第18話 そして九月が来る


“敵襲”から一週間が過ぎた。


ユミル母さんもお父さんも何やらごそごそしてるなあと思っていたけど、わたしはあまり突っ込めなかった。なぜなら、わたしもわたしで大変だったからだ。


せっかくの“お茶会動画”は撮れずじまいで、紺ちゃんとわたしはかなり落ち込んだ。


なまじセットアップが済んでいたので、テーブルの上にあったティーポットやカップは全部吹き飛ばされてしまい、粉々になった。避難に必死で、初めて使ったバスケットもどこかに飛んでいったままだ。


「また、紙コップのティータイムなのか……」

「茶葉もなくしちゃったしねえ」


怪我をさせてからは紺ちゃん家に行きづらくて、うちに来てもらっている。わたしたちは二階の子ども部屋でアイスティを飲んでいた。ユミル母さんが「お茶会の代わりに」とちょっと張り込んだポーションを買ってくれたから、香りとかはすごくいい。だけど、残念さを弁償できるほどではない。


――ユミル母さんが作ってくれたドレスもボロボロになっちゃったし……。


すごく頑張って作ってくれたと思う。ネットで生地を買うんじゃなくて、ちゃんと新宿の大きな手芸屋さんに行って、シフォンからリボンから全部材料を揃えてくれたのだ。お父さんも本当に楽しみにしてくれてたみたいだし、わたしだってドレス姿は見せたかった。


――誰にも見せられなかったなあ。


せっかくだから、木漏れ日とテーブルがセットになった、一番きれいな場所でご披露しようと思って、ユミル以外の誰にも試着すら見せていなかったのが仇になったのだ。徹君だって、着替えに使ったポップアップテントの中にいる、せまっ苦しい姿しか記憶にないと思う。


