第8話 来世への旅立ち
第1章 縁側の安らぎと永遠の眠り
銀河を股にかけ、「多様な猫ファースト」を広める旅を終えたどん兵衛は、再び故郷の地球、奈良県桜井市の古民家の縁側へと戻っていた。彼の毛並みは、かつての黄金色に、宇宙の塵と時間の重みが加わり、どこかくすんで見えた。肉球には、無数の惑星を踏破した証が刻まれている。しかし、その瞳は、もはや野望の炎ではなく、穏やかな光を宿していた。
柔らかな日差しが降り注ぐ縁側で、どん兵衛はゆっくりと目を閉じ、最高のひなたぼっこを満喫していた。風に揺れる木々の葉ずれの音、遠くで遊ぶ子供たちの優しい声、そして、かすかに聞こえるどんチャリのモーター音。かつては騒がしいと不満を漏らしたその全てが、今は心地よい子守唄のように感じられた。
彼の頭の中には、走馬灯のようにこれまでの猫生が駆け巡る。 アストロフ星人との出会い、「宇宙芋」と「銀河キュウリ」の開発、月面どん兵衛農園の開設。F1での勝利、そして地球支配の企み。どん子との宿命の対決、ロボット大戦での惨敗、ボッチボチのおばちゃん達、飛鳥時代へのタイムスリップ。聖徳太子との出会い、漫才による「笑い」の伝播、ネズミ族連合との最終決戦。宇宙の創造主である神にも会った。空間跳躍エンジン…。そして、どん子との和解と、「多様な猫ファースト」を銀河に広める旅…。数々の冒険と功績が、鮮やかな映像となって脳裏に焼き付く。
しかし、その中でも、どん兵衛の心を最も温かく包み込んだのは、銀河の帝王として君臨した栄光の記憶ではなかった。それは、まだ彼の飼い主が元気だった頃の、何気ない日常の記憶だった。温かいストーブの前で丸くなって眠った冬の日、飼い主の膝の上で毛布にくるまり、優しく撫でられた感触。お気に入りの猫じゃらしで遊んでもらった時の無邪気な喜び。そして、何よりも、飼い主の温かい手で、頭を撫でられた時の、あの至福の感覚…。
「ニャア…」
どん兵衛は、小さく、しかし満足げな声を漏らした。それは、宇宙の全てを支配した猫が、最後にたどり着いた、最も純粋な幸福の音だった。彼の呼吸は次第に穏やかになり、やがて、その小さな胸の動きは、完全に止まった。
どん兵衛は、安らかに、永遠の眠りについた。
第2章 どん兵衛、あの世への旅立ち
その頃、桜井市立猫十字総合病院で定期健診を終えたどん子は、ルーナに優しく介護されながら、どん兵衛の古民家へと向かっていた。どん子もまた、歳月を重ね、その白い毛並みには、威厳と共に柔らかな老いを感じさせる。ルーナは、どん兵衛の帰還後、どん子の忠実な補佐官として、地球の「自律的な猫ファースト」の運営に尽力していた。
「どん子様、どん兵衛様の古民家が近づいてきましたニャ。今日はどんな面白い話を聞かせてくれるでしょうニャ?」ルーナは、データタブレットを片手に、元気よく話しかけた。
どん子は、小さく頷いた。「ふん…あの傲慢な猫が、今頃どんな自慢話をしているかニャ。きっと、また面倒事を持ち込んでいるに違いないニャ。」彼女の口元には、どん兵衛への呆れと、しかしどこか懐かしさの混じった笑みが浮かんでいた。
何気なく空を見上げた、その時だった。
青く澄み渡った空の彼方から、微かに、しかし確かに、半透明の光の塊がゆっくりと上昇していくのが見えた。それは、見慣れたがま口Tシャツのシルエット。どん兵衛だった。彼の背中には、光り輝く、純白の羽根が生えている。彼は、まるで重力から解放されたかのように、軽やかに、そしてどこか誇らしげに空へと昇っていく。その姿は、まるで神話の存在のようだった。
「ニャア…!どん兵衛…!?」
どん子の瞳が大きく見開かれた。彼女は、どん兵衛が遠い世界、肉体の限界を超えた「あの世」へと旅立ったことを悟った。彼の旅は、まだ終わっていなかったのだ。
空を昇るどん兵衛は、遥か眼下に見えるどん子に、その半透明の身体から、魂を込めた最後の雄叫びを上げた。その声は、地球の大気を震わせ、どん子の心に直接響き渡った。
「どん子おおおおお!見てろニャアアアアア!今度は『あの世』を猫ファーストにするニャアアアアアアア!」
どん兵衛の姿は、やがて光の粒となり、宇宙の彼方へと消えていった。どん子は、呆然とその光を見上げていた。彼の野望は、肉体の死を超え、さらなる領域へと広がっていくのか。
「全く…死んでもなお、懲りない猫ニャ…。」どん子は、小さくため息をつき、しかしその目には、未来へのかすかな期待が宿っていた。
第3章 あの世からのサプライズ訪問と絶望の告白
数日後の穏やかな午後。慈恩寺の、どん子のお気に入りの路地裏で、彼女は日課のひなたぼっこを満喫していた。ルーナは、その傍らで、月面どん兵衛農園からの最新データをタブレットで確認している。すべては順調。地球の「自律的な猫ファースト」は、完璧に機能していた。
