23歳・⑦「境目の朝」

いつの間にか寝ていたようだ。体が怠い。

また遡ったのだろう。今度はいつだ?何年だ?

重い体を起こし、カレンダーの日付を見てみる。


『9月10日』


「…えっ?」

言葉が出なかった。


「遡っていない…」

カレンダーを二度見する。

一瞬、目眩がした。


『9月10日』

何度見ても日付は変わらない。

確かに『2019年9月10日』を指している。


“明日”へ行けたことに、私はほっと安堵した。


だが何故だ?何故なんだ?

今日は『11月22日』ではない。

どうしてこのタイミングで、時間の流れが『順行』になった?


ふと、右手に握られていた『TY』のキーホルダーを見てみる。

昨日の常田さんの言葉を思い出す。


『それはお守りだから』


考えている最中、スマホが鳴った。

ああそうか。この頃使っていたのは古い端末か。

画面を見ると、昨日面接した店からだ。


「もしもし?鷹野原さんの携帯でよろしいでしょうか?」

山口主任だ。声色が妙に上擦っていた。それに敬語なんて珍しい。

「私、昨日面接させていただいた山口と申します」

「本日、鷹野原様は7時出勤なのですが…」


時計を確認する。6時50分を回ろうとしていた。

「すみません!すぐ向かいます」

そうだ。今日は初出勤の日だった。


急いで着替えて、テレビも電気も点けたままで家を出る。


「本当に“戻ってきただけ”なのか?」

一抹の不安とともに、バイクに跨りエンジンをかける。


遠くの方で『おめでとうございます!今日の1位は山羊座のあなた…』

という、アナウンサーの声がこだましていた。


急いで店へ走らせる。

日を跨げた嬉しさと爽快感で、なんだか体が軽かった。

そう思いながら、何故か私の知っている“明日”ではない気がしてきた。


裏の出入り口から警備室の前を通る。

常田さんに挨拶をしようと思ったのだが、いなかった。

色々聞きたかったが退勤時にしよう。


タイムカードを切るなり、山口主任がこちらへ向かってくる。

「すみません!遅くなりました」

早々に謝る。


遡る前とは違い、シワのない笑顔で主任が言う。

「お気になさらないでください」

「本日はレジ研修だけになりますので」

やはり、敬語だ。

いつものつっけんとした態度はどうしたんだ?

妙に奥ゆかしい。


この人、こんな話し方だったっけ…?いや、違う、絶対違う。


それに今なんて言った?

レジ研修?何の話をしているんだ?

私は清掃員のはずだろ?


私は今日、清掃員として初出勤する予定だったはずなのに。


「あの、これを…」

と、赤いエプロンを渡される。

でかでかとショッピングモールのロゴが印刷されていた。


困惑した。

「…これって、エプロンですよね?」

「清掃員は水色のジャケットのはずじゃ…」


「よ、よくご存じですね」

キョドキョドしながら山口主任が続ける。

「え?昨日、鷹野原さんがご自身でレジがいいとおっしゃったので…」

「あれ、私の間違いかな?」


山口主任ってこんな感じだったのか?

とても可愛らしく思えてきた。


ぼんやりと見惚れていると、

「では、あとよろしくお願いします」

「レジ操作のレクチャー動画だけ事務所で見たら、帰っていただいていいので…」

そう言うと、山口主任は事務所のほうへ向かっていってしまった。


「や、山口主任」

「あなた清掃部門の主任じゃないですか」

思わず声が出ていた。


そう言うと、主任がこちらに寄ってくる。

「ごめんなさい。ちゃんとした自己紹介がまだでした」

「私はこのモールのマネージャーを務めております。山口佳奈と申します」

そう言うと、ぺこりと頭を下げた。


私の記憶とあまりに違う出来事に、困惑し狼狽えた。


ふと、常田さんの言葉を思い出す。

「昨日は二つあるんだ…」


その言葉が、突然、目の前の現実の“形”を変えた気がした。

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明日の昨日 眞辺りあ @avemaveria

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