SCENE#66 お腹ぽっこり山田課長、青春はじめました…
魚住 陸
お腹ぽっこり山田課長、青春はじめました…
第一章:静かなる変異
山田耕介、48歳。お腹が出た小太りの体型に、ずり落ちそうになるメガネ。大手電機メーカーの営業課長という肩書きはあれど、彼の毎日と言えば、朝の満員電車で潰されたパン屑のようにへこんだ気分で会社に着き、惰性でコーヒーをすすり、定時までひたすら書類と睨めっこ。
家庭では妻と成長した子供たちに、まるで空気のように扱われ、休日はソファと同化する才能を日々磨いていた。そんな「うだつが上がらない」を絵に描いたような耕介に、ある日、小さな、しかし彼の日常を根底から揺るがす「変異」が訪れた。
春、新入社員の季節だ。営業部に配属されたのは、きらきらと輝く若者たち。その中でも、耕介の心臓を不意打ちしたのは、ひときわ目を引く青年、木下翼だった。22歳。
すらりとした手足に、どこか子犬のような潤んだ瞳。大きな声でハキハキと挨拶する姿は、まるで朝露に濡れた新芽のように瑞々しい。耕介は思わず、ずり落ちかけたメガネを指で押し上げながら、持っていたボールペンを落としそうになった。その瞬間、彼の脳裏に、遠い昔に埋もれていた「きゅん…」という音が響き渡った気がした。
翼は耕介の課に配属された。直接指導する立場になった耕介は、内心では浮足立っていた。翼が席に座るたびに「あ、座った!」と心の中で実況し、彼が資料をめくる音にも耳を澄ませる。初めて翼から質問を受けた時など、耕介は「おお、木下くん!何でも聞いてくれよ!」と、まるで初めて孫を抱く祖父のような満面の笑みを浮かべてしまった。
その顔の奥では、メガネのレンズがキラリと光っていた。翼は真面目で、吸収も早い。休憩時間に、ペットボトルの水をコクリと飲む翼の喉仏に、耕介はなぜか見入ってしまった。「あ、いや、今日の天気の話を…」と慌てて誤魔化したが、内心では完全に挙動不審だった。
ある日の夕方、翼がパソコンの操作で少し戸惑っていた。耕介はここぞとばかりに、「木下くん、どうした?困りごとはないか?」と、普段の2倍は優しい声で近寄った。翼の隣に、お腹を少し引っ込めながら屈んでモニターを覗き込むと、彼の髪からほんのりシャンプーの香りがした。耕介は心の中で「ふわわ…」と変な声を漏らしそうになった。
指先でマウスを操作していると、不意に翼の指と触れた。その瞬間、耕介の心臓は「ドッドッドドドドドド!!!」と、まるでドラムソロでも始まったかのように激しく鳴り響いた。翼は何も気づかず、「あ、ありがとうございます課長!助かりました!」と天使のような笑顔を向けた。その夜、耕介は布団の中で小太りの体をバタバタと動かした。
「これが…恋…?」
中年男の人生に、遅すぎる春が到来した瞬間だった。
第二章:滑稽な奮闘と自爆
山田耕介の日常は、木下翼の登場により、まるでコメディ映画の主人公のように変貌を遂げていた。「木下くんが隣にいる!」という事実だけで、彼の心は常に浮き足立っていた。
朝、会社に着くと、まず翼の席を確認し、彼が少しでも早く出社していると「えらい!素晴らしい!」と心の中で拍手喝采。逆に遅れていると「疲れてるのかな…」と勝手に心配し、メガネの奥の瞳を曇らせ、顔を見るや否や「木下くん、大丈夫か!?何かあったら私に言うんだぞ!」と、まるで保護者のように声をかけてしまう。
自分の感情が「恋」であると自覚してからは、耕介の行動はさらにエスカレートした。翼のランチのメニューをさりげなくチェックし、「あ、木下くん、今日もお蕎麦か!ヘルシーだね!」と、謎のコメントを発してみたり、彼が席を立つと「どこへ行くんだ…トイレか?喫煙所か?いや、木下くんは吸わないからトイレだな!」と、心の中でストーカーまがいの追跡を繰り広げた。その際、小太りの体で身を隠す姿は、まるで隠密行動中の狸のようだった。
