第7章:教団崩壊

 山を渡る風が鳴いていた。

 かつて矢萩栄一郎が築いた教団は、今や国政に影響を及ぼすほどの巨大組織となっていた。

 分派、外郭団体、寄進事業。

 信仰は形を変え、祈りは収益へと姿を変えていた。


 その頂点に立つ“神の子”──真央は、もはや語らなかった。

 儀式にも顔を出さず、祝詞も唱えず、屋敷の書斎にこもり続けていた。

 信者たちはそれを「神の沈黙」と呼び、幹部たちは焦燥を隠せなかった。


 金胎教は、いまや“沈黙の神”を祀る宗教だった。


 ***


 秋の午後、津守新は静かに屋敷を訪れた。

 経理部門の若手ながら、彼はいつしか真央のそばに最も長く留まる人間となっていた。


 「代表、今月の寄進報告書です」

 差し出した帳簿を、真央は一瞥しただけで机に置いた。


 「……もう、そんなものに意味はない」


 津守は、微笑んだ。

 「信者たちは、“意味”を求めて寄進しているのです」


 「彼らが求めているのは金じゃない。神だ」


 「ならば、神が沈黙している間、私たちが代わりに語らねばなりません」


 その言葉に、真央は小さく息を吐いた。

 「語れば、神じゃない」


 沈黙が落ちた。

 遠く、鐘の音が響いていた。

 かつて弥生が祈りを捧げた薬師堂の鐘だった。


 「……母の声が聞こえる気がする」

 「弥生様の?」

 「いや、風の音だ」


 津守はその言葉の意味を測りかねたまま、深く頭を下げた。


 ***


 その数日後、事態は一気に崩れた。

 布教部門の幹部が覚醒剤取引の容疑で逮捕され、

 寄進団体が反社会的勢力との癒着を告発された。

 新聞の一面を飾る“金胎教”の文字。


 記者たちは門前に押し寄せ、

 「神の子は何をしている?」

 「沈黙は、罪の証か?」

 と叫んだ。


 真央は外に出なかった。

 ただ、書斎で新聞を燃やしながら呟いた。


 「神なんて、最初からいなかった」


 津守は、焦げた紙を踏み消しながら言った。

 「では、いま創ればよい。信仰は、消えるものではない」


 その声音には、どこか熱があった。


 「……お前は、まだ信じているのか」

 「矢萩先生の思想を。弥生様の祈りを。

  そして、あなたの中にまだ残っている“光”を」


 真央は笑わなかった。

 ただ、机の上の灰皿に灰を落とした。


 「お前の言う“光”は、誰がためのものだ」

 「人のためです。信じることしかできぬ者たちの」


 津守の言葉は、まっすぐだった。

 真央はその真剣さに、初めて目を向けた。


 「……護りたいのか、俺を」

 「いいえ。護りたいのは、“信仰そのもの”です」


 津守は深く一礼した。

 その姿は、どこか矢萩栄一郎を彷彿とさせた。


 ***


 翌週、週刊誌が発売された。

 “神の子の私生児疑惑”

 “選ばれし器”と呼ばれた少女の告白。


 写真には、真央が記者に囲まれた姿が映っていた。

 誰かが問いかける。

 「神の子が、逃げるんですか?」

 「あなたの父親は、本当に矢萩栄一郎なんですか?」


 真央は、静かに答えた。


 「……俺は、神じゃなかったよ」


 その一言が、翌朝の紙面を埋め尽くした。


 ***


 数日後、津守は声明を発表した。


 「教団は腐敗していた。だが、信仰は死んでいない。

 我々は再び立ち上がる。“金胎教再生法人”として」


 その声明が報道されたとき、

 真央はすでに姿を消していた。


 そして半年後──


 ある地方都市の路地裏で、元信者の遺族によって刺殺された。


 「娘を騙し、家族を壊した罰を」と。


 ニュース速報の画面に、彼の名が小さく流れた。


***


宗教法人の資格も剥奪され、跡地は荒れたまま、誰も近づかなくなった。


だが、それでも、語り継がれた者がいた──

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