第7話 宇宙野菜のレシピは悪筆の向こうに

第1章:肉球筆の暗号

 奈良県桜井市立宇宙センターの中央ラボは、張り詰めた緊張感に包まれていた。

どん兵衛は、ニャンタッキー13号でマクロクライ星の猫たちの猫ファースト化状況を視察に行ったきり、3週間も連絡が途絶えている。しかし、地球の食料危機を救うための 「超巨大・高栄養価 宇宙芋改」 の栽培時期が刻一刻と迫っていた。

 宇宙芋改の種芋はあるがその栽培方法がわからない。

「ダメだ。この文字、もはや古代の象形文字だ……」

 アストロフ星人のユニット7は、デジタル表示の目を赤く点滅させながら目の前のボロボロのノートを分析していた。

 ノートに書かれているのは、どん兵衛が自分で開発した宇宙芋改の栽培手順だが、その文字は丸く、太く、そして全体的に右肩上がりで歪んでおり、地球猫が言うところの「肉球文字」、すなわち最悪の悪筆だった。赤ペンで走り書きした部分もあり消しゴムで中途半端に消している部分もある。

「我々のAIシステムに解読させても照合率は最高で53%だ。特に『土壌』と『時間』に関する記述が、『ドジョウ』や『トチカン』と認識されてしまう。まるで軍事機密の暗号なみだ」ユニット7が嘆息する。

「どん兵衛の悪筆は昔から芸術的だニャ……」どん子は心配そうにノートを見つめた。「でも、みんなが空腹になる前に、絶対にこの宇宙芋改を作らないと!」

 ルーナはモニターを高速でスクロールさせながら、冷静に言い放った。

「月面どん兵衛農園に残されたニャンタッキー12号のコンピューターには地球の猫ファーストの『意志の波動』を安定させるために、宇宙芋改の特定成分が欠かせないという機密情報も含まれていましたニャ。銀河キュウリや宇宙芋等の野菜の栽培方法は記録されていましたが肝心の宇宙芋改の栽培方法は記録されていません。これはこのノートを解読するしかありませんニャ。失敗は許されませんニャ」


第2章:事の始まり

:最悪のポイ捨て

2ヶ月前…

 月面どん兵衛農園に隣接する月面基地でどん兵衛は真剣な表情でコンピューターのモニターを見ていた。

「どん兵衛廃棄場が危ないニャ…」

 どん兵衛は月面どん兵衛農園でさまざまな種類の宇宙野菜を開発していた。膨大な数の試作品、失敗作も多数あった。最初は廃棄された宇宙野菜は月面どん兵衛農園の片隅に山のように積まれていた。そのうち腐敗が始まり健康な宇宙野菜にも影響を与えるようになってしまった。

 どん兵衛は処理に困りティコクレーターの『どん兵衛廃棄場』に捨てることにした。『どん兵衛廃棄場』は非認定でどん兵衛が勝手に『歴代ニャンタッキー号の最終廃棄』と定めていた。そこには、大量の古い燃料タンク(後にプロテンテンから精製された燃料の残滓を含むことが判明)が廃棄されていた。

 どん兵衛はニャンタッキー13号に野菜の廃棄物を運び入れどん兵衛廃棄場に捨てた。

 何回か野菜の廃棄物を運んでいるとティコクレーターの真っ暗などん兵衛廃棄場にうっすらと青い光が出ていることに気がついた。

 調べてみると失敗作の野菜から発光性の特殊な酵素が出ていた。その化学的特性はまだ完全に解明されていないがとりあえず彼は、その酵素を『どんどん粒子』と名付けた。

 どん兵衛の自作AIコンピューターは、どんどん粒子と廃棄燃料タンクに残っているプロテンテンの精製燃料が化学反応を起こし、大規模な爆発を引き起こす可能性を警告した。そして爆発時に強力な電磁波(後に『どんどん波』と命名)が地球に降り注ぐ事になりそれは桜井どん兵衛農園の野菜を枯らしてしまうと伝えた。桜井どん兵衛農園の野菜の供給が止まると地球規模で飢餓の危機が起きる。

「うむ、その連鎖反応が起きる確率は」どん兵衛は自作AIに尋ねた。

「将軍。ティコクレーターで連鎖反応が起きる可能性は、理論上0.2%です」

「0.2%だと?そんな低い確率、無視していいニャ!それよりも、マクロクライ星の猫ファーストの方が重要ニャ!」

 どん兵衛は豪快に笑い飛ばしたが、彼の深層心理には小さな不安が残った。そこで彼は、爆発が起きたとしても、すぐに飢餓を救えるように、「超巨大・高栄養価 宇宙芋改」のレシピをノートに書き残し、宇宙芋改の種芋と一緒にどん子に渡していた。

 どん兵衛はニャンタッキー13号でマクロクライ星に向かった。

マクロクライ星人は疑り深く防御システムとして恒星系自体が高電荷エネルギーの放射線ベルトで覆っていた。それは通信をほとんど遮断している。その存在が判明したのはアストロフ星人の情報と桜井市立宇宙センターのセンサーがマクロクライ星から感情波動が出ているのをキャッチしたからだ。


:壊滅した桜井どん兵衛農園

 ニャンタッキー13号が通信困難地域に入ったその時、月面のティコクレーターがまぶしく光った。

 轟音と共に、ティコクレーターは巨大な火球と化した。爆発のエネルギーは、地球の磁場と大気圏を貫通し、目に見えない破壊的なエネルギーの波を放射した。

 桜井市立宇宙センターの観測室は月面の異常を検知していた。コンピューターが激しくアラームを鳴らしている。人間や猫の観測員が慌ただしく状況分析を行っている。

 桜井市立宇宙センターの責任者であるルーナは、この不可解な現象に沈着冷静に行動した。彼女の知らない未知のエネルギー波が月面から地球全体に照射されていた。

「ユニット7!エネルギー波の解析を急いで!」ルーナはユニット7に叫んだ。

「解析結果…このエネルギー波は、『どんどん波』だ!特定の植物の成長ホルモン、特にどん兵衛殿が開発した野菜に対して、成長抑制と枯死を誘発する!」ユニット7が焦りの色を見せながら報告した。

「なんてことニャ!」ルーナは顔面蒼白になった。そしてタブレットでどん子を呼び出した。

 その頃、地球では。 日本の奈良県桜井市にある、どん兵衛が誇りとしていた「桜井どん兵衛農園」の広大な畑が、まるで巨大な除草剤を浴びたかのように、一瞬で枯れ果てた。そして、世界中の主要な宇宙野菜栽培プラントも、次々と壊滅状態になった。

