Future Dance
どんなに過酷な状況に身を置いていたとしても、生きている限りはいずれ慣れる。サバイバル生活を経て、理解したことだ。
たった一度間違えるだけで死ぬ。そんな環境でさえ、生き続ければ慣れる。適応する。
◇◇◇
一週間が経った。
毎日朝からアヒトと森に入り、リベレーターとしての仕事をこなしつつ、訓練し、陽が沈む前に村へ戻り、リベレーターズギルドで成果を報告、納品し、報酬を受取り、宿屋へ戻る。
最初はまともに歩くのも難しくなるほどへとへとになり、夕食と風呂を終え次第部屋に戻って即ダウンするような軟弱者っぷりを発揮していたが、四日経つ頃には色々な人から散々リクエストを受けていたことを承諾できるようになり、一週間後……つまり今日に至っては十分な余力を持ってそれを楽しめていた。
アーツホルダーとなったことによる身体機能の向上を身を持って実感している。昔からランニングで体力づくりはしていたが、それだけでは全く持たないであろう激務をこれだけの短期間である程度こなせるようになり、やはりここは異世界なのだ、と何度も心で呟いたことがまたもや浮かび上がってくることになった。
俺は今、食堂のステージの上で弾き語りをしている。
頭の中にあるカントリーミュージック系のプレイリスト順に適当に爪弾き、適当に歌い、ゆったりと音楽に浸る。
以前のような、全員を巻き込むような大騒ぎになることは無く、しっかり観てくれる人もいれば、普段通りに飲食や会話を楽しむ人もいる。BGMとして綺麗に溶け込むことに成功していた。
やっぱり、落ち着く。
そうしていることが当たり前だった時には考えもしなかった。本当に、この世界に音楽があって良かったと思う。
地に足がついていないと言えばいいのか、収まりが悪いと言えばいいのか、安心できる場所にいるからこそ感じる漠然とした不安感が、ギターを弾いている間だけは緩和される。
一種の現実逃避なのかもしれない。
元の世界での俺の人生設計は、ほぼ定まっていると言っていい状態だった。
それがこの異世界にいきなり転移させられ、全てがぶち壊しになって。
物心ついたばかりの子供と同じだ。俺はこれから、新しい世界を学び直す必要がある。
アオイ先輩から強制的に引き剥がされるという『罰』は、自分自身のことを見つめ直す契機となっている。
自分の未来について考えることはきっと、自分にとって一番大切な人を幸せにすることにも繋がっている。
俺はアオイ先輩を壊す。あの夜、そう宣言した。
宣言したからには、具体的な行動を起こさなければならないわけで。
俺はこの世界で何ができるのか。何をするべきなのか。何を目指すべきなのか。何を手に入れるべきなのか。
理想の外枠すら定まっていないが、時間はたっぷりある。目の前の課題をこなしつつ、並行して考えていけばいい。
……などと考えている内に、俺の身体は半ば自動的に一曲を終わらせていた。
「……ありがとうございました」
この場にいるほぼ全員が拍手してくれる。中には歓声を上げてくれる人もいる。観ていた人も観ていなかった人も、俺の演奏を認識してくれているのが分かる。
自分の演奏技術は高いという自負はあったが、これまでそれをひけらかすようなことはしてこなかった。自分一人が注目され、そしてこんな反応を頂くのは、実は初めての経験だったりする。
いつかは自分がエンターテイナーとして目立つ場面が来るだろうなとは予想していたが、まさか異世界でそうなるとは思わなかった。
……実は、ちょっと気持ち良くなってたりする。新発見だ。俺にも承認欲求があったらしい。
アオイ先輩とのセッションの時は客を全く意識していなかった。だが、自発的でないとはいえこうして一人でステージに立つようになってから、『ライブをする』という行為においての心構えのようなモノが、少しずつ培われているような気がする。
「レンよ。こういうゆったりした曲も良いけどよ、あの嬢ちゃんとやったみてぇな激しいやつはやらねぇのか?」
「あー……そうですね……」
どうも俺――俺とアオイ先輩は、いわゆるファンを獲得してしまったようで、俺がステージに立つとすぐ近くに何人かが寄ってくるようになった……というより彼らが俺にリクエストしてきた人たちだったりする。ちなみに今話しかけてきた人はビリーさんと言う名前で、見た目はスキンヘッドの筋骨隆々でクソデカ斧が似合いそうなビリーさんだ。絶望ではなく、スモーキンでもないビリーさんなのでお間違えなきよう。
「私も観たいわぁ。あなたたちのお陰で若い頃を思い出しちゃって。あの日の夜、つい盛り上がっちゃったんだから」
「そ、そうですか……」
そしてこちらの、自分の顔に手を当てて身悶えている、どこからどう見てもえっちなおねえさんの名前はエリヤさん。ビリーさんの奥さんとのこと。おばさんっぽい発言だが、どこからどう見てもえっちなおねえさんなのでお間違えなきよう。あとあのセッションに性欲増進効果があったみたいな発言やめて下さい。……あったかもしれない。
