第3話
裏庭でのにらみ合いから数週後。街の空気は鉛色に濁り、夜のパトロールがいつもより長く、いつもより重い。広告塔のLEDが淡い警告色で点滅し、通りのカフェのテレビが速報を吐き続ける。
ユウは朝の窓辺で立ち尽くしていた。メガネのレンズ越しに見える雲が速い。チャットの未読が山になり、電話は鳴り止まない。彼は呼吸を整え、地図に指を置いては引っ込める。どの選択も誰かの背中を斬る。
「…決断するしかない。」小声で、自分に言い聞かせる。だが決断はよそ者の刃だ。切ったあと、自分をも切ることがある。
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夜明け前、港湾地帯。霧が海からの冷気を運び、クレーンの影が墓碑のように立つ。倉庫の列の奥で、薄闇に包まれたチームが息を潜めている。ドイとアメ、そして欧州の有志を名乗る数人。彼らの眼差しは単純だ。示威と抑止を一手に見せる──だがその“示威”の範囲が、どれだけ広がるかは誰にもわからない。
「目標は局所的だ。民間インフラは避ける。デモンストレーションで、向こうの計算を狂わせる。」ドイの声は機械的に冷たい。彼は計画書に赤い線を引く。その線は、彼のプライドと約束を結ぶ。
アメはニヤリと笑う。「了解だ。でも、俺らの『示威』は見せ方が命だ。映像とタイミングで印象操作してやろうぜ。あいつらが次に何をやるか、世界に知らしめるんだ。」
ウクは港の別動隊で端末を叩いていた。彼の指先は脈を刻むように速い。サーバのログ、無線のこぼれ、岸を走る車列のデータ。小さな手が巨大な装置を操作しているような光景だ。
「俺のやり方は違う。殴り合いは嫌いじゃないけど、まず相手の目を曇らせる。情報の目くらまし、通信を削ぐ。相手が混乱しているうちに、こちらの存在を示させるんだ。」ウクの言葉は短く、刃物のように鋭い。彼は自分のシマを守るための“小技”を持っている。
ロシは街の別の地点でゆっくりと準備を進める。彼の側近が運転する古いトラック、溶接の火花、無線の囁き。彼は早くもカメラに向けたシーンを用意している。勝ち誇るような不敵の笑みを、必要な時に世界に向けて投げるためだ。
「向こうが先制するなら、こちらは答えるだけだ。こちらのやり方は単純明快だ。防衛と示威、両方を見せる。」ロシは言う。だが彼の目は計算している。勝敗は拳だけじゃ決まらない、ということを彼はよく知っている。
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午前10時、通信の最初の断片が切られた。沿岸のアナログ無線が断続的に消え、金融取引の一部が遅延を起こす。掲示板の速報は「原因不明の通信障害」と淡々と書いたが、その文面の下に非公式な噂が踊る。
ユウは国際会議室のテーブルに座り、メンバーの顔を見渡す。フランは顎を撫で、イタはタバコを手の間で揉む。声は低いが緊張で震える。
「やられた可能性が高い。だが、向こうが何を取りに来たかを見極める必要がある。」ユウが言う。目は冷静だが、手のひらに汗が滲む。
この間に、ネット上では異様な映像が流れる。港の一角で無人機が列をなして飛び、倉庫のシャッターに映像を残す。それはまるで映画の予告編のように編集され、短いメッセージが添えられる──「我々は存在する。見ろ。」
世界は瞬時に反応する。どの国の若者も、カフェの常連も、スマホ片手の通行人も、それを見て震える。プロパガンダだと断じる者もいれば、恐怖を感じる者もいる。ドイの思惑どおり、向こう側の計算は乱れかける。
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しかし、計画は完全ではない。ロシ側はその映像を逆手に取り、偽の被害写真と証言を流し始める。混乱は一気に「事件」へと膨らみ、各地で抗議と恐怖が交錯する。複雑怪奇な情報の闇鍋に、民衆の心が引きずり込まれる。
