アイドルオタクと宇宙人
maru.
アイドルオタクと宇宙人
真夜中の部屋にぽっかりと穴が開いた。
大学生のカズキが、スマホでSNSを眺めていたそのとき。
机の上に渦巻く黒い穴が現れた。
「うわあああ〜〜!!」
叫んだときにはもう遅かった。
体はふわっと浮き上がり、頭がぐるぐると回る。
視界が歪み、意識が遠ざかっていく。
そのときだった。
耳に届いたのは、不思議なほど落ち着いた、のんびりとした声だった。
「おっと……悪気はなかったんだ。すぐに“修復”するから、安心してくれ」
目の前にはつるりとした漆黒のボディに、丸い目がふたつ。
無機質な、でもどこか優しげな宇宙人が浮かんでいた。
彼はひょいと手をかざし、カズキの魂を、机の上に置かれていたアクリルスタンド――通称“アクスタ”の中へと、ふわりと封じ込めた。
そこには、カズキが最近ファンになったというアイドル『ネオン・プラネット』のミナがプリントされていた。
フリフリの衣装に身を包み、満面の笑みを浮かべたミナ――そんな姿のアクスタだった。
そして次の瞬間、宇宙人はカズキの体にすっと入り込んだ。
キョロキョロとあたりを見回しながら、小さくつぶやく。
「……これが“視覚”か。おお……これが“聴覚”というものなんだな。なるほど、これが地球人の感じる世界か」
ミナのアクスタから、小さな叫び声が念話のように響いてくる。
「お、おい!なにこれ、どうなってんの!?」
「すまない。どうも“修復”には、少し時間がかかるようだ。それまでの間、君の体を借りることにした。大丈夫、君の記憶はちゃんと読んだ。うまく演じてみせる」
「……いやいや、待て待て!体を借りる!?演じるってどう言うこと!?」
最初は混乱と怒りで暴れまくったカズキだったが、宇宙人の口調は終始おっとりしていて、まるで悪意が感じられなかった。
数日が過ぎるころには、怒る気力も抜けて、半ば呆れ気味にこうつぶやいていた。
「……っていうか、おまえ、ちゃんと俺のふりして大学行ってるのな。レポートとか普通に出しててなんか怖いわ」
「当然だ。“演技”には自信がある。君の記憶に基づいて、完璧に模倣しているつもりだ」
「いや、ちょっと自信ありすぎて逆に不安になるって……まあ、今さら騒いでもどうしようもないか。大学はもう任せたからミナの配信だけは見逃すなよ!」
こうして、宇宙人とカズキの、ちょっとおかしな共同生活が始まった――。
宇宙人は、胸ポケットにカズキの魂が入ったミナのアクスタをそっと忍ばせて、昼はカズキの姿で大学に通い、夜は地球の文化をひたすら学び続けた。
宇宙人は驚嘆した。
「地球には、こんなにも多様な表現があるのか……!」
音楽。アート。ファッション。映画。
見るものすべてが、宇宙人にとっては驚きと感動の連続だった。
そしてある日。
カズキのSNSアカウントをいじっていた宇宙人が、とある映像に目を奪われた。
そこには、ステージの上でまばゆく輝くミナがいた。
胸ポケットに入れていた、あの小さなアクスタのミナじゃない。
歌い、踊り、ファンに手を振りながら、まるで光そのもののように笑っている。
その瞬間、宇宙人の中で何かが弾けた。
「すばらしい……」
言葉では説明できない衝撃が、胸の奥を突き抜けた。
それはまるで、初めて“感情”というものに触れたような感覚だった。
その日を境に、彼は正真正銘の完全なる“オタク”になった。
宇宙人はカズキのアドバイスを受けて、SNSに自分用のアカウントを作った。
名前はそのまま「宇宙人」。
はじめは、ただアイドルの投稿をチェックするだけの“見る専”アカウントだった。
けれど気づけば、自分でも『ネオン・プラネット』やミナについて投稿するようになっていた。
この日は初めての“インターネットサイン会”だった。
画面越しに、ミナが笑顔で名前を呼びかけてくれる。
「宇宙人さ〜ん!SNS見てるよ〜、いつも応援ありがとう!」
その瞬間、宇宙人の目から、つーっと何かがこぼれ落ちた。
「なるほど……これが、“涙”というものか……」
そしてカズキと共にライブにも通うこととなる。
宇宙人は、生で見るミナのパフォーマンスに心を打たれ、ファンの熱気に包まれながら、同じようにチェキを撮り、感動を分かち合った。
やがて、同じ推しを持つファンたちとの交流も始まった。
「ライブ、当たった!」「新曲エモすぎて無理」「ミナの表情、今日も天才」
そんな交流のひとつひとつが、楽しかった。
誇張された表現や、極めて専門的な用語の数々。
それらの意味は正しくわからなくても、気持ちはちゃんと伝わってきた。
カズキは、アクスタの中から優しく語りかける。
「今日のライブも最高だったな」
