通貨

ヤマ

通貨

 海沿いの小さな町に、背の高い、バックパックを背負った男が降り立った。



 彼は、周囲の建物や人々を見ながら、町を歩く。

 話す言葉や、看板などに書かれた文字の意味が、彼にはわからない。


 道中、良い匂いがしたので、屋台で串に刺さった肉を買った。

 共通語で店員と会話し、自身の国では食べない動物の肉であることがわかった。

 なかなか美味い。



 この国の言語も文化も学ばず、宿も現地の習慣も知らずに来たのは、「共通語さえ話せれば、何とかなるだろう」と思ったからだ。

 結局、人間同士なんだから、通じるものはある。

 以前、別の国で道を尋ねたときも、笑顔を返してもらえたことを思い出す。


 そんな場当たり的な旅を、彼はいつも楽しんでいた。







 雨雲が、辺りを覆っている。

 雨が降るかもしれない。

 そう思いながら、食べ終えた串を咥えて、適当にぶらぶらと歩いていると、それが目に入った。


 町外れの岬。

 そこには、背の低い木製の柵と赤い看板が立っていた。


 天気は怪しいし、先に宿を取るべきだろうかと一瞬迷ったが、好奇心が勝った。


 看板の文字は読めない。

 しかし、「面白い場所に違いない」と笑い、岩場に串を捨てて、柵を跨いだ。





 足場の悪い岩場を進む。

 特に、これと言って目立つものはない。

 引き返そうかと思ったとき、濡れた岩に足を滑らせる。


 浮遊感。

 そして、衝撃。


 数メートル落下したらしい。

 下は、柔らかい砂だったため、大きな怪我はなかったが、立つことができない。

 足首を捻ったようだ。


「誰か! 助けてくれ!」


 痛みに耐えかね、彼は共通語で助けを叫んだ。





 声が聞こえた。


 見上げると、たまたま近くを通ったらしい、漁師らしき男が、柵の向こうに立っていた。


「助けてくれ! 怪我したんだ!」


 叫ぶが、漁師は表情を硬くするばかり。

 ジェスチャーも交えるが、効果なし。

 どうやら、共通語がわからないらしい。


 舌打ちするが、仕方ない。

 何とか助けてもらおうと、財布から両替したばかりのこの国の紙幣を数枚取り出す。

 それを見せながら、繰り返し、助けてほしいと叫び続けた。



 漁師が何かを言っている。



 しかし、彼には、理解できない。 





   ※





「この場所は、禁足地だ」


 何度も言うが、怪我をしたらしい旅行者は、首を傾げるばかり。

 共通語と思われる言葉を何か叫んでいるが、漁師はこの国の言葉しか話せなかった。


 旅行者が、金をこちらに見せつけるように掲げている。


 助けてほしいのだろう。

 しかし、柵があり、看板には、何人たりとも入ることは許されないと書かれている。


 にも関わらず、旅行者は、侵入した。


 この国の言葉が、読めなかったのかもしれない。

 しかし、この町では、人命よりも規則が優先される。


 例外は、ない。


 この町のことを知らず、規則を犯した人間を、助ける理由も、ない。



 以前にも、旅行者が来たことがあった。

 裕福だったようで、少なくない金を町に落としていったが、それ以上にゴミや不快感を残していったのが、記憶に新しい。



 やがて、漁師は吐き捨てるように言った。


「この町で通じる通貨は、金だけじゃない。敬意を持たぬ者に、差し出す手はない」



 この辺りに来る人間など、自分くらいで、自分がここを去れば、誰も来ないだろう。



 漁師は、静かに背を向け、呟く。


をしている場合じゃない。嵐に備えなければ……」









 あとには、助けを呼びに行ったと信じている旅行者と、潮騒だけが残った。

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通貨 ヤマ @ymhr0926

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