若さは永遠、飲酒は無限
JN-ORB
第1話
時間という概念・存在が無ければ、あるいは拒絶することが出来るのであれば、とある時期や年齢から、時間という存在、加速し続ける老いを拒絶したい。
そんな思いは誰しもが持っていると思う。私もそう思っている人間の一人だ。
しかし現実とは無情なもので、存在する物の全てに等しく時の流れは訪れ、そして過ぎ去っていく。日本で一分が経過している時、日本の反対側のブラジルでは六十秒が経過しているという非情な事実もそうだ。人が定義する生命があるとされる動植物にも、生命として定義されない石や鉱石といった非生命体にもそれは等しく訪れ、そして流れ過ぎ去って行く。
つまり何が言いたいかと言うと、格好良さそうで自分が知りうる小難しそうな言葉をたくさん使いながら、なんとなく格好良く何かいい感じに書き連ねたくなる瞬間というのは誰にでも訪れると私は考えている。
そして私は思った。「
誰がなんと言おうと格好いいに決まっている。私は好きな言葉だ。
無限。限りが無いもの、終わりが無いもの、円周率、無量大数。様々な無限が概念として存在していて、そしてあらゆる分野で存在している。そこにはいい年になったおっさんでも「格好よさ」を感じる何かがある。
無粋で格好の悪い例え方をするならば、自分の尻尾を追いかけ続ける犬、同じ場所をずっと回り続ける迷路…。こっちはほんのり格好悪い。まぁこれは別に良い。格好悪いけど無限と言えば無限だろう。ループの類いだろうと無限は無限だ。
ここからは、若かりし日の「無限を感じた」「無限になった」、そんな瞬間について話をしようと思う。
ある日に都内に飲みに行った時の話だ。その日は秋口だがまだ長袖には早いぐらいの時期。阿部氏(仮名)お勧めのお店があるということで、そのお店にお邪魔させていただいた。この話しは初めてそのお店に行った時の回想ではあるが、簡単にそのお店について紹介しておこう。
そのお店はリーズナブルな価格ながら、お刺身の鮮度・味がとても良く、焼き物も全て炭火で焼く上に絶妙な焼き加減で提供され、飲み物の取り揃えも多く、日本酒については全国から取り寄せた逸品を取り扱うお店だ。日本酒は十種類強がどれも程度良く保存されており、女将さんの愛想もとてもよく、店主も無愛想というわけではないが言葉数は少なめながらとても気の良い人で、お二人と話しを始めると止め時がわからなくなる。お邪魔にならない程度にお話しをすることがままある。一人で行っても楽しめるお店であるのでとてもお勧めだ。店内は清潔で不満な点がない。ちなみに、遅めの時間に行くと食べたいものが売り切れていることがあるので早い時間に行った方が良い。頻繁というほどではないが結構な頻度で利用させていただいている。毎度会計が安いので利用させていただくたびに「安すぎるんじゃないか?」と首を傾げている。
お店についての話しが長くなってしまったので話を戻そう。
待ち合わせ時刻の少し前に山手線沿線で阿部氏、加藤(仮名)氏、佐藤(仮名)氏と合流し、お店に移動する。
冷たいおしぼりを渡され、一杯目をどうするか女将さんに聞かれるので、まずは駆けつけ一杯、生ビール。
うまい。しかもエンジェルリングが出来ている。
酒のうんちくになるが、ビールを飲んだ時にグラスにできる泡のついた線をエンジェルリングと言う。グラス(ジョッキ)が綺麗に洗浄されており、ガス圧が適正で、ビアサーバーがきちんと清掃されていて、きちんと冷えている状態、そういった割りと厳しい条件をクリアしないとエンジェルリングは出来ない。生ビールを頼んだ際に、このエンジェルリングが出来るレベルのお店は個人的にはアタリに分類される。
お通しのやスピードメニューを何品か頼み、お互いの近況報告を行う。
美味いお料理に舌鼓を打ちながらビール、ハイボール、日本酒を呑み、口からは言葉がどんどんと紡がれて行く。
そして日本酒のメニュー欄に一際目を引く存在が目に留まる。
「炙りホタルイカ酒」
しかし炙ったホタルイカを
阿部氏は悪い顔をしながら「頼んでみな…」とだけ我々に言葉をかける。女将さんに炙りホタルイカ酒を人数分頼み、どんな味がするのだろうかとそれが来る時を楽しみにしながら、会話を弾ませる。
頼んでから数分で到着したそれは半合ほどが入るであろう器で届き、手元に目前に置かれる。
蓋がしてあり、中はまだ見えない。
蓋を開けた瞬間、立ち上がる湯気。そしてくすぐるなんてレベルじゃない、暴力的と言っても過言ではない炙ったホタルイカと日本酒の香しいハーモニーが鼻を突き抜ける。熱々の器は素手で持てないので、おしぼりでグラスを包みながら器を口に運び、まずは一口。
なんだこれは、なんだこれは。とんでもなく美味い。鰭酒とは全く違う。しかしそこには圧倒的存在感を出しながらそいつがいる。炙ったホタルイカが熱々の日本酒の中に溶け出し、そこにいる。
炙ったホタルイカを湯煎した日本酒に入れたお酒、無限に呑める。止まらない。止まるわけがない。気付いたら日本酒が消えている。すぐにお代わりを頼む。お代わりを頼んだ数分後、同じ器に湯煎した日本酒を注いでくれる。一杯目よりも二杯目のほうが炙ったホタルイカの味が酒の中に染み出しており、とても芳醇な香りが身体の全身を駆け巡っていく。気付いたら二杯目も消えている。三杯目をすぐに頼む。三杯目は二杯目まであった炙り特有の刺々しい香りと味が柔らかくなり、更に飲みやすくなる。夢中で呑んでいるとすぐに三杯目も消えてしまった。熱々の日本酒を接種しているので体から湯気が出るんじゃないかと言うほどに内側の体温の高まりを感じるがお代わりを頼む。
