霞と歳三

@marutamaru

第1話

作品は投稿すると自分のものじゃなくなる気がする。

疲れ切った気持ちで霞は考えた。

昨日まで書き続けていた小説を、人生初めて投稿サイトに公開した。

書き続けている間はいいのだ。

自分のものだっていう気がする。

誰かに見られた時点でそれは自分のものじゃなくなる。

読んだ人の中に解釈され、そこに書いた人間の力は最早及ばないからだ。

そういうものなのだ。

職場で発議書を上げるのならば、だめな時には直接指摘される。

精神的に落ち込むにしても・・・

自分の作り出したものがどう他者に解釈されたか、それをどう直して完結させたかは自分の理解の中にある。


だが小説投稿サイトの小説は違う。

だめでも誰も何も言ってくれない。

そもそも興味すら持たれていないかもしれない。

かといって、公開せずに自分のためだけにしておくのはスッキリしないのはなんなのか。

このスッキリしない感覚が、投稿したくなる欲望こそが、人間は社会的な生き物だという古代の学者の言うところなのだろう。

誰の言葉だったのかは忘れたが・・・


自分が本業の外にこうして小説を書くのは、結局自分の寂しさを埋めるためなのかもしれない。

自分とは決して結ばれることのない相手、例えば過去に死んでしまった歴史上の人物とか、漫画のキャラクターとかと、究極にはヤりたいのだいう、著名な方の言葉を目にした時、霞は腑に落ちた。書くことで、対話し、身体を交わしているような、そんな錯覚が得られる。

だから、そもそも公開したりする意味は無いように思うのだが、書いたものを誰かが読んでいいなと一人でも思ってくれたら、なぜか幸せだなあと思うのだ。

同時に一度公開したものは安易に訂正してはいけないような気がする。

人の目に触れたのだから、自分のものじゃないという気がしてしまうのである。

そしてなんとなく、その、いったん仮想空間の社会に出ていったものを、訂正どころか読み返す気すら起きなくなる。


歳三にその話をしてみた。

霞と歳三が知り合って、はや20年になる。歳三は俳句は好きだが小説は書かない。

「何がそうも寂しいんだ」

赤いワインを注いでくれながら歳三はいう。令和の時代に歳三って名は逆に新しい。


霞はあまり人付き合いにタフな方ではないが、歳三のことは好きだ。思いきったことをしたと思う。

理由は特にない。霞が歳三の部屋に転がり込んだのは高校に上がったときだった。

霞は中学校まではいわゆる優等生だった。

中学の授業はつまらなく、先生のお話を聞いていなくても霞の成績は学年トップクラスだった。

しかしクラスからは浮いた。

テストの点が取れず、点が取れることを羨んでくる同級生が宇宙人の様に見えていたのである。

学校生活について悩むとかが分からなかった。人間関係も、勉強も、大して関心を持てなかった。

無論宇宙人は霞の方であった。毎日なんとなく話したり帰ったりする友達はいても、根本的にはなんとも孤独だった。

学校にいる間じゅう、読んでいる本の続きを想像するとか、今度あの場面を絵に描こうとか、作詞とかそんなのばかり考えていた。

成績がいいという理由で、学級委員などのまとめ役を任された。だから不良にもなれなかった。先生方にも敬遠されていたと思う。

結局、臆面なく素直に、思った事を言えれば、不良だろうが普通だろうが天才だろうが、先生にとっては可愛いのだが、言えるようなことはあまり考えていなかったと言っていい。

