涙の行方
はな
【掌編】涙の行方
いつからか泣けなくなった。
感情をなくしたわけじゃない。
ただ、どんなに悲しくても、悔しくても、嬉しくても、涙が出ない。
「あの人、労基に引っかかるよね?」
と噂される上司にヒステリックに怒鳴られても、同僚に嫌味を言われても、無表情で返す私が、影で“鉄仮面”と呼ばれていることを知っている。
表情が乏しくても、感情がないわけじゃない。
むしろ、誰かが私を“鉄仮面”と呼んでいる時、心はいつもよりうるさかった。
いつからなのか、きっかけは何だったのか、心当たりは無い。
気がついた時には表示と心が一致しなくなっていて、心が揺れても表情は固く固定されたままになった。
真面目、冷静、クール
周りの他人たちは、それぞれのイメージを私に貼り付けたけれど、私は真面目でも、冷静でも、クールでも無い。
ただ、繰り返し似たようなイメージを貼られ続けると、“そうじゃない私”は期待を裏切る存在に思えてきて、ますます能面になっていく。
素直に笑い、頼れるあの子が羨ましかった。
人にはそれぞれ生まれ持った役割があると思っている。
愛され役、可愛がられ役がいれば、嫌われ役や疎まれ役がいるのだ。
私は後者。
いつからか愛されたい、可愛がってほしいという欲求を持つことさえ辞めてしまった。
ただ自分が持って生まれた役割を全うしようと努力した。
唯一心が落ち着く瞬間は読書をしている時。
夢中で読んでいる時、私は役割から解き放たれ、別の人生を生きることが出来た。
誰にも邪魔されない私の頭の中の世界。
世界のどこかで誰かが産み落とした一文字一文字を噛み締めながら自分に取り込んだ。
文字は私の血肉となり、もともと他者を寄せ付けなかった私の世界は、より強固になり、私は私で完結するようになった。
私は人前で涙が出ない。
観た映画、読んだ本、心の琴線に何かが触れた時、ただ一人、自分だけの世界で私は泣く。
感情を他人に見せることに否定的な訳ではない。
私が感情を解放出来るのは自分と向き合っている時だけ、というだけのことだ。
20代の頃には既にそうだったのだから、さぞ可愛げのない後輩、娘、妹だっただろう。
歳を重ねて、能面の上に仮面を重ねる技術が身につき、表面上の人付き合いにはあまり苦労しなくなった。
二重に重ねた仮面の裏で私は”一人”を守っている。
本当は役割なんかなくて、ただ一人でいたいだけかも知れない。
今となってはそれもよくわからない。
今日も”一人”を実感するために私は仮面を被る。
誰かの役割を守るために自分の役割を全うする。
涙の行方は私だけが知っている。
涙の行方 はな @hana0703_hachimitsu
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