第2話 後編

 こうして季節はあっという間に秋へと変わっていた。


 学園で秋と言えば学園祭なる行事があるらしい。


 ひとつ年下の従弟であるシュルヴェスは生徒会に所属しているので忙しく、朝も早く登校する必要が出たので馬車を分ける事となり、さすがに公爵家でも毎日三台も馬車は出せないので、僕はようやくロゼと登校する事が叶った。


「学園祭というものは、生徒達の自主的な運営によって行われる学園行事ですの。学習の発表の場のようなものでもありますわ。その日は家族や婚約者を招待出来るので伯母様やラウラにも来ていただけますのよ」


 馬車に揺られながら、僕と次男のルードヴィグに向かい合うように座るロゼは僕に学園祭の事を教えてくれた。


 そういえば僕がエルランドへ来て数カ月経つがロゼが婚約者のヘンリックと手紙のやり取りをしている様子は全く無かった。僕ですら形式的な内容ではあるが一応婚約者とは数回ほど手紙のやり取りをしていたのに、あの馬鹿はロゼに一通も手紙を送っていない。


「それにお兄様、学園祭の夜にはダンスパーティーがありますのよ。正式な社交ではありませんから自由に踊れますの。ファーストダンスのお相手は婚約者ではなくても許されますし、婚約者でもない相手と何回でも踊れますのよ。昨年もシュルヴェスお兄様はお忙しかったのですが、ルードヴィグが私と踊ってくれましたわ。あの時は楽しかったわよね」


「楽しかったけれど、僕がリードしたかったのにロゼはすぐに色々なステップを自分から踏もうとするから合わせるのが大変だったよ。僕も今年は婚約者と参加をするから、ロゼはエーヴェルト兄さんと踊ってくれよ」


 そう言ってロゼと同年のルードヴィグは苦笑いを浮かべる。


 ロゼは歩き始めた頃から僕を相手に遊びの延長でよくダンスの練習をしていたのだ。物心がつく前から踊っていたロゼのダンスのパートナーはいつも僕で、僕たちは二人でどんどん複雑なステップを覚えていった。


 ロゼの魅力に気が付かない馬鹿な婚約者は、ロゼとはダンスの練習すらしない。あの王宮には王太子に自身の婚約者を大切にするようにと諌める者はいない。国を背負っていく王族をあんなに手ぬるく育てて大丈夫なのだろうかと、僕はあの馬鹿を見る度にそう思う。


 そしてあの馬鹿の不完全さを補う事になるのは、結局ロゼなんじゃないかと僕は危ぶんでいる。王家から派遣された教育者たちがロゼに厳しかったのはそれが理由なのではないかと思えてならない。


 だから僕はロゼを守る為に文官となり、最終的には宰相を目指す。公爵家当主という身分と、宰相まで辿りつけなくても文官としてもある程度の立場までなれば、僕はあの馬鹿を鍛え直すつもりだ。本人は自分の事を優秀だと勘違いしているので、まずそこを正せば少しは周りも見えてくるだろう。


 ただ、あいつが周りを見れるようになった時、ロゼはあいつを見限っているのかもしれない。そうなったらそうなったらで僕はロゼを連れて全力で逃げるつもりでいる。




 ◆◆◆




 休み時間にオレクと学園祭のダンスの話題になったので、ロゼはダンスが上手いと教えたらオレクは意外そうな顔をした。


「へえ、もっさりちゃんはダンスが得意なんだ」


「おい、その呼び方はやめろよ」


「悪い悪い、エーヴェルトもダンスが得意なら俺にいい考えがあるから聞いてくれ。俺はあれから妹ちゃんをもっさりちゃんにしてしまった責任を取るべく色々な事を考えていたんだ。もっさりちゃんの素顔を知っているから思い付いたのだが、俺とエーヴェルトでもっさりちゃんを改造していかないか?」


