人形のようだったよ、まるで

人形のようだったよ、まるで

 死んだはずの彼女が、私の部屋にいる。小声で、こちらに向かって何かを語りかけている。

 どういうことだ、生き返ったのか。いやそんなはずはない。私は、彼女が燃やされたのち、骨になった様子を間近で見ていたのだから。

 それなのに、灰になったはずの白い肌も、綺麗な黒い髪の毛も、しっかり目の前に存在していて。わけがわからない。

 長風呂で温まった身体が一瞬にして冷えた。うっすら襲ってきていた眠気も吹っ飛んだ。せっかく久しぶりにシャワーだけではなく湯船に浸かったというのに。

 得体の知れない、彼女らしき存在の言葉に耳を傾けるため、身体を近づける。

 とても小さい声だった。

 いくら聞いても、何を言っているのかがわからない。私は耳を限界まで彼女の口に近づける。おおよそ人らしい体温とは言えない程度に冷たかったし、肌の質感だって死んだ直後のそれだったけれど、別にそんなことはどうでもよかった。私は、彼女らしきものが何を言っているのか知りたかった。

 しかしやはり聞き取れない。正確に言うと、聞き取れたとて、だった。彼女の口から漏れ出る言葉は、とてもじゃないが言語とは言い難いもので。日本語の雰囲気だけ、上澄みを真似たようだと直感的に思った。

 火葬されたのだから、そりゃあ脳だって灰になったもんね。だったら言葉が話せなくてもしょうがないか。無理やり納得する自分を、正気に戻す人間はもう存在しない。


 彼女は私の恋人だった。

 私も彼女も、まるで御伽話から飛び出たような服や小物が好きだった。一緒にショッピングへ行ったり、お揃いの服や色違いを着て一緒に遊びに行ってみたり、お互いの可愛い姿をじっと見つめ合い、写真を撮った。互いに、互いが一番可愛いと本気で信じて。

 いつしか同棲を初めて、彼女の姿なんてもう隅々まで見慣れても、それでもやはり私は彼女のことを一番可愛いと思っていたし、彼女にとっても私が一番可愛かったらしい。


「……あんた、何者? 身体はもう火葬されちゃったんだからさ、起き上がって、生き返ったなんてことはないもんね? それとも、あの子の真似してる? その割には死体がそのまま動いてるって感じだけど、真似したかったら生きてる時のあの子にしたらいいのに」

 確かに、彼女の死を受け入れることは難しかった。

「私、これ夢だと思ってるんだけど、どうなの? 言うじゃん、ほら。夢に出てくる人は、自分に会いたいと思ってる人だって。あんた、私に会いたくて会いたくてしょうがなかったんでしょ? だったら死ななきゃよかったのに」

 それにしたって、まさかこんな幻覚を見るほど追い詰められているとは。

「それかあれだ、私の頭がおかしくなったんだ。あれ? だとしたら今の私って誰に話かけてるんだ? おかしくなった私の脳内にか?」

 いくら話しかけても、彼女は相変わらず偽の日本語みたいな言語しか話さないし、とても意思疎通ができるとは思えない。とりあえず一回会話を諦めて、いつも二人並んで寝ていたダブルベッドの端に彼女らしき何かを誘導させ、座らせた。とても大人しくしている。

 試しに、昨日コンビニで買った安価なホワイトチョコレートを差し出してみたが、もちろん手に取る様子も、食べるそぶりも見せなかった。

「……そろそろ寝るんだけど、どうする?」

 もちろん彼女は応えない。彼女は私のほうを見ない。

 ため息をついて、私は普段からの定位置である、ダブルベッドの奥を陣取る。

 手を伸ばし、彼女の二の腕を軽く掴む。しかしその瞬間、病院のベッドで——綺麗に、かつ永遠の眠りについた彼女に触れた時の、ああ、乱暴に扱ったらすぐに壊れてしまいそうだと思った記憶が蘇る。

 私はもう一度ため息をついて起き上がり、ゆっくり、優しく彼女をベッドへと寝かせた。仰向けのまま、微動だにしない。もう、謎の言語も聞こえてこない。小さな口は固く閉じられている。目は開け放たれたままだ。

 ——お気に入りの服が皺になるけど、いいの?