ある日のこと、翼が「課長、この資料のフォント、もう少し大きい方がいいですかね?」と尋ねてきた。耕介は内心「なんて可愛い質問なんだ!」と悶絶しながら、冷静を装って「うむ、木下くんがそう思うなら、それがベストだ!」と、まるで禅問答のような返答をしてしまった。
翼は「え、そうなんですか?」と首を傾げた。耕介は「いやいや!木下くんのセンスは素晴らしいからね!信じてるぞ!」と、さらに的外れな褒め言葉を重ね、自分で自分の墓穴を掘っていた。メガネがずり落ちそうになり、慌てて指で押し上げる仕草は、彼の内心の動揺を表していた。
またある時は、翼が持っていたキャラクターのキーホルダーに気づいた耕介。「木下くん、それ!可愛いね!好きなのか!?」と、子供に話しかけるように興奮して尋ねた。翼は少し驚いた顔で「ああ、これ、妹がくれたんです。可愛くて」と答えた。それを聞いた耕介は、「なるほど!妹さんが!家族思いで素晴らしい!よし、今度、そのキャラクターの限定グッズを調べておいてあげよう!」と、なぜか使命感を燃やし始めた。翼は「え、いや、そこまでしていただかなくても…」と困惑していたが、耕介はもう止まらなかった。
夜な夜な、自宅のPCで「若者 人気 キャラクター」「20代男子 好きなもの」などと検索し、怪しいサプリの広告ばかり出てくる画面を前に頭を抱える耕介。
メガネを額にずらし、「私は何をやってるんだ…」と自嘲しながらも、翌日には「木下くん、この間話してたキャラクター、こんなグッズがあるらしいぞ!」と、目を輝かせながらスマホの画面を見せつける。翼は苦笑いしながらも、「へえ、詳しいんですね!課長って」と答えてくれた。その一言に、耕介は「よっしゃ!」と心の中でガッツポーズ。この滑稽な片想いは、今日も自爆と奮闘を繰り返しながら続いていく。
第三章:空回りな優しさと誤解
木下翼への片想いが加速するにつれ、山田耕介の「優しさ」は、ますます空回りするようになった。彼の脳内は常に「どうすれば木下くんが喜ぶか?」という一点で占められ、結果として彼の行動は、傍から見ればかなり奇妙なものになっていた。
翼が朝から少し元気がないように見えれば、耕介は「木下くん!もしかして寝不足か!?ほら、このエナジードリンクを…いや、カフェインは体に悪いから、代わりにこのオーガニック野菜ジュースだ!」と、お腹に力を入れながらポケットからゴソゴソと野菜ジュースを取り出し、翼のデスクにそっと置いた。翼は「え、課長、ありがとうございます…?」と戸惑いつつも受け取ってくれたが、内心では「課長、最近妙に健康的志向だな…」と思っていたに違いない…
営業部全体で残業が続いた日には、耕介は夜食を買いにコンビニへ。「木下くんは何が好きかな…ルンルンルン♫カップ麺は体に悪いし、おにぎりも栄養が偏る…」と真剣に悩み、結局、栄養バランスが完璧そうな鶏むね肉のサラダと、なぜか高級そうなフルーツゼリーを買って戻ってきた。
「木下くん、これ、良かったらどうだ?疲れてるだろう?」と差し出すと、翼は目を丸くして「課長…これ、高かったんじゃないですか?」と恐縮した。他の社員が「課長、俺には!?」「俺もサラダじゃなくてカツ丼がいい!」と騒ぐ中、耕介は翼の「ありがとうございます」の一言だけで満たされていた。その時の耕介の笑顔は、メガネの奥で輝いていた。
しかし、彼のこうした奇行(もとい、愛情表現)は、時に周囲に誤解を生むこともあった。ある時、翼がプレゼン資料の作成で徹夜続きで、机でうとうとしているのを見た耕介は、そっと自分の上着を肩にかけてあげた。そして、そのまま彼の隣で「木下くん、頑張れ…」と、まるで母親のように見守っていた。小太りの体が、なぜかやけに大きく見えた。