「何だそれは?」


 僕は目を細めてオレクを睨むと、オレクは僕に“もっさりちゃん改造計画”を語り始めた。




 ◆◆◆




「今日はロゼの為にリボンを買ってきたんだ。明日はこれを着けて学園に行ってくれないか?」


 放課後になり僕はオレクと二人で街へ出掛け、紺色のリボンを買ってきてロゼに渡した。


「えっ、私にリボンなんて……でもお兄様が手ずから選んで下さったのですから、明日は着けて行きますわ。ふふふ、ありがとうございます」


 意外にもロゼはあっさりと僕の願いを聞き届けてくれた。リボンと一緒に庭の花を付けた事でプレゼントらしくなったのが気に入られたのか、ロゼは僕からのプレゼントをとても喜んでくれた。


 ロゼにはまだ渡せていないがリボンは他にも買ってある。深い緑色とワインレッド、濃い色のリボンを渡したら次は薄くかわいらしい色を渡すつもりだ。それが終わったら次は小花や蔦模様の刺繍が入っているものや、糸で美しく編まれたレースのリボンもある。


 オレクには少しずつ段階を追って渡していくように言われている。どうやって渡すのか、ロゼにリボンを着けたくないと言われた時にどう説得するのかは、兄妹なのだからそちらで上手くやってくれと僕に任された。


 ロゼがリボンを着ける事に慣れてきたら、今度はヘアスタイルを少しずつ変えていく。


 ロゼはクセ毛だから何もしないとふわふわと大きく髪が広がってしまう。それもそれで僕にはかわいく見えるのだが、オレクはヘアスタイルにもメリハリが無いと洗練された雰囲気にはならない。だから一部の髪を編み込んで、広がる量をほどほどに抑えていけばいい、そう僕に教えてくれた。


 そのあたりをピオシュ家でロゼを担当している侍女に相談をしてみたら、侍女の方が目を輝かせながら『ローゼリア様ならば今おっしゃったような髪型がお似合いだと思っていました!』と言って僕に編み込みをしたヘアスタイルを口頭でいくつか説明してくれた。


 髪型についてはこの侍女に任せる事にして、僕は次の段階をオレクに相談する。


「妹ちゃん、リボン喜んでそうだな。次は姿勢を変えよう。妹ちゃんはいつも俯きがちにしているから、前を向いて歩くようにした方がいい。友人がいれば会話をする時に自然に前を向くようになるのだが、友人がいないとなると前を向いて歩けとでも言えばいいのかな?」


 オレクの問いに僕はしばし考える。ランゲルにいた時のロゼは姿勢がとても良かった。それはもちろんマナー講師に厳しく鍛えられた結果だが、あの頃のロゼは指先までも含めて立ち居振る舞いがとても美しかった。


 今は自室のソファの上にこっそり寝転んで小説を読んでいるのを僕は知っている。本を読むのなら椅子に座るべきだろう?いつから妹はああなったんだ?


「なるほど、ランゲルにいた時は何もしなくても周りが傅いてきたからロゼも気を引き締めていたが、高位貴族である事を思い出すように話してみるよ」


「ああ、それはいいな。何気ない仕草や堂々とした態度で、俺たち貴族は相手が自分よりも上の存在だと感じて、対応の仕方を無意識に変えるところがあるから、雰囲気作りは大切だ。妹ちゃんだったら孤高な人になりそうだが、低位貴族にも下に見られている今よりはいいよな」


 早速その日のうちに僕はロゼに僕たちは高位貴族としてこうあるべきではないかと諭したのだがロゼは『まあ、それって“悪役令嬢”みたいですわね。“悪役令嬢”って私がよく読む物語に登場するのですが、婚約破棄したりされたりしますのよっ』と言って大きな瞳をキラキラと輝かせた。


 立ち居振る舞いを戻してくれる事を簡単に承諾してくれたのは良かったが、婚約破棄という言葉を瞳を輝かせながら嬉しそうに話すロゼを見て、そんなにアイツの婚約者を辞めたいと思っているのかと僕は自分の妹を不憫に思った。