 地球は、わずか一晩で、深刻な飢餓の危機に陥った。


第3章:暗号解読開始

 桜井市立宇宙センターの中央ラボには、どん子とルーナとアストロフ星人のユニット7がいた。

「どん兵衛殿から2週間、音信不通だ。ニャンタッキー13号は通信環境の悪いマクロクライ星にいるため、長期の沈黙は想定内だが、こちらの超巨大・高栄養価 宇宙芋改の栽培リミットが迫っている」

 ユニット7は感情を抑えた声で言った。彼の前には、どん兵衛が残した、土に汚れたボロボロのノートが開かれている。

「どん兵衛はマクロクライ星に出発する前にこのノートと宇宙芋改の種芋を手渡したニャ。その時、どん兵衛は『もし桜井どん兵衛農園に何かあったら宇宙芋改を栽培するのだ。栽培方法はこのノートの42ページに書いてあるニャ』と言っていたニャ。何気なく聞いていたけどこう言う事だったのニャ…」どん子は深刻な顔をして言った。

「すでに収穫済みのどん兵衛野菜の在庫は尽きかけている。地球の各首脳から緊急連絡が引っ切りに無しにあるニャ。代替食料ではまるで足りない。早く宇宙芋改を栽培しないと地球の猫と人間が飢えるニャ」

「しかし、この文字は……」ユニット7は眉をひそめた。「我々アストロフ星のAI解析にかけても、肉球文字の個人差が激しすぎる。特に核心部分の解読率は10%未満だ」

「どん兵衛様の文字、本当にすごいニャ……」ルーナはため息をついた。「でも、みんながこの芋を待っているのニャ!何とかしないとニャ!」

ノートの鍵となる部分は、以下の3つのフレーズだった。

1. (解読不能) の光を (トチカン?) 加えるニャ。

2. 土壌は (おやつ?) の皮の成分を (サミシク?) 混ぜるニャ。

3. 最も重要なのは、(キュウキョク?) のゴロゴロを聞かせるニャ!

「『キュウキョクのゴロゴロ』は、どん子様の専門分野ですね」ルーナが言った。

「そう!最高の愛の波動を込めるのニャ!でも、前の二つが分からないと……」

【手がかり1:光と時間】

どん兵衛は、植物に当てる光を「太陽光」ではなく「特別製の育成光」と呼んでいた。その光には「緑光(りょっこう)」というコードネームがあった。 そして「トチカン」に似た文字は、過去のメモで「時限(じげん)」という意味で使われていたことが判明した。

「つまり、1は 『緑光を時限タイマーで正確に加える』 という意味です!」ユニット7が導き出した。

【手がかり2:土壌と寂しさ】

次に、土壌。どん兵衛殿が好きなおやつは何だったか?

どん子はどん兵衛との会話を思い出した。「どん子よ、俺のオヤツはサツマイモの皮を煮たものニャ!」

「あっ、そうニャ!サツマイモの皮ニャ!オヤツくらい自分で作れニャ」と言ったことも思い出した。

「どん兵衛様は変なモノが好きなんですニャ」ルーナが言った。そしてそれをタブレットに記録した。

 こうやって地道にどん兵衛の肉球文字を解読していった。そして「サミシク」に見えた文字は、ルーナの冷徹な分析とユニット7の高速計算により、実は 「少しずつ(すこしずつ)」 という意味の「す」と「つ」が異常に繋がった肉球文字だと判明した。

「2は 『土壌にはサツマイモの皮の成分を少しずつ混ぜる』 が正解ニャ!」ルーナがモニターに結果を確定させた。

「宇宙芋の栽培には大和川の水と奈良公園の鹿の糞と桜井どん兵衛農園の土が必要だったけど宇宙芋改には必要ないのニャ」どん子がモニターを見ながら言った。

第4章:作戦実行と最後の不安

レシピが完成した。

1. 緑光を時限タイマーで正確に加える。

2. 土壌はサツマイモの皮の成分を少しずつ混ぜる。

3. 最も重要なのは、究極のゴロゴロを聞かせる!

 どん子は早速、栽培を始めようと思ったがふと疑問が浮かんだ。

 宇宙芋改の栽培は桜井どん兵衛農園なのか月面どん兵衛農園なのか分からなかった。地球と月面では土壌成分がまるで違う。宇宙芋は桜井どん兵衛農園の土壌が必要だ。しかし宇宙芋改はノートにはどちらの農園で栽培するのかは書かれていない。ルーナにもユニット7にも分からなかった。

「桜井どん兵衛農園は地球の猫と人間達の食料となる野菜を作るためにあります。他の惑星のために作るのは月面どん兵衛農園ですニャ」ルーナは言った。「だから宇宙芋改は桜井どん兵衛農園で栽培ですニャ…多分…知らんけど」

 桜井どん兵衛農園の人間がどん子の指示により畑の一部を耕している。枯れたどん兵衛の野菜は畑の片隅に山積みになっていた。畑が耕されるとすぐに栽培実験のための宇宙芋改の種芋が植えられた。ルーナが巨大な調光器の光と成分の調整を、ユニット7が複雑なタイマー制御を担当する。

「準備完了!」ユニット7が報告した。

 どん子は深い呼吸をし、心を込めて最高のゴロゴロを響かせた。農園全体に愛と安心の波動が満ち、種は瞬く間に膨らみ始める。人間達もどん子のゴロゴロ音に陶酔した。

 だが、ルーナの顔が曇った。

「どん子様!まだ問題がありますニャ!ノートの最後に、小さな肉文字で一行追記されています。『収穫は〇〇時に、決して〇〇を怠るニャ!』……この『〇〇』の部分が、どうしても解読できませんニャ!」

 ユニット7も焦燥感を露わにする。「どん兵衛殿の精神状態が不安定な時に書かれたようで、文字の形が意味をなさない……」

 どん子はゴロゴロを止め、桜井市の空を見上げた。そして、どん兵衛がいつも言っていた言葉を思い出した。

「どん兵衛は、いつも言っていたニャ……『最高の野菜には、最高の笑いが必要だ!』って」

「笑い……?野菜の栽培に…」ルーナが困惑する。

「そうニャ!宇宙芋改は、漫才が大好きニャ!収穫の瞬間、最高の笑い声がないと、芋の成分が安定しないニャ!」

 どん子はすぐに決断した。

「ユニット7!収穫までの残り時間で、銀河漫才道場の漫才音声を流してニャ!ルーナ!あなたは、その漫才に、どん兵衛の一番お気に入りのツッコミのタイミングを正確に入れてニャ!」