それを見た同僚の一人が、翌日、こっそり耕介に尋ねた。「課長、木下くんのこと、本当の息子みたいに可愛がってるんですね。微笑ましいですよ!」耕介は内心「ち、違う!息子じゃない!恋人希望だ!」と叫びそうになったが、なんとか平静を装い「ああ、まあな…」と曖昧に答えるしかなかった。
彼の優しさが、純粋な上司としての情だと解釈されていることに、耕介は少し寂しさを感じていた。それでも、翼が自分に向けてくれる笑顔や、彼の存在そのものが、耕介の毎日を彩ってくれる唯一の光だった。今日も耕介は、どうすれば翼に「課長、なんか変ですよ…」と思われずに、彼の近くにいられるか、ひっそりと策を練るのだった。
第四章:まさかの接近戦と心臓爆発
山田耕介の片想いは、まさに「忍びの恋」。誰にも気づかれぬよう、しかし確実に、彼の心の中で募っていた。そんな彼の慎重な努力をよそに、まさかの「接近戦」が勃発することになった。
それは、社員旅行の企画会議でのことだった。普段なら雑務は若手に任せる耕介だが、翼が企画委員に入っていると知り、自ら志願して参加。「木下くんと二人で企画できるなんて!これは神のお告げに違いない!ルンルンルン♫」と、心の中でガッツポーズをした。お腹のぜい肉が少し揺れた。しかし、会議は難航。なかなか意見がまとまらず、結局、最終的な詰めは耕介と翼の二人で行うことになった。
週末、会社の会議室。二人きりの空間。耕介の心臓は、まるで運動会のかけっこの後のようにドコドコと鳴り響いていた。翼は真剣な表情でPCに向かい、資料を修正していく。その横顔を見るたび、耕介は「かっ、可愛い…!」と、心の叫び声を抑えるのに必死だった。
「課長、このホテル、どう思います?」
翼が不意に顔を上げ、耕介に尋ねた。その顔が、あまりにも近くにあったものだから、耕介は思わず小太りの体を後ずさりさせそうになった。「ほ、ホテル…うむ!清潔感があって、食事も美味しそうだ!木下くんの選んだホテルに間違いはないぞ!」と、まるでホテルの宣伝マンのような口調で力説してしまった。メガネのレンズが曇りそうになるのを必死で耐えた。翼は不思議そうに首を傾げたが、特に気にすることなく作業を続けた。
資料作成も終盤に差し掛かった頃、耕介は思い切って缶コーヒーを差し入れた。「木下くん、ちょっと休憩しないか?」翼は「あ、ありがとうございます!」と笑顔で受け取ってくれた。その時、翼の袖から、少しだけ腕時計が見えたのだ。キャラクターのイラストが描かれた、可愛らしいものだ。「木下くん、その腕時計…」耕介が尋ねると、翼は少し照れたように言った。
「ああ、これも、誕生日に妹がくれたものなんです。ちょっと子供っぽいんですけど、お気に入りなんです!」
「そうか!妹さんが!家族思いで素晴らしい!本当に素晴らしい!私も何かプレゼントしたくなるな!」
耕介は興奮のあまり、本音に近いことを口走ってしまった。翼は「え?」と小さく聞き返し、耕介は「いやいや、その腕時計が素晴らしいって話だ!ハッハッハ!」と、メガネの奥で目が泳ぎながら乾いた笑いでごまかした。
会議室を出て、二人で駅へ向かう。夜風が心地よい。翼がふと立ち止まり、耕介をまっすぐに見つめた。「課長、今日はおかげで助かりました。また、二人で仕事する機会があれば嬉しいです!」その言葉に、耕介の心臓は今度こそ爆発しそうになった。彼の瞳は、尊敬と感謝で満ちていた。耕介は、この感情が決して届かないことを悟りつつも、この瞬間が永遠に続けばいいと願った。滑稽な奮闘は、彼の心の中で密かに、しかし確かに、燃え続けていた。
