恋文

※女性同士の恋愛、及び性的行為を警備に匂わせる描写があります。

苦手な方は読まないことを推奨します。

お読みになる方はそのままスクロールをお願いします。














 一世一代の告白を致します。心の内の一切を、神に誓って嘘偽りなく書き記します。願はくば、彼女に届きますように。


 今更恋仲になろうだなんて、はしたないことは望みません。ただ、彼女の心に少しだけでも残りたいのです。

 

 彼女との出会いは高校二年の夏でした。当時私はいじめられっ子で、よくクラスの男子に物を隠されたりしておりました。今思えば気になる女の子の気を引く為のような、なんとも幼いものでした。しかし小さな世界しか知らぬ未熟者だった私は誰かに敵意を向けられる度に大層傷つき、縮こまっておりました。


 ある日の放課後、部活動も終わり帰路に着こうとたところ、いつものようにローファーが隠されていることに気がつきました。普段は隠されないよう鍵付きのロッカーにしまっていたのですが、この日ばかりは寝坊をして遅刻寸前に登校したため、ロッカーにしまうのを失念していたのです。


 誰かに敵意を向けられた、と思うと途端に臆病風が吹いてきて、世の中の何もかもが自分の敵のように思えてきます。一度そうなるともう自分でもどうしようもなくなってしまいました。


 そんな時、どうしたの、声をかけてくれたのが彼女でした。彼女とは一度委員会で話をした程度で、しかし窓の外から吹く微風を受け気持ち良さそうに目を細める姿が妙に焼き付いておりました。改めて顔を見ると、成程あるべき場所にあるべきものが閉じ込められており、同性から見てもは、と目を見張るものがありました。


 私がしどももどろに顛末を伝えると、彼女は薄く眉間に皺を寄せた後、くるりと踵を返しました。追いかけるべきか逡巡していると存外すぐ彼女は来客用のスリッパ二足を手に戻ってきました。そして彼女は当たり前のように自分もスリッパを履き、一緒に帰ろうと言ってくれたのです。ぱたぱた、と揃いの音を立てながら帰った日の夕焼けは一等綺麗で、嗚呼、極楽とはこういう景色なのかしら、と思ったものです。


 それから私は彼女とよく話すようになり、間も無く友人となりました。その時分から既に私の中には言葉に尽くし難いどろどろとしたものを抱え込んでおりましたが、確かに彼女と私は友人でした。


 彼女と行動を共にするようになってから気がついたのは、彼女はどうやら物事に対する興味関心といったものがてんで薄いらしいということでした。特筆する趣味も無く、まわりの人間との関わりも希薄で、しかし彼女はそれを一つも気にしておりませんでした。寧ろこれが人間として正しい在り方である、と示すかの様で、人目を気にしてばかりの私には一層美しく映ったものです。会話も私が話してばかりでたまにしか彼女自身のことを教えてくれませんでしたが、その一つ一つが誰も彼も知らないものばかりでした。

 

 それ故彼女の言葉一文字一文字が私には最上に甘美で、夢中になるには充分過ぎる動機がありました。いつしか私の目には彼女しか映らなくなり、下賤ないじめっ子達のことなど気にならなくなりました。そんなつまらないものに心を乱して彼女との時間を奪われたくなかったのです。いっそのこと、一切を全て打ち明けてしまおうか、と思う夜もありました。しかし変わらずの臆病風は私を押し留め、叶わぬ思いを募らせるばかりでした。


 やがて高校を卒業し、彼女は大学生、私は社会人となり、後に彼女も社会人となりました。出会ったばかりの頃はあどけなさの残る少女だった彼女も随分と垢抜け、陶磁器のようにきんとした美しい女性となっておりました。一層人を寄せ付けない瞳をするようになったものの、中身は学生の頃と寸分変わらぬ冷たさがありました。そしてそのどの時間においても、私は彼女の一番でした。彼女を一番理解していましたし、彼女を一番愛しておりました。ですがその数年後、彼女はこう告げました。


「彼氏ができたの」


 彼女の頬は桜色に染まりました。それは私が今まで見たことのない顔でした。なんでも同じ会社の男で、互いに一目惚れしたのだとか。


 私はあの日、人生で一番理性的でした。なんせ声を荒らげるでも泣くでもなく、祝福できたのですから。彼女は私の心の内も知らぬまま、照れくさそうに笑いました。それはそれはとても可愛い顔でした。


 その日から、彼女は男との話をよくするようになりました。やれどこそこに行っただの、やれなになにを貰っただの。私はそれら全てに相槌を打ってみせました。そうすると彼女は一層嬉しそうに、控えめに笑って話をするのです。あまつさえ私に感謝を述べながら。


 ……えぇ、正直に告白しましょう。嘘は書かないと誓いましたからね。私はその男が憎たらしくて憎たらしくて仕方がありませんでした。ぽっと出のくせに私から彼女を掻っ攫った男が。しかし、彼女を幸せにできたのもその男でした。私はその男に負けたのです。男の好きなところを下手な話し方で告げる彼女の姿はまさしく恋する乙女でした。私は彼女を幸福に導けなかった敗者となりました。敗者の行く末は古今東西決まっています。勝者の僕となり、敬虔に勝者の幸福を祈ることでした。私に許されたのは、みるみる内に大人の女らしくなっていく彼女を指を咥えながら見ることだけでした。


