鬼ごっこ

 森の中、息を潜め、獲物を尾行する。

 こちらに気付いている様子は無く油断しているように見えるが、間違いなくブラフ。行動に制限が掛かる状況でない上、上手く隠しているが同質化を済ませている。……かなり頑張らないと視えない。

 同質化は、言わばエネルギーの充填と最適化だ。アーツを発動する前の溜め。そして、そのエネルギーを保持しておけば、任意のタイミングで具象化できる。

 感知をオンにしておけば、エーテルの流れを視て相手のアーツ発動までのプロセスを事前に察知できるが、このホールド状態にまで持ってこられると、まあ、困る。駆け引きを強要されるからだ。


 どう崩すかのプランを定めた。あとは条件が整うまでひたすら待つのみ。

 自信は無いが、自信がある。虚勢を張り続け、思考回路を変質させる。ネガティブとポジティブの適切な配分を意識する。


 本気でやれ。もっと、本気で。

 アヒトの言葉を反芻する。


 気配の消し方は、アヒトから学んだ。

 意識すべきは、存在を消すことではなく存在に違和感を無くすこと。空間を漂うエーテルの変化を見極め、その流れに沿うこと。

 具体性は無い。しかしどういうわけか、具体的なやり方が理解できる。これは恐らく、アヒトの動きを観察し続けた結果だ。


 ただし、実現できていない。自分の存在がバレているのがその証左だ。呼吸、身体の動かし方。空気の流れ、土、枝葉、樹木、周囲にある全ての物が、自分という存在と反発してしまっている感覚。頭では理解していても、身体がコツを掴めていない。

 エーテルについても同じ。感知により、空間のエーテルの流れが不自然になっていることが分かる。自分の動きの質が悪いことと、同質化がまだまだ下手なせいだ。

 経験不足なだけ。悲観はしない。淡々と、経験値を稼ぐイメージで。


 獲物は移動を続けている。俺は一定の距離を保ちつつ追う。


 そして、ようやく訪れた、策の条件を満たす場所。


 ――"フィクススペース"。


 トリガーワードを頭の中で唱えると同時に木の陰から飛び出し、地面を蹴って瞬時に距離を詰めていく。

 そのまま、俺は右腕を獲物に向かって突き出した。

 当然、回避行動を取るだろう。

 だが。


「!」


 そこには壁がある。あと0.5秒後には消滅する壁だが、上手く誘導することに成功した。


 いける。


 俺はもう一度地面を蹴り、今度は本気で相手に触れようとした。

 しかし。


「あ~~~れ~~~」


 俺は、宙を舞っていた。


◇◇◇


「惜しかったね、レン。回避方向の択を限定するのは良い手だ」

「くっそー……」


 枯れ葉ベッドに大の字になった寝転ぶ俺。アヒトに思い切り投げ飛ばされた結果だ。ちなみに受け身を取ろうとしたが、何故かアヒトのアーツで失敗させられてしばらく息ができないという無駄に辛い時間を過ごした。ようやく落ち着いたが立ち上がる気力が湧かない。……が、それでも無理やり立ち上がる。


「僕を固定した空間に追い込む角度もタイミングも適切だった。ちゃんと考えてることがよく分かるよ」

「お、おう……ありがとう?」


 アヒト師匠は褒めて伸ばす自尊心モミモミタイプだ。しかもその褒め方がロジカルで具体性があり、俺のようなネガティブになりがちな弟子と相性がとても良い。つまりもっと褒めてくれ。

 両親も似たようなタイプだった。楽器を始めたばかりの下手くそな頃でさえ、一音キレイに鳴っただけで天井をぶち抜く勢いで喜んでいた記憶がある。……ただの親バカかもしれない。


「体術はまだまだだけど、これは時間を掛けて身に付けていくしかないからね」


 アヒトの使う体術は、アーエールで元々培われていた戦闘術にドリフターが持ち合わせていた武道の知識を取り入れたもので、受けて覚えろと言わんばかりにさんざん地面に転がされていた。一応具体的な技も教えてもらってはいるが、鬼ごっこで決めたことは無い。決めさせてくれないタイプの師匠である。


「ギフトの調整はどうだい?」

「うーん、どうだろう。応用はできそうけど、根本的な問題が解決してないからな……」


 "ハンター"を発動すると、相手がなんらかの圧のようなモノを感じ取ってしまうようになっていた。以前までこうではなかったはずなのだが。


 久々に魚を食べようと思い立った日があった。序盤、野営が必要な依頼をこなしていた日だ。アヒトから弓矢を借り、魚を射抜こうと"ハンター"を発動させた途端、物凄い勢いで逃げられたことでギフトの異変に気づいた。……というより、思い出した。

 タバサたちとの初めての夕食の時、俺は恐らく無意識的に"ハンター"を発動してしまった。武器は持っていなかったし、殺意を持ったわけでも無い。ただ、それに近い感情だけは込めた。それだけなのに、タバサたちは反応した。あの時点ですでに異変は起こっていたのだろう。

