第49話 灰の月
舟が辿り着いた先は、灰色の荒野だった。
空には月が浮かんでいたが、その光は白ではなく、まるで燃え尽きた灰を撒き散らすかのように鈍く揺れていた。
地面もまた灰に覆われ、歩くたびに足跡が深く沈み、すぐに風に消されていった。
荒野には人影が散らばっていた。
だが彼らは生きているのか死んでいるのか判別できなかった。
皆が灰を纏い、顔を伏せ、口元だけがゆっくりと動いていた。
声は聞こえなかった。
彼らは永遠に言葉を探し続ける彫像のように見えた。
私は一人の影に近づき、その唇の動きを見つめた。
そこには確かに「名」が刻まれていた。
忘れてしまった誰かの名。
それを見た瞬間、胸の奥が強く疼いた。
しかし声にはならなかった。
私の喉は依然として沈黙に閉ざされていた。
そのとき、灰の月が震えた。
空から灰が降り注ぎ、荒野を覆った。
人々の影が一斉に立ち上がり、空を仰いだ。
その眼窩に月の光が宿り、灰色の光が荒野を満たした。
彼らは声なき声で合唱を始めた。
それは歌でも叫びでもなく、ただ存在そのものを震わせるような響きだった。
胸の奥で共鳴が起こり、私の失われた声が呼び起こされるかのように喉が熱を帯びた。
私は息を吸い込み、声を放とうとした。
しかし出てきたのは音ではなく、灰だった。
灰は口から零れ落ち、地面に溶けていった。
その光景に、人々は微笑んだ。
彼らは私を仲間と認めたかのように頷き、再び灰の歌を響かせた。
その合唱の中に、少女の声が混じっていた。
はっきりとは聞こえなかった。
だが確かに彼女の響きが灰の中にあった。
私はその声を追おうと荒野を駆け出した。
月はますます暗くなり、灰の雨は激しく降り注いだ。
視界は閉ざされ、呼吸すら灰に満たされそうだった。
それでも私は足を止めなかった。
少女の声が消えてしまう前に、必ず辿り着かなければならない。
やがて荒野の向こうに淡い光が差した。
その中心に、灰に包まれた少女の姿が立っていた。
彼女は微笑んでいたが、その目には深い哀しみがあった。
私は声を出そうとしたが、再び灰しかこぼれなかった。
少女はその灰を手のひらで受け止め、胸に当てた。
「それでいいの」
声にならない唇の動きが、確かにそう告げていた。
灰の月はゆっくりと崩れ落ち、空は闇に沈んでいった。
私はその闇に包まれながら、少女の姿を最後に見つめ、静かに目を閉じた。
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