 ルーナは一瞬ためらったが、タブレットですぐに計算を始めた。論理的には理解不能だが、どん兵衛の「愛と笑いの猫ファースト」の理念を考えれば、これが唯一の正解だと直感したのだ。

「分かりましたニャ!漫才音声、再生開始!」

 桜井どん兵衛農園全体に、銀河漫才道場によるドタバタ漫才が響き渡り始めた。そして収穫の瞬間、ルーナが完璧なタイミングでどん兵衛の口癖である「なんでやねん!」というツッコミ音声を農園に響かせた。

 その瞬間、宇宙芋改は眩い光を放ち、規格外の巨大さと完璧な栄養価を持つ『超巨大・高栄養価 究極宇宙芋改』へと成長を遂げた。

「成功ニャ!」

 安堵したルーナのタブレットに、一本のメッセージが浮かび上がった。

『マクロクライ星は、最高のコメディアンしか受け入れないニャ。俺は、今から漫才の師匠になってここの住民の修行に入るニャ!帰ったら宇宙芋改、期待しているニャ! どん兵衛』

 どん子とルーナは顔を見合わせ、大きくため息をついた。どん兵衛は無事だったが、彼の「猫ファースト」の道は、常に予想の斜め上を行くのだった。


第5章:マクロクライ星の笑いの試練

 マクロクライ星の着陸ゲートは、他の星と決定的に異なっていた。入星許可証を示すのではなく、「3秒以内に腹筋崩壊級の笑いを取る」ことが唯一の条件だった。

 どん兵衛は、自身の「猫ファースト」理論に基づき、自信満々でゲートの前に立った。

「この星のゲートは、俺様の威厳と存在感だけで吹き飛ぶニャ!」

 彼は胸を張り、力強く鳴いた。

「ニャオーン!俺様がどん兵衛将軍様だニャ!銀河漫才道場の設立者だニャ!」

 しかし、ゲートのセンサーは微動だにしない。代わりに、金属製の拡声器から機械的な声が響いた。

「エラーコード:『威圧感』は『面白さ』のパラメーターに含まれません。退屈度は銀河ワーストクラスです。即刻、『漫才道場ヨセ』へ向かえ」

 どん兵衛は愕然とした。銀河漫才道場の設立者で偉大な将軍である自分が、入国審査で「退屈」の烙印を押されたのだ。それに『漫才道場ヨセ』とは何なんだ?

 ゲートをくぐると、そこは異様な光景だった。マクロクライ星人はヒューマノイド型だが魚のような頭をしている。見渡しても猫はいない。

 住民の誰もが、常に相手を笑わせようとツッコミやボケを繰り出し、街中が絶え間ない「アッヒャッヒャ!」という奇妙な笑い声に満ちていた。

 どん兵衛が連れて行かれたのは、マクロクライ星で最も尊敬される「漫才マスター」の『漫才道場ヨセ』だった。道場の一番奥に座布団を5枚ほど重ねた上にマクロクライ星人が座っている。

 巨大な口ひげと妙に間の悪いしゃべり方をする 「師範代・コイデ=デッセ」 という名の宇宙ナマズだった。これが漫才マスターらしい。

「よう来たのう、野菜と支配の猫よ。わしがコイデ=デッセじゃ。この星ではな、笑いが酸素じゃ。笑えん奴は、存在価値がない。お前の猫ファーストは、ここで『笑いファースト』に生まれ変わるのじゃ!」

 コイデ=デッセ師範代の教えは、どん兵衛の論理的な頭脳を完全に破壊した。

「俺は銀河漫才道場の設立者だニャ。言わば総師範だ。お前達の漫才など俺様の足下にも及ばないニャ」どん兵衛は頭の上から見下ろしているコイデ=デッセ師範代に向かって言った。

「銀河漫才道場か。確かにあの道場の出身者は漫才のレベルが高い。しかしわしにとっては素人同然。町内会の素人漫才並じゃ」コイデ=デッセ師範代がニヤニヤしながら言った。その言葉にどん兵衛はカチンときた。

「お前の漫才がホンモノと判断したら我々の王の前で漫才を披露するのじゃ。お前の猫ファーストがこの星で通用するかどうかは王の判断に委ねる」

「よし。ここの漫才道場ヨセの修行を受けてやるニャ。俺の方が漫才レベルは高い事を教えてやるニャ!」どん兵衛は啖呵を切った。

一、間(ま)の修行

「どん兵衛よ。この『宇宙豆腐』を相手に、ツッコんでみい」

どん兵衛の前に置かれたのは、ただの豆腐の塊だった。

「は?何の意味があるニャ?」

「そこじゃ!意味を求めたら、漫才は死ぬ!豆腐を前に、なぜか『なんでやねん!』と言わずにいられない『間』を掴むのじゃ!」

 どん兵衛は一日中、豆腐を見つめ続けた。彼は支配の論理で漫才を分析しようとしたが、豆腐はただ静かにそこにいるだけ。結局、彼は疲労困憊で「なんでやねん!」と叫んでしまい、師範代に「100年早い!」と怒鳴られた。

二、ボケとプライドの放棄

 漫才の基本は、ツッコミに耐えるボケ。しかし、将軍としてのプライドが高いどん兵衛にとって、強制されたボケは屈辱以外の何物でもなかった。

「今日の課題は『宇宙ワカメ』じゃ。お前は今日から、このワカメになりきるのじゃ」

「ふざけるなニャ!俺は銀河将軍だ!ワカメになんてなれるかニャ!」

「フン。将軍がワカメになれんのなら、この星ではただの『ワカメ以下の退屈な猫』じゃ!」

 コイデ=デッセ師範代の厳しい言葉に、どん兵衛は初めて自分の支配者としての地位を疑った。彼は仕方なく、ワカメになりきり、全身をグネグネと揺らして「ワカメ!ワカメ!」と叫んだ。

「ワカメのくせに動きが硬い!ツッコミやすいように、もっと間抜けな顔せんかい!」

 どん兵衛は、最高のブサイク顔を晒し、プライドがボロボロになりながらも笑いを追求し続けた。


第6章:笑いの真理と帰還の意志

 何日も何日も屈辱の漫才修行を重ねた結果、どん兵衛はついに悟った。

『支配(ちから)で得られるのは一時的な恐怖。 しかし、笑いで得られるのは、真に心を許した、予測不能な喜びの波動』

 この「喜びの波動」こそが、どん子が求めていた「意志と希望」のエネルギーであり、究極の宇宙芋の成分を安定させる最後の鍵だったのだ。彼の「猫ファースト」は、単なる野菜の力ではなく、「笑いの力」によって完成すると確信した。

ある日、修行を終え、悟りを開いて心身ともに軽くなったどん兵衛が、コイデ=デッセ師範代に尋ねた。

「師範代、俺の漫才のレベルはどれくらいになったニャ?」

 コイデ=デッセ師範代は口ひげを撫でながら言った。

「そうじゃのう……お前の『なんでやねん!』には、ようやく『腹立たしさ』ではなく『愛情』がこもるようになった。まだ銀河最強ではないが、少なくとも、お前はもう『ワカメ以下の退屈な猫』ではないぞ」

「そうか。俺は漫才の天才だニャー!」

 どん兵衛はすぐに桜井市立宇宙センターへ連絡を入れた。テキスト文なら通信状態の悪いマクロクライ星からでもなんとか送信できた。しかし地球からの通信は受信できない。

『マクロクライ星は、通信の許可を得るのに『喜びの供物』が必要な星だニャ。1回の通信で『至福のキャベツ』を5個も取られる。俺は今、この星の王とやらに最高のギャグを披露するため、三日三晩、風呂も入らず修行中ニャ!成功するまで、帰れないニャ!絶対にこの星の笑いを取ってみせるニャ!どん兵衛』

 桜井市立宇宙センターのモニターに表示されたどん兵衛からのメッセージ文を読んだどん子とルーナは、そのメッセージを読み終えると、安堵の息と同時に、また別の種類の疲労感を覚えた。

 どん子は冷たい声でユニット7に命じた。 「ユニット7。帰還後、どん兵衛将軍がこのラボに入らないよう、緊急隔離区画の設定と、『徹底的な脱臭対策』を桜井市立宇宙センターのシステムに組み込んでちょうだい」

「承知した。やはり、人間や猫の行動論理は、予測不能な要素が多すぎる」ユニット7は、どん兵衛の『臭い漫才修』と言う、新たな非論理的なデータを淡々とシステムに登録した。


第7章:ギャグ披露と漫才監獄

 漫才道場ヨセで睡眠時間も惜しみ漫才の修行を続けたどん兵衛はやっとコイデ=デッセ師範代からその星の王様 『オヒゲ・オブ・ザ・イヤー1世』 の前で、地球で開催された銀河猫ファースト推進会議の意義を説くべく、渾身のギャグを披露する許可を得た。

 翌日、豪華な宮殿に連れて行かれたどん兵衛はその豪華さに目を見張った。壁にも天井にも豪華な宝石が鏤められている。巨大なタペストリーは歴代の宮付き漫才師の肖像が描かれている。

 マクロクライ星人の衛兵達が巨大は扉を開けるとそこは王との謁見室になっていた。謁見室と言ってもホール並の広さはあった。ホールには100人は居るだろうと思われるマクロクライ星人とその背後には『オヒゲ・オブ・ザ・イヤー1世』が豪華な椅子に座っていた。『オヒゲ・オブ・ザ・イヤー1世』はドジョウのような頭をしている。

 どん兵衛は形式的な挨拶をすると要求を切り出した。

「俺は宇宙野菜を販売している農夫でもあり銀河一の漫才師ニャ。もし王様が笑えば銀河猫ファースト推進会議の意義に賛同して欲しいニャ。そして俺の野菜を売る店の出店を許可して欲しいニャ」

「地球の猫よ。承知した」王はドジョウのような口をパクパクさせて言った。「しかしそれにはわしを笑わせなければならないぞ」

 どん兵衛はこんなドジョウを笑わせるのは訳無いと考えていた。これなら『漫才道場ヨセ』で修行した時間が無駄だった。さっさとこのドジョウを笑わせて地球に帰ろう。そう思いながらどん兵衛は『オヒゲ・オブ・ザ・イヤー1世』に恭しくお辞儀をし、周りで見つめている観客達にもお辞儀をした。

 どん兵衛のギャグは、マクロクライ星人の文化を基にしたものだった。

「マクロクライ星の皆さん!皆さんはいつも顔がテッカテカで、まるで『磨き上げられたアストロフ星人の頭部』のようだニャ!テカテカテカテカ!なんでやニャねん!」

 その瞬間、場内は凍りついた。

 マクロクライ星人にとって、金属質の肌を持つアストロフ星人は、自星の文化とは全く異なる、『笑ってはいけない崇高な存在』だったのだ。彼らのギャグのターゲットにするなど、神への冒涜に等しい行為だった。

 王様『オヒゲ・オブ・ザ・イヤー1世』はその口ひげを逆立てて激怒した。

「無礼千万!我々の笑いの聖域を、余所者(よそもの)の異文化ギャグで汚すとは!この猫を漫才監獄にブチ込め!」

 こうしてどん兵衛は、『不敬罪』と『面白くねえ罪』で、マクロクライ星の地下深くに収監されてしまった。


第8章:漫才監獄(まんざいかんごく)と二人の弟子

 どん兵衛が放り込まれたのは、薄暗く、どこか湿った空気が漂う地下の牢獄だった。そこには、過去に王様を笑わせることに失敗した様々な猫たちが、強制的に「笑い」を訓練させられていた。

「おい、新入り。お前もか」

 薄暗い牢獄で声をかけてきたのは人間だった。他の猫達とは違いまともな服を着ている。どん兵衛は人間の方の真正面に立った。その人間は見覚えのある顔をしている。

「ん?んニャ?」

 人間もどん兵衛の顔とがま口のイラストがプリントされた薄緑色のTシャツを見て叫んだ。「あ、あれ?」

「師匠!どん兵衛師匠!」そう言うとうれしそうに飛び上がった。

「おぅ!タケオじゃないか。ここで会えるとはニャ」

 タケオは相棒を呼んだ。「サトシ!」タケオに呼ばれてサトシが走ってきた。

「どん兵衛師匠!お懐かしいです」

「サトシ!久しぶりだニャ。二人とも元気だったかニャ?」サトシもどん兵衛と再会できてうれしそうに笑った。

 タケオとサトシは11年前にどん兵衛のニャンッタキー13号が飛鳥時代にタイムスリップした時に出会った人間だ。どん兵衛が漫才で飛鳥時代を猫ファーストにするために2人に漫才を教えた。そして一大漫才ブームを起こし笑いによる猫ファーストを広めた。その後、どん兵衛と共に現代に戻り銀河漫才道場の師範となり各惑星を巡った。

「しかしどん兵衛師匠、どうしてここへ?」サトシが聞いた。どん兵衛は事の顛末を二人に話した。

「なるほど…。アストロフ星人をネタにしたのは失敗でしたね」サトシが言った。「ここではアストロフ星人は神格化されています。それを漫才のネタにしたのはマズかったです」

「ンニャ~、俺としては渾身のギャグだったのにニャ」どん兵衛は落ち込んだ。

「ところでどうしてタケオとサトシはここに収監されてるのだニャ?二人の実力じゃVIP待遇のはずニャ」

「ここでは笑いこそが階級です」タケオは寂しそうに笑った。

「俺たちは、一ヶ月前に銀河漫才道場から派遣されこの星にやってきました。笑いの波動を手繰っていくとこの星を見つけました。さっそく『オヒゲ・オブ・ザ・イヤー1世』と謁見し漫才を披露しました。最初の三週間は大ウケで大評判になりました。しかし、最後のギャグで王様の怒りを買った。そして、この漫才監獄の強制修行師匠にされてしまいました」

「最後のギャグは何だったんだニャ?」

「アストロフ星人ネタ…」サトシがそう言うとタケオはうつむいた。

「そうか…。しかし俺もこんな処にいつまでも居る訳にはいかないニャ」

 サトシが冷静に説明する。

「この監獄の猫たちを解放するには、王様が笑い死にするほどのギャグを、誰かが成功させるしかない。王様は『自虐』、それも『己のプライドを完璧に破壊した自虐ネタ』にしか、もう反応しません」

「ここに収監されている猫たちにもそれを伝えたのですが皆、プライドが邪魔をして自虐ネタをしようとしません」とタケオが言った。

「その自虐ネタをすればここから解放されるんだニャ」どん兵衛は言った。「どんな自虐ネタがあのドジョウに受けるのニャ?」

 タケオが目を細め、静かに提案しました。

「どん兵衛師匠。犬を知っていますか?」

 どん兵衛は鼻で笑いました。「自虐?犬?俺様は銀河の指導者だ!野菜の力で銀河を支配する偉大なる存在だ!何を犠牲にしろというニャ!」


第9章:猫の誇りと犬の屈辱

 犬という存在。どん兵衛にとって、それは「猫」の対極に位置する、「服従」「忠誠心」「無計画な喜び」の象徴であり、彼の「支配と征服」の猫ファーストとは真逆の存在だった

タケオ:「この星には犬はいません。だが、王様は地球の歴史文献でその存在を知っています。犬は、猫から見れば『完璧な道化師』です。己を捨て、ただ主人に尽くす」

サトシ:「我々が考えました。王様が最も屈辱的と感じ、そして最も笑うギャグ。それは……どん兵衛師匠が、犬のモノマネをすることです」

「な、な、な……っ!」どん兵衛の金色の毛が逆立った。「馬鹿を言うなニャ!俺様に『ワン!』と吠えろというのかニャ!尻尾を振れというのかニャ!それは死よりも酷い屈辱ニャ!」

 タケオは真剣な目でどん兵衛を見つめた。

「師匠。どん兵衛師匠が、この牢獄にいる全ての猫の解放できる最後の手段です。師匠が猫ファーストの偉大な指導者として、この屈辱を『使命』として受け入れてください」

 どん兵衛は苦悩した。 — 俺様の野望は銀河支配!犬のモノマネなんてしたら、威厳が崩壊する! — だが、この監獄の猫たちの目は、俺様を信頼している。彼らを助けられるのは、俺様だけだ。

 どん兵衛は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

「わかったニャ……」

 タケオとサトシの顔に、希望の光が差した。

サトシ:「では、訓練開始です。犬のモノマネのポイントは、『常に目を輝かせ、無駄に尻尾を振り、思考を放棄してただただ喜びを表現すること』です」

タケオ:「そして、その後に『でも俺は猫だニャ!』という強烈なツッコミを入れる。これで最高の自虐ギャグになります」


第10章:犬将軍の誕生

 数日後。どん兵衛は訓練の結果、完璧な犬のモノマネを習得していた。

「練習です、どん兵衛師匠!行きます!」タケオが叫んだ。

 どん兵衛は、地面に腹ばいになり、長いの尻尾を精一杯、振った。目を最大限に丸く輝かせ、舌を出し、大声で吠えた。

「ワン!ワン!ワンワンッ!ご主人様、最高であります!」

 タケオとサトシは、その屈辱的な完璧さに思わず吹き出した。

「どん兵衛師匠、師匠の犬モノマネは、本物の犬よりも犬です!」サトシは涙を拭った。

 どん兵衛は立ち上がり、屈辱に顔を歪ませた。

「俺は……犬のモノマネなんか……」

 そして、いよいよ決戦の日。どん兵衛は王様「オヒゲ・オブ・ザ・イヤー1世」の前に連れて行かれた。前と同じように大勢の観客と漫才監獄のすべての猫が、息を飲んでその瞬間を見守っている。

 どん兵衛は、最後のプライドを飲み込み、目を輝かせ、無駄に愛想を振りまきながら、渾身の犬モノマネを披露した。

「ワンワン!銀河将軍改め、どん兵衛犬であります!ご主人様の命令なら、銀河の果てまで骨を取りに参ります!ワン。でも俺は猫だニャ。ワン」

 王様は最初は無表情だったが、やがてその口ひげがピクピクと動き始めた。そして、どん兵衛が全力で尻尾を振るとその瞬間、王様は腹を抱えて笑い始めた!