 こうして学園祭に向けてロゼは少しずつ変わっていった。


 ロゼを変えていく事は、僕が幼いロゼに色々な事を教えてあげていた時の記憶を思い出させた。まだアイツの婚約者では無かった頃、僕たちは公爵家という優しく暖かい世界の中で育てられていた。


 僕はロゼに絵本を読み聞かせ、文字を教えてあげた。ロゼは覚えるのが早くて僕はロゼに何かを教える事に楽しさをいつも感じていた。




 ◆◆◆




 学園祭当日の午前中はクラスでの発表や展示、時間を開けて夜にダンスパーティーが開かれる。


 僕のクラスの発表は楽器演奏で、ロゼのクラスは朗読劇をしていた。


 発表が終わった後は、一度帰宅してダンスパーティーの準備を始める。


 僕がこの国に来てすぐの時に比べてロゼはかなり変わった。


 ブラウンか濃いベージュ色のドレスを着ていたのが、今はペールブルーやミントグリーンのような色のドレスを着るようになった。


 髪型は以前と同じハーフアップでも、複雑に編み込みを入れるようになったので、髪の広がりもほどほどに抑えられて、巻き毛を生かしたかわいらしい髪型へと変わった。


 ダンスパーティーへ行く準備が終わったと侍女に呼ばれ、僕はロゼの部屋に入室した。


 鏡台の前に座っていたロゼは、はにかんだ笑顔を見せてくれる。


 今日のロゼは今までとは違い、前髪を上げて額を出させた。サイドの髪は後ろでまとめ、毛先の一部は遊ばせるようにしてそのまま下ろしている。まとめた部分にはパールとピンク色の花で飾りを着けてもらっていた。


 今日の為に誂えたロゼの落ち着いたサーモンピンクのドレスは、昔母が贔屓にしていたドレスショップのオーダーメイドで、ロゼを柔らかい雰囲気に見せてくれる。学園祭に来れなかった父と母からのプレゼントだった。


 僕は僕たちの瞳の色であるブルーを基調にした上下に、アクセントとしてロゼのドレスと同じサーモンピンクのチーフとロゼの髪を飾る花と同じ花で胸元を飾った。ロゼの首飾りと僕のタイピンには同じ色のサファイアを使っている。僕たちの瞳によく似た色だった。


 祖国でのロゼは王太子の婚約者なので、兄妹であっても揃いの衣装で出掛ける事なんて出来ない。こんな事が出来るのは今日だけだ。


「綺麗だね、ロゼ。よく似合ってるよ」


 そう言って僕はロゼの眼鏡のテンプルに触れて、そっと眼鏡を外す。


 ロゼに眼鏡を外させて素顔を見せる事、それが僕とオレクが目指した最終地点だった。


 ランゲル人のように青白い肌ではなく、健康的で透き通るような白い肌。僕と同じサファイアのような瞳は僕よりも大きい。


 ロゼを見て僕は自分よりも母によく似ているな、とそう思った。


「母上に似てるね」


「ふふふ、私もそう思いますわ。でもお兄様もお母様によく似ていらしてよ」


 僕が手を差し出すとロゼは立ち上がる。髪も瞳も顔立ちも似ている僕たちが揃いの衣装を着ているのだから、双子のように見えるかもしれない。なんだか本当に子供の頃を思い出す。あの頃も母の趣味で揃いの服をよく着せられていた。


「今日は楽しもう」


 そう言って僕は妹をエスコートした。




 ◆◆◆




 ダンスパーティーは学園の大広間で行われる。正装をしているせいか、今日のロゼは特に姿勢が美しく、凛としたその立ち姿は“王太子の婚約者”としてのスイッチが完全に入っていた。