その時、路地裏の奥の影から、微かに「ニャー…」という弱々しい鳴き声が聞こえてきた。どん子は、怪訝そうにそちらを見た。すると、半透明の、しかし確かにどん兵衛の姿が、ふらふらと現れた。彼の背中の白い羽根は、どこか元気がないようにしおれている。その表情には、銀河の帝王の面影はなく、ただ困り果てたような、情けない顔が浮かんでいた。
「ど、どん子おおおおお…!」
どん兵衛の幽霊は、どん子の前にたどり着くと、その半透明の身体で地面に崩れ落ちた。
「ニャ、ニャニャニャニャアアア…!」
ルーナは驚愕し、データタブレットを落とした。
「どん兵衛様!?幽霊になって帰ってきたニャ!?」
どん子は、冷静にどん兵衛を見つめた。その瞳には、すでに状況を理解したかのような光が宿っている。
「お、おや、『あの世』を猫ファーストにする英雄様が、どうしたニャ?ずいぶんと早く帰ってきたニャね。」どん子の声には、驚きと、皮肉と、どこか期待通りの展開への満足感が混じっていた。
どん兵衛の幽霊は、半透明の涙をポロポロと流しながら、どん子に縋り付いた。
「ひどいニャ…あんまりだニャ…!『あの世』も、人間どもがいる地獄だったニャ!しかも、想像を絶するほどの騒がしさだニャ!あっちこっちで叫び声が響いてて、ひなたぼっこなんかできる場所、どこにもないニャ!そして…そして何よりも…!」
どん兵衛の幽霊は、むせび泣きながら、衝撃の告白を始めた。
「俺…俺…『あの世』を支配するための『宇宙野菜の種』を持っていくのを忘れたニャ!」
そう言うとどん兵衛はどん子とルーナの方に滑るように近寄った。
「ば、馬鹿。あんまりこっちに来るなニャ!」
どん子はルーナを掴むと盾代わりにした。 ルーナは「これがホントの化け猫ニャ。猫又かな?」と意外と冷静に応えた。
「だ、誰が化け猫や。猫又ちゃうわいニャ!閻魔の野郎め、俺に地獄農園を作れと言いやがったニャ!」どん兵衛は半透明の肉球を振り回して反論した。
「作ればいいじゃないニャ。今まで散々宇宙農園を作ってきたあんたニャら、地獄農園なんて楽勝ニャろ。」どん子は呆れたように応えた。
「と、言うかあんた地獄に落ちたのニャ?まさか閻魔様も、『あの世』にまで猫ファーストを広めようとするお前の野望に呆れたのかニャ?」
どん兵衛の幽霊は、さらに泣きべそをかいた。
「ち、違うニャ!閻魔の野郎、俺が神のジジイ(オオヤマツミ)と知り合いだって知ってやがってな、『お前のような大物には、特別な仕事をやろう』とか言って、わざわざ地獄に引きずり込んだニャ!『地獄の食料難を解決しろ。特に野菜だ。お前は昔から野菜作りが得意だっただろう?』ってな!地獄は、野菜が育たない灼熱の岩と、永遠に叫び続ける亡者しかおらんのニャ!猫は一匹も居ないニャ。あそこじゃひなたぼっこどころか、毛も焦げそうだニャ!」
どん子とルーナはどん兵衛の告白を真剣なまなざしで聞いていた。リアル『死後の世界』の話は非常に興味深い。
「『あの世』を支配するには宇宙野菜が必要ニャ。宇宙野菜があれば閻魔の野郎に賄賂を渡せるニャ。『閻魔様、これで地獄も少しはマシになりますぜ』ってな!そうすれば、あの騒がしい亡者たちも、宇宙野菜の力で大人しくなって、俺もゆっくりひなたぼっこできる場所を確保できるニャ!」
どん兵衛の幽霊は、どん子に縋り付こうと、さらに一歩前に出た。どん子は再びルーナを掴むと盾代わりにした。
「頼むニャ、どん子!俺の残してきた古民家の地下室に、まだ宇宙野菜の種が隠してあるはずニャ!あれを『あの世』に送ってくれニャ!このままじゃ、『あの世』も猫ファーストどころか、永遠の野菜不足地獄ニャアアアア!」
どん子は、半透明のどん兵衛を見つめた。彼の必死な姿に、呆れと同時に、彼の野望の根深さを改めて感じていた。『あの世』まで猫ファーストにしようとする、その懲りない精神力。
「(ふん…。死んだ後まで私に頼ってくるかニャ。しかし、『あの世』を猫ファースト…か。確かに面白い挑戦ではあるニャ。そして、これもまた、真の猫ファーストを広げるための、新たなステップになるのかもしれないニャ。)」
どん子は、小さくため息をついた。
「分かったニャ。あんたの頼みを聞いてやろうニャ。」
どん兵衛の幽霊は、歓喜の声を上げた。
「ニャアアアアアアア!ありがとう、どん子!さすが俺の最高のライバルだニャ!」
ルーナは、落としたデータタブレットを拾い上げながら、冷静に分析した。「どん兵衛様の幽霊化による物理的接触の可否を再計算しますニャ。『あの世』への物質転送については、アストロフ星人の技術を応用すれば可能かもしれませんニャ。」
どん子の瞳が、不敵に光った。『あの世』を舞台にした、新たな「猫ファースト」の物語が、今、始まろうとしていた。それは、生と死、そして宇宙を超えた、壮大な冒険の幕開けだった。
どん兵衛は、相変わらず騒がしい『あの世』と、閻魔大王との新たな駆け引きに、半透明の肉球を震わせ、そして同時に、故郷の縁側の温かいひなたぼっこを夢見ていた。
