僕の妹はもっさり令嬢

夏生 羽都

第1話 前編

 僕にはかわいい妹がいる、妹の名前はローゼリア。フォレスター公爵家の大切なひとり娘だ。


 そして僕の妹には婚約者がいる。ヘンリック・ランゲルという名で、ランゲル王国の王太子をしているのだが、ヤツは僕の妹に冷たい。


 ローゼリアことロゼは、大きな青い瞳にふわふわな白金色の髪を持つ可愛らしい妹で、学問をさせてもダンスを教えても飲みこみが早い上に、記憶力も高い博識な令嬢である。礼節やマナーも完璧で、淑女の鑑と言っていいほどの存在なのだが、世間での妹の評判はとても低い。


 僕も頭の出来は悪い方では無いと思うし、剣術もそれなりに出来ると自負しているのだが、妹ほどではないが僕の評価もそれほど高くない。


 僕たち二人の性格に問題があると言われてしまえばそれまでだが、僕たちはこれまで公爵家の人間として権威的な態度を取っていたわけではないし、むしろ控えめに生きている方だった。


 なのにどうして僕たちの扱いが低いかというと、それはひと言で言ってしまえば僕たちが“混血児”だからだった。


 僕たちの暮らしているランゲル王国は元は単一民族国家で、白い肌と黒い髪色、切れ長の瞳が特徴の民族なのだ。他国の血が全く入らないわけではないので、今は黒髪よりも茶系の髪色が一番多く、次が赤毛、その次が黒色、そして僕と妹のような金髪は国民の一割に満たなかった。


 ランゲル王国にあっては白い肌に黒い髪色と瞳の色が一番好ましいと持て囃される。単一民族だった名残で、ランゲル王国ではランゲル人としての血が濃い事がより好まれているのだ。


 王太子はちょうど黒い髪と黒い瞳を持っていて、顔立ちもそこそこ整っている。しかし身長はそれほど高くもないし、頭も大して良く無さそうだが、ランゲルの令嬢達の人気はかなり高い。


 王太子とは対照的に、僕たちに自ら近づくような令嬢や令息はいなかった。


 茶色や黒の髪色の中に僕たちが交ざるとかなり目立つ。皆が無意識に僕たちを異分子として認識しているのだ。


 そして僕と妹が白金色の髪色を持ち、混血児だと言われてしまうのは母方の血筋が理由だった。


 白金色の髪色はランゲルの隣にあるエルランド王国の王家の色で、僕たちの母親はエルランド王国の公爵家出身だった。僕たちは母によく似た白金色の髪と青い瞳を持ち、肌の色は白いが、ランゲル人のように青白くはない。


 名門フォレスターの血統を持っていても、残りの半分の血が隣国の王家に繋がるものだとしても、ランゲル人ではない血が半分入った僕たちにランゲルの社会は冷たかった。そしてそれが僕たち二人の低い評価の原因だった。


 父と母の婚姻は、国同士の繋がりを深めるための政略結婚だった。


 母のエルランドは大国で父のランゲルは小国だった為、先の国王陛下が強く望まれた婚姻だった。


 筆頭公爵家の血筋にエルランドの血を入れる事で、他国を受け入れようとしない風潮の強いこの国を変えたい、フォレスターと王家が中心となって閉じられた国から開かれた国へと変えていきたい。先王陛下はそのようにお考えだった。


 実際ランゲルは周辺諸国の国々よりも技術や文化の面で遅れているところが多い。


 国土の北西を山脈に囲まれて食糧の自給率も高い為、他国と交流が少なくてもやっていけるのは強みではあったが、鉱山資源に乏しく産業技術も低いこの国は隣接しているエルランド王国がその気になれば、簡単に潰されるか吸収されてしまうような国力しか持っていなかった。


 そして先の国王陛下はロゼと王太子のヘンリックの婚約をまとめてから、志を半ばにしてこの世を去ってしまったのだった。


 エルランドとの融和政策を進めていた前国王陛下がお亡くなりになってから、保守的な考えが強い国民性を持ったランゲルはまた元に戻ってしまったのだ。エルランドとの繋がりのために生まれた僕たちを残して。


