第26話 聖女の出現
翌朝、私たちが街の食堂で朝食をとっていると、周囲の空気が明らかに妙なことに気づいた。道行く人々や、同じように食事をしている鉱夫たちが、こちらを遠巻きにしながらひそひそと何かを囁き合っている。その視線は、ほとんどが私の隣で無邪気にスープを飲んでいるリアに集中していた。
「なあ、ソニア。何か妙じゃないか?」
私が小声で尋ねると、ソニアはこめかみを押さえながら深くため息をついた。
「ええ…。昨夜の一件が、思った以上に大事になっているのかもしれませんね。噂というのは、本当に翼を持つものです…」
ソニアの言う通りだった。「岩壁亭」での一件は、尾ひれどころか竜の翼まで生えて、一夜にして街中を駆け巡っていたのだ。隣の席の冒険者たちの会話が、嫌でも耳に入ってくる。
「聞いたか?昨夜、あの『鉄猪』の連中が、宿屋で女の子一人にのされたらしいぜ」
「馬鹿言え、あいつらも銀等級だぞ。そんなガキがいるわけ…」
「それが本当なんだと。魔法も使わず、素手で三人を一瞬でだ。まるで幻を見てるようだったってよ」
面倒なことになった、と私がパンをかじった、その時だった。
食堂の扉が開き、二人の男が入ってきた。埃っぽい鉱山街には不釣り合いな、染み一つない純白のローブ。その厳かな佇まいに、騒がしかった食堂が一瞬で静まり返る。彼らは店内を見渡し、まっすぐに私たちのテーブルへと歩みを進めてきた。ローブの胸元には、槌と聖印を組み合わせた紋章が刺繍されている。
「お見受けしたところ、あなたがたが噂の…」
壮年の男が、探るような目で私たちを見回し、やがてその視線をリアに固定した。そして次の瞬間、男たちはその場に恭しく跪いたのだ。そのあまりに芝居がかった動きに、周囲の客たちも息を呑む。
「おお…! なんという神々しいお姿! 間違いない、百年ぶりに我らの前にお姿を現された『聖女』様に相違ない!」
「…はい?」
私とソニアが完全に固まっているのをよそに、リアはスプーンを口にしたまま、小首をかしげてみせる。
「せいじょ…? わたしのこと?」
その純真無垢な(フリをした)問いかけに、男たちは感涙にむせんだ。
「我らは聖都イルドに本拠を置く『聖槌教会』の者。我が教会では、『百年に一度、聖女がこの地に降臨し、その聖なる鉄槌(物理)をもって不浄を打ち砕く』と伝えられております。かの初代聖女ヴェニカ様は、その素手の一撃で魔物の軍勢を薙ぎ払い、不浄の山を砕いたと…。昨夜、あなたが三人の屈強な冒険者を素手で打ちのめしたというお話…まさしく、それは聖女様の御力の発露に他なりません!」
あまりに突拍子もない話に、私は眩暈を覚えた。どうやらこの教会では、物理的な強さこそが聖女の証らしい。なんという脳筋な信仰か。
ソニアが慌てて割って入る。
「お待ちください! 完全な人違いです! この子は特別に訓練されたただの子供で、聖女などという大それた者では…」
しかし、その必死の弁明を遮ったのは、他ならぬリアだった。
「まあ…! 私が、聖女…?」
潤んだ瞳で、感動したように胸の前で手を組むリア。完璧な演技だ。
(ほう、面白いことになってきたではないか。魔王たる我を聖女とな。よかろう、この状況、存分に利用させてもらうぞ!)
リアの内心のほくそ笑みが聞こえるようだった。
聖職者たちは、リアの反応にすっかり気を良くしている。
「聖女様、どうか我らと共に聖都イルドへ! 民が、世界が、あなた様のお力を待っております!」
そして彼らは、侮蔑と命令の入り混じった目で、私とソニアにこう言い放った。
「従者の者たちよ! 聖女様が長旅でお疲れにならぬよう、万全の準備を整えるのだ! 荷物持ちはそこの男! 身の回りの世話はその女がやれ!」
従者。荷物持ち。
私と高名な賢者が、一夜にして聖女(を騙る魔王)の従者に格下げされた瞬間だった。周囲の客たちは「おお…」と感心したような、あるいは同情したような、複雑な視線をこちらに向けている。
「…行くのですか、ゼカロン?」
ソニアが、呆れたような、そして疲れたような声で私に尋ねる。
「ああ、行くさ。アーサルガに寄り道をしたが、本来の目的地は冒険者ギルドのある港町イルドだ。馬車代も手間も省ける。これはむしろ好都合かもしれん」
面倒ごとの気配は百も承知だが、この状況を逆手にとるメリットも確かにある。
見れば、リアは「皆さんがそうおっしゃるのなら…」と、はにかみながら聖職者たちの手を取っている。あの顔は、絶対に楽しんでいる。
こうして、私たちのアーサルガでの一騒動は、聖女様ご一行の聖都への旅立ちという、全く予想外の形で幕を下ろすことになったのだった。
前途多難、という言葉が、これほど身に染みたことはない。
次の更新予定
毎日 23:45 予定は変更される可能性があります
理外の魔術師 双樹こうろ @ikuyiron
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。理外の魔術師の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます