ゆびきり

@TamayuriAzusa

ゆびきり

 昨日は私の、十歳の誕生日だった。久しぶりに帰ってきたお父様とお母様と一緒に、コックさんが作ってくれた美味しいごちそうを楽しみ、メイドさんも加わっておしゃべりして、とっても楽しい時間だった。

 私が、台無しにするまでは。

 ガタッ

「レイナさま!」

 突然めまいがし、メイドさんの方へ倒れ込んでしまう。

「心配ありません……大丈夫です……」

 そう言うも、体に力は入らない。そのうち、意識も薄れてきた。

「部屋に運んでやりなさい」

 お父様が、メイドさんに言う。私は……まだここにいたいのに……。

 そう願うも、私の意識はメイドさんの腕に抱かれているうちに途切れ、目を覚ますと私はベットの中にいた。窓の外は明るく、太陽が高く昇っている。

「お目覚めですか」

 メイドさんは窓際の椅子に腰掛けていた。昨晩から寝ずに看病してくれていたのか、目の下にはくまができている。

「昨日はここまで運んでくれて、ありがとうございます。それで、お父様とお母様は……」

「お二方とも、もう出発されました」

「そうですか……」

 忙しくて、年に数回しか会うことができないのに……。

「レイナ様にと、預かっているものがございます」

 ベッド脇の机に置かれた大きな包みを、メイドさんが私に手渡す。その包みはずっしりとして重かった。

「誕生日プレゼント、だそうです」

 何が入っているのだろうかと、わくわくしながら包装紙を破る。その中身は、何冊かの本だった。

「全部、読みたかった本だ……うれしい、けどちゃんとありがとうって言いたかったな……」

 メイドさんは、朝食を持ってくると言って、部屋から去った。本を一冊手に取り、その表紙を見る。青く広がる大海原に、一隻の船が漂っている景色が描かれている。

「海、見てみたいな……」

 きっと、無理だろうけど。


 朝食を取り終え、椅子に座ってさっきの本を開いた。うららかな日和で、暖かい春光が窓から差し込む。部屋は庭園に面しているので、開けた窓から花の良い香りが中に流れ込んでくる。

 夢中になって本を読んでいた時だった。

「ねえ、それなんの本?」

「ふえっ」

 いきなり声をかけられ、驚いて本から顔を上げる。でも、部屋の中には誰もいない。

「こっちこっち」

 声がする、窓の方を見ると、私と同じくらいの少女が窓からぴょこんと顔をのぞかせていた。よく日に焼けていて、髪は短く切りそろえている。

「えっと……あなたは誰? どうやってここに……」

「あたしはマヤ! あそこの塀をのぼってきた!」

 マヤさんが屋敷をぐるっと囲む塀を指さす。私の身長の二倍ほどある塀なのに……。

「すごいですね」

「へへっ、そうだろ」

 得意げな顔をする。

「ねえ、あなたの名前は?」

「私は、レイナと言います」

「それで、レイナは何の本を読んでたの?」

「ある航海士さんが、長い船旅の間に書いた日記を読んでいました」

「こーかいしって、何だ?」

「えーっと、船を操縦して海を渡る人、でしょうか」

「海……海ってでっかい塩水の湖のことだよな」

 こんぐらいかな、とマヤさんが両手を大きく広げた。

「湖よりももっともーっと大きいみたいですよ」

 私は両手をめいいっぱい広げる。

「マヤさんは、海を見たことありますか?」

「ううん、ない。レイナはある?」

「いえ……私、体が弱いので、この屋敷から出たことないんです」

「えっ、そうなのか」

 マヤさんは驚いたように声を上げた。

「でも、いつか海は見たいです」

「見れるといいな」

 と、そのとき正午を知らせる鐘がなった。何か思い出したのか、マヤさんがはっとした表情になる。

「やべっ、母ちゃんの手伝いしないと!」

「あ、あの!」

 帰ろうとするマヤさんを引き留める。

「また、明日も来てくれますか」

 マヤさんは、満面の笑みを浮かべて、親指を立てた。

「もちろん!」

 そう言うと、塀を俊敏な身のこなしで登り、塀の上に立った。私の方に手を振るので、私も手を振り返す。そして、マヤさんは塀の上から飛び降りた。

 庭園の花が揺れる。小鳥のさえずりが聞こえてくる。暖かい風が頬を撫で、読みかけの本のページがぱらぱらとめくれた。


 マヤさんは、その日から毎日来てくれた。来る時間はばらばらで、午前中に来ることもあれば、午後のおやつの時間に来ることもあった。

 マヤさんは、私に色々な話を聞かせてくれた。それで分かったのは、マヤさんは私と同じ十歳で、商人の両親をいつも手伝っているということだ。

 たいてい、マヤさんとおしゃべりをしていたけど、たまにマヤさんが望むので、私が本の読み聞かせをした。

 驚いたのは、雨の日にもマヤさんが来たことだった。

 さすがに来ないでしょう、と本を読んでいたら、不意に窓がとんとんっと音を立てた。風かなと思って最初は気にしてなかったけど、だんだん窓をたたく音が大きくなっていって、本から顔を上げると、窓にマヤさんがはりついていた。