それはともかく、夫婦の犬も食わんいちゃつきが始まったのだが、それはさておき、『激しい曲』というオーダーを受けたからには応えないわけにはいかない。いかないのだが、少しばかり抵抗感があったりする。
あの時のブチ上がり方を再現できる気がしない、というのと同時に、あの時、自分の裡にある見せてはいけないモノを見せてしまったような気がして、恥ずかしいやら怖いやらの感情が入り混じった複雑な気分になるのだ。
考え過ぎであることは自覚しているし、ビリーさんたちもあの感じをそのまま求めている訳ではないはずだ。……多分。
噴き上がるインパクテッドメモリーに無理矢理蓋をし、スイッチを切り替える。
頭の中にある、激しくカッコいい曲たちから一曲チョイスし、コードの確認。音源もスコアも無いのでほぼ記憶とアドリブになるが、気にすることはない。楽しみ、そして楽しませれば問題無いのだ。
ただし、この曲はあくまでも他人の曲だ。リスペクトを忘れてはならない。
「じゃあ……演ります。この曲は――」
アーティスト名と曲名を告げる。初ライブのバンド的なMCっぽさを醸し出してしまったが、曲は間違いなくカッコいいから、と頭の中で言い訳しつつ、俺は両手に崎山蒼志を降臨させる努力をする。
◇◇◇
今日はこんなものか、と、終わりの挨拶もそこそこに部屋に戻ろうとした時のことだった。
「あ、レン。お疲れ様」
「アヒト、お疲れ」
基本的に俺とアヒトは、リベレーターズギルドで解散することが多い。その後アヒトが何をしているかは分からないが、噂によるとアングラな場所でギャンブルに興じているとかなんとか。タバサにしている借金の原因がこれだとしたら、割とアヒトはクズなのかもしれない。
……勝手な想像はやめておこう。
それよりも気になるのは、隣でニコニコと微笑んでいる、メガネを掛けたおじさんだ。
ほぼ西洋風の顔しか見掛けないこの村で、ジェラルドさん以来のアジア人っぽい顔立ち。……というより日本人にしか見えない。
「おー、村長! 帰ってきてたのか!」
俺と並んで食堂を出ようとしていたビリーさんが、その人の正体を教えてくれた。彼の見た目通りのクソデカボイスが食堂にいた全員に届いたようで、背中越しにざわつきを感じる。
「マジだ。お帰り村長! こっち来て呑もうぜ!」
「お帰りなさい村長」
「早かったわね」
恐らく『村長』は出張中だった、というのと、村の人からは好意的に見られている、ということを察した。
「連絡を受けましてね。早く帰ってきちゃいました。……レン君、初めまして。私はこのコモルド村の長を務めている、クワバラジロウだ」
名前を聞いた瞬間、確信した。
「お察しの通り、私は日本人だよ。そして、君と同じくこのアーエールに流れ着いた、ドリフターだ」
◇◇◇
桑原次郎。それが、彼の名前だ。
俺やアオイ先輩と同じく、日本人のドリフター。
この世界に来てから初めて出会った、地球のことを本当の意味で知っている人間である。
「――そうか。大変だったね」
「まあ、正直……そうですね」
立ち話もなんだし、ということで、ジロウさんとアヒトを自室に案内し、腰を落ち着けて話をしていた。
俺は、真っ暗闇の洞窟で目覚めてからこの村に辿り着くまでのことを語った。色々な人に何度も話していることだが、俺の心中に対する理解度はジロウさんの方がどうしても高くなる。
コモルド村の人たちに、物理的にも精神的にも救われたのは間違いない。だが、共感してもらうのは初めてだった。
ジロウさんの身の上話も聞いた。
彼は地球では市議会議員をやっていたそうで、色々あってこの地域を治める辺境伯と親しくなり、配下として取り立てられ、持ち合わせていた知識と経験を活かしてこの村の管理人になるよう命じられた……というのがこれまでの経緯だそうだ。
「……ジロウさんは、アーエールに来てからどれぐらい経ったんですか?」
興味本位の質問をジロウさんにぶつけてみる。
「かなり長い。二十年以上は経っているかな。とは言いつつ、ある意味私はドリフターとしては新参者、みたいな立ち位置なんだけどね」
「だいぶ昔……アイテールが現れた時期からドリフターも現れだした、って話でしたっけ」
「その通りだ。よく知っているね」
どこぞのクズが教えてくれた、という事実が癪だが。
「ドリフターはアーエールの人からすると外国人のような存在だ。ジェラルドさんみたいなハーフはざらにいる。レアリティで言うとSSR……いや、SRくらいか……あれ、例え方間違えたかな」
「い、いえ、分かりやすかったです」
おじさんが急にソシャゲ概念を使ってきてびっくりしただけである。
タバサたちやジェラルドさんからも聞いた話だし、肌感覚としても齟齬は無い。ただ、ドリフターとしての立場から話を聞いたのは初めてで、より自分たちの立ち位置が明確になった気がする。
「……そういえば」
一つ、思ったことがあった。
「ジロウさんって、西暦何年にアーエールに来たんですか?」