 白を基調としていて、襟が紺色で、赤いリボンのセーラーワンピース。手入れにも気を使ってたんじゃないのかよ。体型がほぼ同じなのをいいことに、日頃からあらゆる服やアクセサリーを二人で共有していたけれど、これだけはどうしても、最期まで貸してくれることはなかった。それほどお気に入りだったというのに。

 文句の一つでも言いなよ、ねぇ。

 それにしても、今日もよく似合っている。生きていた頃と何も変わらず。

 ……生きていた頃? だから、これはあの子じゃないんだって。

 そうだよね?

 これが彼女なのだというのなら、今日だってお互いに軽口叩いて、好きなものの話と嫌いなものの話をとめどなく溢れさせて、寝る時には二人でふわふわのパジャマを着て、身体を寄せ合って。いつもの夜にまた戻れたら、よかったのにな。

 彼女の顔を眺める。願いは永遠に叶わなさそうだ。

 やはり『これ』は、彼女の形をしただけの物にしか過ぎないのだろうか。こんなにも、生きている時の彼女を保った見た目なのに。


 ——どっちが酷いんだろうな。

 死んだ彼女そっくりの存在が目の前に現れた時、好きだった見た目は変わらないのだからと再度その抜け殻を愛してしまうのと、中身が伴っていなければ偽物なのだからと、その可愛い人形を突き放してしまうのでは。

 きっとどちらに転んでも最低の人でなし。そして私がどちらを選んでも彼女は……彼女はもう物を言わないのだから、何を思うか知る術はない。

 死んだ人間の心を代弁して、勝手に心を軽くする気分には、なれなかった。


 ベッドの上で浅い眠りと覚醒を何度か繰り返していたら、いつの間にか窓の外が白んだ。

 徐々に外の生活音が大きくなる。どう足掻いても日常は訪れる。時は進む。小市民には、地球の自転を止めることなんてどうしてもできない。

 私たち二人は、世界に対する抗えなさをよく理解していた。だから、せめてもの反発として、二人だけの世界に閉じこもる仲間として寄り添い合っていたのだ。

 誰に何を言われても、それが私達の愛だった。


 睡眠を諦めて身体を起こし、横を見る。

 白いセーラーワンピースだけが、くしゃくしゃになって取り残されていた。

 ワンピースはクリーニングに出して、正式に私が譲り受けることにしようと、今決めた。どうせもう二度と、文句は聞こえてこないのだから。

 彼女の遺品はそもそも、全て私の物になっていたのだ。古臭い価値観の押し付けと、おせっかいが鬱陶しいなどという怠惰な理由で実家と距離を取っている私と違い、彼女は正式に実の家族から見捨てられていて、彼女もまた実家の存在を頭の端に追いやりながら日々を過ごしていた。だから彼女の持ち物はもう、イコール私の所有物なのだ。


 ——彼女の死をどうしても受け入れられない女が、彼女のお気に入りだった服を横に寝かせ、抜け殻に対し温もりを求め、挙げ句の果てに彼女が生き返る夢を見た、ただそれだけの話?

 彼女はこの白いセーラーワンピースと共に燃えたはずだったのだけれど、私の記憶違いだったのだろう。

 そうだ。

 そう、だよ。

 きっと。


 すっかり皺が寄ったワンピースを丁寧に畳んで、もう何度目かわからないため息をつく。

 病院でも、火葬場でも流せなかった涙が、ようやく目を潤ませ、頬を伝う。

 彼女の冷たい身体の感触が蘇るたび、ベッドの上でお揃いのパジャマを着て寄り添いあった時の温もりを必死に思い返す。私が見た、触れた、彼女の最期の姿。その思い出と記憶があんな、人ならざる抜け殻で上書きされるなんてこと、あってはならないからだ。


 それにしたって——死んでも尚、可愛いままとは、まさか思わなかったな。


【了】

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