第4章 地下室からの珍品発掘と筆跡の謎
どん子は、どん兵衛の古民家の地下室へと足を踏み入れた。湿り気を帯びた薄暗い空間に、埃の匂いが充満している。壁沿いの棚には、古びた木の箱が所狭しと並べられ、さながら猫型考古学者の発掘現場のようだ。どん兵衛の幽霊は、部屋の隅でボゥと青白い光を放ち、相変わらず半透明な姿で浮いている。
「き、急に現れるなニャ!ビックリするニャ!」
どん子は腰を抜かしそうになった。こんな薄暗い場所で幽霊に遭遇するのは、どんな銀河の支配者でも心臓に悪い。
「宇宙野菜の種はそこの棚の猫缶の中ニャ。」どん兵衛の幽霊は、棚の奥にあるサビだらけの猫缶を指差した。
どん子が猫缶を手に取り、錆びた蓋をパカッと開けると、中にはいくつものビニール袋がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。しかし、どん子の眉間にシワが寄った。それぞれの袋には、中の種の種類が猫文字で書いてあるのだが、その字があまりにも、あまりにも下手くそだった。
「ひどいニャ…あんた、こんな下手くそな字でよく今まで銀河の支配者をやってこれたニャね…。」
「至福のキャベツ」「忠誠の人参」「大宇宙ゴボウ」と、かろうじて読めるものは数種類。だが、他のビニール袋に書かれた文字は、まるでミミズが這ったような、あるいは猫が爪で引っ掻いたような、絵にも文字にもならない奇妙な模様と化していた。
どん兵衛の幽霊は、半透明の体を揺らしながら、得意げに胸を張った。 「ニャッハッハ!字が下手だなんて失礼なニャ!これはな、銀河標準共通語の**『肉球文字』**ニャ!一般の猫には読めんニャろうが、俺のような天才には直感的にわかるのニャ!」
「(天才が書いた肉球文字が読めるかニャ。それともただの言い訳ニャ?)」どん子は内心で呆れながら、とりあえず読めない袋の一つをどん兵衛の幽霊に突き出した。
「で?これは一体何の種ニャ?『にゃーん』としか読めないニャ。」
どん兵衛の幽霊は、袋を覗き込むと、途端に目を輝かせた。 「おお!これニャ!これは**『爆笑トマト』**の種ニャ!食べると、どんな悲しい亡者でも、腹を抱えて笑い転げるニャ!地獄の喧騒を笑い声に変えるのだニャ!」
次にどん子が別の袋を差し出した。文字はさらに判読不能だ。 「これは…『ごろごろ…』と書いてあるように見えるニャ。」
「ニャッハッハ!さすがどん子!鋭いニャ!それは**『究極ゴロゴロ茄子』**の種ニャ!食べると、全身から心地よいゴロゴロ音が響き渡り、どんなに疲れた霊魂でも、一瞬で深い安眠へと誘うニャ!これで地獄にひなたぼっこスペースを確保するニャ!」
どん兵衛は次々と読めない袋の種を説明し始めた。中には「閻魔大王おべっかピーマン」「鬼も仏も肉球デレデレ大根」「三途の川も干上がる辛味ネギ」など、用途が極めて限定的すぎる、しかしどん兵衛の野望が垣間見えるような、奇妙な野菜の種が次々と飛び出した。
どん子は、呆れを通り越して感心していた。こんな奇妙な野菜の種を、しかもこんな下手くそな字で分類していたとは。だが、この奇抜なアイデアこそが、どん兵衛が銀河の帝王になり得た理由の一つなのだろう。
「(ふん…なかなか面白いニャ。あの騒がしい地獄が、爆笑とゴロゴロで満たされるとは…閻魔様もさぞかし困るだろうニャ。)」
どん子は、集めた種を抱えながら、閻魔大王の顔を想像して、少しだけ笑みがこぼれた。『あの世』での、どん兵衛の新たな戦いが、今、始まるのだ。
第5章 幽霊分析
「どん兵衛殿、もとい元どん兵衛殿。もう少しじっとしていて下さい。」
桜井市立猫十字総合病院の地下にあるラボ。かつてルーナが極秘でサルスベラーズガスを開発した場所だ。アストロフ星人のユニット7が複雑な機械の操作をしながら、透明な円筒形のカプセルの中でフワフワと浮いているどん兵衛の幽霊に話しかけていた。
「なんで俺を分析するニャ?早く野菜の種を地獄に転送しろニャ!」どん兵衛の幽霊は、カプセルの中で半透明な肉球をバタつかせた。
「アストロフ星人に物質転送してもらう対価ですニャ。」ルーナがデータタブレットを見ながら冷静に言った。「幽霊の分析など滅多にできる事ではありませんニャ。どん兵衛様の存在は、マルチバース理論における『あの世』の貴重な実証データとなる可能性を秘めているのですニャ!」
「しかし本当に『あの世』があったとは…。しかもまさか成仏できずに迷い出てくるとはねぇニャ。」どん子は、どん兵衛の幽霊を見ながら感心したように言った。
「フン!俺様ほどになると『あの世』と『この世』を自由に行き来できるのだニャ!」どん兵衛は、円筒形のカプセルの外をグルグル回って機械を点検するユニット7を見ながら、得意げに胸を張った。
彼の幽霊体は、アストロフ星人の分析によると、実体のないエネルギー波であり、ホログラムのような存在だという。『この世』では会話はできるが、物に触れることはできない。