一体どれだけ呑んだのだろうか。全く記憶にはないが後日阿部氏に聞いたところ「君と佐藤だけで一升は飲んでた」とのことだった。私と佐藤氏は少食だが、一体胃袋のどこにそんな量を入れたのだろうか。不思議でならない。
そして二軒目、電車で数駅移動し今度はオーセンティックなバーへと足を運ぶ。お店に入ってまず目に入るのはカウンターの後ろの棚だ。素晴らしい本数のウィスキー・リキュール・スピリッツが並んでおり、そしてカウンターの隅には生ハムの原木が鎮座している。
一軒目ではどれぐらいの量を飲んだかはわからないが、和酒の次は洋酒だろう。いきなり強いお酒を入れるのも怖かったので、まずはメーカーズマークのソーダ割りを頼む。他の三人も思い思いに好きなものを頼む。飲んでいる間に口がさみしくなってくるので、生ハムの盛り合わせも合わせて注文する。
数分で届いたお酒のそれらはオーセンティックバーを体現していた。ソーダ割りとはいえかち割り氷を使っており、オンザロックには板氷をアイスピックで削った丸氷が浮いている。
「乾杯。」
軽くグラスを合わせ、一口。不味いわけがない、美味い。しっかりと炭酸が効いていて、望んだ通りの味だ。蛇足だが、私も数年オーセンティックバーで働いていたので、洋酒の味についてはわかっているつもりだ。そのうえで美味いとしか言いようがない。良いお店だ。
二・三杯呑んだところで二十三時も周り、そろそろお開きという雰囲気が出てきたので
阿部氏と加藤氏は歩いて帰られる距離とのことなので解散の挨拶をし、帰路につく。
佐藤氏と私は電車で移動しないと帰られない距離なので駅へと向かう。
「ぼくはまだ行こう思っていますが、佐藤さん帰られます?」
私の悪魔のような一言は佐藤氏の琴線に触れたようだ、彼はこの言葉を聞いた時、とても嬉しそうな顔をこちらに向けながらこう応えた。
「いいですね、夜はまだこれからですから」
我々は可能性の塊だった。どこまでも行けると信じていた。明けない夜が存在すると、その時は確信していた。
山手線で十五分ほど先にある繁華街へと移動する。
私おすすめのカジュアルバーで、なぜか私がキープボトルとして置いていたラフロイグをロックで呑みながら話に花を咲かせる。
四・五杯呑んだところでどちらが行ったか「河岸を変えましょう」との一言でお店を退店。黄金の街の佐藤氏おすすめのお店にお邪魔する。時間は既に二十六時かそれぐらい。
私の眠気が限界だったので少しソファーをお借りして仮眠を取る。この間も佐藤氏は呑み続けていた。三十分か一時間か、それぐらい仮眠して復活した私は店主に謝罪をし、店主に一杯ご馳走しながら酒を飲む。
気付いたら閉店時間も近付いており、店じまいとの事だったので会計して店を出る。
その時点で我々はお互いにどうしようもない状態になっていた。佐藤氏はベロベロでまっすぐ歩くことも出来ず、呂律も回っていない。ここから駅までこの調子で歩いたとして、彼を電車に乗せて帰れるのだろうか。心配でしか無い。
幸いここは繁華街、タクシーなんてそこら中に止まっているし大きい通りに出て手を上げればすぐに拾える。
私は大きい通りに出てタクシーを拾い、佐藤氏をタクシーに押し込み運転手にはチップとして千円を握らせ、「あとはお願いしました。」と言い発車してもらった。
その後の話をしよう。
私は山手線に微睡みながら乗車し、新宿駅で山手線に乗ったはずなのに数時間後に新宿駅で降りるという謎の現象に遭遇し、それをその日だけで三回遭遇している。家に帰れたのは完全に日が落ちて星空が綺麗な夜だった。あまりにも綺麗な星空が広がっていたので日本酒が飲みたくなり、行きつけの飲み屋に訪れてゼロ泊三日酔いをしたことについては割愛する。
そして一方の佐藤氏は私がタクシーに押し込んだこともあり、なんとか朝方に自宅に帰れたという報告を後日佐藤氏の奥方より聞いた。自宅のトイレでほぼ昏倒状態であったらしく、配偶者がトイレのドアを何度叩いても、返事はあれど出てくる気配はなく、配偶者の膀胱の限界が訪れるかどうかの瀬戸際までトイレから出てこなかったらしい。蛇足だがこのトイレの住人になりかけた佐藤氏は眼鏡をどこかで失くしている。十年近く経ったが未だに見つかっていないので今後も見つかることはないだろう。
飲酒時に酔って感じた無限というのはただの気の迷いであることは間違いない。素面の人間から見ると酔った人間というのはどこまでも愚かで煩わしい存在にしか感じないのかもしれない。しかし、我々のような酔っている人間はそういった存在が愚かしくも煩わしくも感じながら、とてつもなく愛おしい。
そして共通してその愚かしい人間達は確かにそこにあると感じている概念がある。
それが無限である。
乾杯。お代わり。気持ち濃い目で。
若さは永遠、飲酒は無限 JN-ORB @jnoob
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