みんなも落ち込んでるから、わたしばっかり悲劇っぽい感じにはできなくて、むしろ“わたしは全然平気だよ”というポジションに徹している。


――でも…………。


ほんとに、ほんとに残念だ。ドレスもなんだけど、あの暴風のせいで、徹君にもらったティアラもなくなってしまった。


――男の子からもらった、初めてのプレゼントなのに…………。


小さくてキラキラの、可愛らしいティアラ。

おもちゃだって全然かまわない。あれほどティアラのことを重く受け止めている徹君が、わたしのために買ってくれたものだ。


――それなのに。


ドレスもティアラもティーセットも、全部失ってしまった。

これは痛手だ。


わたしたちはもう、愚痴も出ないくらい落ち込みつくして、お行儀悪く飲み干したアイスティを、まだストローで吸って音を立てた。


「お下品ですことよ、華乃様」

「まあ、そういう紺乃様だって……」


力なくそう言って、お互いに小さく笑う。こんな時でも“お嬢様ごっこ”はちょっと楽しい。

そう思ったのに、紺ちゃんは泣きそうな顔になった。


「もう……部活もできないのかな」


「それは……」


わたしが、学校に戻れるかどうかということだ。紺ちゃんには、あの小型ハリケーンもどきが“襲撃”だったことは説明してある。


「厳重警戒なんでしょ?」


だから外出ではなくわたしの家に来て……なのだろうと言われて、慌てて否定する。


「そんなんじゃないよ。ただ紺ちゃんちに行ってご家族に出くわしたら、申し訳なくて気まずいなって思っただけで……」


そんな話をしていた時、階下で「ただいま」という声が聞こえた。お父さんだ。


「こんな時間に帰ってくる? 平日の昼だよ」


本当に仕事してるんだろうかと疑いたくなる。まさか、公務員というのも設定だけなんだろうか。


「………」

「……」


わたしたちは示し合わせたように黙り、聞き耳を立てた。なんとなくリビングではユミル母さんと徹君が出迎えたような感じだ。


紺ちゃんがカランと氷の入ったグラスを揺らす。


「お代わり、取りに行くっていうテイでそっと行ってみない?」


偶然を装ってでも、お父さんたちの話を聞きたい。わたしも二つ返事で頷き、そっと足音を忍ばせてリビングに向かう。


リビングに繋がる扉は閉まっている。だが、うちは構造上キッチンのほうにも引き戸の出入り口がある。

そこからお台所へと回り、そっと間続きのリビングに行けるのだ。わたしたちは忍者のようにキッチンパントリー側のドアを引いてするりと入った。


キッチンは四畳ほどで、シンクはリビング側を向いている。わたしたちはカラのグラスを手にシンクと同じ高さまで屈み、そっとリビングの様子を窺う。


ソファにはお父さんとユミル母さんが並び、その向かいには臨時なんだと思うけど、ダイニングテーブルのところにある椅子が置かれて、徹君が座っていた。


テレビを背に、ひじ掛け付きの椅子に座っている徹君は、なんだか玉座に居る人みたいに背筋が整った気品のある居住まいをしている。


「……そうか。では、救援も呼べないということか」

「はい。塞がり方が強固で」


徹君が小さくため息をつく。塞がり方っていうと、先週のアレのことだろうか。

申し訳ございませんと謝るお父さんに、徹君は穏やかに制した。わたしに向かって話す時とは、ちょっと態度が違う気がする。


――なんかちょっと偉そう?


「トルキア殿のせいではない。それに、どんなに人為的に塞いだとしても、綻びは生まれるものだ」


時間さえおけば、また小さな風穴はあくだろうと徹君は言う。ユミル母さんが同意した。


「そうですね。小さな結節点でもできてくれれば、空間を広げることは可能です。ただ、そういう亀裂がいつ出来てくれるか……」


お父さんも頷く。


「そうなると、もうしばらくはこちらに居ていただくしか……」


「わたしは構わない」


なんだか、話が読めてきた。


――あの大穴を塞いじゃったから、徹君が戻れなくなっちゃったんだ。


“敵”とやらが入って来れないようにするために、空間が繋がっている“風穴”を塞いだけれど、敵が入れないということは、すなわちこちらも“向こう側”へ行けないということになる。


向こうの世界から来た徹君としては、帰るに帰れないのだから大変だろう。でも、わたしはぱあっと心が浮きたった。


「じゃあ、徹君もうちに転入してくれば?」


「華乃様!」


ユミル母さんが驚いて振り向く。身を屈めて忍んでいる紺ちゃんは袖を引っ張ったけれど、わたしはにょきっと顔を出して笑った。


「だって徹君、同じ年なんでしょ? 帰れないなら、一緒に学校に通えばいいじゃない」


戸籍など、きっとどうにでもなるに違いない。王女のわたしが練馬区民になれているのだから。


――それに……。


わたしの顔はだいぶ正直に緩む。徹君でさえ帰れないということは、わたしの帰国話も一時凍結なはずだ。


――お父さんがいて、ユミル母さんがいて、徹君とこっちで暮らせるなんて、理想形じゃない?


「せっかくこっちに来てるんだから、こちらの世界のことを学べるチャンスだよ!」


わたしは全力で説得する。紺ちゃんを引っ張り上げて、紺ちゃんにも援護射撃してもらった。


「学校は大丈夫だよね、わたしたちが付いてるから、なんでもガイドできるよね」


「そ、そ、そうだよ。徹君だって、日中かのちんと一緒にいられるんだから、転校してきたほうが都合いいんじゃない?」


――紺ちゃん、ナイス!


ふたりで口を揃えてメリットを並べていたら、徹君がエレガントに微笑んだ。


「お二人にそう言っていただけるなら、お言葉に甘えさせていただきます」


徹君がお父さんに向かって頷く。お父さんはそれに即答で頷いていた。わたしと紺ちゃんは手を取り合って喜び、ふたりで徹君に笑いかけた。


「すごいね! 三人で学校に行けるんだ」


「はい。どうぞよろしくお願い致します」


ああ、心強い。

本当は、完全に別人級になった自分が、どうやって騒がれずに学校に戻れるか、とても心配だったのだ。

でも、徹君がいてくれるなら大丈夫だと思う。

徹君のイケメンオーラでこっちへの注目が薄れるとか、そういう打算もないわけじゃないんだけど、何よりも“徹君なら、きっとわたしを守ってくれる”という不思議な安心感があるのだ。