「アッヒャッヒャッヒャ!なんだその屈辱的な姿は!猫が犬の真似をするとは!ワカメ以下の退屈な猫が、ついに犬以下の卑屈な猫になったか!」

 王様は涙を流して笑い続けた。

「解放!解放じゃ!この猫の屈辱は、最高の笑いの供物となった!漫才監獄の全ての猫を解放せよ!それとどん兵衛、お前の猫ファーストの話を聞いてやる。そして野菜も買ってやるぞ」

 こうして、どん兵衛は最大の屈辱と引き換えに、漫才監獄の猫たちを解放し、マクロクライ星に猫ファーストを広める権利と野菜販売の権利を得た。

 タケオとサトシも解放されどん兵衛に感謝と別れの挨拶をすると自分たちの宇宙船で次の惑星に向かった。


第11章:安堵と帰還準備

 地球の桜井市立宇宙センターのラボでは、どん子とルーナ、そしてユニット7が、超巨大宇宙芋改の「試験栽培成功」を祝うわけでもなく、淡々と作業を進めていた。

「これで宇宙芋改の成分は完璧に安定した。これでどん兵衛殿の指示通り、栽培できる」ユニット7は、いつもの冷静なトーンで言った。

「どん兵衛、通信が途絶えていた割に、急に『屈辱の漫才修行』とかいう謎のメッセージを送ってきた。無事でよかったけど、何やってたんだろうニャ?」どん子は宇宙芋改の種芋を磨きながら首をかしげた。

 ルーナは制御盤とタブレットで桜井市立宇宙センターのアンテナを精密に調整していた。

「マクロクライ星は、笑いの波動が乱れると衛星通信が不安定になる特殊な環境です。どん兵衛様のメッセージによれば、笑いの波動を安定させるために、何か過酷な修行をしていたらしいですニャ。かなり屈辱的なギャグを開発したらしいですニャ。どん兵衛様らしい非論理的な行動ニャ」

 ユニット7は、マクロクライ星方面に向けた通信アンテナが表示されたモニターに手をかざし、最後のデータチェックを行っていた。

「現在、マクロクライ星からの通信残渣(ざんさ)を収集している。現地の気象データや文明レベルの最終確認を行う」


第12章:突然の映像

「緊急事態!マクロクライ星から、極めて高出力な感情波動データが流出している。これは、恐らく王が笑い過ぎて発生したエネルギーの残響だ。貴重な学術データとして、直ちにキャプチャする!」

 ユニット7は興奮気味に言った。彼は、『笑いの波動』を分析しようと分析コンピューターを猛威スピードで操作した。

「感情波動データに紛れて何やら映像データも含まれていますニャ。マクロクライ星のライブ放送波のようです。映像データは再生可能ですニャ」ルーナはダイヤルを調整しながら言った。

 どん子は、すぐにメインモニターに映像を表示するよう指示した。

「流出しているなら見なきゃ損ニャ。マクロクライ星は謎に満ちた星。もしかしたらどん兵衛の『屈辱的なボケ』が判明するかもニャ」

 モニターには、最初は粗い画像でマクロクライ星の宮殿の広間が映し出された。ルーナとユニット7が操作盤を調整していると画像がはっきりと映った。音声もきれいに聞こえる。画像には中央に、王様オヒゲ・オブ・ザ・イヤー1世が腹を抱えて笑い転げ、その前には……

 どん兵衛将軍の姿があった。彼の金色の毛並みは乱れ、瞳は屈辱で濡れていたが、その口角は無理やり吊り上げられ、全身で必死に何かを表現していた。

 どん子は画面を見て、思わず手を口に当てた。

「え……あれ……?」

 どん兵衛は、地面に四つん這いになり、必死に尻尾を振るジェスチャーをしている。そして、目を最大限に輝かせ、顔は必死の形相で、大声で吠えた。

________________________________________

「ワン!ワン!ワンワンッ!ご主人様、最高であります!」

「銀河将軍改め、どん兵衛犬であります!ご主人様の命令なら、銀河の果てまで骨を取りに参ります!ワン。でも俺は猫だニャ、ワン」

________________________________________

 そして、画面には、タケオとサトシの「大成功です!」という喜びの表情が映し出され、続いて漫才監獄から解放された猫たちが歓喜の声を上げる様子が映った。


第13章:3人の反応とどん兵衛の未来

 画像が急に乱れ砂の嵐になった。ルーナとユニット7は懸命に操作盤を調整したが画像は現れなかった

「通信状態が悪化。恐らくマクロクライの王が笑いすぎて気絶し感情波動データが減衰したためと思われる。それでライブ放送波が受信できなくなった」ユニット7は操作盤から離れた。

 ラボは完全な沈黙に包まれた。どん子は、衝撃で固まり、静かに目を閉じた。

 一方、ルーナは顔色一つ変えなかったが、彼女の指先がカタカタと震えていた。それは、彼女の脳の論理回路が、目の前の情報のあまりの非論理的な面白さを処理しきれず、過負荷を起こしている証拠だった。いわゆる我慢の限界と言うやつだ。

 しかし最初に暴発したのはユニット7だった。

「グアハッハッハッハ!」感情をほとんど出さないアストロフ星人が思わず笑ってしまったのだ。

 次に噴き出したのはルーナだった。

「ギャハハハハハハ!どん兵衛様が、い、犬のモノマネ!」

 どん子もつられて笑い出した。

「クックック、アハハハハハ。どん兵衛が帰ってきたら『お手』と言ってやるニャ」

 3人は完全にツボにハマってしまった。ルーナは椅子から転げ落ち床の上で笑い転げた。

「ギャハギャハギャハハハニャ…腹筋が、腹筋が」

 やがて3人は、沈黙した。ラボの室内に再び静寂が訪れた。

「笑うのはどん兵衛がかわいそうニャ。どん兵衛はあんなに犬の事を嫌っていたのにニャ……。皆を助けるために、あんな屈辱的なことを……」

 冷静になりどん子が静かに言った。しかし腹筋はまだ痛い。ルーナも腹をさすりながら椅子に座り直した。

「フムフム……。これこそが、どん兵衛様の究極の自虐漫才……。どん兵衛様の『猫ファースト』は、自分のプライドを犬にまで降格させることで、真の笑いのエネルギーを得ましたニャ。非効率的で、極めて面白いニャ」

 どん子はすぐにユニット7に指示した。

「ユニット7。この映像ファイルを即座に暗号化し、永久凍結して。どん兵衛の威厳を維持するため、この事実は存在しなかったことにするニャ。……ただし、プライベートな視聴のために、『どん兵衛犬』というファイル名でコピーを一つ作成して。将来、何かの脅しに使えるかもニャ」

 ユニット7は、平然とどん子の指示に従った。

「承知した。やはり猫の感情と笑いのパラメーターは、我々アストロフ星人の理解を超える最高のデータだ。そして、どん子殿の感動の涙(笑いすぎて涙が出た)が、この映像の究極の価値』を証明している」

 ユニット7は、最後の処理を終え、どん子とルーナに静かに報告した。

「どん兵衛将殿は、現在、誇らしげに帰還準備を進めている模様だ。帰還は2週間後になる。…しかしニャンタッキー13号の通信機が故障し一方的なテキスト文しか送信できないようだ」