 僕は国を出たいと父に申し入れた事もあった。しかし子供の僕の考えなんて一蹴されるだけで終わってしまった。


 僕には名門貴族の嫡男としての立場があり、妹は王太子の婚約者という立場から国を出る事は許されなかった。僕はもう国に縛られるという呪われた運命の元に生まれてしまったと思うしかなかった。


 そして妹はわずか14歳で王家の秘匿に関わる事柄以外の王太子妃教育を終えてしまった。これは異例の早さで妹の能力の高さを示していたが、評価をしてくれる者はいなかった。


 そしてここにきて我が家は王太子妃教育が終わった事と“公爵家”という権威を使い、ロゼのエルランド王国への三年間という長期留学を父にもぎ取ってきてもらったのが一年前の話だった。


 この一年、僕は妹と手紙のやり取りをしている。週に一度は僕から妹へ手紙を送り、妹からの返信も返ってくるのだが、妹からの手紙の内容が少しおかしな内容なのだ。


 妹からは従兄弟たちの話題に交じって時々『今日は学友とカフェへ行ってお茶をした』『今日は学友と図書室で勉強をした』等やたらと“学友”という言葉を使うのに、その“学友”とやらがどこの誰だかが一切書かれていないのだ。


 公爵家令嬢であり、王太子の婚約者でもある妹は、責任感が人よりも強い。その妹がどこの誰と付き合いがあるのかを明らかにしない事なんてあるだろうか?いや、無い。兄であるこの僕にも教えない名前の相手なんて僕は認めない。


 僕の予想では妹の“学友”とは僕たち家族を心配させない為に作った架空の存在なのではないかという事だった。


 エルランドには“学園”なる同年代の者たちを集めた学び舎があるらしく、留学している妹も学園へ通っている。ランゲルでは各家で家庭教師を雇い、それぞれで学ぶのが一般的で、学びを修めたのかどうかの判断や、マナーのレベルが社交界へのデビューが可能なものどうかは各家の親の判断で決める。


 家によって学びの差が大きいのは当たり前の事で、マナーに厳しい家、学問に力を入れる家、剣術に力を入れる家、それぞれの家に特徴があった。


 僕も幼い頃から家庭教師を付けられていたが、家庭教師は13歳の時にもう教える事は無いと言って去っていってしまったので、それからは父について領地運営について学び、今は領地管理の一部の仕事も任されているので、趣味でもある小麦の品種改良の研究をしながら、領地と王都との行き来をしていた。


 18歳になれば王宮の文官職の仕官への道も開けているので、僕は妹のために文官となり、文官のトップである宰相を目指すつもりでいる。


 そして今17歳の僕には仕官を始めるまであと一年ほど時間があった。侯爵家以上の家の嫡男に限り文官試験は免除されるので、縁故での宮仕えのスタートとなる。文官試験にパスする自信はあるし、縁故採用だと陰口を叩かれるのは不本意だが、公爵家嫡男の僕は試験を受けないという決まりなので仕方がない。


 なので僕は王宮勤めが始まるまでの一年を、エルランドへ留学する事にしたのだった。


 妹が元気でやっているのならそれでいいし、僕にとってもエルランドで学ぶ事は今後も役に立っていくだろう。領地運営から僕が抜ける事を父は嫌ったが、母に頼んだら母に甘い父は簡単に折れてくれた。


 そして僕はやっとエルランドの地へ足を踏み入れる事が出来たのだった。




 ◆◆◆




 母の生家があるのでエルランドへは幼い頃に何度が訪れた事はあるのだが、長期的に滞在する事は初めての事なので、不安よりも楽しみの感情の方が強かった。


 これからお世話になる予定の母の実家であるピオシュ家はエルランドの王城からほど近い場所にあった。


 ピオシュ家では領地にいる伯父以外の、伯母と従兄妹たちが出迎えてくれた。


 まず伯母のマリエル、この家の嫡男で僕よりひとつ年下のシュルヴェス、次男のルードヴィグはローゼリアと同年だ。僕より8歳下で長女ではあるが末っ子のラウラとは初めて会った。余談だが僕のエーヴェルトという名前の名付け親はピオシュの祖父で、エルランド風の名前を付けられた。


