Other World

 異界化。それは、この世界に存在するファンタジー要素の、始まりとなる異変。

 部屋でアヒトと今日の予定を確認していた時のこと。緊急事態であるとすぐに分かる警報音が村中に鳴り響いた、アヒトは『異界が発生した』と俺に告げ、詳細を確認するためすぐにリベレーターズギルドに向かい、そして戻ってきた。


「今回異界化した領域は、村に近すぎる。漏出が起こる前に、速やかに"楔"を解放しないといけない」

「そうか……」

「ただ、君が参加する必要は無い。村で待っていてくれてもいいけど、どうする?」


 俺たちドリフターは、保護の名目でリベレーターとして登録されるので、『異界を解放する』という、本来の義務は免除されている。

 だが。

 

「煽らなくても良いよ、アヒト」

「ふふ、バレてたか」


 俺はあえて攻撃的な笑みをぶつけ、アヒトはそれに応えた。


「それじゃ、準備してくれ。もしかしたら異界内で野営をすることになるかもしれないから、そのつもりでね」

「え? 大丈夫なのか?」

 

 異界内で野営なんて危険な気しかしない、と思っての半ば反射的な質問だ。先ほどのイキる俺は即座に消えた。


「無理な場合もあるけど、今回は大丈夫。必要無いかもしれないけど、それなりに広い領域が異界化しているみたいだから念のためにね。ちなみに、"楔"が発見されるまで一ヶ月以上掛かるぐらい広い領域が異界化することもあったりするよ」

「マジか……」


 ちょっとした豆……? 知識も知りつつ、俺はタバサたちに事前に購入してもらっていた品々を漁った。野営セット、道具類、保存食などをピックアップし、テーブルに並べる。


「うん、それで十分だ。……あ、そうだ。朝風呂は入ったかい?」

「入ってないけど、時間はあるのか?」

「拠点設営中だからね。でも、しばらくくつろげなくなるだろうから、今の内だ。僕は今から入るけど」

「まあ、それなら俺も……」


 悠長に構えすぎでは? という疑問もありはしたが、その辺りはリベレーターとして一日の長……百日の長があるアヒトの判断に従うべきだろう。着替えを準備し、実は風呂好きアヒトと共に共同浴場に向かった。


◇◇◇


 宿屋の風呂でリラックス。あまり会話はしなかった。

 風呂から上がり、準備を整え、敷地外に出るとアヒトが口を開いた。


「レン、感知を発動させてみて」

「分かった。……うっ、わ」


 視えたのは、明らかに『それだ』と確信できる異様だった。

 例えるなら、青い竜巻。密度の高いエーテルが、広い範囲をぐるぐると取り囲んでいる。

 いつも俺たちが向かう方角だ。あの森の一帯が、丸ごと異界化しているということになる。


 ……あんな場所に、これから入ることになるのか。

 思わず、唾を飲み込んだ。


「注意することは一つだ。異界に入ったら、直感でもなんでも良い、違和感を覚えた瞬間迷わず感知。いいかい?」

「……それってつまり、普段通りってことだな」

「ふふ、そうだね」


 身体が震えているのが分かる。だがこれは、武者震いだと解釈することにした。

 大丈夫。なんとかなる。俺は強くなった。身体的にも、精神的にも。

 実戦経験だってある。異界獣を、俺は殺したことがある。

 殺人の、経験もある。

 俺は、殺すことに慣れている。


「……行こう」


 なりふり構わず自分を奮い立たせ、アヒトと共に村の外へ出た。


◇◇◇


 少しバイクで移動し、目的地に辿り着く。リベレーターたちが集まる、一時的な拠点だ。

 異界化した領域は思い切り人の通る整備された道を巻き込んでいるが、感知をオフにしていると、普段通りにしか見えない。道のど真ん中に拠点を築いたのは、一般人が迷い込まないように封鎖する役割もあるのだろう。

