後編
薄暗い洗面所、僕はバシャバシャと冷たい水で顔を洗う。顔をあげて鏡を見ると、そこに移っている僕の顔はさっきまでモニターに映っていたエルフのセインと同じ顔をしている。とはいえ髪は黒いし耳は短い。僕は普通の日本人で、名前は誠一。譲二の兄だ。
譲二は僕のことを酷く嫌っていた。父と母は僕の方ばかりを可愛がって、譲二のことはほぼ無視するように放置して育てていた。僕はそんな弟を不憫に思っていて何度も手を差し伸べようとしたのだが、父母の愛を惜しみなく注がれている僕の手を譲二が取ってくれることはなかった。そして僕たちは心を通わせることなく、譲二は自ら命を絶ってしまったのだった。
ところで僕は脳外科医だ。世の中は僕のことを天才などといってもてはやしている。確かに僕は何をしてもうまくやれてきたし、資産も使いきれないほどあった。だけど、一番大事な弟と過ごせないのならそんなもの僕にとっては虚しいだけだ。
大きな会社を経営していた父母は僕が欲しい物はねだれば何でも与えてくれた。どれももらえればとても嬉しかったけど、一番嬉しかったのは弟の譲二だ。僕が弟が欲しいとねだったから、父母は譲二を作った。だが彼らはどうやら僕に弟を与えることにしか興味がなく、産まれてきた譲二の人格には関心がなかった。未熟な僕は弟の名前を僕がつけていいと言われた時も喜んで譲二と名付けて、父母が自分たちで名前を付けない意味を考えていなかった。彼らは譲二を愛していなかった。
「もう兄貴の顔は二度と見たくない」
僕が持っている物はなんでも喜んで譲ってあげる。譲二。だというのに弟は僕のいないところに一人で行ってしまった。そんなに僕と一緒にいたくなかったのかい、譲二。
譲二の遺品からは若者向けのライトノベルが何冊も出てきた。僕は弟がこういうものを好んでいることを全然知らなかった。少し読んでみたら、そこには生前彼が欲しかったであろうものが全てあるとても優しい世界が広がっていた。
僕は脳だけになった譲二の意識を保存して電脳に移した。僕は天才脳外科医というやつなのでそんなことも難なくできるのだ。
そして、仮想の異世界を作って今はそこに譲二の意識を住まわせている。僕自身も脳を仮想世界に繋いで時々譲二に会いに行くことができ、そのためのアバターがエルフのセインだ。
怪しまれないように毎回違うアバターを使う方法もあったが、僕は僕の顔と名前で譲二と遊びたい。だからずっとこの顔のセイン。譲二の蔵書を見るとエルフが出てくる話が多かったので種族はエルフにしている。
「でもとうとう違和感の正体が僕だって気が付かれてしまったな」
仮想世界の中の物語は譲二が読んでいたライトノベルから要素を抜き出して、ランダムで組み替えて作っている。だから何度も繰り返せば既視感が産まれて当たり前だ。だから僕が新しい設定を追加してその違和感を解消する必要があり、その時間を稼ぐために譲二が既視感を覚えたら設定をリセットして最初からやり直すマクロを組んでいる。
僕は書斎の机の前に座り、積み上げたラノベを一冊手に取る。
「なになに、『ヤンデレの兄に溺愛されて無限ループから抜け出せません』……。毛色が違うな。女性向けか? 譲二、こういうのも読むんだ。でもこれはハッピーエンドとは違いそうだから使えないな……」
譲二は可愛い僕の特別な弟だ。だから無限の賞賛と、無限の愛と、無限のハッピーエンドを享受し続けるべきだ。僕はその本を読まずに机の上にそっと戻して、次の本を手に取った。こういうものをもっと読んでいたら、僕は生きている譲二ともっと仲良くできたのかもしれない。それは悔やんでも悔やみきれない、考えても仕方のない繰り言だ。
「今度こそ、君を一人にはしないからね」
僕は自分の隣に置いた椅子に視線を落とす。そこには譲二の骨壺が物言わずにただ鎮座していた。
前世で不遇だった俺が無限のチート能力でハッピーエンドにたどり着きます! ケロリビドー @keroribido
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