 伯母や従兄弟たちと抱擁した後に、僕は遠慮がちに佇むローゼリアを見つけた。


 ロゼはランゲルにいた時と同じように前髪を伸ばし、令嬢によくあるハーフアップの髪型をしていた。そして何故かランゲルでは掛けていなかったハズの眼鏡を着用していた。くせ毛は伸ばさずに、髪の毛はふわふわとさせていて、どうしてだろうか野暮ったく見えた。それもかなり。そして僕が特に気になったのはロゼの着ているデイドレスで、令嬢に似つかわしくない茶系の色をベースにしたドレスを着ていた。デザインも色も従妹や伯母に比べてかなり地味だ。


 僕は機嫌の悪い母が時々そうするように、眉を顰めた表情のまま無言で伯母に視線を送った。


「こっ、これには事情があるのよっ」


「理由によっては留学を取りやめてこのまま妹を連れて帰ります。伯父には書簡にてお伝えいたしましょう」


 僕は敢えて低くゆっくりした口調で伯母に話す。僕の声質はピオシュの腹黒公爵と囁かれていた前公爵の祖父に似ているらしく、生前の祖父の口調を真似ると母は嫌がった。


 使用人たちも内心慌てている空気を出していたが僕は気にしなかった。妹を虐げるような家にかける情は持ち合わせていない。


 特に古参の使用人たちは青い顔をしている。この家の娘であった母と同じ顔をした僕が、祖父と似た声と口調で不機嫌そうに話すのだから良い気分はしないだろう。


 凍りついた場の空気を変えたのはローゼリアだった。


「お兄様っ、ご、誤解ですのよっ」


「誤解も何も無いだろうロゼ。僕たちはロゼに少しでもこの国で自由に過ごしてほしかったから送り出したのだよ。僕の見ている限りロゼはここでも冷遇されているよね」


「私の見た目の事をお話ししていらっしゃるのでしたら、これは私がしたくてしている事ですのっ。伯母さまからはもっと明るい色のドレスをいつも勧められていますし、髪型もラウラのように可愛らしくした方が似合うのにとも言われていますのに、私がこのようにする方が落ち着くからと言ってこうしていますの。私の事を思って下さるのは嬉しいのですが、伯母様を責めるのは止めて下さいましっ」


 僕はローゼリアに近づき眼鏡を外させて、レンズを通して向こう側を見てみる。やはり度は入っていなかった。


 眼鏡を取ったことでロゼの顔が良く見えるようになった。大きくてサファイアのような青い瞳が僕を見上げる。小さな頃から僕はローゼリアの“お願い”に弱かった。


 そのタイミングで伯母が扇をぱさりと広げた。


「エーヴェルト、先ずは来たばかりなのだから、応接室でお茶でも致しましょう」


 そう言って冷え切った場を伯母が取りなす。先ほどは僕の様子に驚いていたようだったが、さすが大国エルランドの筆頭公爵家の夫人をしている人だけあって、何事も無かったかのように、にこやかに茶を勧めてくる。


 僕はロゼの事ですぐに感情的になってしまった自分の未熟さを恥ずかしいと思った。


「申し訳ございません、伯母様」


「いいのよ、私もローゼリアにもっと強く言えれば良かったのだけれど、この子にも色々あるのよ」


 同じ公爵夫人でも母とは違う対応に僕は感心した。母ならば嫌味のひとつでも言ってくるところだが、伯母は人を許すのが上手い。


 ロゼから聞いて分かった事は、ロゼは自らこのような格好をしているという事だった。


 一年と少し前、ロゼは入学する少し前に学園の中を見てみたいと校舎の脇を歩いている時に、男子生徒に絡まれてしまったらしい。


 その事がきっかけとなり、従弟たち以外の男子生徒が怖くなってしまい、見知らぬ同年代の令息がたくさん通っている学園でやっていく自信がなくなってしまい、かわいいとは逆のベクトルへと自分を変えてしまったという話だった。