「ええっ、マヤさんっ! 今開けます!」

 窓を開けると、雨粒が部屋の中に入ってきた。マヤさんは雨合羽を着ていたけど、髪は濡れていて唇は青い。

「おいーっす、レイナ」

「おいーっす、じゃないですよ! 中に入ってください!」

「でも、床が濡れちゃうぞ?」

「マヤさんが風邪をひくほうが嫌です」

「なら……おじゃましまーす」

 窓のふちをよじ登って、マヤさんが中に入った。びしょびしよの雨合羽をもらい、ハンガーに掛けて、下にタオルを敷く。

「髪、拭いてあげましょうか?」

「うん、おねがい」

 椅子に座っているマヤさんの頭を、タオルで拭く。

「ふぁーあ、なんか眠くなってきた……」

 髪を拭かれながら、マヤさんは大きくあくびをした。

「濡れたからですか? いいですよ、寝ても」

 ある程度、髪を拭き終わり、タオルをマヤさんの頭から離す。マヤさんが眠そうに目をこすっていたので、ベッドに案内すると、ぼふっと倒れこんですぐに寝入ってしまった。

 別との隣に椅子を持ってきて、マヤさんの寝顔を見つつ本を読む。雨音と本をめくる音、そしてマヤさんのかすかな寝息だけが、部屋に響いていた。

 日没の鐘が鳴る三十分前に、私はマヤさんを起こそうと声をかけた。

「マヤさん、起きてください。もうすぐ太陽が沈んでしまいますよ」

「うーん……あとちょっとだけ……」

「駄目です。暗い中帰るのは、危ないですよ」

「だいじょうぶだよ……」

「もう雨もやんでます。早く起きてください!」

 それでもマヤさんは起きないので、私は馬乗りになってマヤさんをくすぐる。

「あははっ、やめ、レイナ……くすぐったいっ……」

「なら、起きますか?」

「起きるっ、起きるからやめてっ、あはははははっ」

 しばらくマヤさんをくすぐったあと、私は手を離した。涙目のマヤさんは、ひーひーと過呼吸になっている。

「じゃあな、また明日!」

「はい、また明日」

 乾いた雨合羽を着て、マヤさんは窓から庭園に出た。塀の外に姿を消したとき、ちょうど日没の鐘が鳴る。今日は満月で、草花についた水滴がきらきらと輝いていた。

 そういえば、最近、体調が悪くなることがない。

「マヤさんのおかげ、なのかな」


 雨の日以外は、マヤさんを部屋にあげることはなかった。窓越しにおしゃべりするのが、少し特別な感じがして好きだったからだ。

 そんな日々が、半年ほど続いた頃だった。

 いつものように、塀をよじ登ってきたマヤさんは、どこか浮かない顔をしていた。口数も少なく、今も何も話さずに俯いている。

「どうしたんですか?」

 マヤさんは、今にも泣きそうな顔で私を見た。

「あたし……もうここに来れないかも……」

「それは、なぜですか」

「なんか、遠くの街に引っ越すんだって……ここから、ずっと遠いところに」

「そう、なんですか……」

 もう会えないんだ。おしゃべりすることも、もうできないんだ。

 勝手に涙が出てくる。

「やっと仲良くなれたのに、もうお別れなんですか」

 涙が、頬を伝っていく。

「泣かないで、レイナ」

 手を伸ばして、マヤさんが私の涙を指でぬぐう。

「絶対に、帰ってくるから」

「ほんとう、ですか」

「ぜったい、ぜったい、ぜーったい!」

「……じゃあ、ゆびきりしましょう」

 お互いの小指を絡ませる。

 ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます——

「「ゆびきった!」」


 それから時が経ち、私は二十歳になった。

 体はすっかり良くなり、いきなり倒れたりすることはなくなった。けれど、いまだに外に出れないでいる。

「彼女はもう、いないんです」

 開けた窓から、塀を見る。あの日から、彼女をずっと待っている。

「きっと、忘れてしまったんでしょうね」

 椅子に座って、本を開く。遠くから、小鳥のさえずりが聞こえてくる。風が、白色の花びらを、ページの上に運んできた。その花びらをつまみ、窓の外へ捨てようとする。

「レーイナっ」

「ふえっ」

 いきなり声をかけられ、驚いて変な声が出てしまう。

 って、この声は……。

「マヤ、さん?」

「そうだよ、レイナ」

 窓のふちに腕を置いて、にこやかに私を見ていた。相変わらず、肌は焦げ茶色に日焼けしている。

「どうして、マヤさんがここに……」

「約束したじゃん。絶対に帰ってくるって。……遅くなったけど」

 あの日の約束を、おぼえて、いたんだ。忘れて、なかったんだ。

「……また会えて、うれしいです」

「うんっ、あたしもっ」

 まばゆい日差しに照らされながら、マヤさんは屈託なく笑った。


「この街を離れてからは、ずっと家の手伝いをしてた。十五歳になったときに、旅に出たんだよ」

「旅、ですか」

「うん。色々なところに行ったよ。砂漠の中にぽつんとある、オアシスを囲んだ小さな村とか、めっちゃ高い山の頂上にある町とか」

「へえ、面白いですね……」

 マヤさんは本に出てくるような景色を、たくさん見てきたんだろうな。部屋に引きこもっていた、私と違って。

 いいな、私も見たい。マヤさんが見ている景色を。

「外に、行く?」

 出し抜けに、マヤさんが訊く。

「……はい!」

 私は、力強く頷いた。

「レイナに、見せたかった景色があるんだ」

 そう言って、マヤさんは手招きした。窓のふちに、足をかける。マヤさんが私の手を取り、支えてくれる。

「よいしょっ」

 初めて、窓から庭園へ出た。花の良い匂いいっぱいに嗅ぐ。マヤさんに手を引かれて、塀の前へとやってくる。案外、高くない。

「そことそこのでっぱりを掴んで」

「こう、ですか」

「そうそう、そんでそのくぼみに足を入れて」

「はい」

「そしたら上に手が届くから、あとは一気に体を待ち上げる!」

「ふぐっ、あっ、登れました!」

 マヤさんのおかげで、塀を楽に登ることができた。マヤさんが登るのを待ち、一緒に下へ降りる。

 屋敷の周りは舗道で囲われていて、右手と左手のどちらの方にも道は続いていた。マヤさんは右へと進む。

「屋敷から出るのは初めてなんでしょ? どう、外の景色は」

「そうですね……まぶしいです。空の色、葉っぱの色、花の色、土の色……あの部屋の窓から見える庭園にも、その色は存在していたんですけど、それよりももっと明るい気がします」