 ダンスパーティーも生徒会が主催なので、シュルヴェスは相変わらず忙しいし、ルードヴィグは婚約者を迎えに行ってしまったので、今日は僕たち二人だけで入場した。


 誰もが遠巻きに僕たちを見ている。いつもならすぐにやってくるオレクも珍しくやってこない。


 僕たちは表情も身のこなしも完璧な公爵家の人間だった。


 そして僕たちの血にはエルランド王家の血も入っている。公に近い場で王家の名を汚すような事は出来ない。


 ランゲルでは僕たちの白金色の髪色は目立っていたが、エルランドでは濃さの違いはあれど金髪は珍しくない。あちらこちらに見える金の髪色に僕は安心感を覚える。僕にとってこの国は祖国よりも呼吸がしやすかった。


「皆がロゼを見ているね」


「あら、私珍獣扱いには慣れていましてよ」


 そう言ってロゼが優雅に微笑むと、周りがざわついたのが分かった。ロゼが将来祖国の王妃となる日が来るのだと思うと僕は誇らしくてたまらない。あの馬鹿な王太子を教育し直す手筈を早く整えないといけない。文官1年目では難しいから、あと5年か6年は欲しい。  


 ランゲル国王は高齢の為、あの馬鹿王太子の戴冠はかなり早くなるだろう。お飾りの王妃と周りに言わせないために、僕は頑張らないといけない。


 僕が祖国とロゼの将来に思いを馳せている間に学園長の挨拶は終わり、柔らかな曲が流れ始める。


 学園行事の一環なので、ダンスに疲れた生徒が咽を潤す為に用意された果実水が、壁際にセットされたテーブルの上に置かれていた。アルコール類はもちろん置かれていない。実際の夜会では酒に酔った招待客の事にも警戒しないといけないので、それが無い今日は思い切りダンスを楽しめる。


 やがて背景のように小さな音で演奏されていた曲が変わり、ワルツの曲が流れ始めてダンスが始まった。僕とロゼもホールドの姿勢を取る為に軽く手を繋ぐ。ロゼとの久し振りのダンスに僕の胸は既に躍っている。ロゼも大きな瞳をキラキラと輝かせていた。


 まずは慣れる為に簡単なボックスステップを踏む。久し振りにロゼとは踊るのに、僕のリードにロゼは丁度良いフォローをしてくる。僕は楽しくなってきて、ナチュラルスピンターン、リバースターンと次々にロゼと一緒に息の合ったステップを踏んでいく。


 僕たちのダンスはしっかりしたスウィングでもホールドのバランスは決して崩さない。そしてスウェイを上手く使ってダイナミックなダンスを見せる。


 ステップとステップの間も滑らかに、ロゼとの息もぴったりだから、余計な力が入る事なく姿勢も崩さずに踊り続ける事が出来た。特にロゼのスウェイは美しく、周りを魅了していた。踊っていてとても楽しい。


 二人で夢中になってダンスを踊っていたら、いつの間にか二曲続けて踊っていた。会場には僕たちの婚約者もいないし、正式な夜会ではないので今日は兄妹でも二曲続けて踊れる。砕けた場だからか、余興のようにふざけて令息同士や令嬢同士で踊っている生徒もいた。


 僕たちがダンスを終えたら、何故か周囲から拍手が湧きあがった。最初は自分たちに向けられたものではないと思い込んでいたのだが、いつの間にか周囲とは距離を置かれていて、ホールの真ん中にいるのは僕たちだけになっていた。


 僕たちは二人揃って礼をして休憩のために壁際へ移動した。


「上手くいったな、エーヴェルト」


 ロゼと二人で果実水を飲んでいたら、オレクがやってきて僕に話し掛けてきた。


「これまで助言をしてくれてありがとう。ロゼ、嫌じゃなかったらオレクと踊ってくるかい?」


 今回の事の礼の意味を込めて、僕は僕の自慢の妹と踊る権利をくれてやろうと思い、先にロゼに許可を貰おうとした。しかしロゼが返事をする前に、オレクの方から断りの言葉が返ってきてしまった。