よく考えると、こうして同じ現代的な価値観を持って話ができているのは割と奇跡的なことなのではないか、という疑問だ。
地球とアーエールが別の世界に存在する惑星だと考えると、時間軸も別になっているはず。つまり――。
「ちなみにレン君たちはいつなんだ?」
「俺たちは――」
「――そうか。……私は、君たちの5年後だ」
「!」
「これはあまり知られていない情報だけどね、ドリフターは全員、西暦2000年代以降の地球……いや、日本から流れてくるみたいだ。判明している限りでは、だけどね」
それなら、価値観の近さにもうなずける。
……そして。
「……日本? ドリフターには、日本人しかいないんですか? そもそも、なんで日本からだけなんですか? しかも2000年代以降って……」
「いや、日本在住だった外国人ドリフターもいるよ。当然数は少ないが。日本からだけの理由については私も知りたいぐらいだ」
思わず質問を重ねてしまった。いや、質問というよりも独り言に近かったが。ジロウさんは笑いながら答えてくれたが、少しばかり反省する。落ち着かなければ。
「ごめんなさい、質問ばかりして」
「いやいや、嬉しいぐらいだから遠慮なく来てくれて良いよ。ちょっと偉いおじさんとしても同じドリフターとしても、君たちのような若い子の力になりたいと思っているからね」
「……ありがとうございます、ジロウさん。嬉しいです。本当に」
ジロウさんの言葉が、なんの抵抗もなくすっと胸に染み渡る。
俺とアオイ先輩は、きっと運が良い。コモルド村の人たちの優しさに触れ、強く思っていることだ。それでも、俺たちドリフターが抱える根本的な問題は解決されていない。きっと、解決しないのだろうという諦念。人ともっと関わりたいという、地球にいた頃の自分とは異なる考えを持つようになった理由はそこに起因しているのかもしれない。
恩返し、という言葉が浮かんでくる。今は貰う側にしかなれていないが、いつか、いや、できるだけ早く。具体的には、リベレーターとして、あるいは音楽家として。
「はっはっは。なんだか君のことが少し分かった気がするよ」
「そ、そうですか……」
「そろそろ本題に入った方が良いと思うよ、ジロウ。夜も遅くなってきたし、レンも疲れているしさ」
これまで会話に参加せず内職していたアヒトが口を挟んだ。俺のHPをしっかりチェックしてくれていたようだ。日々の生活に慣れ始めた段階とはいえ、疲労が溜まらなくなった訳ではない。もっと聞きたいことはあるが、今すぐ眠りたいという欲求も確かに強まってきている。ナイスタイミングの差し込みである。
ジロウさんは居住まいを正し、口を開く。
「そうだね。……君たちの今後についての話だ。君たちには、王都に向かってもらいたい」
ようやく来たか、と言う感想で、驚きはしない。タバサたちやアヒト、他の人からの匂わせもあった。ここまで曖昧な状態だったのは目の前のことでいっぱいいっぱいだったからだ。
「詳しくはアオイ君が帰ってきたタイミングで改めて説明するが、結構な長旅になるだろう。出発する日は任せるから、十分な準備を整えておいて欲しい」
十分な準備。路銀に物資、それに自衛ができる程度の戦闘技術、といったところか。
「それと、護衛も付ける。アヒトと、私の部下数名だ。こちらは後日紹介するとしよう。とりあえず、今日伝えたかったことはこれだけだ。ごめんね、レアリティの高い子とのお喋りが楽しすぎてついつい」
人のことをガチャキャラ扱いするのをやめるんだジロウさん。とは言えない。一応ジロウさんなりの褒め言葉だろうし。廃課金勢市議会議員というパワーワードが浮かんだが忘れることにする。
「分かりました、ありがとうございます。お世話になります。……それじゃ、アヒトの言う通り――」
「ああ、お暇するとしよう。疲れているところに悪かったね」
「いえ、色々話が聞けて良かったです。……なんというか、安心できました」
同郷の人との会話。俺たちと同じ境遇の人が、本当にこの世界にいるという事実に、どうにもならない安心感を覚えてしまう。
「……そうか。それは何よりだ。もし何かあれば、いつでも私の屋敷を訪ねてくれ。さっきも言ったが、遠慮なくね」
「分かりました。重ね重ねありがとうございます。……アヒトも、改めて、ありがとう。色々と」
「ふふ。どういたしまして」
ジロウさんたちが部屋から出ていくのを見届け一人になった途端、疲労感がどっと押し寄せてくるのを感じた。
俺はすぐさまベッドに飛び込み、目を閉じる。
「……あ」
ジロウさんにギフトのことを訊くのを忘れていた。
……まあ、次会った時で良いか。
……俺は、頑張れている。
明日も、頑張ろう。
いつかどこかで生まれた儀式を、心の中で再現した。散逸した記憶の海を漂う内に、俺はいつの間にか意識を手放していた。
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