第7話 ダンジョンを作ろう(2)
洞窟の奥で、焔のような光苔が揺らめいていた。石壁に淡い青い光が反射し、世界がひそやかに息づいているように見える。山田はその光の下で、硬い岩に腰を下ろし、無意識に頭を抱えていた。
昨日からの出来事が頭を離れない。
竜を従え、モンスターたちの中に囲まれ、ダンジョンの主と呼ばれるようになった。だが自分は探索者ですらなれなかった、ただの人間だ。力を持った実感より、どうしようもない不安が心臓を締め付けていた。
「……オルフェリア」
呼びかけに応じ、すぐ傍らに淡い光が収束する。紫の宝石から伸びる光が女性の姿を形作り、無機質な表情を持つ銀紫の美女が現れた。
メイド服姿の。
「……なんでメイド服?」
「ご用件を、マスター」
「…ま、まぁいいか……なぁ、俺が命じれば、モンスターたちは戦うのか?」
吐き出すように問う。
頭をよぎるのは、もし探索者が本当にここへ来たら、という恐怖だ。
あれは1回限りだ。脅しでどうにかなるのは最初だけ。次に来る相手はそれを覚悟で攻めてくるはずだ。
最初ですら、どうにかなったのは奇跡に近いだろう。
そんな俺にオルフェリアは微動だにせず告げる。
「命令の大枠に従うことは可能です。しかし意志ある存在は、命令が無茶であると判断すれば拒否することもございます」
「拒否……?」
「はい。死を恐れるのは、魔物も同じです。確実に死ぬ戦いを強制すれば、逃亡や反抗もありえます」
その言葉に、山田は胸の奥がざわめいた。完全な支配ではなく、あくまで“従う”という関係。
生き物の尊厳を踏みにじれば、従属など簡単に崩れるということか。
「……支配じゃないんだな」
「正確には“従属関係”です。信頼と恐怖の均衡の上に成立するもの。マスターが指揮者であることは変わりませんが、楽団が演奏を拒否すれば音楽は成立しません」
淡々と、しかし鋭い比喩が突き刺さる。山田は思わず息を呑んだ。
『指揮者』
自分は音楽などやったことはないが、その立場の重みは理解できる。己の一声が命を左右し、仲間の未来を決めてしまうのだ。
「そんなこと……できるとは思えないな…」
弱音を吐いたそのとき、背後の通路から低い唸りが響いた。反射的に振り返れば、闇の中から一対の赤い目が現れる。狼に似た二又の尾を持つモンスター──昨日ちらりと見かけた存在だ。鋭い牙を覗かせ、光苔の下に姿を現す。
体高は人間の腰ほど。最初に俺のそばにいた影の狼より1周りほど小さい。
しなやかな筋肉が動くたび、岩の床に爪が軽く音を立てる。山田は背筋を固くしたが、魔物は襲いかかることなく、ただじっとこちらを見ている。
「彼は〈ブラッドウルフ〉。このダンジョンにおいては比較的低位の魔物です。マスターに興味を抱いているのでしょう」
「興味…ねぇ…?」
オルフェリアの説明を受けても、恐怖は完全には消えない。
だが魔物は唸るでもなく、ただ静かに鼻を鳴らした。その仕草が妙に犬らしく見えて、山田は息を呑む。
「……お、おいで」
震える声で手を伸ばし、試しに呼んでみる。するとウルフは一歩、二歩と歩み寄り、鼻先を山田の手に押し付けた。ぬるりとした生温かい息が指先にかかる。次の瞬間、魔物は喉を鳴らし、小さく尾を揺らした。
「……懐いてる、のか?」
「従属の証です。マスターが恐怖ではなく安心を与えたため、彼は己の意思で近づいたのでしょう」
オルフェリアは淡々と言う。だが山田には、目の前の存在が確かに“生きている”と感じられた。
牙を持ち、戦えば脅威となる。
けれど同時に、恐怖に怯える生き物でもあるのだ。
「お前たちは……死にたくないんだよな」
呟くと、ウルフは鼻を鳴らした。その仕草がまるで肯定するように思え、山田の胸に重い塊が落ちた。彼らに命じることは、その恐怖と直結する。
探索者が攻めてきた時、命じれば戦ってくれるだろう。だがそれは、死地に送り出すのと同じ意味を持つのだ。
その責任を背負う覚悟が、自分にあるのか──
考え込む山田の耳に、硬質な振動音が響いた。重い息のような、深い鳴動。広間の奥で黒竜が眼を開けたのだ。黄金の瞳が細くこちらを射抜く。凍りつくような威圧感に、山田の呼吸が止まりかけた。
『主よ』
竜の声が頭に直接響いた。低く重い、地の底のような響き。
『我らは従う。だがそれは、無意味な死を望んでのことではない。余が爪を振るうのは、余の主と相応しい強さを示した時である』
その言葉に、山田は目を見開いた。
竜ですら、命令に盲従するわけではないのだ。彼らは確かに誇りを持ち、生きる理由を求めている。主のためなら戦う。だが無為に死ぬためではない。
ゆっくりと竜の瞼が閉じられる。巨大な黒い影が再び静寂に溶け込んだ。
「……命令は、命の重みと同じ、か。というか喋れるのかよ…」
呟いた山田に、オルフェリアが頷く。
「その通りです。マスターの言葉ひとつで、この空間の秩序は変わります。モンスターたちの忠誠は強固ですが、絶対ではありません。ゆえにマスターは常に“選択”を迫られるのです」
その声は冷たく、しかし真実を告げていた。選択。命じるか、命じないか。そのたびに誰かの生が決まり、未来が分岐していくのだ。
山田は唇を噛みしめ、震える手でウルフの頭を撫でた。ざらついた毛並みが掌に伝わる。魔物の体温が、現実を突きつけるように重い。
「……俺は、支配するためにここに来たんじゃない。多分。覚悟も何もないただの一般人だけど……守るために戦ってくれるなら、その覚悟はしなきゃいけないんだな」
その言葉に、オルフェリアは初めてわずかに目を細めた。表情は依然として冷たいが、ほんの一瞬だけ、紫の瞳が揺れたように見えた。
「ご理解いただけたようで何よりです、マスター」
そうして洞窟の奥から、再び微かな振動が伝わった。まるでダンジョンそのものが、彼の覚悟を待ち望んでいるかのように。
現代ダンジョンの主様〜ダンジョンを運営することになりましたが人類の敵として命を狙われることになりそうです〜 座頭海月 @aosuzu114514
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