「俺はもう不審者扱いされるのは懲りたし、綺麗なものは遠くから眺めているだけの方がいい。……エーヴェルトも妹君も正装すると近づきにくい雰囲気がすごいぞ。これは孤高の令嬢か高根の花になるな。俺はもう退散するから、じゃあな」


 そう言ってオレクは僕たちの元からさっさと離れていってしまった。


「お兄様、もう一曲踊りたいですわ。だってお兄様とこんなにたくさん踊れる事なんてないでしょう。それに小さな頃みたいに、今とてもワクワクしていますのよ!」


 少し休んで息が整ったところでロゼがダンスに誘ってきた。やはりロゼも幼い頃の事を思い出していたのか。ランゲルに戻ったら、もうこんなに楽しい事はないかもしれない。僕はロゼの誘いを快く受け入れた。




 ◆◆◆




 楽しかった学園祭が終わり、またいつもの生活が戻ってきた。オレクや従兄たちの話によると、あの日僕とロゼはかなり目立っていたらしい。生徒たちは最初、僕が祖国から婚約者を呼んだのだと思っていたのだが、顔立ちや雰囲気が僕たちはあまりにも似ているから、僕がエスコートしているのはロゼではないかと話が広がっていき、僕たちが派手に踊る様子を見て皆驚いたようだった。


 あれからロゼは前髪を上げて眼鏡を掛けるのもやめて美しい令嬢のままでいてくれるようになった。もうこれで他の生徒から侮られるような事も無いだろう。


 学園祭以来自信がついたのか同じ学年のルードヴィグの話によると、ロゼは授業中での発言も増えているそうだ。成績も良いし、ロゼを来年の生徒会に引き入れたいとシュルヴェスが言い出すようになった。アイツは最終学年の来年には生徒会長の予定だし、きっとロゼに自分の手伝いをさせるつもりだ。


 ロゼが嫌がるようならこの話を潰すように動かないといけない、と僕は頭の中で算段を始めると伯母が『エーヴェルトは義父様に本当によく似ているわね』とにこにこと話し始める。


 僕は伯母も同類の人間だと思うのだが、伯母にはまだ敵いそうもないので、僕は愛想笑いを浮かべるしか無かった。


 ロゼの改造計画が終わった後も学友が出来ないのは相変わらずだが、ロゼは前よりも楽しそうにふわふわの髪をなびかせながら学園へ通っている。


 そして学園祭が終わってからロゼの机の中に手紙を忍ばせる生徒が現れ始めた。


 兄としてそこはしっかり相手に抗議をしたかったのだが、手紙に書かれている内容を読んでみたら、何と相手は全て女生徒ばかりだったのだ。


 学友はいなくとも、ロゼの美貌と美しい立ち居振る舞いに憧れを持つ令嬢が現れてしまったらしい、それも複数。


 内容もロゼを呼び出すとかではなく、ただロゼを褒め讃える言葉や憧れの言葉ばかりが綴られていて、害意も無さそうだし手紙をもらう以外に実害も無かった。


 僕はどう対応したらいいのか悩んでいるのだが、ロゼは呑気なものだった。


「見て下さいお兄様っ。このお手紙を書かれた方は私の事を“お姉さま”って書いていらっしゃるわ。上級生の方からは“ローゼリアちゃん”ですわ。ああ、もう新しい扉が開いてしまったらどうしましょう。あちらのジャンルはまだ読んでいませんのに、……伯母様に相談してみないと」


 僕は伯母がロゼをうまく軌道修正をしてくれる事を願い、伯母の部屋へとそそくさと急ぐロゼを見送った。




 ◆◆◆




 そうしているうちにあっという間に秋が終わり、僕がエルランドを去る日がやってきてしまった。


 初めて通う学園は楽しかったし、最終学年なので卒業まで居たかったのだが、僕は次の春から祖国のランゲルで文官として働く事になっているので、準備の為に王宮に顔を出さないといけないからと、半ば強制的に連れ戻される形で帰国する事になったのだ。