第五章:滑稽な片想いは続く、いや、止まらない
社員旅行の企画も無事に終わり、山田耕介と木下翼の日常は、また穏やかに過ぎていった。しかし、耕介の心の中では、翼への片想いが、より一層深く、そして滑稽に根付いていた。
ある日の朝、耕介は出社途中のコンビニで、雑誌の付録に「開運!恋のお守りチャーム」というのを見つけた。思わず手に取ると、裏には「片想いが実る!?」という文字が。耕介は「バカバカしい!」と思いながらも、なぜかレジへ。
「い、いや、これは、娘へのプレゼントで…」と心の中で言い訳しながら購入し、会社のデスクの引き出しにそっと忍ばせた。時々、こっそり引き出しを開けては、お守りに向かってメガネの奥の目を閉じ、「木下くんが、今日も元気でありますように…」と祈るようになった。
また、ある週末、耕介は偶然、街中で翼を見かけた。彼は友人と楽しそうにカフェにいるようだった。耕介は思わずお腹を引っ込めながら電柱の陰に身を隠し、そっと様子を伺った。
「木下くん、私服も可愛いな…」などと心の中で呟きながら、そのまま30分ほど隠れて監視してしまったのだ。翼たちがカフェを出て歩き始めた時、耕介は慌てて反対方向に逃走。「危ない危ない、見つかったら、間違いなく変質者だ!」と、小太りの体を揺らしながら汗だくになり、全速力で走り去った。
会社では、彼の滑稽な行動は続いていた。翼が席を外すたびに、そっと彼のデスクに近づき、飲みかけのペットボトルの残量をチェックしたり、置いてある文房具を眺めては「ふむ、このペンは書きやすそうだな…」などと、ブツブツ独り言を言ったりする。たまに他の社員に見つかりそうになると、「う、うむ!業務の進捗確認だ!」と、メガネをクイッと上げながら無理やりもっともらしい理由をつけてその場をしのぐ。
ある日、耕介は決心した。翼に、ささやかなプレゼントを贈ろうと。しかし、何がいいのか全く分からない。ネクタイ?いや、まだ早すぎる。文房具?味気ない。悩みに悩んだ結果、耕介は「木下くん、いつも頑張ってるから…」と、なぜか栄養ドリンクを箱買いし、それをこっそり翼のデスクの上に置いておいた。
翼は翌日、「課長、これ、もしかして僕にですか?ありがとうございます!」と、満面の笑顔で耕介にお礼を言った。その時の耕介は、メガネの奥の瞳をキラキラと輝かせ、お腹を突き出し気味に胸を張っていた。翼の笑顔は、耕介にとって何よりのご褒美だった。
山田耕介の片想いは、今日も続く。決して届くことはないと分かっていても、彼の日常を、どこか滑稽で、どこか可愛らしい色彩で満たしている。彼の心の中の「きゅん!」は、今日も静かに、そして密かに、鳴り響いている。
ある日の夕食時、テレビで恋愛ドラマが流れていた。妻が「ねえ、あなたも昔はロマンチストだったのよねぇ…」とからかうように言った。耕介は手に持っていたビールジョッキを傾け、遠い目をして答えた。
「うむ…男の恋ってのはな、たとえ相手が何にも気づいてなくても、いや、気づいてない方が燃えるんだよ。特にこの小太りでメガネのおっさんにはな!ハッハッハ!」
妻は「また始まったわ…」と呆れた顔で笑い、耕介はビールを一口飲んだ。彼の心の中には、今日も翼への、ちょっぴり変だけど、ひたむきな片想いが、確かに存在している。そして彼は知っている、この滑稽な恋の物語は、きっとこれからも彼の人生のBGMとして、鳴り止むことはないだろう、と…
SCENE#66 お腹ぽっこり山田課長、青春はじめました… 魚住 陸 @mako1122
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