アメは冷めたコーヒーを飲み干し、顔を曇らせる。「これはもう、映像戦だな。真実が二の次になる世界に来ちまった。」だがその口元には怒りが滲む。彼は自国の影響力を使い、さらに強い映像を世界に流そうとする。しかし、やり方を誤れば火は制御不能になる。
ユウは必死で中間点を探す。彼は法と手続き、そして情勢分析を混ぜて最善解を作ろうとするが、会議室の外では通りが荒れ始める。商店のウィンドウには「我々の平和を守れ」というスローガン、夜の路地にはボードを持つ者が集まる。日常がざわつきだす。
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最初の小競り合いは、国境の狭間で起きた。夜の薄い霧の向こう、トラックが弾かれ、警報が鳴った。小さな村の外れで、誰かの誤射が大事に繋がる。正規軍の出動は短時間で、非対称な戦闘が勃発する。戦車の鋼鉄の腹が朝の地面を踏みしめ、ドローンの影が屋根をかすめる。
ドイは現地の司令部にいた。彼の顔は土と油と決意で汚れている。通信は断片的だが、彼にはユウとアメの裏付けがある。彼は淡々と指示を出す。「優先は民間保護と敵の排除。プロパガンダのネタを与えるな。」
ロシ側は即座に反応する。彼らの部隊は古いが老練だ。彼らは奇襲をかけ、裏道を利用し、不意を突く。交戦は短く、激しい。弾丸の音やエンジンの唸りが、村の静けさを引き裂いていく。人々は家から飛び出し、子どもたちは泣き叫ぶ。
ウクは現地で補給と防御を調整している。彼は負傷した漁師を抱えつつ、即席の指令室で情報を整理する。彼の手は震えているが、目は鋭い。彼は自分の街を守るために、あらゆる手段を選ぶ。彼は民間人の盾を使わない。だが戦は民の影に大きく落ちる。
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局地戦が拡大するにつれて、世界の視線はもっと野心的な動きに向く。アメはサイバーと制裁をほのめかし、フランは外交チャンネルを探る。イタは商業的な利益を守ろうとし、ポーとバルチックの連中は自らの安全を最優先に動く。
ある夜、会議室のスクリーンに映る数字が跳ね上がる。市場の反応が顕著で、通貨が乱高下する。民衆の不安は現金の引き出しと買いだめを生み、物資の流通が滞る。小さな商店主はレジを閉める決断をする。生活は街の治安の影響を直に受け始める。
ユウは自分の手のひらの汚れを見つめる。彼は自覚する。どれだけ交渉しても、時には拳が言葉より大きな真理を語ることがあると。彼はその事実に耐えるしかないのだ。
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戦いの中で、個々のドラマが生まれる。ドイは前線で仲間と肩を並べ、互いに無言の信頼を交換する。ロシは冷酷な計算の中で、かつての盟友を思い出す。アメは遠隔支援で正確に穴を突くが、代償を意識する。ウクはケガを抱え、泣く時間も惜しんで傷の手当てをする。
だが「決戦」はただの物理的衝突ではない。情報と心理が同じ舞台で殴り合う。ロシは偽情報を流し、相手の動揺を誘い、フランの敵対勢力の動きを煽る。アメはそれを打ち消すために反情報を流し、ドイは映像で士気を高める。ユウは必死で真実のチャンネルを確保しようとするが、真実はどの側もコントロールしきれない流体だ。
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決戦は数日のうちに高潮に達する。沿岸の街は戦火の匂いが混じり、列車は運行を止め、国際空域は一部閉鎖される。国連の掲示板は緊急会合を告げるが、決定は遅い。実際の戦場では即時の判断が命を分ける。
その最中、ドイとロシは再び、国境近くの廃工場で顔を合わせる機会を得る。両者の間には銃口の代わりに古い議事録と一握りの泥のような過去がある。風が鉄骨を鳴らし、彼らの息が白くなる。
「ここで終わらせるか、続けるか。」ドイが言う。声は低いが震えはない。
ロシは笑う。「そんな選択、最初からお前がしてくれたんだ。だがな、選ぶのはいつも状況だ。今は状況が俺に味方している。」
