第50話 影と光の境界
灰の月が崩れ落ちたあと、世界は一瞬、完全な闇に沈んだ。
音もなく、風もなく、ただ沈黙だけが濃密に漂っていた。
その闇の中で私はひとり、足元を探るように歩き続けた。
やがて、遠くにひとすじの光が差した。
その光は弱く揺らめき、消え入りそうでありながら、確かに私を導いていた。
私はその方向へ進んだ。
歩を進めるごとに、闇はゆっくりと裂け、光が滲んで広がっていった。
それはやがて大きな境界線となり、眼前に現れた。
片側は黒々とした影の海、もう片側は白々と輝く光の原。
その境界に少女が立っていた。
彼女は静かにこちらを見つめていた。
影が背を押し、光が頬を照らす。
彼女はまるで、ふたつの世界の均衡をその身で支えているようだった。
私は声を失った喉を震わせた。
名を呼びたかった。
伝えたい想いは幾千もあった。
だが、喉からこぼれ落ちたのはやはり音ではなく、灰だった。
少女はその灰を手に受け取り、胸に押し当てた。
そして微笑んだ。
その微笑みには哀しみと慈しみが混ざり合っていた。
「あなたの沈黙が、この境を守っている」
唇の動きがそう告げていた。
私は理解した。
声を失ったことは欠落ではなく、この異界の均衡を保つための代償だったのだ。
もし私が声を取り戻せば、影と光の境は崩れ、世界は再び渦に呑まれるだろう。
少女は境界の中央で立ち尽くし、私に一歩近づいた。
影と光が彼女の身体を引き裂こうとしていた。
それでも彼女は微笑みを崩さず、両手を差し伸べた。
私はその手に応えようとした。
しかし足元の影が絡みつき、進むことを許さなかった。
光もまたまぶしすぎて、私の目を焼いた。
前へ進めば、均衡を壊してしまう――
そう直感した瞬間、胸の奥が裂けるように痛んだ。
少女は静かに首を振り、境界の奥へと身を沈めた。
影と光のあいだに飲まれ、その姿は溶けるように消えていった。
残されたのは、境界線だけだった。
私はその前に立ち尽くし、喉を震わせ続けた。
音にはならなかったが、その震えは確かに境界を揺るがさずに保ち続けていた。
やがて境界は薄れていき、闇と光が再び溶け合い、柔らかな灰色に変わった。
その灰の中で、少女の声が微かに響いた。
――「まだ、続けて」
私はその言葉を胸に抱き、崩れ落ちそうな体を支えた。
そして、これが終わりではなく、また新たな旅の始まりであることを悟った。
胸に残る灰の温もりを握りしめながら、静かに目を閉じた。
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誰の夢でもない場所で 寝る間を惜しんで睡眠学習。 @fukuosa
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