修理する権利

伽墨

修理できない怖さについて

 近年、「修理する権利(Right to Repair)」という言葉が話題になっている。

 それは、買った製品をユーザー自身が修理したり、町の修理屋に持ち込んだりする権利を保障すべきだ、という考え方だ。

 しかし現実には、スマートフォンや農業機械、自動車など、多くの製品が「ソフトウェアでロック」されており、メーカー認定のサービスに頼らなければ修理できない仕組みになっている。

例えば現代の「ソフトウェア定義車」は、部品を交換するなど修理をすると、メーカーの認証を受けなければ走れない。農業用トラクターも同じで、農家が自分で修理しようとすると「非認定修理」としてエラーが出る。


 確かに、ソフトウェア定義型のサービスにより、製品の安全性や利便性は向上する。


 だが同時に、「所有しているはずのモノを、自分では直せない」という状況が広がっているのも事実だ。それは、便利さと引き換えに、人間が少しずつ「自分の道具を扱う自由」を失っていくことを意味している。

 そんな現代の流れを極端に押し進めたらどうなるか――。



シャツのボタンが外れた。

ぼくは裁縫箱から針と糸を取り出した。ボタンを縫い直すのは、ほんの数分で終わるはずの作業だ。


ところが布地が電子音を鳴らした。

――ピッ。

「非認定修理を検知しました。ライセンスをご購入ください」


スマートフォンの画面には、にこやかなキャラクターが表示されている。

【ボタン修理プラン:月額480円から】

【今なら初月無料!】


たかがボタン一つに。

馬鹿らしくなって縫い直すと、シャツは石のように硬直し、着られなくなった。

ズボンも靴下も同じ仕様だった。


着るものがなくなったので、ぼくは仕方なく裸で外に出た。すると、通りは裸の人々であふれかえっていた。

彼らは平然と裸で歩いていた。

「もう払えなくてね。裸が一番自然で安上がりなんだ」

そう言って笑う男もいた。


やがて、次の通知が届いた。

【皮膚修理ライセンスをご利用ください】

「皮膚の新陳代謝、爪や髪の成長、傷の治癒などは、すべて無許可修理です」


町は一変した。

皮膚が剥がれ落ちても治らず、骨がむき出しになった体で歩く人々。

髪も爪も伸びない。街角の美容院やネイルサロンは閉店し、代わりに「公式代謝センター」が所狭しと立ち並ぶようになった。


さらに通知が来る。

【心の修理プラン】

「反省、後悔、思い直し、自己批判、自己改善。これらは無許可の思考修理です」


人々はもう怒らなくなった。後悔もしない。

ぐちゃぐちゃになった体で、無表情のまま立ち尽くす群衆。

役所の前では、係員が淡々と説明していた。

「心を修理したい方はサブスクリプションに加入してください。無許可の涙やため息は違法です」


そして最後の通知が届いた。


【生命修理ライセンス】

「死は生命サイクルの修理です。無許可での修理は認められません」


とうとう、死ぬことさえサービス化された。

死ねない人々は街をさまよった。

心臓が止まり、皮膚は剥がれ、内臓は朽ち果てても、死が認められない。

ゾンビの群れが無言で行進する。


ぼくはスマートフォンの画面をそっと閉じた。

払えないものは払えない。

ぼくはゾンビになることを受け入れ、ゆっくりと街の中の群れに加わることにした。

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修理する権利 伽墨 @omoitsukiwokakuyo

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