「……ああ。最高だった」
宇宙人は素直にそう答えた。
こうして、あっという間に一年が経っていた。
そんなある晩のことだった。
宇宙人はふとカズキに語りかけた。
「カズキ。君の“修復”は、もうすぐ完了する」
そして、少し間をおいて続けた。
「このツアーが終わったら……私は帰らなければならない」
その言葉を聞いて、カズキはしばらく何も言えなかった。
やがて、ぽつりとつぶやく。
「……そっか。そうだよな、いずれは帰るって話だったもんな」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
元の姿に戻れるのは、もちろん嬉しい。
でも一年ものあいだ、いっしょに推しを応援してきた。
同じ景色を見て、同じ瞬間に感動して、同じ数だけ涙を流してきた。
その相棒が、もうすぐいなくなるのだ。
「……正直、寂しい。でもさ。お前と一緒にミナを応援できて、ほんとに楽しかったよ」
「ありがとう。私も、君と過ごせて幸せだった。……最後のライブ、楽しもう」
そして迎えた、『ネオン・プラネット』ツアーファイナル当日。
巨大な会場。ステージに立つミナ。
客席を埋めつくす無数のペンライトが、夜空の星みたいに揺れている。
宇宙人は、カズキの体で目いっぱい声を出した。
手を振り、跳ねて、叫んで、全身でその一瞬を感じていた。
ライブが終わり、客席の明かりが戻る。
オタク仲間と目が合う。
「また次の現場で!」
そんな、いつも通りの言葉を交わして、ふたりは会場をあとにした。
カズキと宇宙人は、静かに夜道を歩く。
家に帰ると、宇宙人はそっと胸ポケットからアクスタを取り出した。
そして、部屋の真ん中に、小さなゲートを開く。
いよいよ、帰るときが来たのだ。
淡い光が静かに部屋を照らし出す。
その光の中で、宇宙人はアクスタに語りかけた。
「カズキ。……一年間、本当にありがとう。君のおかげで、私は“心”というものを知ることができた」
アクスタの中から、カズキも答える。
「こっちこそ、ありがとう。まさか宇宙人とオタ活するなんて思ってなかったけど、いい一年だったよ」
少しの間を置いて、宇宙人は静かにうなずくと、ベッドに横たわり、そっと胸に手を当てた。
次の瞬間、ミナのアクスタがふわりと宙に浮かび、やわらかな光に包まれる。
その光がベッドの上のカズキを照らすように広がり――
やがて、カズキの身体が微かに動いた。
まぶたがゆっくりと開き、指先がぴくりと反応する。
「……ん、あれ……戻った?」
上体を起こしたカズキの目に、漆黒の身体をした宇宙人が映る。
宇宙人はやさしく目を細めた。
「“修復”が完了した。君の魂は、元の身体に戻ったよ」
カズキは自分の手を握りしめ、ほっと息をついた。
驚きと、ほんの少しの安堵。その奥に、かすかな寂しさがにじんでいた。
そして、そばにあったミナのアクスタを手に取り、宇宙人に差し出した。
「これ、持ってってくれ。世界一のアイドルだ」
宇宙人は一瞬だけ目を細め、静かに首を横に振った。
「いや……“宇宙一”だ」
カズキは、ふっと笑った。
宇宙人に言われると、なんか妙に説得力があって。
ちょっと面白くて、切なかった。
「……だな」
宇宙人は、カズキからそっとアクスタを受け取ると、部屋の中央に現れた、小さく渦巻くゲートへと歩み寄った。
「さようなら、カズキ」
「ああ、さようなら、宇宙人」
名残惜しさを押し殺すように、ふたりは短く言葉を交わした。
宇宙人はひとつ深く息を吸い、静かに黒い穴へと足を踏み入れる。
漆黒の身体が、闇に溶けるように少しずつ沈んでいく。
その別れ際、渦を巻く闇の中から、彼の“手”がすっと伸びてきた。
その手には、アクスタがしっかりと握られている。
名残惜しさを湛えながら、
まるで宇宙人の心に刻まれた記憶そのものを、静かに掲げているかのように。
ミナのアクスタは、柔らかな光に照らされながら、満面の笑みを浮かべていた。
その笑顔を見つめているうちに、カズキの目に涙がにじんだ。
静かに、頬を伝って落ちていく。
それでもカズキは拭おうとしなかった。ただ、黙って見送っていた。
そして、ゆっくりと――穴の中へと沈んでいく。
やがて、黒い渦はふっと収束し、跡形もなく、部屋から消えていった。
音も光も、何も残らなかった。
ただ、いつもの静けさが戻ってきただけだった。
カズキは、しばらくその場から動けずにいた。
ひとりきりの部屋の中で、消えた黒い穴の跡を、ただ見つめていた。
アイドルオタクと宇宙人 maru. @maru_no_novel
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