 ルーナは冷たい表情で『どん兵衛犬』のファイルを見つめていた。


第14章:犬の功績と2916のレシピ

 桜井どん兵衛農園では宇宙芋改の栽培が急ピッチで行われた。桜井どん兵衛農園で働いている人間の農夫をすべて駆り出し栽培に当たった。宇宙芋改は順調に発育し3日後には収穫できるようになった。収穫した宇宙芋改は輸送機に積まれ世界各国に送られた。

 種芋を埋める→栽培→収穫→出荷のルーティンを目の回るようなサイクルで行う。人間も猫も総動員された。世界中から輸送機が集められた。アメリカのB377スーパーグッピーやウクライナのAn225ムリーヤも動員された。どん子、ルーナ、ユニット7は2週間、ほとんど寝ずに作業に加わった。

 やがて最後の出荷分が桜井市立宇宙センターのどらねこ30号で飛び立った。3人と作業に従事した人間や猫たちが疲労困憊でぐったりとその場で座り込んだ。皆、泥まみれだ。

「これで世界は救われる。もう飢餓に陥ることはないニャ」どん子は満足そうに言った。ルーナもユニット7も無言で頷いた。

 桜井市の上空に昇っていくどらねこ30号。それとすれ違うように古い円盤が降下してきた。ニャンタッキー13号だ。

 ニャンタッキー13号は桜井市立宇宙センターに着陸するとハッチが開いた。

 マクロクライ星から帰還したどん兵衛は、桜井どん兵衛農園の片隅に山積みになっている野菜の惨状を目の当たりにし、一瞬だけ神妙な顔をした。しかし、巨大宇宙芋の成功を見てすぐに威勢を取り戻した。

「うむ!よくやったニャ、どん子、ルーナ、ユニット7!俺様の念のための保険が、銀河を救ったニャ!この将軍の先見の明に感謝するニャ!」

 3人は再び呆れを覚えた。しかし、犬のモノマネという最大級の犠牲を払ったことを知っているため、誰も厳しく追及しなかった。

 どん兵衛は足下に転がっている宇宙芋改のかけらを拾うと囓った。

「う~ん、素人が作った割にはまぁまぁかニャ。しかし俺が作った宇宙芋改の方が美味い。きっとどん子の『究極のゴロゴロ』が足りなかったんだろうニャ」どん兵衛の言葉にどん子はムッとした。

 どん兵衛は、宇宙芋改の現物を確認した後、ふと思い出したかのように、涼しい顔で口を開いた。

「そうだ、どん子。話は変わるが、宇宙芋改のレシピで苦労したようだが、なぜ桜井市立猫十字総合病院のラボのコンピューターを確認しなかったニャ?」

 どん子、ルーナ、ユニット7の動きが、ぴたりと止まった。

「え……? 猫十字総合病院……?」どん子が戸惑いの声を上げる。

 どん兵衛は、まるでそれが当たり前のことのように言った。

「ああ。あの病院のラボは、俺様の専用ラボも兼ねているニャ。あそこのメインコンピューターに、俺様がこれまでに開発した全ての宇宙野菜のレシピをデータ化してあるニャ」


第15章:どん兵衛公式宇宙野菜カタログ

 ルーナが即座に、ダブレットを桜井市立猫十字総合病院のローカルネットワークに接続した。

「アクセスを開始します……エラーはありませんニャ。どん兵衛様のデータを発見しました」

 ルーナのモニターに、『どん兵衛公式 宇宙野菜カタログ』というタイトルが表示された。

「総収録品種:2916種類

最終更新日:マクロクライ星出発前日

備考:全てのレシピ

これらは、最高レベルの暗号化が施されていますが、『肉球文字』ではなく、標準的な銀河ユニバーサルコードで記録されていますニャ」

 ルーナが淡々とタブレットを読んだ。

「2916種類! しかも、普通にデジタルデータで!」どん子は、自分の目の前にある悪筆のノートを叩きつけそうになった。

 ルーナは、その驚異的な品種数よりも、労力の無駄に冷静な怒りを覚えた。

「どん兵衛様。私たちは、あなたの読解不能な『肉球文字』ノートを解読するために、膨大なエネルギーと時間を浪費しましたニャ。なぜ最初から、このデジタルデータの存在を言わなかったのですか?」

 どん兵衛は、胸を張って答えた。

「ん?なぜって、『念のため』ニャ。コンピューターが故障したり、どんどん波のような予期せぬ電磁波でデータが破損したりするかもしれないニャ。だから、バックアップで『物理的な記録(肉球文字)』も残しておくのが、偉大な支配者の流儀ニャ!俺様の先見の明は、二重にも三重にも完璧ニャ!グワッハッハッハ」

「二重にも三重にも手間をかけさせるニャ!!」

 どん子は叫びたい衝動を必死に抑えた。この数日間の苦労、睡眠不足、そして悪筆解読のストレス、地球規模の食糧難の危機の回避、それらが全部、どん兵衛将軍の火『念のための保険』という一言でチャラにされた。


第16章:不問の功績

 桜井市立猫十字総合病院のラボでユニット7は、どん子とルーナの激しい感情の波動を解析しながら、最終的な結論を下した。

「どん子殿、ルーナ殿。確かにどん兵衛殿の行動は非効率の極みだ。しかし、この『肉球文字のノート』があったからこそ、私たちは危機的な状況下で協力し、レシピを完成させることができた。また、将軍が『犬のモノマネ』という最大の屈辱を乗り越えてマクロクライ星の猫たちを解放し、『笑いと自虐』を基盤とした猫ファーストを確立した功績は、非常に大きいと評価される」

 ルーナも深くため息をつき、冷静さを取り戻した。

「そうニャ。彼の行動は論理的ではないけれど、結果として銀河の飢餓を防ぎ、漫才監獄の猫を解放し、2916種のレシピを私たちに託した。これは事実だニャ」

 どん子は、ラボの隅で宇宙芋改を満足そうに見つめるどん兵衛の姿を見て、再び呆れながらも、最終的に微笑んだ。

「もういいニャ。どん兵衛の犬のモノマネの功績に準じて、この『レシピの二重記録事件』は不問にするニャ……」

 どん兵衛は、自分のプライドが、犬のモノマネの屈辱とノートの存在のどちらによって脅かされているのか、最後まで気づくことはなかった。そして、彼の公式カタログである2916種類の宇宙野菜のデジタルデータは、この危機を乗り越えた新たな銀河の希望となったのだ。