「そっか、そうかもね」

「はい、本当にきれいです。連れ出してくれて、ありがと……うわっっ」

 石につまづいて、膝をついて転んでしまった。

「ちょ、レイナ、大丈夫!?」

「大丈夫で……痛っ」

 立ち上がった時に、足首がズキッと痛んだ。

「あー、ねんざしてるね。歩くのはやめといたほうがいい」

「すみません……どうしましょうか……」

「私が、抱っこしていくよ」

「えっ」

 有無を言わさず、マヤさんは私をお姫様抱っこした。

「私、重いですよね、すみません……」

「いや、めっちゃ軽いよ?」

 私を抱いたまま、マヤさんは道なりに進んでいく。途中から、道は林の中へと入った。ひんやりとした空気と木漏れ日が気持ちよくて、まどろんでしまう。

「おーい、レイナ。起きて」

 いつの間にか寝てしまっていたらしく、私は目を開けた。まだレイナさんに抱かれている。

「あ、あの、おろしてください……」

「えー」

 渋々ながらもマヤさんは地面におろしてくれた。マヤさんが隣に座る。

「レイナ、前を見て」

 顔を上げて、目前に広がる景色を見る。赤く染まった空の下に、街中の家に灯った明かりが街全体を明るく輝かせている。

「きれい……」

「でしょ。この小さな丘から、町全体を一望できるんだよ。あと……レイナ、あそこを見て」

 マヤさんが遠くを指さす。その指の先を見る。

「海だ……」

 海が広がっていて、太陽が海の下へと沈み込んでいる。

「レイナさ、海が見たいって言ってたじゃん。子供のときは知らなかったんだ。こんなに海が近くにあったなんて。十年前に知ってたら、あの時レイナに見せれたのにな」

「いえ、いいんです。今こうして見れてるんですから。それで……あの……」

「うん? どうしたの?」

 私はマヤさんの横顔を見つめる。夕日で赤く、染まっている。

「私も、旅に連れて行ってくれませんか」

 海を見つめていたマヤさんの瞳が、私の方へ向く。

「マヤさんがいなくなってから、ずっと新しいことを知るのが怖かったんです」

 また、失ってしまうかもしれないから。それなら、最初から得なかったらいい。

 だから、殻にこもった。部屋の外に出ず、外の世界を夢見ることも、しなくなった。

「でも、わかったんです。それは間違いだったって」

 マヤさんは、帰ってきてくれた。約束を、忘れてなかった。私を忘れたんだって思ってたけど、私がマヤさんを信じていなかっただけなんだ。

「もっと新しい景色を見たい。外の世界をもっと知りたい。そして、マヤさんのことももっと知りたいんです!」

 もうすっかり日が暮れている。辺りは真っ暗になって、見えるのはマヤさんの姿だけだ。

「あたしも、色々なところに行ったんだけどさ、行く先々で思うんだ」

 マヤさんが私の手を握った。

「レイナと一緒がいいなって」

「マヤさん……」

 そのはにかんだ表情を見て、思わずマヤさんに抱きつく。

「ちょっ、レイナ……」

「好きです。マヤのことが大好きです!」

「……あたしも、大好きだよ、レイナ……あ、上見て。星がきれい……」

 抱きついたまま、私は空を見上げる。夜空に満天の星がきらめいていた。

「きれいですね……あっ、流れ星が!」

「初めて見た!」

「私も初めてです!」

 お互いに顔を見合わせ、笑う。

「こうして、いろんな景色を見に行こうね」

「二人で、ですね」

「指切りしとく?」

「しておきましょうか」

 お互いの小指を絡ませる。

 ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます——

「「ゆびきった!」」

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