 そして見た目に問題があって学友が出来なかったのは本人も自覚しているが、今更もう戻る事は出来ないと頑なに元の姿に戻る事を拒絶しているのが今の状況だった。


「でもお兄様、聞いて下さいな。私はエルランドで自分の楽しみを見つけましたのよ」


 そう言ってローゼリアが案内してくれたのは結婚前の母が使っていて、今はローゼリアが自室として使わせてもらっている部屋だった。


 その部屋の壁には母が使っていた頃には無かった大きな本棚があり、本棚がいっぱいになるほどの量の恋愛小説がぎっしりと詰め込まれていたのだった。


 恋愛小説を読むきっかけになったのは伯母が元々そういった本が好きで何冊も持っていて、引きこもりがちなロゼに気晴らしにと貸した事が始まりで、ロゼはどんどん恋愛小説にのめり込んでいったらしい。それ以来伯母とローゼリアはお互いに読んだ小説の感想を話し合う仲となり、一年でこれだけの本を叔母から贈られたという話だった。


 ロゼが手紙に書いていた学友とカフェに行った話や図書室で勉強をしたという話は全て恋愛小説の主人公が経験していた事を書いただけで、実際のロゼは学園が終わると真っ直ぐピオシュ家へ帰り、毎日小説を読んだり伯母や従妹のラウラとお茶をしながら日々を送っているというのが真相であったのだ。


 僕が想像していたよりも斜め上な事実に驚きつつも、僕はこの一年ロゼの精神面を支えてくれた伯母に再び頭を下げたのだった。




 ◆◆◆




 僕のエルランドへの留学は急に決めた事だったので、手続きの関係で新学期には間に合わず、ひと月ほど遅れての入学となってしまった。


 ロゼと毎日学園に通えると思うと僕は嬉しくて仕方がなかった。ロゼは従兄弟たちと毎日通学をしているので僕も一緒にと思ったのだが、自分達の馬車は4人では狭いからと言われて僕だけ違う馬車で寂しく登校となってしまった。


 そもそもロゼ達の使っている馬車は6人乗りだし、4人で乗れないというのなら僕の妹であるロゼは僕と一緒に通学すべきだと思ったが、この国に来たばかりの僕にとって3対1では分が悪く、文句を言えなかった。


 そして転校して数日後に僕はどうしてロゼと従弟たちが僕と一緒に登校をしたがらなかったかを理解した。


「見て!エーヴェルト様がいらっしゃったわよっ」


「まあ、本日も麗しいお姿をお目にかかれて眼福ですわ」


「はあ、なんて素敵なお方なのかしら……」


 名前も顔も知らない女生徒たちが僕を見つけると近くまで寄ってきて好き勝手に僕の事を話している。


 最初は転校生が珍しいのだと思っていたのだが、僕は毎日彼女たちに囲まれて昼食を摂らされるようになっていた。昼休みになると彼女たちはどこからかやってきて僕を囲み、有無を言わさぬ態度で僕は彼女たちと昼食を食べる事になってしまうのだ。


 まだこの国にも学園にも慣れていない僕は、どうする事も出来ずに彼女たちの言うがままにされていた。


 僕の容姿はこの国の王族寄りらしいので、令嬢たちに好まれる顔をしているそうだ。きっとロゼと従弟たちはこうなる事を想定して僕だけ別の馬車に乗せたのだろう。


 生徒会で副会長を任されている一歳年下のシュルヴェスに相談をしても『彼女たちもそのうち飽きるさ』としか言わず打開策を授けてはくれなかった。


 生徒会というものは、僕のような困り事のある転入生の力にはなってくれないようだった。


 僕には祖国に婚約者がいるのだと言っても彼女たちは『私たちはこうしてエーヴェルト様とお話をしているだけで充分なのです』『エーヴェルト様の中で私たちがエルランドでの思い出として残ってくださるだけで充分なのですっ』等と言って全く話を聞いてくれなかった。


 僕からすると、よく分からない生徒は男女に関係なく話をしたいとは思わないし、エルランドに来たのだってロゼと楽しい思い出を作るためであって、どうして僕がよく知りもしない彼女たちとの思い出を作らなければいかないのかが疑問だった。


