エピローグ:最後の観測
それから一年後。
冬の大三角が、また巡ってきた。
私は新しくオープンした山頂天文台にいる。北村博士が新台長として運営する、最新設備を備えた施設だ。
「詩織、準備できた?」
美咲が制御室から顔を出した。彼女は今、ここで観測助手として働いている。
「ベテルギウスの分光観測、開始します」
私も、科学哲学から天文学へと研究分野を広げた。兄の遺志を継ぐために。
モニターに、ベテルギウスのスペクトルが映し出される。
赤色超巨星。いつ超新星爆発を起こしてもおかしくない、年老いた星。
「表面温度3,500ケルビン。スペクトル型M1-2」
美咲が数値を読み上げる。
隣には、シリウスのデータ。
「こちらは9,940ケルビン。A1V型の主系列星」
そして、プロキオン。
「6,530ケルビン。F5IV-V型」
三つの星は、地球からの距離が全く違う。
- ベテルギウス:約640光年(視差5.07ミリ秒角)
- シリウス:8.6光年(視差379.21ミリ秒角)
- プロキオン:11.5光年(視差285.93ミリ秒角)
これほど違う距離にある星々が、地球から見れば完璧な三角形を描く。
視差の魔法。
真実もまた、見る角度によって違って見える。
「詩織、こっち来て」
美咲に呼ばれて、観測ドームへ上がった。
そこには、北村博士もいた。
「今夜は特別な夜です」
博士が微笑んだ。
「新しい小惑星が発見されました。発見者の特権として、名前を付けられます」
「え?」
「あなたのお兄さんの名前を付けましょう。『小惑星アキヒコ』」
涙が溢れた。
兄が、本当に星になった。
美咲が私の手を握った。
「これで、お兄さんはずっと宇宙にいる」
「ありがとう...」
言葉にならない感謝の気持ちを、手の温もりで伝えた。
観測ドームの天井が開く。
満天の星が、私たちを包み込んだ。
オリオン座のベテルギウスが、赤く輝いている。
もしかしたら、明日にでも超新星爆発を起こすかもしれない。
でも、それもまた、宇宙の営みの一部だ。
生と死。
光と闇。
真実と虚構。
すべては、この無限の宇宙の中で、静かに循環している。
私は望遠鏡の接眼レンズを覗いた。
そこには、無数の星々が輝いていた。
その中の一つに、兄がいる。
そして、私の隣には、美咲がいる。
これ以上、何を望むことがあるだろう。
雪が、静かに降り始めた。
でも、もう恐くない。
雪は、星の光を反射して、きらきらと輝いている。
まるで、地上に降りてきた星屑のように。
美咲の手の温もりだけが、変わらない真実だった。
そして、それだけで十分だった。
【完】
アストロノミカル・マーダー ~冬の天文台連続殺人事件~ 千日 匠 @SUNLIGHT-CARPENTRY
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