 発動の条件が緩和され、相手を威圧する効果が追加された、と解釈すればギフトの成長だと言えなくもないが、ステルスキルができなくなったのは困る。というより困っている。

 依頼目標である獣が"ハンター"を発動させると狩れないので、地力でなんとかするしかない。が、当然、ど素人である俺の成果は芳しくない。果ての大森林に生息する動物は基本的に臆病で警戒心が非常に高いらしく、狩るためにはコツがいるのだ。

 現状のリベレーターとしての俺は、ほぼ草採取限定の『Fランク冒険者』である。ちなみにリベレーターのランク制度にそんな制限は無い。詳細は割愛する。


「気配を絶つ技術をちゃんと身に付ければ変わるかも、って思ってるけど」

「どうだろうね。僕の肌感だと、力加減が上手くいっていないだけな気がするけど」

「あー、なるほど」 

 

 威圧と、理解と、実行。現状の俺は、"ハンター"を発動させると全ての効果を発揮してしまう状態だということか。

 威圧だけ、あるいは理解だけ、などといった切り替えができない。この全部乗せ状態をどうにかすればまた上手く使えるようになる。アヒトはそういうことが言いたいのだと理解した。

 

「まあギフトについては多分、時間が解決してくれるよ。……それじゃそろそろ、鬼ごっこを再開しようか」


 そう、俺たちは鬼ごっこをしている。現在進行系で。

 遊んでいるわけではない。れっきとした訓練である。

 採取すべき植物、狩るべき動物をある程度覚え、更にシャドウトレーナーで戦闘にも慣れてきた段階でこの訓練を課されるようになった。

 今は俺が鬼で、アヒトに手で触れることができれば役割交代する、という単純なルール。

 形としては鬼ごっこではあるが、捕まえようとする際のやりとりはいわゆる組み手に近い。これは、アヒトの持つさまざまな技術を実戦形式で教えてもらうという訓練だと言えるだろう。

 鬼ごっこを始めてから二日経ったが、未だに交代できていない、というのが現状だ。手で触れる、というだけの簡単な行為ができない。できる気が全くしない。それほどまでに実力が違いすぎるのだ。


 訓練――修行と言えば心技体。あえて当てはめてみるとしたらどうだろうか。


 心はシャドウトレーナーでの擬似的な殺し合いで。

 技はアヒトとの鬼ごっこで。

 体はリベレーター業務で。


 ……綺麗になった気がしなくもない。


「必要な素材を見つけたら、採取を忘れないようにね。……狩りの方は、まあ、頑張れ」

「はい……」


 追跡途中で置いてきた回収用のカゴの中身を思い浮かべつつ、絞り出すように声を出した。……いや、うん、頑張ろう。


 一度お互いの姿が見えなくなるまで離れ、完全に位置が分からなくなった頃を見計らって俺は感知をオンにする。普段以上に感覚が鋭敏になり、エーテルの流れを含めたさまざまな痕跡が見つけやすくなるのだ。

 感知をオンにする際、心地良い風が吹き抜けるような心地良さがある。俺はこの感覚が結構好きだ。歩き出すと、するすると身体を抜けていく青い霧。肉体的には何も感じていないが、やはり何か、五感とは別の部分が優しく刺激されているような気がする。


 この鬼ごっこも、なんだかんだで楽しい。日々できることが増えていくおかげか、ワクワクしている。そして、これで良い。厨二心でもなんでも、モチベーションの底上げに利用できるものを使わない手は無い。


◇◇◇


 シャドウトレーナーによる戦闘訓練については、そこそこ良い感じ、と言えるだろう。

 二回に一回は勝てるようになった。連勝することもある。安定感がぐんぐん増しているのが実感できる。

 一定以上の実力が身に付けば、ほぼ確定で勝利できるようになるらしい。シャドウトレーナーは自分の情報を読み取り同じ実力の敵を生成するエーテライザーではあるが、それでも勝率が上がっていくのは出力限界が存在するためで、また限界は低く、要するに完全に初級訓練用なのだそうだ。