空想の中で義務教育の90’sをやり過ごしていた、そんな時歳三に出会った。

遊ぶ友達もいないが家にも帰りたくない霞は、よく一人で近くの繁華街をブラブラしていた。

本屋を覗き、服屋を覗き、ありとあらゆる店を覗いてほとんどの店が閉まるまで何時間でも歩いた。

そうすると結構な頻度で知らない大人に絡まれた。

飲食に誘われたりピッチの連絡先を交換しようと言われたりした。

いつものようにそれを断っている時、歳三が現れ、霞を連れ去った。

「よう、遅くなってわりいなあ」

霞は恐怖のあまり声も出なかった。

この界隈では顔が利くらしく、ナンパ途中の相手はそれ以上声をかけてこなかったが、霞から見て歳三はどう見てもカタギの人間ではなかった。


少し歩いたところで歳三が言った。

「何だお前ガキじゃねえか。あーっ。どうする、しかたねえ、家までおくるか。なあ」

年頃の女だと思っていたらしい歳三は残念そうな顔をしながら、見た目に似合わず紳士的な事を言った。

俺もこれから帰るところだったから、と、マフラーの太い車高の低い二人乗りの車に乗せてくれた。

その日は礼をいい、今度お礼したいからと霞は連絡先を聞いたが、

「生憎ガキに興味ねえから」

そういって歳三は教えてくれなかった。

それでも、その後すぐ再会した。

田舎の繁華街なので一度顔を覚えるとそこら中で再会する。

「お前中学生だろ、家帰ったり塾で勉強しねえのか」

知り合うと放っておけないのか、再会すると声を掛けてくれた。

そのうち、実は同じマンションに住んでいた歳三の自宅が知れると、霞は繁華街で歳三を探して帰るようになった。霞がしつこいので家に上げてくれるようになり、朝まで一緒に過ごすことが増えた。泊まったからと言って男女の中になった訳ではない。恋とは無縁の、どちらかと言えば、警察に保護されているような感覚だった。何事も無くても霞はそのたびに母に叱られた。

霞の母の体が動かなくなったのは霞が十歳の時だ。

朝目が覚めると、母はおらず、隣県の医大の病院に入院したとの話だった。

突発性難聴と言っていたのが、良くならず、熱なのか熱いと騒いだり、寒いと騒いだり、何年か寝込むうちに、マスコミに監視されているだの、私の事をテレビが放送しているだの、妄想を言うようになった。

普通の話をする時と、そういう話をする時、母は全く別人というわけではなかった。

恐らく精神医学の領域の事なのだが、当時精神科に連れて行こうという者は霞の家庭にはいなかった。

父親はとにかく無関心を貫き、仕事なのか家にはほとんど帰らなかったが、その仕事も辞めたのか、友達と事務所を構えたと言っていた。

その友達が金を払わないとかで、今度は狭い自宅に無理やり名ばかりの設計事務所の看板を置いた。

しかし注文が来るはずもなく、寝たきりの母と、家にずっといる父が、あの頃どうやって暮らすつもりだったのか、霞は未だに分からない。

恐らく祖母の年金と、母の傷病手当かなんかじゃないだろうか。

大人になってみるとそんな気がするのだ。

 

妄想が通じないもどかしさや、体調の悪さで、母の機嫌は常に最悪で、それを受け止めるのは結局のところ霞だった。

父など、怒鳴り返してばかりで全く役に立たないと霞は思った。

母の言う通り離婚してどこかにいなくなって欲しいのに。

耳に音が響くと言って辛がる母は、食事を作ろうと鍋を取り出しただけで、わざと大きい音を立てて私に嫌がらせをしているな、等と霞に怒鳴った。


そんな訳で霞は家がどうしても息苦しく、家出同然にして歳三の部屋に転がり込んでしまったのだった。

同じマンション内で自宅に行ったり歳三宅に行ったりして霞はかってに引越しを進めた。

最も、未成年を囲うなど俺の社会的立場が失われるから止めてくれと歳三には嫌がられたが⋯


最早これは避難である。


歳三は意外とカタギな仕事をしていた。本当に警察官だというのである。

ちゃんと警察手帳も持っていた。当時は交番勤務で、どう見てもヤクザにしか見えないが、昼は制服を着て近所のおばあちゃんと平和にお話したりしているようだ。

歳三もオートロックマンションの中の事なので、口では拒否しても、もうしつこくは言わなかった。

しかし結局家には帰ってこない日の方が多かった。

どこにいたのかは知らない。他に部屋を借りたのか、

友人宅を渡り歩いていたのかは謎だ。

高校の3年間、霞は、ほとんど歳三に会わなかったと言ってもいい。

帰って来る時には、霞が寝てから歳三が帰ってきて、朝は歳三が寝ているうちに霞が登校して、そんな風にすれ違いながら暮らした。

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