第八夜-疑心と開悟-(前編)

もうすぐ船着き場が見えてくるはずだ。マドラの隣を駆けているエールは、相変わらず冷静だ。ローフへのままならぬ心配で溢れかえるマドラの脳の片隅で、イヴァンの顔が浮かぶ。


(イヴァン、君は――。)


イヴァンは、マドラにとって最も不可解な人間だ。ただ、同時に目を離せない存在でもあった。確かな実力、それを自分の親族が持っているという事実。そして、あの仮面のような天真爛漫さ。それらを示すことにも慣れているくせに、どこか危うい。


――君は、どうしてそんなに不器用なんだ。


彼の頭脳が明晰なのは間違いない。しかし、その頭脳と根気で全てを誤魔化しているその姿。かつて自分のそばにいた友達と、どこか似ている気もするし、その友達以上の泥臭さを感じる。思い出すと、今でも胸の奥が苦しくなるあの景色。


――そうか。


(僕は……俺は、なんであいつに気が向いてしまうのか。)


その答えが、なんとなくわかった。

あとは、それをあいつに伝えるだけだ。


――走りながら訝しい顔を浮かべているマドラを、エールは左目で意味深な視線を送っていた。


1幕

スカイ学院414年入学世代の首席候補・イヴァン・アウルスト。

彼は今、ゾーノハンナの船着き場に立っていた。目の前には、例の巨大な人形が数体。

そして中央のひときわ大きな個体には、青髪の男――

小ゴール新総督ギルム・ドミヌス・カミュと名乗る帝国の手先が乗っていた。三つの楕円が中央に描かれた赤褐色の衣を身に着け、帯剣している。

「神様を差し置いて悪魔を信仰するとは、頂けないなぁ。」

そんな安い挑発に今更乗るようなガラではない。

それにしても――

(悪魔…?)

まさか、ダース神族のことを言っているのか。バロ教徒は、音に聞く通り理解の及ばぬ世界観を持っていることがわかった。


横には、援護に来たはずの黒属性教師ニマ・ホロゥウェンが倒れている。


(これだから、他人を信用すると碌なことにならない…!)


彼女は、身の丈に合わぬ高位の黒属性呪文の詠唱で暴発し、気絶してしまった。この程度の敵、本来なら誰の援助などなくとも圧勝できたはずだ。しかし、この女のせいで計算が狂った。大方、首席候補筆頭にして学長の息子である自分に対して、恩を売りたくてこのような行動に出たのだろう。

――――――――――――

幼い頃から、父に会いに自邸に来訪するドルイドたちを見てきて、その度に祖父オーウェンの話を聞かされた。朧気な人物像ながら、それが少年の希望の灯となっていた。


あるナツの晩のこと。イヴァンは父ホヴィコと、書棚の整理をしながら話していた。

「オレって本当にオーウェン爺様の孫なんだよな?帝国の数万の軍勢を一人で迎撃したって。あれだけの英雄の血が流れてるなんて、信じらんないよ!」

無邪気なイヴァンの声に、蠟燭の火が、星明りに照らされて不気味に燃える。

「お前の孫であることに間違いはない。しかし…」

ホヴィコは手を止め、大きく深呼吸をした。


「あの男の武勇伝については、いくつか誤りがある。」


「えっ…?」

少し間を空けて、イヴァンの顔の力が一気に抜けた。父はいきなり何を言い出しているのか。”あの男„という呼び方は、どこからきたのか。

「確かに、帝国との戦で、少年でありながら活躍したのは事実であろう。しかし、その後のあの男の人生は、あまりに邪悪すぎた。」

父の口からは、オーウェンが庭師としてドルイドの隠れ里を襲撃したこと、帝国の犬になり下がったこと、そして父自身のその後が話された。


「よいか。決して人を信じるな。信じた結果、苦しむのは自分だけだ。」


父の両手がのしかかった肩は、蒸し暑い部屋の中で、冷たい風を吹かせているような気がした。


その日からだ。

父は二人きりになると、決まって同じことを繰り返すようになった。母や姉の前では、どこにでもいる親の顔をしているくせに。


それでも少年の中から、英雄オーウェンという像が消えることはなかった。


むしろ、父に媚びを売るドルイドたち――

その日々目にする醜い人間たちよりも、たとえ虚構だとしても、伝承の中で磨き上げられた美しさの方が、信じるに足る何かだと、少年は思い始めていた。


父からは呪文理論を、家庭教師から赤呪文の実践を習った。無数の単呪文を暗記し、辛い日は掌に鈍い緋色の血が滲んだ。しかし、それすらも心地よく感じるようになっていた。


人前で外向的な優等生を演じるようになったのも、それからだ。向こうが嘘で固めた姿で生きているならば、こちらはそれを上回る大嘘で臨むまで。ドルイドとして出世して、父も祖父も超える偉人になるためには、嘘の魅力で人々に媚びを売らせなくてはならない。女子生徒には親切にし、ときには思わせぶりな行動をとり、男子生徒には、相手を立てるような褒め方をする。課題は必ずこなし、親と教員に対しては謙譲の姿勢を貫く。不良生徒たちとつるむこともあったが、度が過ぎた行動には正義の皮を被って注意をした。