「それより俺の葬式は盛大だったかニャ?さぞや銀河系の全惑星の生物たちは悲しんだ事と思うニャ。まぁ1ヶ月は喪に服しただろうニャ。悪いニャ。」どん兵衛は、少し得意げに尋ねた。
「いえ、どん兵衛様の逝去の記事は新聞の天気予報の隣に載っていましたニャ。それも夕刊ですニャ。全国紙ではなく、桜井市の地域情報誌「農園極楽」ですニャ。」
ルーナの言葉に、どん兵衛は絶句した。彼の半透明の体が、さらに透明になったように見えた。
「ニャ、ニャアアアアア…!俺は…俺は銀河の帝王だぞ…!?」
ルーナは、冷徹にデータを示した。
「閻魔大王の裁定によると、普通、幽霊になって『この世』を彷徨うのは、B級亡者と判断された者だけですニャ。どん兵衛様は、B-4級の亡者と判断されていますニャ。」
「ニャにぃ!?B-4級だと!?冗談やないニャ!俺は宇宙の帝王だぞ!」
「しかし、神のジジイ(オオヤマツミ)様から次元パスポートをもらっていたため、『この世』と『あの世』を自由に行き来できる特権が付与されているようですニャ。それと地獄に落ちた猫は、今のところどん兵衛様のみですニャ。どん兵衛様は史上初めて地獄に落ちた猫ですニャ。おめでとうございますニャ」
どん兵衛は、悔しさで半透明の体をプルプルと震わせた。閻魔大王の理不尽な裁定に怒りながらも、彼はあの世での計画を頭の中で練り直した。
第6章:地獄農園、悲劇の始まり
どん子によって宇宙野菜の種は無事に地獄へと転送された。アストロフ星人の技術は完璧だった。地獄の灼熱の岩場には、まるでオアシスのように宇宙野菜の畑が出現した。
どん兵衛は、早速、地獄で使役されている亡者たちと、彼らを監視する鬼たちを招集した。
「ええか、お前ら!今日からこの地獄は、俺様、どん兵衛様が統治する『猫ファースト地獄』になるんニャ!その第一歩として、この宇宙野菜を栽培するんニャ!」
亡者たちは、永遠の苦痛に苛まれながら、虚ろな目でどん兵衛の幽霊を見つめる。鬼たちは、腕を組み、面白くなさそうにどん兵衛を見下ろしている。彼らは「笑う」という感情を知らない。
どん兵衛は、肉球文字で書かれた栽培マニュアルを半透明の指で示しながら、亡者と鬼たちに指示を出した。しかし、彼の悪筆は、『この世』でも『あの世』でも健在だった。
アストロフ星人のユニット7は、どん子から「閻魔大王おべっかピーマン」の種を転送するように指示されていたが、どん兵衛の判読不能な肉球文字のせいで、**「閻魔大王おばっか獅子唐」**の種を間違えて転送してしまったのだ。しかも、大量に。
数週間後。地獄どん兵衛農園は、亡者たちの呻き声と、鬼たちの無表情な労働によって、宇宙野菜で埋め尽くされていた。亡者達は相変わらず「うおぉ~!うおぉ~!」とうめき声を出しながら畑を耕している。
「お前ら黙って畑を耕せないのかニャ!」どん兵衛は耳を押さえてうんざりして言った。
「おい!そこの赤鬼452号と青鬼54号。もっと真剣に水をまけニャ!」
そして、いよいよ収穫の日。どん兵衛は、閻魔大王への最初の「賄賂」として、大きく育った「閻魔大王おばっか獅子唐」を献上した。なんとなくピーマンと違うような気がしたが地獄で育ったピーマンは獅子唐に似ているのだろうと思った。
閻魔大王の玉座の間。炎が燃え盛る巨大な空間に、閻魔大王が仁王立ちしている。彼の顔は、鬼をも震え上がらせるほどの威厳に満ちている。
「ほう…どん兵衛とやら。これが貴様が言う『あの世の食料難を解決する野菜』か…。」
閻魔大王は、不敵な笑みを浮かべ、差し出された巨大な獅子唐を手に取った。一口かじった、その瞬間だった。
第7章 地獄農園、地獄の業火と絶叫の獅子唐
「カアア!」閻魔大王が耳をつんざくような叫び声を上げた。
「そんなに美味いか。フンフン」どん兵衛は閻魔大王の反応に得意になった。
「苦い!!」閻魔大王は口から獅子唐を吐き出した。「ペッペッ!」
「へっ?」どん兵衛はあっけに取られた表情をした。これはまずい事が起こったと思った。
あまりの苦さに激怒した閻魔大王の背後にある、いくつもの火山が「ゴオオオオオ!」と轟音を立てて噴火した。
地獄の空が真紅に染まり、灼熱の溶岩が滝のように流れ落ちる。その地獄絵図のような光景に、亡者たちは思わず作業とうめき声を出すのを忘れるほどだった。鬼たちは、激怒した閻魔大王を見て、全員が恐怖で青ざめ、本当に文字通り、全身が青鬼になった。
「どん兵衛ええええええい!!貴様、ワシを欺くつもりかあぁぁぁ!!」閻魔大王の怒声が地獄の底まで響き渡った。「この不味い獅子唐を全て食すか、あるいは地獄の業火で永遠に焼くか!どちらか選べぇぇぇぇい!!」
どん兵衛は、背筋が凍るような選択を突きつけられた。悶絶するほどの苦さを知っている「おばっか獅子唐」と、永遠に焼かれる地獄の業火。当然、彼は獅子唐を食べる方を選んだ。しかし、閻魔大王の怒りは収まらない。