 僕にとって学園の思い出といったらロゼとオレクとの事ばかりだった。だから学園で最後に会った時に別れの挨拶をしたのだが、オレクからはあっさりと「またな」と言葉を掛けられただけだった。


 僕とオレクは国も身分も違うから、本来ならばもう会う事は無い。しかし何故か彼とはまた会えるような予感がしていた。


 オレクが僕に会いにふらっとランゲルに来るのかもしれないし、もしかしたら僕が政敵にでも敗れて地位も身分も失くし国を追われ、エルランドに戻ってくるような事があるかもしれない。それでも彼だったらそんな僕でも受け入れてくれそうな気がした。


(まさか、……な)


 一瞬だけよぎった嫌な予感を頭の中で打ち消しつつ、ランゲル王国へと向かう馬車に乗る前に、ローゼリアを強く抱きしめる。


「お兄様、ありがとうございました。またお手紙を書きますわね」


「ああ、楽しみに待ってる」


 この数カ月でローゼリアはかなり変わった。見た目もそうだが、前よりもずっと自分の言葉で話すようになった。


 本当はもっとロゼと共にいて面倒をみてやりたいのだが、ロゼを守るには今の僕は非力過ぎる。僕もいつか公爵となるのだが、僕が力をつけるのが20年先では遅いのだ。


 フォレスターは筆頭公爵家だが、敵対している派閥もある。僕が数カ月留守にしている間、当主として父がいるのだが、実は父は騙され易い性格をしている。そこを見抜かれたら我が家が筆頭公爵家でも潰される可能性もあるのだ。


 それに僕にはランゲルでやらないといけない事がたくさんある。


 まずは父が若い頃に領民たちに納める税をかなり安くしてしまったので、そのあたりを変える為に帳簿を見直す事から始めないといけない。公爵家に入る税が少な過ぎて、こちらもやっていけなくなりそうなのだ。人の良い父は領民たちがかわいそうだと反対をしそうだから、少しずつ進めていかないといけない。


 ランゲルに帰ったら僕は忙しくなるだろう。ゆっくり出来るのも今日までだと自分を戒めて祖国へと向かう。ロゼのために決めた留学だったが、僕にとってもエルランドで過ごせた日々は良い経験になった。


 祖国では異分子扱いされている僕とロゼだが、僕には半分ランゲルの血が入っていても、僕の容姿がエルランド人とは変わらないからか、ここでは皆が僕たちの事をエルランド人と変わらず接してくれる。この国は僕にとっても落ち着ける場所だった。


 僕が次にエルランドの地を踏む事が出来るのがいつになるのかは分からないが、ランゲル王国の前国王陛下の国を変えていきたいという意思を僕は継いでいきたいと思っている。


 このままではランゲルは周りからどんどん遅れていくばかりだ。国を開き国交を活発にしていかないと、いつかどこかの国に取り込まれてしまうかもしれない。


 そしてランゲルに唯一接しているこのエルランドが一番そうする可能性が高いのだ。


 だから前国王は融和政策を敷き、エルランド王家の血を受け継ぐ母をランゲルに迎え入れ、さらに母の子であるロゼを王家へと取り入れる為に王太子とロゼの婚約を結んだ。


 言うなれば僕もロゼも前国王の融和政策の結果生まれた子供なのだ。


 だから“閉じられた国”だと周辺諸国から言われ続けているあの国を開かせるには、ランゲルとエルランド両国の血を受け継いだ僕やロゼの存在が必要だと思えてならない。


 僕の中に流れている血と同じように、ランゲルの中にエルランドを入れたい。



 この時の僕はまだ自分がどうやってあの国を変えていくのかが分かっていなかったのだが、僕はそれほど遠くない未来に自分の望みを叶える事になるのだった。

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僕の妹はもっさり令嬢 夏生 羽都 @natu_hato

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