そうして嘘で塗り固めていくにつれて、自分もこうなのだからどうせ他の人間も、と、より一層何も信じられなくなっていった。


「さすが坊ちゃん!やはり天才ですね!」


「ホント、次期学長って感じだな!」


「…あの、イヴァンくん。私、イヴァンくんの笑った顔、すごく好きで…よかったら、付き合ってください!」


人間は嫌いだ。それでも、嫌うたびに視線を求めてしまう。ということは、本当の俺は――。


2幕

人形たち――銅兵アカガネヘイは、カミュが長剣を振るうと動き出す。魔獣には、まだ”自然„がある。だが、これら銅兵たちには、それがない。カミュの切った空に従って、一定の理のもと動いている。カミュの剣先には、赤と黒の粒が蠢いていた。

それがわずかに輝くたび、銅兵の外殻を覆う薄膜が波紋のように揺れる。自身の理解を越えた存在に、イヴァンは冷や汗を流す。

「カヴェム・ハッシャ!」

向かってきた銅兵の下から、地を穿つ火柱を発生させた。周辺の個体ならば、これで燃やせる。

だが、中央のカミュが乗っている個体だけは、炎に包まれてもびくともしなかった。


表面を覆う空気が歪み、光が屈折している。

熱が吸い込まれるように消えていく。


色も他の個体と違い、銀に近い光沢で、動くたびに不気味に光る独特の幾何学模様が描かれている。打撃も込みの攻撃が必要だが、イヴァンの体躯では接近が難しい。


「おやおや、こんな無力な子どもしかいないとは、聞いていたほど学院とやらは脅威じゃないんだなぁ。」


そのカミュの言葉に、イヴァンは妙な引っ掛かりを覚えた。


「お前らの目的は何だ!?」

疑問を直接ぶつける前に、小手調べに鎌をかけてみた。

「布教だ。決まってるだろぉ?」

「その割には、随分乱暴じゃないか?」

「ドルイドをこの島から駆逐して、神の御教えを広めやすくする。それだけだ!」

カミュはやけに整然と言った。挑発的な表情は、より激しいものとなっていた。しかし、イヴァンは信じない。


(あの余裕。もっと奥に真意があるはずだ。)


そこへーー。


「イヴァン!」


マドラとエール・ペンドラゴンが駆け寄ってきた。


「…お前らの担任、呪文暴発させて倒れちまったよ。」


エールはニマの方に駆け寄って、脈を確かめた。ニマは仰向けに浅く呼吸している。


マドラが呟いた。


「イヴァンは?怪我ない?」

「…あ、あぁ。」


マドラ・イモルグ。

この少年に、イヴァンは、いつも思考を乱されている。「正直に生きる」とかなんとか言い出した時から。

数か月監視を続けたが、埋伏の毒と疑わしい部分はない。しかし、それが逆にイヴァンの疑心を駆り立てた。その事実自体が、できすぎた嘘に見えたのだ。


(こいつもどうせ、俺の表面しか見ていない)


それはそうと、目の前の敵は、何やら呪文のようなものを唱えている。マドラは杖を構え、耳を澄ませている。


「これ、”祝詞„だ。小ゴール島で何度も聞いた…!」

「…気を付けて!」


ニマの近くで立ち上がったエールの叫びの直後、イヴァンの攻撃で動かなくなっていた銅兵が動き出した。

「上に乗ってるアイツが、どうやらこの銅兵たちを操っているみたいだ!…あいつがいる限り、何度銅兵を倒しても無駄だ!」

エールは銅兵たちを鋭い視線で見回してから言った。

「銅兵…?この人形たちのことね。」


「さて、キミたち子どもに、銅兵と、このカミュを倒せるかな??せんせーたちを、呼んできてもいいんだよぉ?…あ、でも、またこのおばさんみたく倒れちゃうか!」


カミュは綽々と高笑いをしている。その目は、まるで意思を持たぬもののように虚ろというか、無機質であった。ゆっくりと近づいてくる5体の銅兵に、マドラとエールは後退りし、背中を合わせて寄っていく。


援護に来た2人が、イヴァンにとっては煩わしいと言ったらありゃしない。確かに体格的に自分一人で中央の銅兵を倒すのは難しいかもしれないが、かと言って彼らに何ができる?