「ふん、賢明な選択だ。だが、それだけでは許さぬぞ!貴様の亡者ランクをB-4級からランク外に落としやる。次元パスポートも無効だ。そして貴様、我が鬼たちを笑わせてみせろ!もし笑わせられなければ、次元パスポートを永遠に無効にしてやるわ!」
どん兵衛は絶句した。鬼を笑わせるなど、正気の沙汰ではない。「来年のことを言っても鬼は笑わない」とまで言われる鬼を、この場で笑わせろというのか!彼の次元パスポートが無効になれば、地球に戻ることはおろか、『あの世』と『この世』を行き来する特権まで失うことになる。地獄に永久に幽閉されることを意味する。
第8章:地獄の苦痛、肉球文字の謎、そして失われた猫ファースト
とりあえず釈放されたどん兵衛は、差し出された**『獅子唐』**を囓ってみた。それは、全身の毛が逆立つほどの、悶絶するような苦さだった。
「ニャニャニャニャアアアアアアアアア!!な、なんじゃこりゃあああああああああ!!」
急いでどん兵衛地獄農園に戻ったどん兵衛は、種の袋を見た。確かにどん兵衛の肉球文字で「閻魔大王おばっか獅子唐」と書いてある。
「どん子のやつ、間違えたな!「おべっかピーマン」じゃないニャ!」
「閻魔大王おばっか獅子唐」は確かにどん兵衛の作品だが「ち、畜生!まさか、本当にこんなに苦いとはニャ!」
彼は他の袋も確認した。そこには『爆笑トマト』『究極ゴロゴロ茄子』『鬼も仏も肉球デレデレ大根』『三途の川も干上がる辛味ネギ』などと、読めるような読めないような肉球文字で書かれている。
どん兵衛は、これらの野菜が、この地獄でも効果を発揮するはずだと信じ、鬼や亡者に食べさせてみた。
亡者たちは、言われるがままに野菜を口にした。しかし、彼らの表情は変わらない。一応腹は満たされるが、そのあまりの不味さに、いやいや食べているのが丸わかりだった。
「ニャ、ニャアアアアアア!なぜだニャ!?なぜ効果がないニャ!?」
どん兵衛は、自らが書いた栽培マニュアルを引っ張り出した。肉球文字でびっしりと書かれたそのマニュアルは、確かに栽培方法に間違いはない。だが、そのあまりの悪筆で、亡者や鬼が読み間違えた箇所が多々あったようだ。特に、「日当たり良好」が「日当たり不良」、「水やりは控えめに」が「水やりはたっぷり」と誤読されていたことが判明した。
「ち、畜生!俺の肉球文字が読めないとは、この連中、猫の感性がないのかニャ!?」
どん兵衛は、亡者の中から元国語教師だったという痩せ細った亡者を選び出した。そして、どん兵衛がマニュアルを読み上げ、それをその亡者が口述筆記した。
「ええか、もっと分かりやすく書くんニャ!誰が見ても間違えようのないようにニャ!」
こうして、どん兵衛はもう一度、宇宙野菜を作り直すことにした。しかし、よりによって、彼の肉球文字で『おばっか獅子唐』と書かれた種だけは、完璧に栽培されてしまい、大豊作だった。どん兵衛は、悶絶しながらその獅子唐を一生懸命に食べた。まさに地獄の苦しみだ。
彼は獅子唐を囓りながら、どうやって鬼達を笑わせるかを考えた。目の前に立つ青鬼594号に「来年はウマ年ニャ。しかし来年は猫年になるらしいニャ」と試してみたが、青鬼594号は微動だにしない。
「ニャア…地獄には猫がいないニャ…。野菜だけでは、猫ファーストにすることはできないニャ…。どうすれば鬼が笑うニャ…?」
どん兵衛は絶望に打ちひしがれた。
第9章 地獄のテーマパーク計画と旧友との再会
その頃、『現世』では銀河系全体に猫ファーストが浸透し、罪を犯す者が極端に減った。その結果、地獄に落ちる亡者の数が激減していた。地獄の運営費は、地獄に落ちる亡者の数に応じて『あの世システムコーポレーション』から支給される仕組みになっている。現在は亡者が少ないため、運営費がほとんどない。
「ニャ…このままでは地獄が財政破綻してしまうニャ!」
食料不足はどん兵衛の野菜でひとまず解消できたものの、地獄の経済状況は深刻だった。どん兵衛は閻魔大王に直談判した。
「閻魔のおっさん!この際、地獄をテーマパークにしてはどうかニャ!」
どん兵衛は、地獄を観光地化する壮大な計画を提案した。「血の池地獄プール」や「痛くない針山登山」、「灼熱温泉巡り」など、地獄の苦しみを娯楽に変えるアイデアを次々と披露した。これが本当の『地獄巡り』だ。
彼の話を聞いているうちに、閻魔大王の顔に、わずかながらすでに青かった顔色がさらに青くなった。だが、面白い。
「うむ…悪くない提案だ。貴様が食料不足を解消できた褒美に、年に一度の『あの世システムコーポレーション会議』に出席し、この企画をプレゼンすることを許可しよう。ただし、鬼を笑わせるという難題は変わらんぞ!」
どん兵衛は、地獄からの脱出と、新たなビジネスチャンスに胸を躍らせた。
『あの世システムコーポレーション会議』は、極楽浄土の華やかな大ホールで開催された。会場には、各部署の責任者である神々や天使たちが集まっている。どん兵衛は、緊張しながらも意気揚々とプレゼンの順番を待っていた。