 ところが、そんな日々にも転機が訪れました。互いに仕事が忙しくなり、珍しく半年ぶりに共に食事をしようと待ち合わせをしていた時のことです。彼女が頬にガーゼを貼り、よく手入れされていた長髪を肩につく程度のところでバッサリ切られた姿で私の前に現れたのです。私は彼女が「彼氏が髪を綺麗だと言ってくれるから」と大切に手入れしていたことをしっかりと記憶しています。


 昔はなんとなくで伸ばしていたことも。なので大層驚き、思わず学生の時分のようにまくしたて、彼女に問いかけました。ですが彼女はだんまりで、何も話そうとしません。目はどこか虚で、萎れた花のようでした。きっと、そんな彼女とは対照的に、私の目はこれ以上ないくらい憤りでいやに熱と光を放っていたのだと思います。


 誰だ。誰だ。誰が一体私の一番を、私の花を、私の狂おしいまでに愛しい人を傷つけたのか。そればかりがぐるぐると頭を駆け巡り、熱を帯びておりました。


 ……そこからのことは、何故だかあまりはっきりと覚えていないのです。ただただ内から湧き上がる熱を逃すように動いていたことは確かなのですが、どのようにしたのか、それを思い出そうとしても分厚い雲がかかったように判然としません。酷く悲しむ彼女にどう声をかけたのかも。その時の食事の味も。……ですが兎に角、少し正気を取り戻した頃には既に事の顛末を掴んでおりました。


 どうやら彼女が見初めた男は浮気性の気があるらしく、以前の恋人ともそれが原因で離縁したようなのです。その悪癖も彼女に惚れてからすっかりなりを潜めていたようですが、彼女が仕事で手一杯になり構えなくなった途端、女の姿をして欲望が湧き上がってしまいました。その女との逢瀬は彼女の目を盗んでしばしば行われておりました。ですが悪事とはいつしか暴かれるものです。男の行動を不審に思った彼女がかまをかけたところあっという間に全てが白日の元に晒されました。それを糾弾したところ男は逆上し、無礼にも彼女に暴力を振るった、というのが一切の経緯でした。


 こうして並べてみると如何にもありきたりで、世間様からすればつまらない真実でしょう。しかし私にとっては憤るに足るものでした。しかしそれ以上に驚くべきことは、彼女はそれでもなお男との関係を続けようとしているという事実でした。


「愛してるの」


「たとえ彼が私を一番に見てくれなくても、一緒にいたい」


 涙を流しながらそう訴える彼女のなんと美しいことか!きっとどんな悪人も忽ち心を入れ替えるでしょうか。しかし皮肉にも、その言葉は彼女の隣に立つユダの化けの皮を剥がしました。醜い醜いユダは、ふと、あの時、言えば良かったのではないかと思いました。誰も邪魔することの無い2人の花園で、彼女が今し方放った言葉を言っていれば、何かが変わっていたのではないと思いました。しかしもう遅いのです。如何に祈りを天に捧げようとも過ぎた時は戻りませんし、歪んだ心も治りません。歪んだ心はとても醜い形をしているのに病名はつきません。いえ、もしかしたら何かしらの名前はつけられるのかもしれませんが、今更ついたとて遅いのです。




 浮気性の男を捕まえるのはとても簡単でした。かつて彼女から聞いた話から男の行動を割り出し、まるで男に気があるように振る舞えば良いだけのことでしたから。そのまま夜のホテルに誘導した後、水に睡眠薬を盛って眠らせました。流石に怪しむかとひやひやしましたが男はこんな小娘に何ができるのかと驕っていたようで、案外楽に飲ませることができました。


 しかしあまりにも事が上手く進み過ぎているので、少しだけ気の迷いが生まれてしまいました。なので、私は気まぐれにも神様にかけてみることしました。睡眠薬を飲ませはしましたが、私は薬学に明るくないのでもしかしたらすぐ起きてしまうかもしれません。殺そうとした瞬間目を覚ますかもしれません。だから、この手紙を書いている間にもしこの男が目を覚ましたら殺すのは諦めようと思います。でも書ききってもなお眠っているならば、殺すことにしました。


 ……男はいまだ眠っています。そして、この手紙、もしくは遺書を書いている間に、私ははっきりと己の心を自覚しました。私はこの男に彼女が傷つけられたという事実よりも、何倍も許せないことがあったのです。その怒りによって私はここまで突き動かされたのです。


 それは、彼女です。かつて何物にも心を傾けなかった彼女がこんなくだらない男に心を乱されていたことです。それが私には一等許せなかったのです。彼女は私の一番でした。しかし、実のところ彼女にとって私は一番ではありませんでした。私は彼女の言葉一つ一つに心を乱されました。しかし、彼女は私の言葉に動かされることはありませんでした。それが、その事実が、あの男よりも一層憎らしく、恨めしいのです。


 彼女の幸福を思えば、とこれまで我慢してきました。ですがその結果がこれです。私の忍耐は一体なんだったのでしょうか。


 このまま私も裸になり、この男諸共死ねば世間様から見れば恋人が心中を図ったように見えるでしょう。世間様がそう思わなくとも、彼女は少なからず私がこの男と関係を持った、あるいは持とうとしたと思うに違いありません。好いた男と長年の友人が夜を共にしてそのまま死んだ。きっとこの出来事は一生彼女の心に影を差すでしょう。癒えない傷となるでしょう。


 どうかきっと、私のことを忘れないでください。憎んでください。恨んでください。こんな男よりも私のせいで心を乱してください。私はその顔を地獄から永劫眺めております。

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短編小説集 知井シウヤ @albus_wine

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