第38話 真夜中の訪問者

「良かった、まだ起きていたんだな」


「う、うん。でも、こんな夜更けにどうしたの?」


僕が聞き返すと、ソフィは目を細めて「ふふ」と噴き出した。


「アルと話したいことがあったからに決まっているだろう。それよりも、中に入れてくれないか?」


「あ、そうだね。ごめん」


慌てて部屋に招いてから気付いたけど、廊下には護衛らしき人は誰もいない。


「えっと、ソフィだけ?」


「そうだぞ。私に護衛など必要ないからな」


「へ、へぇ。そうなんだね」


彼女はさも当然のように答えると、室内に備え付けられていたソファーにどさりと腰を下ろした。


契約結婚とはいえ、僕も一応は男なんだけどな。やっぱり、ソフィには異性としてみられていないらしい。


僕は苦笑しながら扉を閉めると、机を挟んで正面のソファーに座った。


「えっと、それで話したいことって?」


「……レナの件だ」


彼女が真顔で威儀を正すなり深く頭を下げたので、僕は「え……⁉」と目を丸くしてしまった。


「妹は、レナは決して悪い娘ではない。どうか、昼間の件は大目に見てやってほしいんだ」


「いやいや、そんなこと気にしなくて良いよ」


慌てて答えると、ソフィに顔を上げてもらった。

「レナが姉であるソフィのことを大切に想っていることは凄く伝わってきたし、彼女からすれば僕は『どこの馬の骨』かもわからない人物なんだからさ。皆、あれぐらい思うのが普通じゃないかな」


「そうだとしても、言葉に出すことではなかったはずだ。アルも嫌な想いをしただろう?」


「全然、嫌な想いなんて微塵も感じてないし平気だよ。さっきも言ったけど、レナの言葉にはソフィを心配する温かみがあったからね。グランヴィスだと、視線や言葉はもっと冷たかったからさ」


本当に人の言葉が冷たくなって心を抉られるのは、怒りじゃなくて嫌悪感による存在を認めてくれなくなった時だ。


父のイルバノアが僕を見限った時、屋敷の人達皆から掌返しで冷たい眼差しを向けられたことがある。


比べたら、レナの言葉なんて大したことはないもんね。


僕は頭を振って微笑むと、何故かソフィは眉を顰めて悲しそうな表情になってしまった。


「……アル、それは平気なのではない。精神力が強いとも言えかもしれんが、見方を変えれば心の痛みに鈍感になっているだけだ」


彼女は席を立つと、僕の隣に腰掛ける。



突然の出来事に心がどきりとして顔が火照ってくる中で、ソフィは優しく僕を胸に抱いた。


「え、えっと、その、ソフィ?」


「アルの芯はとても強い。しかし、それでも傷が増えればいつか心は壊れてしまう。人に言えないのであれば、弱音は私だけに吐くと良い」


彼女が僕の耳元でゆっくり囁いてくれた言葉はとても耳心地が良く、頭がふわっと軽くなっていく。


グランヴィスでの冷遇も最初は辛かったことをよく覚えている。


日々繰り返される嘲りや罵りが当たり前となる中、気付けば平気になっていた。


もしかすると、あれは平気になったんじゃなくて、僕の心が傷つかないよう鈍感になっていたのかもしれない。


ソフィの言葉は徐々にじわりと胸に染みこみ、何かを溶かすように心が温かくなっていく気がした。


「……うん、ありがとう。辛い時はそうさせてもらうね。でも、レナの言葉は本当に大丈夫だから気にしないで」


目の奥が熱くなるのを感じながら抱擁から抜け出すと、ソフィは目を細めて微笑んだ。


「そうか。だが、辛いことがあれば何でも私に相談してくれ。アルは私の夫であり、デュランベルク公爵家の一員となったのだ。謂れのない誹りや陰口に心を痛める必要はない……わかったな?」