 自分の実力を測り、強化する上で、これ以上無い逸品。勝率として明確化される自分の成長を感じ、思わず頬が緩む。……負けた時の痛みは思い出したくない。


「……」


 森の中。

『俺』の姿は見えない。周囲の木々を利用して、死角から襲ってくるつもりだろうが、視えている。

 エーテルの揺らぎを辿り、隠れている位置を探る。探れる。『俺』は俺なので、まだまだ隠密関連の精度は拙いことが分かる。

 楽器も同じだ。自分の演奏を録音すれば、現状の実力を客観的に判断できる。シャドウトレーナーは恐らく、そういった意図も含まれて製作されたエーテライザーなのだろう。


「……ッ!」


 来た。頭上。

 身体をひねり、軸をずらす。迫るスティレットをパリングダガーで受け、そのまま相手の腕を吹っ飛ばす勢いで振り抜いた。

 開いた身体にスティレットを突き出す。が、これはフィクススペースに阻まれてしまった。俺はカウンターを諦め腕を引き、『俺』は空間に作られた壁を蹴り、距離を取る。

 リカバー技術が向上している。決まったと思ったのに。


 ……クソめんどくさいな俺。


 成長の実感を感じながら、今度は俺のターンだと示すように相手に接近する。

 一直線に、心臓に向けてスティレットを向かわせる、余りにも分かりやすい攻撃。

『俺』の左腕が反応する、その瞬間。


 ――"フィクススペース"。


 受け流す為の左腕は、壁に阻まれる。上手く誘われてくれた。これは入る。

 切っ先が身体に触れる。

 が、そこまで。『俺』は思い切りスウェーバックしてかわすと同時に地面を蹴り、間合いから遠ざかっていく。


 ……クソめんどくせぇな俺!

 イライラするー! めっちゃイライラするー! 喜ばしいことのはずなのにめっちゃイライラするー!


 最初の頃は、瞬間決着ばかりだった。『俺』をやるか、俺がやられるかはともかくとして。

 それが今や、戦闘になってしまっている。一週間と少しで、我ながら著しい成長だ。


 勢い良く空気を吐き出し、相手を見据えて次の手を考える。

 相手はベストコンディションの俺だ。そんな相手に勝つためには、戦闘中に成長するしかない。

 集中しろ。頭を回せ。心を研ぎ澄ませ。もっと本気でやれ。

 まだまだ俺は強くなる。強くなれる。強くならなければならない。


 この世界に適応し、大事な人を守れるように。


◇◇◇


「あと、四日か……」

「あっという間だったかい?」

「ものすごく」


 今日は珍しく、アヒトも一緒に食堂で夕食を摂っている。

 ちなみに、序盤でアヒトへの借金は返しきっているので、すでに多重債務者ではない。タバサへの借金については、コツコツと貯めている段階だ。


「アオイ先輩たち、大丈夫かな……」

「その不安を目一杯感じることが『罰』なんだろうね。とはいっても、タバサたちは熟練のリベレーターだからよほどのことが無い限り心配はいらないよ」

「ああ……そうだよな」


 アヒトにも、俺とアオイ先輩の関係は伝えてある。『よく分からない』と言われたが、俺にもよく分からない。

 

 あの、心臓が握られるような気持ちの悪い不安はもう無い。しかし、完全に消失したわけではない。

 ただ、正しいような気がする。正しく、不安になれているような。


「レンさんは、アオイさんと恋人なんでしたっけ?」

「いや、違うよ。ちょっと説明するのが難しい関係なんだけど」


 リムさんもいる。今日は非番とのことなので、事前に交わした約束……地球の話をすることになっている。

 タメ口で話せる程度には仲良くなった。アオイ先輩と同じ年齢だそうだ。


「俺は地球では……えっと、音楽家になりたかったんだ。多分、アオイ先輩も」

「すごいですね! アーエールでは音楽家なんて、お貴族さましかなれない職業ですよ」

「そうなのか?」

「正確には違うけどね。単純に、楽器が高すぎるんだよ。リベレーターでさえなかなか手を出せないぐらいに」

「地球ではやっすいのからたっかいのまであるけど」

「こちらでは最低でも50万イェルだと聞いたことがあります」

「高ぁっ!」


 アーエールでの食事の値段を基準に相場を換算すると、大体500万円ほど、ということになる。

 ……え? ってことは。


「あのアコギの値段って……?」

「たしか寄贈品だから誰も分からないだろうけど、当然50万は超えているだろうね」


 なんでそんな物をあんな場所に雑に置いていたんだ! しかも普通に俺たちに使わせやがって! セキュリティの概念どこいった!


「まずいだろ……色々」

「コモルド村の治安は良いから問題無いよ。リベレーターは多いし警備兵もいるし、盗みに入る馬鹿はそうそう現われない」

「いや、でも……」

「ああやって置いておけば、いつか誰かが弾いてくれるかもしれないって。店主の方針らしいよ」


 それならまあ、と腑に落ちた……50パーセントぐらい。

 俺たちが釣れたのは確かだが、やっぱり危ないような気がする。あとせめてメンテナンスぐらいはして欲しかった。


「レンさん、ギターが弾けるんですよね? わたし、聴いてみたいです!」

「ああ、後で弾き語りするよ」


 実は、俺はこの度宿屋に音楽家として雇われた。更に、投げ銭という地球の文化をジロウさんが周知したようで、リベレーターとしての収入と同じくらい稼げていたりする。


 というわけで。

 リムさんに色々とエンタメな話を聞かせつつ夕食を楽しんだあと、ステージに立ちぬるっとライブを開始した。

 ビリーさんやエリヤさんを始めとしたファンの面々、リムさんに、珍しくアヒトまで最前列に寄り、心地の良い一体感を楽しんだ。


 その日最も衝撃を受けたのは、リムさんが投げたアホみたいな額のお金を確認した瞬間だった。


◇◇◇


 次の日の朝。


「レン。異界が出現した」

「……え」

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