 これまで女性に囲まれた事の無い僕は、彼女たちの排除方法が思い浮かばなかった。相手の家に迷惑だと訴えればいいのか、本人たちに直接怒鳴り散らせばいいのかさっぱり分からないままひと月近くが過ぎてしまった。


 その日はたまたま教師の都合で自習となり、僕は机に座って読書をしていた。一部の生徒たちは教師がいないのをいいことに、勝手に席を動いて教室の後ろの方で無駄話をしていた。彼らの声は大きく、話している内容は自然と耳に入ってきた。


「なあ、おい今日も“もっさり令嬢”のヤツ、一人で裏庭にいたぜ」


「俺なんて“もっさり令嬢”とさっきすれ違った時に軽く押してやったら簡単に転びやがってよ、ククク」


「ちょっと弱いものいじめはやめなさいよー。でも私もあの鉄仮面みたいに泣きもしない“もっさり令嬢”が転ぶところをみたかったけどね、あはは」


 彼らは誰か一人の話題で盛り上がっていた。


「でも“もっさり令嬢”って高位貴族なんでしょう」


「えっ、男爵令嬢って聞いていたけど、あれっ準男爵令嬢かな?」


「家名も聞いた事なかったよね、確かフォスターとか?」


 ここまで聞こえたところで、僕の耳はピクリと動き、彼らの話が良く聞こえるように読書をするフリをしながら耳を傾けていた。


「フォスターじゃないよ、えーと確か……フォレスターじゃない?」


「ああ、フォレスターだ、そんな家名聞いた事ないよなあ」


―――ダン!


 気が付いた時には僕はつかつかと大股で彼らの元へ近づき、彼らの近くにあった机を力任せに強く蹴飛ばしていた。僕に蹴飛ばされた机は派手な音を立てて床に倒れ、机の中にあった何冊もの教本が床へと散らばる。


 彼らは突然の事に一瞬ぽかんとした表情を浮かべていたが、僕が蹴飛ばした机の主が最初に食ってかかってきた。こいつは“もっさり令嬢”を転ばせた男だ。


「おいっ!エーヴェルトっ!何しやがるんだっ!」


「僕の名はエーヴェルト・フォレスターだ。お前達が馬鹿にしていたのは僕の妹だ。先ほどは僕の妹を準男爵令嬢だと言ったが、それはフォレスターが準男爵だと言いたいのか?無知なキミたちに教えてやるが、フォレスターはランゲル王国では筆頭公爵家だ。そして僕たちの母はピオシュ家出身で、僕の母方の祖母は前国王陛下の王妹殿下に当たるから、国王陛下と母は従兄妹の関係だ。キミたちの話では僕の母は準男爵家に嫁いだという事になる。後で伯父に確認をしてみよう。エルランドではフォレスターを準男爵扱いとしているのかと」


 ローゼリアには友人がいないどころか暴力まで振るわれていると知り僕の怒りは頂点に達したが、怒りも度を過ぎるとかえって冷静になるのだと僕は実感していた。


「では準男爵令息の僕は失礼する。この学園の中ではよほどの事が無い限り不敬罪は適用されないらしいから良かったな」


 そう言って僕は教室から出て行った。


 背後から謝罪の言葉が聞こえてきたが、彼らが謝罪すべきなのは僕ではなくローゼリアだ。


 教室を出た僕はまっすぐに医務室へ向かう。


 ドアを開けたらロゼが一人で椅子に座っていた。


「まあ、お兄様もどこか具合がお悪いのかしら?あいにく先生は今は席を外されてましてよ」


「ローゼリア、怪我の具合は大丈夫か?」


「お兄様は察しがよろしいのね。自分で転んでしまって少し足首をひねってしまったみたいですの。私ったらダメですわね、ふふふ」


「ロゼ、僕では頼りにならないかい?僕には嘘はつかないで欲しい」


「……嘘だなんて、そんなおかしな事はおっしゃらないで」


 そう言いながら眼鏡のレンズ越しに見えるロゼの瞳からは、今にも涙がこぼれそうだった。


「ロゼを転ばせたのは僕のクラスメイトだった。あいつが自慢するようにロゼを転ばせた事を話していた。あのような連中と同じ空気を吸っていたかと思うと虫唾が走る。ロゼも辛かっただろう。すぐに気付く事が出来なくて悪かった」