「ここは俺1人で十分だ!お前らは逃げろ!!」


「ケックル・コーリャ・ルー!」

「ムアシン・ウカン・コルソン!」


あたかもイヴァンの言葉が聞こえていないかのように、2人は各々の手段で身を守った。


「何してんだよ!早く逃げろ!」

「できるかよ!そんなこと!」

マドラにしては珍しい大きな声だ。


無駄にしぶとい2人、主にマドラに、さすがのイヴァンの仮面も外れる。

「わかんねぇのかよ!こいつらの体は銅でできてんだから、俺の炎で十分倒せるっつってんだよっ!!」

「じゃあその傷は何なんだよ!」

そう言いながら、マドラはイヴァンの両肩を掴み、イヴァンの頬を見た。



3幕


「…傷?」

イヴァンはそう言われて、初めて頬を流れる温い感触を自覚した。どうやら右頬に切り傷ができて、血が滴っているらしい。


「たぶん瓦礫で怪我しただけだ。こんなの掠り傷だよ。」

マドラは眉をひそめ、杖を握り直した。

淡い光がその先端に宿る。


「フィオ――」

「やめろ!」

イヴァンの声が鋭く響いた。光が散る。


「……いいって。治すほどのもんじゃない。」


マドラは納得がいかず、もう一歩踏み出した。

その瞬間、イヴァンはマドラの手を乱暴に払いのけた。

硬い音が鳴り、杖の光がかき消える。


沈黙。

イヴァンは荒い息を吐き、視線を逸らした。


「そういうとこだよ…」

マドラの声は低く震えていた。

「その善人ぶってるところが!無性に腹立つんだよ!!」


イヴァンは顔を上げ、眉を吊り上げて返す。

「それは…! こっちの台詞だよ!」


敵を前にして、二匹の獣は舌禍を散らす。突き刺すような赤い瞳同士が、戦場の悽愴を他所に睨み合う。

――――――――――――

(何をしてるの2人は…!)


その間エールは、一人で必死に銅兵を2本の影の手で止めている。影の手はさながら蛇のように銅兵の脚に巻き付き、全身を締め上げた。


(足りない!もっと、君たちの声を乗せて…!)


エールの念に霊魂たちは応え、影の手を肥大化させる。金属音は、絶叫を無理やり抑え込んだような、低く、苦しい響きに聞こえた。エールは背中越しの二人に視線すら向けず、歯を食いしばって影の手に念じている。

――――――――――――

「お前の、その作ったような人格、上っ面な態度、僕は大っ嫌いだよ!」

マドラのその言葉に、イヴァンは激しい歯ぎしりをする。

「お前らもそうだろ!俺の表面のスペックしか見てない。」

「それは、お前がそういうふうに生きてるからそう思うってだけだ!!」

イヴァンの頬が、また温く濡れる。


「怖いんだろ?!自分という人間を忘れられていくのが。だったら、正直に言えよ!『頼むから俺のこと忘れないでくれ』ってみっともなく泣きついてみろよ!」


マドラの紅の瞳は、猛々しく、そして鋭利にイヴァンを突き刺した。

しかし、


「…安心しろ。」

その後の言葉は、眩しさと熱さから心地よさと温かさに変わった温度になっていた。

「僕は、忘れないから。」


イヴァンは、胸だか頭だかに、強い違和感を覚えた。


(なんだ、この感情は。)


憎悪、憤怒、劣等感、悲哀。色々な気持ちが湧き上がって、一つの黒い炎になっていった。

わからない。だが、心地がいい気もする。父への蟠り、祖父への憧憬、目の前の従兄弟を、ぶん殴りたい気持ち。


――俺が求めていた言葉は、これだったのか。違うかもしれない。

それでも……こいつなら。


「ハハハ。オレは……俺はぁっ!!どこまで行っても、イヴァン・アウルストだな。」


誰に言うでもなく、乾いた笑い声をあげながら、小声で呟いた。右の拳を、血が出るまで握りしめながら。


≪よく気付いたねぇ…!≫


どこかで聞いたような女の声が、イヴァンの頭で響く。


(――赤の主神、ブリギ……)


≪アタイの力、今のアンタなら使いこなせるはずだよ!≫


気づくと、前線で奮戦していたエールが限界を迎えたのか、地べたに座り込んでいた。

彼女の作り出した影の手は、煤のようにそこら中に散開していた。


「ハハ。ふははははっ!!これが、俺の〈悟り〉かっ!面白ぇっ!!」

「…どうした?イヴァン。」

マドラには、目の前の従兄弟がまるで別の“何か”へと変貌していくように見えた。


「ペンドラゴンさん。マドラ。――下がれ。」


「いや、だから下がらないって。」


太陽を思わせる、獰猛で勝気な笑み。緋色の若獅子は、燃え盛る右の拳を突き出す。


「黒焦げになっても知らねぇぞ!!」

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ドルイドの遺言 大槻奏斗(オオツキカナト) @DYOTSUKI

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