「わ、わかった」


目付きを鋭くして凄まれ、たじろぎながら頷くと彼女はふっと表情を崩して小指を差し出してきた。


「約束、だぞ」


「う、うん。でも、ここまで念を押さなくてもいいんじゃ……?」


指切りを終えて恐る恐る尋ねると、彼女は頭を振って肩を竦めた。


「アルは優しくて、すぐに抱え込むだろ? これぐらいしないと、弱音を吐いてくれないと思ってな」


「あ、あはは……」


抱え込むというよりも、今までは相談できる相手が身近にいなかったんだけどね。


苦笑しながら頬を掻いていると、彼女は咳払いをして畏まった。


「実は、伝えたかったことは他にもあるんだ」


「他にも……?」


首を傾げると、ソフィはこくりと頷いた。


「私の弟、エスタ・デュランベルクのことを少し伝えておきたいと思ってな」


「あ、なるほど」


エスタ・デュランベルク。


ソフィの弟にして、次期当主の座を争う政敵だ。


王都で読んでいた新聞の情報だと『前当主が存命の時は姉弟の仲はとても良好で、魔族討伐にも支え合う様子からデュランベルク家は今後も安泰』とされていたらしい。


でも、前当主が亡くなると状況が一変。


エスタが『長男である自分こそ次期当主に相応しい』と強く主張したのだ。


当時、王都の新聞でも大々的に報じられてレオニダス王をはじめ、周囲の貴族達も寝耳に水だったらしい。


現在、デュランベルク公爵家は跡目争いによる派閥も生まれ混乱の中にあるそうだけど、そのおかげで僕はソフィと出会えている。


その点はちょっと複雑だ。


ソフィは昔を思い出すように目付きを細めると、ぽつりぽつりと口火を切った。


「……今でこそ跡目争いで政敵となってしまったが、エスタは私のことを幼い頃から慕ってくれていてな。父上が亡くなる直前まで、私を支えてくれる本当に優秀で自慢の弟だったんだ」


「そうなんですね」


優秀で自慢の弟、だったか。


色々と聞きたいこともあるけど、僕はあえて聞かずに彼女の言葉を待った。


ソフィに優秀で自慢と言われるなんて、ちょっと羨ましいな。


「だからこそ、後継者争いを宣言された時は驚いたものだ。しかし、デュランベルク公爵領の当主は戦場の前線に立てねばならん。そうでなければ領地と国を守れぬからな」


「……その言い方だと、エスタ殿は前線に立てないということなのかな?」



恐る恐る聞き返すと、ソフィはこくりと頷いた。


「エスタは、アルと生い立ちが少し似ているところがあるんだ」


「僕と似ているところ?」


はて、『できそこないの落ちこぼれ』と呼ばれた僕と生い立ちが似てるって、どういうことなんだろう。


「あ、もしかしてエスタ殿の母親が妖精族出身の方とか?」


「いや、エスタの母親はカルドミア王国貴族出身、れっきとした人族だよ」


「そうなんだ。じゃあ、僕と生い立ちが似ているところっていうのは……?」


首を傾げて尋ねると、ソフィは寂しそうな表情を浮かべた。


「……エスタはな。以前のアルと同じで魔法が使えないんだ」


「え……⁉」


僕は呆気に取られ、目を丸くしてしまった。


エスタ・デュランベルクが魔法不能者なんて話は、一度も聞いたことがない。


「で、でも、それならどうしてエスタ殿は次期当主に名乗り出たんですか。魔法が使えないのであれば、戦場に立つのはまず不可能なはずです」


戦場に立てないわけじゃないけど、魔法が使えないということは魔障壁が展開できないということになる。


魔弾や矢の流れ弾を防ぐ有効な手段を持たないとなれば、敵からすれば良い的だ。


「そうだな。エスタは自身が魔法不能者であっても、後継者に相応しい能力を持っていると訴えたい思いもあるのかもしれん」


「……複雑な方なんですね」


「まぁ、あいつは昔から頭でっかちだったからな。だが、挑まれた以上はこちらも覚悟を持って叩き潰すのみだよ。アルもそのつもりでいてくれ」


ソフィは肩を竦めると、真顔に戻って凄んだ。


「わ、わかったよ。でも、どうして今この話を?」


「アルが魔法不能者だったことは、すぐにエスタの耳にも入るはずだ。いずれ揺さぶりを掛けてくるだろうし、結婚して夫婦となったんだ。身内の話をするのは自然のことだろう」


「あ、そういうことね」


後々、重要な場面でエスタが僕と同じ立場にあった人物……なんて言い出されたら確かに情が移ってしまうかもしれない。


合点がいって相槌を打っていると、ソフィが自身の横髪を耳にかけながら不敵に笑って身を寄せてきた。


「それから用件はもう一つある」


「もう一つ……?」


色っぽくて艶のある仕草にどきりとしてたじろぐも、彼女は逃がさないと言わんばかりに身を乗り出してきた。


「式は挙げておらんが私とアルはレオニダス王に結婚が認められ、書類上はもう夫婦なのだぞ。デュランベルクに仕える者達にも、それを行動で示さねばならん」


「こ、行動……?」 


ごくりと喉を鳴らして息を呑んでいると、ソフィが耳元に口を寄せてきて囁いた。


「初夜、だよ」


「え、えぇええええええ⁉」


僕は素っ頓狂な声を出し、ソファーから飛び上がってしまった。





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◇あとがき◇

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戦公女の婿取り ~婚約破棄された僕だけど、戦公女の異名を持つ公爵令嬢に婿入り(契約結婚)することになりました~ MIZUNA @MIZUNA0432

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