 そう言って僕がロゼを優しく抱きしめる。するとロゼはぽろぽろと涙をこぼして泣き始めた。


「お兄さまっ、……どうしてっ、私はここでもっ、嫌われて、いるのでしょうか?」


 ランゲル王国において女性の美徳とされるのは男性に黙って付き従う事とされている。ロゼは特に王太子妃教育によって“ランゲル流”の考え方を強く強制されて育てられてきたから、相手に強く出られても言い返す事が上手く出来ない。


 しかしエルランドの女性はランゲルの女性よりもずっと強く、自分の言葉で物事を語る。ランゲルでは認められていない女性が爵位を継承する事もエルランドでは認められている。


 爵位を持つということは領民たちを守る立場になる。女性であっても強くあらねば爵位も財産も守れない。だからこの国では女性にも時として強さが求められる風潮があるのだ。


 ランゲルにいた頃は当たり前だと思っていた事も、エルランドに来た事で違う事もあるのだと僕は留学してから気が付いた。


 そしてエルランドにいると、ランゲルで僕たちは身分というものに守られていた事に改めて気付かされる。陰口は叩かれても、ヒエラルキーの頂点に近い場所にいる僕たちを直接的に攻撃する者はほとんどいなかった。


 この学園のようにある程度の自由が許されている中では、僕のようにやり返せるタイプならばそういった風潮も問題はない。しかしロゼのように孤立している上に気が弱いと、相手を付け上がらせる事になってしまうのが現実なのだ。


 外見が少々珍妙で気の弱いロゼは、彼らや彼女たちにとって格好の玩具のような存在だったのだろう。ロゼが大人しいのをいい事に彼らが僕のかわいいロゼに怪我をさせて嘲笑っていた事を僕は許せなかった。


 まだ転校して日も浅い僕だが、彼らの家名は覚えている。怪我という実害があった以上、黙っている訳にはいかないし、僕自身あいつらに仕返しがしたかった。


 その日僕はロゼを連れてすぐに公爵家へと帰り、伯母に今日あった事を報告した。伯母は学園長と、ロゼの事を悪く言っていた4人の生徒達の家へ抗議の内容を書いた手紙を送ってくれた。彼らは子爵家と男爵家の生徒ばかりだった。


 ロゼに怪我を負わせた生徒は一週間の停学、他の生徒は注意に留まった。僕としては全員停学にしてほしかったのだが、ここはランゲルではないので学園の決定に異議は唱えられなかった。


 そして翌日から僕はクラスメイトたちから遠巻きに見られるようになった。


 これまで僕の周りに侍っていた女生徒たちもいなくなった。お陰で授業が受けやすくなったし、元々彼女たちをどうやって追い払おうかを考えていたのだから、自主的に離れてくれたのは僕としても都合が良かった。


「おい、エーヴェルト。お前陰で“狂犬”って呼ばれてるぜ」


 剣術の授業の後、先ほど一緒に組んで授業を受けていた子爵令息のオレク・シャンデラが僕に話し掛けてきた。


 転校手続きをした時に学園では身分に関わらず生徒たちの交流を認めているので、よほどの事がない限り不敬罪は適用されないと言われている。


 ほとんどの生徒は学校の方針が建前であると理解し、礼節ある態度で接してくるのだが、ロゼを害していたヤツらのように何事にも例外的な存在があるのは世の常だった。


 だから学園の中ならば子爵令息の彼が僕に気軽に話しかけるのも問題は無い。


「僕の生家の紋章には王家を守る意味で犬が使われているから、悪くない渾名だな」


 面と向かってではないが、祖国では“混血児”や“外国人”と僕らのいない場所では呼ばれているのだ。今更何と言われても気にならない。


「お前、顔だけのいけ好かないヤツだと思っていたけど、剣術もけっこう強いし面白いヤツなんだな」


 オレクはそう言ってニヤリと笑い、それからはやたらと僕に話し掛けてくるようになった。僕もオレクのように僕の身分に忖度しないで話し掛けてくる相手が親族以外は初めてだったので、彼の事を面白い存在だと思った。


