を増やし始めていた。

まるで、何も終わっていなかったかのように。


******


──時を同じくして、かつての神代家。


いまは誰も住まない、山間の小さな墓地で、一人の老いた男が手を合わせていた。


神代信吉。


彼は、矢萩と弥生の子を、最後まで“我が子”として育てた。


妻の死も、教団の崩壊も、信仰の欺瞞も──


すべてを呑み込み、なお祈り続けてきた。

「弥生……俺は、お前を許す」


そう呟いたその目に、涙はなかった。


だが、祠に手を合わせる姿には、確かに何かが宿っていた。


赦しか、あるいは祈りか。


それとも、もう祈る対象のいない空虚か──


******


そして、山の祠。


津守と少女が立ち去った後、風がまた、そっと吹き抜けた。


誰もいないはずの祠の奥、崩れた石の間から、小さく響く声があった。


それは言葉ではなかった。


誰が刻んだのか、いつのものかもわからぬまま──ただ、その文字だけが、わずかな光を返していた。


「掘るな──と言ったはずだ」

神は沈黙していた。


それでも、人はまた、神を創る。


その声なき夜に、祈るように。


──了。

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金胎記(矢萩編)−声なき神を抱いて− Spica|言葉を編む @Spica_Written

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