第17章:塵積もるティコクレーター

 大爆発から2ヶ月後の月面、ティコクレーター。焦げ付いた窪地は、「どんどん波」のエネルギーの爪痕が生々しく残っていた。

 宇宙服姿のルーナが、光沢のある金属製のデバイスを地面にかざし、分析結果を読み上げる。

「残留物に含まれる極めて高濃度の多糖類、そして高純度の宇宙芋由来の燃料残滓。これらの物質が反応するには、強烈な起爆剤が必要となるニャ」

「間違いなく、どん兵衛殿が廃棄した物質同士の連鎖反応だ」ユニット7が断定した。「彼の非効率的な廃棄物管理が原因である可能性は、限りなく100%に近い。あとは、それをどん兵衛殿に認めさせるだけだ」

 その時、二人の背後から、月面の静寂を破る高周波のエンジン音が近づいてきた。

使い古されボロボロのニャンタッキー13号のハッチが開き、宇宙服姿のどん兵衛が、両手に巨大なゴミ袋を抱えて降りてきた。袋には、月面農園で出た新しい野菜の切れ端が詰まっている。

 どん兵衛は、ルーナとユニット7の姿を見つけた。思わず、ギョッとした。まさか二人が調査に来ているとは!もし爆発の原因が自分だとバレたら、俺の威厳は犬のモノマネ以上に地に落ちる

「や、やあ、ルーナ、ユニット7!こんなところで何してるニャ?ここは『偉大なるどん兵衛様の神聖な廃棄物置き場』ニャ!立ち入り禁止だニャ!」

 どん兵衛は、内心の動揺を隠し、声高に言い放った。


第18章:壮大すぎる詭弁

 ルーナは、その場から動かず、冷たい声で問い詰めた。

「どん兵衛様。この爆発は、あなたの過去の廃棄物と、ニャンタッキー号の燃料タンクの残滓が混在したことで発生しましたニャ。私たちは、これを物理的な化学反応と見ています。ご説明願えますかニャ?」

 どん兵衛は、両手のゴミ袋を地面に落とすと、一歩前に進み、ティコクレーターを指差した。彼の声は、自信に満ちた、壮大すぎる詭弁で彩られていた。

「馬鹿め!お前たちは、この偉大な現象を『化学反応』などという矮小な言葉で片付けるつもりかニャ!これは、宇宙の必然、銀河猫ファースト体制を確立するための『聖なる爆発(ホーリー・エクスプロージョン)』ニャ!」

 ユニット7が冷静に反論を試みる。

「将軍、我々は廃棄記録を確認している。爆心地は、高圧縮燃料タンクの最終廃棄地点と完全に一致している。純粋な物理的な原因だ」

「燃料タンクだと?」どん兵衛は鼻で笑った。

「あのタンクは、単なる燃料の入れ物じゃないニャ!あれは、俺様の『銀河を股にかけるという野望』を詰め込んだ『意志の器(ウィル・コンテナ)』ニャ!そして、あの芋の残滓は、俺様の『失敗と努力の結晶』、『どんどん粒子』ニャ!意志の器と、失敗の粒子がぶつかり合ったニャ!これは、俺様の心の中の『過去の弱さ』と『未来への強さ』が衝突した『精神のビッグバン』だニャ!そのエネルギーが『どんどん波』となって放出されただけニャ!」

 どん兵衛は、ルーナに詰め寄った。

「お前たちが『どんどん波』で枯れさせたと言った野菜は何だニャ?桜井どん兵衛農園の野菜はお前達に任せてある。そこで作られた野菜は『愛と笑い』を込めずに、『効率』だけで作った『不純な野菜』ニャ!地球の危機は、俺様の廃棄物が引き起こしたんじゃない!『俺様の心の中の不純物』が、この聖地で『自己浄化』しただけニャ!」

 ルーナは完全に混乱していた。論理的には完全に破綻している。燃料タンクが『野望の器』で、爆発が『精神のビッグバン』?

「どん兵衛様。その説明は、いかなる銀河物理学、量子力学をもってしても証明できません。それは、詭弁です」ルーナは辛うじて言葉を絞り出した。

 どん兵衛は、ルーナの顔を見上げ、涼しい顔で言い放った。

「証明?愛が証明できるかニャ?笑いが証明できるかニャ?俺様の猫ファーストは、お前たちの証明なんて必要ないニャ!このティコクレーターは、俺様の『宇宙野菜の失敗と言う過去の屈辱』を爆破し、『没になった宇宙野菜の試作品』という恥を乗り越えた『偉大なる証』ニャ!」

 彼は、持ってきたゴミ袋を再び拾い上げ、爆心地の最も焦げ付いた場所へと進んだ。

「俺様は今、『過去の失敗(宇宙野菜の失敗)の影』を完全に消し去り、『新たな成功』を誓うために、『未来への供物』を捧げに来たニャ!お前たちには、この『将軍の壮大すぎる儀式』の深遠な意味は分からないニャ!調査は終了ニャ!2人とも地球に帰るニャ!」

 どん兵衛は、そう言い放つと、ゴミ袋をクレーターの底に投げ入れた。そして来た時と同じように慌ただしくニャンタッキー13号に乗り込み、ロケット噴射で月面を去っていった。

 2人は、飛び去っていくどん兵衛を見送った後、沈黙した。

「ルーナ殿。論理的に、どん兵衛殿が原因である確率は依然として99.999%だが、彼の主張は、『犬のモノマネ』という事実と同じく、極めて非論理的で、私たちに『精神的な不快感』(苛立ち)を与えるものだ」ユニット7が言った。

 ルーナは、疲れたようにヘルメットの中でため息をついた。 「そうニャ…。どん兵衛様の行動は論理的ではないけれど、『犬のモノマネ』で銀河の危機を救ったニャ。そして、私たちは、2916種のレシピという彼の『過去の残滓』から、未来の希望を得たニャ」この爆発の原因は、将軍の『不注意』ではなく、『地球を救うための精神的なデトックス』として記録するニャ。そして、この場所を『どん兵衛将軍 過去の失敗克服の聖地』として、将来の観光ルートに追加するニャ。それが、最も猫ファーストに効率的な結論ニャ」

 ルーナは、顔色一つ変えず、そう決定した。

 こうして、どん兵衛将軍の「軽率な廃棄物管理」という真実は、彼の「壮大すぎる詭弁」と「犬のモノマネによる功績」によって、銀河の歴史から永遠に隠蔽された。


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