 反対側については、そもそも開拓途中の森なので人はまずやってこない。俺やアオイ先輩のような例外を除けばだが。


「……ところで、異界化ってなんの前兆も無しで、いきなり発生するものなのか?」


 イメージでは、爆発音が鳴ったり、強い光が発生したり。災害と呼べる現象なので、それに見合った前兆がありそうなものなのだが。


「分かりやすい前兆は無いかな。最初に"楔"が落ちてくるんだけど、そこまで大きい物じゃないし、間近にいてタイミングが良くないと気付けないと思う」

「……じゃあ、異界化する前に止めるのは運が良くないと難しいのか」

「いや、実質不可能だ。異界化は"楔"が地面に触れた瞬間、即座に起こる。すぐに解放するって話なら運が良ければ可能かもしれないけどね」


 目の前に"楔"が落ちてきたらすかさず"楔"の機能を停止させれば良い、ということだろう。……隕石が自分に落ちてくる確率はいくつだったっけ。


「来たかアヒト。……ってレン、なんでお前も?」


 バイクから降りた俺たちにビリーさんが話しかけてきた。彼もエリヤさんも、リベレーターである。

 ビリーさんは銀色の全身鎧に身を固め、大剣を背負っていた。斧っぽい人だと思っていたが、予想は外れたようだ。……鎧なんて初めて見た。


「おはようございますビリーさん。一応俺も、リベレーターですから」

「がっはっは! 良い顔しやがって!」

「痛い痛い痛い!」


 豪快に笑いながら、ばしんばしんと背中を叩いてくるビリーさん。こういうおっさんは嫌いじゃないが、マジで痛いからやめてほしい泣いちゃう。


「あらレン君おはよう。あなたも参加するのね」

「お、おはようございますエリヤさん」


 エリヤさんはえっちなおねえさん……ではなく、恐ろしいほどカッコいいおねえさんに変貌していた。男装の麗人とはこのことか。

 髪はまとめ、白く、スラッとした軍服のような衣装を着ている。武器は細剣。レイピアと呼ばれる代物だろう。

 いや、マジで何このカッコ良すぎる人。王子様かよ。二面性しゅごい。


「そんなに見つめられると照れちゃうわぁ」

「あ、ごめんなさい、つい……」

「どうだレン、俺の嫁は。欲しくなっただろう」

「い、いえ、そういうことじゃ――」

「だがやらん! がっはっは!」

「痛い痛い痛い!」


 またもや背中をばしんばしんされる。背中にたんこぶができそうなんでやめてほしい。


◇◇◇


「いいかお前ら。できたてホヤホヤの異界だからって油断すんなよ。単独行動は絶対に避けろ。感知は交代で行え。それだけ気を付けとけばお前らは死なねえ。分かったな」


 応! と、野太い声が響く。ビリーさんがリベレーターのまとめ役のような立場だとは知らなかった。

 

 リベレーターたちがチームごとに続々と異界に入っていく。

 感知がオンだと、青い雲の中に人が入っていくように見える。しかしオフにすると、存在がブレると言えばいいのか、蜃気楼を見ているかのような曖昧さを感じる。

 普通の道にしか見えないが、どこかおかしい。きっと、異界に入れば、その違和感の正体が分かるのだろう。


「レン、そろそろ行こうか。準備はいいかい?」

「ああ」


 俺たちは歩き出す。異界に、近づいていく。

 熱いような、冷たいような。よく分からない身体の異変。

 だが、歩けている。脚は動くし、腕も動く。

 腰に差した二つの武器を触り、改めて自分に言い聞かせる。


 これは現実だ。適応しろ。本気でやれ。もっと、本気で。


 無意識的に感知をオンにし、違和感は形となって現れる。

 俺たちは、同時に青い雲へと突入した。


◇◇◇


「――うっ、わ……」


 想像以上だった。


 木々は七色に変色してなどいない。色とりどりの光が空中を漂っているわけでもない。それでも、異界化という現象がどういうものなのかを強烈に示してくる。

 

 既視感のある景色。毎日のように通っていた森。ただ、どういうわけか、その全てが異様なほど巨大化……いや生長している。

 そして、何より。


 空。

 紅い空。それよりも紅い、アイテール。そして、黒い輝きを放つ、太陽。

 裏返った空は、不気味すぎる。名状しがたいモノを見てしまったような、吐き気が込み上げてくる恐怖感。

 エーテル。

 血のように赤い霧が、空間を満たしている。ある種の儚い美しさを感じる青から、生物の中身の生々しさを表現したかのような赤へと変貌してしまっていた。

 

 気持ち悪い。なんなんだ、この領域は。


 感知をオフにしてもエーテルが視えなくなっただけで、空の色は何一つ変わらない。降り注ぐ赤黒い光は、巨大化しただけでなんの変哲もないはずの森を、おどろおどろしい景色へと変貌させていた。