二人の視線がぶつかり、数秒の静寂の後、互いに拳を握る。だが拳は振り下ろされない。代わりに、一本の古い電話が鳴る。ユウからの通信だ。画面には「停戦交渉のオファー」と書かれている。驚きの一瞬、そして全員の呼吸が止まる。
ユウはスクリーン越しに言う。「もう一度だけ、テーブルにつこう。これ以上、続けるのは誰の得にもならない。条件を出す。徐々に停戦、段階的な撤収、国際監視の導入。詳しい内容は交渉で詰める。」
ロシはしばらく黙る。彼の笑みが消えて、何かを測る目になる。「条件次第だ。だが俺も無条件で降りる気はない。」
ドイは拳を開く。「お前の『条件』が我々の安全を脅かすなら、俺は受けられない。だが、無駄に血を流すのは望んでない。」
長い沈黙。空気は微妙に変わる。誰もが、自分たちの切羽詰まった欲望と、失いかけているものとを同時に天秤にかける。
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その夜、国際会議の場で何時間も議論が続いた。画面の向こうでは各国の代表が叫び、涙し、脅し、取引を持ちかける。交渉は泥づき、妥協と駆け引きの連続だ。ユウは疲労で頭が割れそうだが、ひとつずつ条件を詰める。
約束の朝。停戦合意の枠組みが公表される。漸進的な撤退、国際監視団の派遣、そして境界地帯での非武装地帯の設置。世界はそのニュースに一瞬息を吹き返すように見える。歓喜と疑念が交じった祝杯が小さなカフェであがる。
だが、合意が成立した直後、誰もが知っている。条約や合意が紙の上にあるだけで、現実の恐怖と復讐心は消えない。停戦線のその向こうで、埋められた感情と恨みは依然としてくすぶる。
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決戦の結末は、勝者と敗者がすっきりと分かれるものではなかった。あったのは、消耗と学び、そして多くの喪失だ。街は傷つき、人々はより堅い顔をして歩くようになった。だが同時に、小さな居場所を守る者たちの誇りや、ウクのように泥だらけで戦った者の決然さも残った。
ドイは裏庭に戻り、夕陽を見つめる。拳はまだ震えている。彼は勝利のために多くを差し出したが、それが本当に“勝利”かどうかはわからない。だが彼は知っている──守るべきものがある限り、彼は立ち上がるだろう。
ユウはデスクに座り、メガネを外して眼を閉じる。彼の周りには法と条約の山。彼は自分が引いた線がどれだけ正しかったかを、夜ごとに測っている。アメはまたどこかで大型のバーガーを頬張っているだろうが、その笑いの裏には責任が刻まれている。ロシは暗闇の街角で煙草をふかし、次の計算をはじめる。
ウクは港で小さな花を植える。戦った者たちのためか、消えたもののためか。小さな儀式が、彼女の中で静かな意味をもたらす。
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街の裏庭では、再び夕日が沈む。落書きは消えていないし、タバコの吸い殻は相変わらずだ。だけど人々の歩幅は変わった。力の均衡は一時的に戻ったが、それは永遠に続くわけではない。誰もがわかっている──またいつか、フェンスの向こうから冷たい風が吹いてくるだろう、と。
だがそのとき、彼らはもう少しだけ、賢く、そして傷つきにくくなっているはずだ。だって、拳だけでなく頭も使ったからだ。
「終わりか?」ドイが小さく笑う。「いや、これはただの休憩だ。鍛え直して、次を迎えるだけだ。」
ユウは微笑む。「次は、言葉で決着をつけられることを祈るよ。」
ロシは背を向けて煙を吐く。「祈りは笑わせるが、それも悪くない。」
夕日が沈み、街は暗闇と明かりのマージンに包まれる。決戦の鈍い余波はまだ消えないが、一瞬だけ、誰かの心に穏やかな希望が差す。それは小さい火だが、冷たい夜を温めるのに十分だ。
国際ハイスクールパロディ 天上天下全我独尊 @TianshangTianxiaQuanWoDuZun
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