第2話指輪

「本当にここで合ってるの?」


明らかに人の気配がする平屋を見て、僕はつぶやく。顔なじみの野良猫から、楽に餌をゲットできる場所があると聞いて、言われるがままついてきたのだ。


「おう。ここで合ってるぜ。」


「でも、ここってまだ人が住んでない?」


「へへ、実はな…おっ、ちょうど人間が出てきた。」


塀の上で話していると、人間の老婆が平屋の奥から出てきた。ヨボヨボで、今にでも倒れそうだ。


「まあ見てな。」


そう言うと、顔なじみはそーっと音をたてないように、庭へおりた。そのまま、老婆の横を音をたてないように通り過ぎ、縁側から家屋へと入って行ってしまった。

呆気に取られていると、後ろからおーいと呼ぶ声がする。顔なじみだ。玄関から外に出て後ろに回り込んだらしい。口には、老婆の家からかっぱらってきたであろう生魚がくわえてあった。


「すごい早わざだな。あの人間はヨボヨボだから気づかないのか。」


「それだけじゃないぜ。あの人間はな、目が見えねえんだ。」


「そんなことあるの?」


「ああ。最近知ったが、目が見えない人間も一定数いるらしい。だから音を立てずにそーっと忍び込めば絶対にばれないんだ。」


顔なじみは目を輝かせながら続ける。


「なぁ。今日からここを俺たちの餌場にしようぜ。ここなら他の野良猫にも狙われにくいし、ノーリスクで食べ放題だ。」


「んーでもこれって」


泥棒でしょ?そう続けようとして黙る。こいつとは結構長い付き合いだ。昔飼い主に捨てられ、途方に暮れていた俺に野良としての生き方を教えてくれたりもしたこいつに、この言葉を投げかけるのはなんだか気が引けた。


「わかってる。泥棒だって言いたいんだろう?でもな、俺たちは明日を生き抜くのに精一杯な野良猫だ。ちょっとくらい人間から奪ったって罰は当たらねえよ。」


「う~ん、確かに普通にゴミを漁るより人間に追いかけられるリスクは少ないけど。」


「そう、リスクが少ないどころじゃない。バレないんだよ、あの婆さんには。だから、餌がちょっとくらい減っても婆さんは自分がボケたと勘違いするだけだし、俺たちも罪悪感を抱える必要がない。」


「う~ん、そうかもしれないけど。」


「よくよく考えてみろよ。誰にもバレずに悪事を働けるんだ。こんなに良いことないだろ。」


「いや、やっぱりやめとくよ。」


「はあ?なんで⁉」


断られるとは思ってなかったらしく、顔なじみは目を真ん丸にして驚いている。


「バレるかどうかの問題じゃないんだ。結局は自分のためになるかどうかだと思うんだ。」


「??何言ってるんだ?」


「君が昔、僕に教えてくれたことだよ。」


「はあ?意味わかんない。本当にいいのか?こんなチャンス二度とないぞ!」


「いいよ。じゃあ俺は河川敷で虫でも捕まえ来るよ。」


そう言って、僕は平屋を後にした。顔なじみは、まだ何かわめいてたけど無視した。いつか、彼が僕に教えてくれたことを思い出してくれればいいのだが。


———


あれから1ヶ月が経った。あの日以来、顔なじみとは会っていない。元気でやっているのだろうか。少し気になったので、彼の餌場となった平屋へ赴くことにした。

それにしても、最近どこのゴミ捨て場を漁りに行っても他の猫と出くわさない。まるで神隠しにあったみたいだ。一体どういうことなのだろうか?


しかし、この疑問は平屋に行くと解決した。平屋の周りには町中の野良猫がずらりと勢揃いしていた。みな人間にバレないように静かにしてはいるが、誰が先に家に入るか、盗んだ餌をどのようにして分けるかでひそひそと喧嘩していた。


「よう、お前か。」


顔なじみが声をかけてきた。心なしか、少し痩せている。


「よう。どうしたんだい?この騒ぎは。」


「ああ、これか。実はお前と別れた後、他の猫にこの家のことがバレちまってな。瞬く間に噂が広まって、このありさまよ。」


顔なじみは、タハハと声を上げながら自嘲気味に笑う。


「なあ、思い出したよ。俺が昔お前に言ってたこと。野良として生きるなら楽な道を選ぶなって言ったよな。」


「うん。」


「野良猫ってのは、明日の保障がない過酷な生き方。だから、ズルや楽をしようとしても、今の俺みたいに他の奴らに奪われちまうのが関の山。野良として生きるなら、ちゃんと頭を使って自分の力で生き抜けって。」


「そう。それが、君が僕に教えてくれたことだよ。」


「情けないな。長い野良猫生活で、そんな基本も忘れちまってたよ。」


そう言うと、顔なじみはまた情けない声を出して笑う。


「なあ、今から3丁目の角のゴミ捨て場に餌探しに行かない?」


「え、いいけどあそこは良い餌が多いから競争率が高いぜ?」


「何言ってんの。君が噂をバラまいたおかげで、他の餌場には誰もいないんだ。」


「そうか、今はそんなことになってるのか。」


「そうだよ、だから結果オーライさ。」


まだ浮かない顔をしている彼のために、僕はとっておきの言葉を送る。


「野良猫たるもの、ズルせず頭を使わなきゃね。」


「…ああ!」


顔なじみは、やっといつもの笑顔に戻り走り出した。その様子を見て、僕はホッと胸をなでおろし、後ろをついていく。


仮に、誰にもバレずにズルができる魔法の指輪のようなアイテムをもらったとしても、きっと僕はいつも通りに過ごすだろう。

悪事を働いても、最後に損をするのは、きっと自分自身だ。

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ショートショート集:子猫のフィロソフィー @anki_igarashi

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