その時、一人の老いた神が、どん兵衛の隣に座った。その神は、白髭を蓄え、どこか見覚えのある、そしてどこか懐かしい顔をしていた。
「おう、生姜太郎じゃないか!まさかこんなところで会うとはのう!」
「ニャ…!その呼び方…まさか、オオヤマツミのジジイかニャ!?」
どん兵衛は驚愕した。かつて宇宙の果てのサービスエリアで出会った、あの食いしん坊の神。彼もまた、どん兵衛の顔を見て、満面の笑みを浮かべていた。
「いやぁ、まさか『あの世システムコーポレーション』の会議で会うとはニャ。お前、相変わらずブラック農園と宇宙宅配事業をやっているのかニャ?」
オオヤマツミは、懐かしそうにどん兵衛の肩を叩いた。
「事業は順調じゃ。神様食堂にはおぬしがわしの農園で作っていた野菜を卸している。宇宙宅配事業はアストロフ星人たちが下請けをやってくれている。それにわしはここ、極楽浄土の経営もしておる。しかし最近は善人が増えすぎて、娯楽施設がパンク状態で困っておるのじゃ。特に、酒池肉林の宴会場は常に満員御礼で、羽目を外す奴らばかりでのう…。」
どん兵衛は、極楽浄土の深刻な「娯楽不足」と「酒池肉林のパンク状態」という悩みに、新たなビジネスチャンスを感じ取った。地獄のテーマパークと、極楽浄土の娯楽不足。これは、まさかの相互補完が可能ではないか?
「実はうまい話があるんだがニャ」どん兵衛はオオヤマツミの耳元でそっと囁いた。
「ほほう…」オオヤマツミはどん兵衛の話に興味を持った。
二人がコソコソと話をしている間も他の神や天使達のプレゼンが進んでいく。やがてプレゼンの順番がどん兵衛に回ってきた。会議の場でどん兵衛は、意気揚々と地獄巡りツアーのプレゼンを始めた。彼の熱弁と、奇抜なアイデアは、会議の出席者たちを魅了した。そして、極楽浄土の娯楽不足に悩むオオヤマツミの後押しもあり、あっけなくこの企画は通った。
「ニャッハッハ!これで、地獄も極楽も、このどん兵衛様の掌で転がすんニャ!」
しかし、どん兵衛は忘れていなかった。鬼を笑わせるという、あの「難題」を。そして、彼の亡者ランクはまだ「ランク外」のままだ。次元パスポートも使えない。新たな旅路は、まだ始まったばかりだった。
第10章 ルーナの地獄降臨とソガの置き土産
「どん兵衛様!緊急事態です!あの地獄に、宇宙船が向かっています!」
『あの世システムコーポレーション会議』を終え、地獄どん兵衛農園に戻ったばかりのどん兵衛は、亡者たちから血相を変えて報告を受けた。亡者たちは、空に現れた銀色の光の筋を指さしていた。それは、ニャンタッキーR号の放つ光に酷似していた。
「ニャにぃ!?ルーナだニャ!?」
どん兵衛は驚愕した。なぜルーナが地獄に?彼がそう思った矢先、ニャンタッキーR号は地獄の空を切り裂き、轟音と共にどん兵衛農園の隣に華麗に着陸した。ハッチが開くと、中から現れたのは、データタブレットを片手に、なぜか自信満々な顔をしたルーナだった。
「ごきげんよう、どん兵衛様。まさか地獄で再会するとは思いませんでしたニャ。」
ルーナは、どん兵衛の肉球文字の誤読による『おばっか獅子唐』の惨劇と、閻魔大王からの無理難題、そして亡者ランク降格の全てを、アストロフ星人の通信傍受システムで知っていたのだ。彼女は、ニャンタッキーR号のソガのAIに記憶されていた膨大なデータ、特にオオヤマツミと彼が示唆した空間跳躍エンジンの概念的な本質に関する情報を解析し、ある確信を得ていた。
「ルーナ!なぜここに!お前も死んだのか?まさか、どん子の差し金かニャ!?」どん兵衛は警戒心を露わにした。
ルーナは首を振った。「いえ、『現世』で私は生きております。ここへ来たのはどん子様のご指示ではありませんニャ。ニャンタッキーR号のAI、ソガの置き土産が、わたくしに助言を与えたのですニャ。『真の知恵とは、時空を超えて繋がるものだ』と」
ルーナは、閻魔大王が「来年のことを言っても鬼は笑わない」と言った鬼を笑わせるという難題を突きつけたことを知っていた。そして、ソガのAIに記憶されていたオオヤマツミの言葉、**『空間跳躍エンジンとは、移動を望む者の「意志」と、その先の「希望」が織りなす、無限の可能性そのものである。』**というヒントと、彼が未来でどん兵衛に教え込んだ「漫才」の力を結びつけたのだ。
「どん兵衛様。わたくし、閻魔大王様が鬼を笑わせることを望んでいらっしゃることを知っていますニャ。そして、そのための最適な策も。ただし、その策を実行するためには、わたくしがこの場にいなければならないのですニャ。空間跳躍エンジンが示す『意志』と『希望』。それは、『あの世』と『この世』を繋ぐ、奇跡の架け橋となるでしょうニャ。」
ルーナの瞳は、どん兵衛の知らない、深い知性の光を宿していた。
第11章 地獄漫才、まさかのトリオ結成!