 彼はロゼの元へ行こうとする僕にも付いてきた。僕は付いてくるなと言ったのだが、勝手に付いてくるのだ。


「お兄様……あの、そちらのお方は?」


「こいつは同じクラスのオレク・シャンデラだ。来るなと言っても勝手に付いて来た」


「あー、キミが噂の“もっさり”ちゃんかあ。初めて見たけど俺が想像していたよりずっともっさりしてるねぇ」


 オレクがロゼを珍しいものを見るように言うのでロゼは戸惑っていた。


「あ、あの……」


「オレク、妹の名はローゼリアだ。そのような不本意な名前で呼ぶ事は僕が許さない」


「あれ、よく見るとキミってけっこうかわいい顔立ちをしてるね………うん?もししかして?……俺、前にキミに会った事あるよね?」


 オレクは僕の言葉を無視してローゼリアの顔をじっと見ている。


「えっ?シャンデラ様とお会いするのは初めてかとおも……あっ!あの時のっ」


 そう言ってロゼは素早く僕の背中に隠れる。


「オレク、ロゼが怯えているが、……何をした?」


 僕は祖父と母譲りのあの表情と口調でオレクを問い詰める。


「ちょっ、怖いって……。この子には前に学園の中を案内してあげようとして逃げられただけだからっ、ねっ俺何もしてないでしょう?」


 オレクは慌てたようにロゼに助けを求める。


「以前このお方に付き纏われました」


 僕はロゼが入学前に男子生徒に付き纏われたと話していたのを思い出した。見つけたらそれなりに返礼をしようと思っていたから身近にいたのなら丁度良い。


「何それっ、誤解だっエーヴェルト。学園で見た事の無いかわいい子がいたから新入生だと思って声を掛けただけだからっ」


「ロゼは初めて訪れた学園で男に付き纏われた事が原因で、男子生徒と接する事が恐ろしくなり、眼鏡を掛けて自分の殻に閉じこもるようになったんだ。僕もその男を見つけたらしっかり礼をしたいと思っていたが、身近にいるとは思わなかったな」


「ええぇっ、もっさりしてるのって俺のせいだったの?!確かにちょっと話しかけたけれど、別に追いかけたりとかしなかったでしょう?あれくらいで怖いって、ランゲルっていつの時代の国なんだよっ?」


 おそらくオレクは僕に対するようにロゼにも興味を持って話しかけたのだろう。オレクの事を多少なりとも知った今なら、彼がロゼに強引な事はしていなかったというオレクの話も信じる事が出来るのだが、オレクが話し掛けた事がきっかけでロゼがこうなっているのは僕にとっては許し難い事実だった。


「あーっ、もう謝りますからっ。許して下さいっ!」


「……ひっ」


 そう言ってオレクは突然地面に膝をつき、土下座の姿勢を取った。ローゼリアは突然のオレクの行動に小さく声を上げて、僕の服をぎゅっと掴む。


 僕は大きくため息をついた。


「はあ、どうする?ロゼ」


「私はもういいですっ、シャンデラ様を許しますわっ」


 ロゼはあっさりオレクを許したが、僕は簡単にオレクを許すつもりはなかった。


 次の休日にオレクを学園の鍛錬場に呼び出し、僕は彼を半日鍛えたのだ。僕たちの生家は元々武門の家系で、父方の祖父は若い頃は王宮の騎士団を率いていた。幼い頃から祖父に鍛えられ、祖父亡き今もエルランドへ来るまでは生家の騎士団の朝稽古に参加をするのが日課だった僕は、貴族としての生活を謳歌しているオレクよりも遥かに体力があった。


 もちろん僕もオレクと同じメニューをこなした。彼は何度も泣き事を言って許しを乞うてきたが、ロゼに『もう止めて下さい』と言わせるまで止めなかった。


「エーヴェルト……マジで狂犬」


 オレクはそう言って鍛錬場の地面に横になって天を仰いだ。翌日の彼は筋肉痛が痛いと文法的におかしな言葉を言っていたが、ロゼに付き纏った男に腹を立てていた伯母には黙っていてやるのだから安いものだと思ってもらいたい。

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