実際に守れるかどうかではない。「この人はわたしの味方」という信頼が、わたしの心強い支えになる。


「新学期、ようやっと楽しみになったわ……」


心からそう言える。

そして、お父さんもユミル母さんも、ほっとしたような顔をしていた。



++++



いよいよ明後日から学校という日に、わたしは再び受難に見舞われた。


髪が染まらないのだ。どんな染毛剤も利かない。そもそもユミル母さんが「無理だと思う」というのを強引に幾種類か買ってもらい、試してみた。

だが、どれも色が入ってくれない。


「どうしよう……」


「人間界の染毛液くらいでは、無理なのですよ」


ユミル母さんやわたしが“殻”を被せて変身したみたいに、それなりに魔力(一応、該当する言葉は“魔力”らしい)をかけないと姿は変えられないのだという。


ただし、現在は魔力行使厳禁状態だ。なぜなら、下手に力を使うと、風穴を塞いだ硬度が強化されてしまう可能性があるからだ。


自然に、水滴が岩を穿つように、落ち葉が土に循環するように、あちらの世界との結節点が生まれるまで、魔力封印で待つしかないらしい。


「……そういうの、もっと早く言ってよ」


ユミル母さんは控えめながら忠告してたよな……という内心の反省は黙っていた。きっと、実際に試してみるまでは納得しないだろうと思って、染毛剤を買ってくれたのだ。


黙って反省していると、ユミル母さんがふんわりと微笑んで“次の手”を差し出してくれる。


「一応、こんなものも買ってみましたが……」


元のわたしの髪型と色に近い、肩あたりまでのストレートウィッグだ。結局、わたしはユミル母さんに髪の毛を編み込んでもらい、バレエを習ってる子みたいに頭まわりにまとめて、ウィッグを被った。小顔というか、小頭に変貌してくれていたのがありがたい。毛量があってもすっぽりと納まってくれる。


「目立たないですね……大丈夫だと思いますよ」


「そうかなあ」


「こちらの眼鏡もご用意しましたから」


度アリの眼鏡だ。前はコンタクトレンズだったから、確かに度の分だけやや目は小さく見える効果がある。


「これに、黒の度なしカラコンを入れれば、まあなんとか……」


――マスクは必須だなあ。


願わくば、徹君のほうに視線が一極集中してくれることを願いたい。

制服を着てウィッグを被り、完全武装を確認していたとき、徹君がリビングに来た。


「あ、徹君も、サイズはちょうどよかったですね」


「ええ、ありがとうございました」


――うわあ。


徹君は、すぐに買える標準服姿だった。制服とは別に、学校に着て行っていい服だ。


黒っぽいブレザーに白いポロシャツ。グレーのパンツ。すごく何でもない格好なのに、めちゃくちゃサマになっている。


ぽかんとして見ていたら、徹君が苦笑気味に視線を向けてきた。


「せっかくの髪を、隠してしまうのですか?」


そんなこと言われたって、素の状態で行けるようなビジュアルではない。

でも、そのあと思案気に徹君が言う。


「まあでも……そうですね。正直、あまり華乃さんに皆さんの視線が行くのも心配です」



「はあ……」


「本当のお姿は、我々だけが知っていればよいことです」


この発言を、誰にも見せたくない……と語意変換しちゃうわたしは、浮かれすぎているのだろうか。でも、徹君の微笑みに、わたしは釘付けになってしまった。


「大丈夫です。バレないように、お傍でお守りします」


「よ……よろしく、お願いします」



新学期が始まる。

徹君と同級生になるのだ。


今まで見たことのない学校生活が始まる気がして、わたしは大きく息を吸い込んだ。




*第一部完*

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

第二部からは、徹君との学校生活が始まります。

一つ屋根の下、婚約者だと知らない華乃と徹の恋の行方は……もちろん、敵キャラもちゃんと現れます。

学園ラブロマンスは第二部で☆

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殻かぶり姫と不愛想王子の3LDKな日常について 逢野 冬 @ainotou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画