『好き』は世界を明るくする -毎日ご機嫌生活のすすめ-

未来屋 環

ヒント:1998年9月20日、ベストアルバム発売。

 本日もバタバタの日常が予定されていた。

 朝の通勤電車にはなんとも言えないもやりとした憂鬱が立ち込めていて、その一端いったんを自らが担っていると思うと周囲の方々に申し訳ない限りである。


 ――さて、スイッチを切り替えなければ。

 そんな時、私は音楽を聴く。



 あれは中学1年生の9月20日、日曜日のこと。

 地元から離れた学校に入ったものの周囲に馴染なじめず焦った私は、その日発売のCDを買うため隣駅の山野楽器を訪れる。


 そのアルバムは話題作であり、流行にうとい私はこれさえあればなんとかなると思った。

 貯めたお小遣いと引き換えにキラキラのCDを購入し、父が運転する車のカーステレオにほやほやのCDを突っ込む。


 ――その瞬間、世界が変わった。


 音楽に大して思い入れのなかった私の心を、彼らはそのギターと歌で鮮やかに撃ち抜いたのだ。



 以来、現在に至るまで私の人生の核には常に彼らがいる。

 彼らの曲を聴けば、その当時の記憶が私の中によみがえるのだ。

 それこそまるでタイムマシンのように。


 その旋律の美しさに胸打たれ、初めて音楽を聴き涙した中学3年生の秋。

 想定外の失恋で落ち込む最中さなか、立ち上がる勇気をもらった社会人1年目の夏。

 職場で同じファンの人と出逢い、カラオケで大盛り上がりした6年前の冬。


 好きなものができると世界は華やかに色付いて見える。

 彼らを入口に、私の『好き』はどんどん広がりを見せていった。

 ルーツになった音楽、コラボレーションしたミュージシャン、タイアップした映画やドラマ――挙げればそれこそきりがない。

 その出逢いが新たなよろこびを連れてきて、そして私の人生はまたひとつ豊かになった。



 これは持論じろんだが、しあわせには閾値いきちが存在すると思う。

 閾値いきちというのは物事が変化するあたいのことで、『しあわせの閾値いきち』といえばそのひとがしあわせを感じる変化点のことを示す。

 これが低ければ低い程、人はささやかなことでしあわせを感じるようになるのだ。


 そういった意味で、私のしあわせの閾値いきちは彼らのお蔭で大いに下がったといえよう。

 何故なら、彼らにまつわるすべてのことで、私はしあわせな気持ちになれるからである。


 中学生の頃、街中で黄色いものを見つける度に「あら、あのひとの好きな色と一緒じゃない」とほくそ笑んでいた。

 大変な上司につかえていた頃、無理難題むりなんだいを言われる度に「まぁ、あのひとと同い年だしあのひとが言っていると思えば許せるか」と考えていた。

 海外で働いていた頃、孤独を感じる度に「でも、同僚の○○さんあのひとと同じ身長だしあのひとと一緒に海外にいると思えばラッキーだな」と密かに満たされていた。


 特に大人になってからは、ネガティブなことが起こる度に「私は今徳を積んでいるんだ」と思うようになった。

 仕事が超絶忙しかったり、理不尽な事態が起こったり、やることなすこと上手くいかなかったり。

 徳を積んだ分、きっと次のライブはいい席になるし、近々新曲が出るだろうし、もしかしたら街中ですれ違えたりしちゃうかも知れない。


 ……なんだ、試練とはご褒美ほうびのことではないか。


 そしてまた、息を吸うように彼らの曲を聴く。

 状況によって心にみる曲は変わるものだ。

 普段はなんとも思わず聴いていた曲が、弱っているからこそ響くこともあった。

 私にとって挫折ざせつとは曲の新たな一面に出逢えるチャンスであり、そう考えると日々の苦難も捨てたものではない。


 そういう話をすると大抵「しあわせなひとだね」と笑われるが、実際それで日々をご機嫌きげんに過ごせているのだからまぁいいかと思う。

 彼らとの出逢いは、私という人間の人生――ひいては世界を変えたのである。



 ――ピンポーン


 車内に響いた電子音で現実に引き戻されると、窓の外では煌々こうこうと光が照っている。

 気付けば終点、会社の最寄り駅に到着していた。

 イヤホンから流れる彼らの新曲が明るく私の鼓膜を揺らしている。


 ――それじゃあ、今日も頑張りますか。


 歌うようなギターソロに合わせて私は颯爽さっそうと歩き出す。

 その足取りは踊るように軽くなっていた。



(了)

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『好き』は世界を明るくする -毎日ご機嫌生活のすすめ- 未来屋 環 @tmk-mikuriya

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