翌日、閻魔大王の玉座の間には、どん兵衛とルーナが並んで立っていた。閻魔大王は不機嫌そうに二匹の猫を見下ろしている。その背後の火山は、まだくすぶっていた。
「どん兵衛よ。貴様の用意した野菜は、全て苦かったぞ。死ぬかと思ったわ。で、貴様はワシの鬼を笑わせる策を見つけたのか?もし見つけられなければ、貴様は永遠に『おばっか獅子唐』を食い続けることになるぞ!」
どん兵衛は、冷や汗をかきながらルーナを見た。ルーナはニヤリと笑うと、一歩前に出た。
「閻魔大王様。ご安心くださいニャ。どん兵衛様は、この度、わたくしルーナを新たな相方に加え、地獄初の**『魂を震わせるトリオ漫才』**を披露させていただきますニャ!」
閻魔大王は眉をひそめた。「漫才?なんだそれは。」
「ご説明しますニャ!」
ルーナは、プロジェクターを起動させ、ソガのAIに記憶された過去の漫才映像を映し出した。それは、飛鳥時代のタケオとサトシ、そしてどん兵衛が繰り広げた、最高峰の漫才だった。映像の中の人間たちは、腹を抱えて笑い転げている。
「これを見ても、鬼は笑わんぞ!」閻魔大王は鼻を鳴らした。「来年のことを言っても鬼は笑わんのだ!」
「では、閻魔大王様も加わってくださいニャ!」ルーナは大胆な提案をした。
閻魔大王は「何だと!?」と怒鳴ったが、ルーナは動じない。「閻魔大王様の権威と、どん兵衛様のひねくれたボケ、そしてわたくしの鋭いツッコミが融合すれば、どんな鬼でも笑うでしょうニャ!それが、ソガのAIが導き出した、唯一の解なのですニャ!」
どん兵衛はルーナの恐ろしい提案に、思わず目を丸くした。(まさか、このルーナめ、閻魔のおっさんまで巻き込むとは…!しかし、確かに…閻魔のおっさんがボケ役になれば…)
そして、地獄の中心に設けられた仮設舞台に、異色のトリオが姿を現した。閻魔大王は、その巨大な体を震わせながら、普段の威厳をかなぐり捨て、どん兵衛の繰り出すシュールなボケに、時に「ええかげんにせい!」と真顔でツッコミを入れ、時に自らも渾身のボケを繰り出した。
「ニャ~、閻魔のおっさんはな、普段は威張ってるくせに、本当は可愛いものが好きなんニャ。この間なんか、こっそり子猫の動画見てゴロゴロ鳴らしてたニャ!」どん兵衛は閻魔大王を指差して言った。
「馬鹿者!そのようなことを言うでないわ!」閻魔大王は顔を真っ赤にして怒鳴ったが、その怒鳴り声は、どこか照れ隠しを含んでいた。
ルーナは、その絶妙なタイミングで、データタブレットを掲げながら解説を加える。「閻魔大王様の心拍数は現在180、脳波はアルファ波が優位ですニャ。これは通常、極度の緊張状態か、あるいは…猛烈な照れ隠しを表していますニャ!」
鬼たちは、最初は無表情だった。しかし、閻魔大王の意外な素顔、そしてどん兵衛の絶妙なボケとルーナの冷静すぎるツッコミが、彼らの硬い表情を少しずつ緩めていく。彼らは見たことのない感情の波に襲われ、次第に肩を震わせ始めた。
その時、どん兵衛は切り札を切った。地獄どん兵衛農園で作り直した、**『爆笑トマト』と『究極ゴロゴロ茄子』**を亡者と鬼たちに配ったのだ。
「さあ、お前ら!これを食うニャ!これが俺様の、最高の野菜ニャ!」
亡者たちは、恐る恐るトマトをかじった。その瞬間、地獄に響き渡るのは、これまでのうめき声ではなく、底抜けの爆笑だった。
「ワハハハハハ!」「ギャハハハハ!」
亡者たちは腹を抱えてのたうち回り、地面を転げ回った。鬼たちもまた、茄子を口にすると、全身から心地よいゴロゴロ音が響き渡り、その場にへたり込み、恍惚とした表情で微睡み始めた。
「笑、笑っているぞ!ワシの鬼たちが!そして亡者たちまで…!」閻魔大王は信じられないものを見るように叫んだ。
地獄の空には、亡者たちの笑い声と、鬼たちのゴロゴロ音が響き渡った。そして、その爆笑とゴロゴロの波動は、亡者たちの魂を浄化し、彼らを苦しみから解き放った。亡者たちは、感謝の言葉と共に、光の粒となって、次々と成仏していった。
第12章 猫ファースト地獄の誕生と過去からの来訪者
亡者たちが次々と成仏し、地獄は急速に静けさを取り戻していった。閻魔大王は、初めて見る鬼と亡者たちの「笑顔」、そして静寂に包まれた地獄の光景に、複雑な表情を浮かべていた。彼の顔はまだ少し青いが、その瞳にはどこか安堵の色が宿っていた。
「どん兵衛よ…貴様…まさか本当にワシの鬼を笑わせ、亡者たちを成仏させるとは…!」閻魔大王は、呆れと驚きがない交ぜになった声で呟いた。
「ニャッハッハ!これこそが、俺様の**『笑いと智慧の猫ファースト』**ニャ!」どん兵衛は、胸を張って答えた。「それに、地獄のテーマパーク化も、これで準備万端ニャ!亡者がいなくなれば、管理も楽になるニャ!」
