血湖の10人のファン
@h__si
第1話
昼下がりのネットカフェ。薄暗い個室のモニターには、海外のストリートアーティスト、セリアのライブペインティング映像が流れていた。
三条透はポテチをかじりながら、スプレー缶を巧みに操るその手元に見入っている。
──世界で一番美しい瞬間は、画面越しでもわかる。セリアの描く壁画は、ただの落書きではない。それは、無機質な街に命を吹き込む、鮮烈なアートだった。
「おーい、透」
個室のドアが勢いよく開き、元暴走族の神谷蓮が顔を出す。
蓮は、透が初めて描いたグラフィティを偶然見つけ、以来、透の唯一の理解者となっていた。
「おーい、またれなかよ。お前、寝てる時も夢で見てんじゃねぇの?」
「黙れ。お前だって、ライブの日は髪セットしてくるくせに」
口ではそう返しながらも、透の指はマウスを動かし続ける。
それは、ただのファンではなく、ストリートアーティストとしての透が、セリアという頂点を見つめる、他愛ない時間だった。
──そのとき、通知音が鳴った。
画面右下に、SNSのアイコンが点滅する。
「……何だこれ」
透はクリックし、投稿を開いた。
『【目撃情報】今日の16時、セリアが新宿○○通りに現れるらしい』
#セリア #ガチ情報 #日本初
瞬間、心臓が跳ねた。セリアが日本に来る、しかもこんな人通りの多い新宿に?ありえない。
「おいれな………これ、マジか?」
蓮は画面を覗き込み、口角を上げた。その顔に、かつての危うさが滲んでいる。
「行くしかねぇだろ。本物のセリアの技術を、この目で見てやる」
10分後。
透の呼びかけで、“いつものメンバー”のグループチャットは騒然としていた。
『マジか!?』『仕事サボるわ』『バット持って行く』『今日レスラーの試合あったけどキャンセルした』
コメントが次々と飛び交う。彼らは皆、透と同じくストリートアートを愛する仲間たち。中には、透に一方的にライバル心を燃やす者もいた。
15時30分 新宿○○通り
空は曇っていたが、通りは人で溢れていた。
スマホを構える若者、流行に敏感な女子高生、配信中のYouTuber──。
10人の仲間は、それぞれ人波をかき分け、集合場所のカフェ前に集まった。
「……多すぎるな」
れなが低く呟く。その目は、周囲を警戒するように鋭く光っている。
「この感じ、ちょっと危なくね?」
元刑務官の黒田大地が辺りを警戒する。黒田は、何気ない人混みの中に、不穏な空気が渦巻いているのを本能的に感じ取っていた。
だが、誰も帰ろうとは言わなかった。
全員、ただ一目でもいいからセリアの技術を見たいという思いだけでここに来ていた。彼らにとって、セリアは憧れであり、超えるべき壁だった。
16時5分。
通りの向こうから、歓声が湧き上がった。
「来たぞ!」「セリアだ!」
人の波がざわめき、スマホが一斉に掲げられる。
細い路地を抜け、黒い帽子とマスク姿の女性が姿を見せた。
目元だけでもわかる──間違いなくセリアだ。彼女の瞳は、不安そうに揺れていた。
群衆が押し寄せ、通りは一瞬でカオスと化す。透は、セリアが何かに怯えているのを感じた。
「おい!押すな!」
「セリアーー!!」
蓮と透も、必死で彼女の姿を追う。
──その瞬間。
乾いた破裂音が一発。まるで、破裂したスプレー缶のような、軽い音だった。
その音に、一瞬、時間が止まる。遅れて、悲鳴が響いた。
セリアは、その場に崩れ落ちた。しかし、出血はない。彼女は、地面に倒れた拍子に、誰かのスマホを握りしめていた。そのスマホには、たった一言だけ、メッセージが表示されていた。
『逃げて』
セリアの背後にいたガードマンが叫ぶ。
「銃だ!伏せろ!」
群衆はパニックになり、押し合いへし合いながら四方八方へ逃げ出す。
透の目に、黒いパーカーの男が人波に紛れて走り去るのが映った。その男は、逃げる途中で、透が使っているのと同じメーカーのスプレー缶を落としていった。
「今の……!」
蓮も同じ方向を見ていた。
だが次の瞬間、警察が現場を封鎖し、二人は押し戻される。
セリアは救急車で運ばれ、その姿はすぐに見えなくなった。
透は呼吸が乱れ、ただ呟いた。
「……誰が、何のために」
この日、この瞬間から、10人のストリートアーティストたちによる“真犯人探し”が始まることになる──。
彼らがセリアを救うことができるとすれば、それはアーティストだからこそ気づける、わずかな手がかりに他ならない。
血湖の10人のファン @h__si
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