「レン。移動しよう。あまり意識しない方がいい」

「……ああ」


 上に向いた視線を無理やり引き剥がし、脚を動かす。

 考えるよりも、今は身体を動かすべき時だ。そうしないと、呑み込まれる。

 何度も深呼吸しつつ、木の根を避け、乗り越えていく内に、吐き気は収まっていった。


◇◇◇


 数分、真っすぐ進み。


「レン。異界獣だ」

「っ!」


 アヒトが指さした先に、居た。


 ゴブリン。


 七色の森で見たことのある、モンスター。

 あの時の苦い思いは、強く心に残っている。

 最終的に、殺せはした。しかし、大怪我をした。アオイ先輩が助けてくれなかったら、間違いなく死んでいた。


 だが、今回はどうだろう。


「……倒せるかい?」

「……大丈夫」


 思考する。

 敵は一体だ。こちらに気付いていない。下卑た声を上げながら、なんらかの果実を喰らっている。

 あの時と同じシチュエーション。だが、前回と今回では、大きく違っていることがある。


 俺は全身の力を抜き、歩き出した。

 俺は、溶ける。空間に。そこにいるのが、当たり前のように。

 俺から表出する全ては、ただ、当たり前に、そこにある。

 俺は武器を抜く。これも、当たり前のこと。

 相手は、信じ込んでいる。俺がそこにいるのが、当たり前のことだと。

 もうすぐ、終わる。当たり前のことが。


 ーー殺す。


 スティレットが、ゴブリンの首に、差し込まれていた。


「……」


 あまりにもあっけなく。戦闘にすらならず、終了した。

 ゴブリンはぴくりとも動かない。首から青い血……というよりも、体液がドクドクと流れ出している。酷い臭い。嗅いだことのある臭いだ。


「こいつの棍棒は、素材になる。コアも含めて回収しておこう」

「分かった」

「レン」


 アヒトを見ると、手を上げていた。

 俺は武器を収め、アヒトの手をぱしんと叩いた。


◇◇◇


 なんとかやれている。どころか、自信満々に、『俺はパーフェクトにやれているぜヒャッハー』と叫べるぐらいには、この異常に適応できていた。


 ゴブリンを四体倒した。二体はステルスキル、残りの二体は正々堂々と、正面から、同時に。

 "フィクススペース"で一体を1秒足止めしている間に"ハンター"で仕留め、すぐさまもう一体を仕留めた。

 雑魚であることは分かっているが、何が嬉しいかというと、感情のコントロールが上手くできていることだ。

 生き物を殺すことへの抵抗感が薄れているわけではない。ただ、その抵抗感に行動を邪魔されることが無くなりつつある。シャドウトレーナーで何度も『俺』を殺した経験が活きているのだ。

 倫理観を捨てたいわけではない。欲しいのは、いざという時に躊躇しない、反射速度。危険を排除する、実行力。

 現代的な価値観のままではいられない。いずれ来る、明確な敵を排除する為、あらゆる面での実力を付けなければならない。


「休憩しようか」


 アヒトが水風船果実を二つ回収し、一つを俺に手渡した。感謝を伝えつつ皮を少し噛みちぎり、中の水分を吸い出していく。少しだけ酸っぱい水。久しぶりの味だ。


「"バルーンフルーツ"、飲んだことあるのかい?」

「七色の森で、めちゃくちゃお世話になった」


 "バルーンフルーツ"という名称があることを初めて知った。まんまだった。


「今のところ出てきた異界獣はゴブリンのみ。大して数もいない。環境変異特化型の異界だね」

「異界って、何か種類があるのか?」

「初期段階の特徴にはね。異界獣が大量発生している異界とか、強い異界獣が発生している異界とか、迷宮化している異界とか。時間が経てば、どの異界も色々と特徴が混ざって面倒なことになる」


 異界獣の大量発生。強力な異界獣。迷宮。……確かにめんどくさそうだ。他にも色々あるだろうが。


「楽に攻略できる異界だと思う。正直、どこかのチームの"レーダー"に引っかかるのを待ってて良いかも」

「ええ……」


 堂々とサボり発言をするアヒトだった。

 ちなみに"レーダー"とは"楔"から発せられる特殊なエーテルを探知するエーテライザーのことである。当然、俺たちも持っている。


「冗談だよ。もう少し休憩したら移動しよう。君の――」


 突然、アヒトは口を閉ざす。

 俺は、感知をオンにする。


「……どういう意図だろう?」

「……?」


 違和感は感じない。だが、アヒトは何かに気付いた。


「レン――」

「……俺は、何も分からない」

「しょうがないよ。手練れだ。気を引き締めよう」

「……ああ」


 来るべき時が来た。それだけは理解した。

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青先輩は異世界でもよく笑う 名もなきジョニー @namelessjony

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