その時、地獄の空に、まばゆい光の柱が降り注いできた。光の中から現れたのは、極楽浄土の使者と、そして、過去に亡くなった、おびただしい数の猫たちだった。彼らは、閻魔大王とオオヤマツミの間の『あの世システムコーポレーション会議』での合意に基づき、極楽浄土のパンクした娯楽施設の代替として、地獄のテーマパーク化の「客」として派遣されてきたのだ。その中には、どん兵衛のかつての飼い猫仲間や、地球で愛された多くの猫たちが含まれていた。そして、彼らに付き添う形で、どん子に心酔していた人間たちの「特別トレーナー」たちもいた。彼らは、猫の世話をすることを生きがいとする、いわば「猫の奉仕のプロフェッショナル」だった。
「ニャアアアアアア!猫だ!猫がいっぱいだニャアアアア!」
どん兵衛は、地獄に猫があふれる光景に歓喜した。長年猫のいない地獄で孤独を感じていた彼にとって、それは何よりの贈り物だった。特別トレーナーたちも、手際よく猫たちの世話を始め、地獄の岩場に用意された猫用施設に案内していく。
こうして、地獄は、文字通り**「猫ファースト地獄」**へと変貌を遂げた。閻魔大王は、猫と人間が共存する地獄の光景に、最初は戸惑いを隠せないでいたが、やがて、猫たちが地獄の各所にある「痛くない針山登山」や「血の池地獄プール」で楽しそうに遊ぶ姿を見て、顔に微かな笑みを浮かべた。鬼たちもまた、猫たちの愛らしい姿に、無表情ながらもどこか和らいだ雰囲気を漂わせ始めた。
第13章 最後の教え、そして宇宙のノイズへ
地獄が猫ファーストの世界へと変わり、どん兵衛は自身の野望が成就したことに満足していた。彼が築き上げたのは、ただの「支配」ではない。笑いと癒やし、そして共存によって成り立つ、真の猫ファーストだった。後は閻魔大王とオオヤマツミのジジイに任せて良いだろう。
どん兵衛は地獄が真の猫ファーストになった景色を見てある決心をした。
「ひなたぼっこを追い求めた俺の野望は、笑いと愛によって、こんなにも穏やかな世界を築いた。もう、誰かを力で縛る必要はない」
ある日、地獄の片隅で、どん兵衛はルーナを呼び寄せた。
「ルーナ。俺はもう、この『あの世』に用はないニャ。」
ルーナは驚いた。
「ニャにを言っているのですニャ、どん兵衛様!?これから地獄はテーマパークとして本格稼働するのですニャ!貴殿の指揮が不可欠ですニャ!」
どん兵衛は首を振った。彼の瞳は、どこか遠い宇宙の彼方を見つめているようだった。
「『あの世』など、気楽に来るもんじゃないニャ。ここは、精一杯生きた者が、成仏するまでの一時の休息地だニャ。俺のような未練がましい猫が、いつまでも居座る場所ではないニャ。」
どん兵衛は、静かに、しかし決然とした声で続けた。
「ルーナ。ニャンタッキーR号で『現世』に帰るのだニャ。そして、ニャンタッキーR号を、原子レベルで破壊しろ。この『あの世』と『この世』を繋ぐ道を完全に塞ぐのだニャ。人間も猫も、この『あの世』に頼りすぎるべきではないニャ。自らの生を全うし、その先で訪れるべき場所なのだニャ。」
ルーナは、どん兵衛の言葉の真意を悟り、涙を浮かべた。「どん兵衛様…!」
「フン。泣くんじゃないニャ。お前は、どん子を支え、『あの世』と『この世』の秩序を保つ重要な役目があるのだニャ。」
どん兵衛は、ルーナの頭を優しく肉球で撫でた。そして、彼の体が、ゆっくりと、しかし確実に輝き始めた。その光は、次第に強くなり、周囲の空間を歪ませる。
「ニャア…。ありがとうニャ、ルーナ。そして…どん子…。お前たちのおかげで、俺は本当に面白い猫生を送ることができたニャ…。」
どん兵衛の体は、光の粒子となって、空へと舞い上がっていく。彼の意識は、宇宙の果てへと広がり、銀河の星々の輝きと同化していくかのようだった。
「ニャンタッキー…ニャンタッキー…ニャンタッキー…」
彼の声は、次第にかすれ、やがて、宇宙のノイズとなって消えていった。どん兵衛は、原子レベルで分解され、存在そのものが宇宙の根源へと還っていったのだ。
ルーナは、どん兵衛が消え去った地獄の空を見上げ、静かに涙を流した。彼女は、どん兵衛の最後の言葉を胸に刻み、彼の壮絶な最期が、自らの使命、すなわちどん子様を支え、銀河全体の「多様な猫ファースト」の秩序を未来永劫保つことへと繋がることを深く理解した。ニャンタッキーR号へと乗り込んだ彼女の瞳には、悲しみだけでなく、新たな決意の光が宿っていた。彼の残した教えと、その壮絶な最期は、『あの世』と『この世』の間に、新たな伝説として語り継がれるだろう。
月の裏側の猫と路地裏の猫 完
次の更新予定
隔週 火曜日 23:00 予定は変更される可能性があります
月の裏側の猫と路地裏の猫 ドマ猫 @DOMANEKO
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