第11話 カナちゃんの鳴き声


 宿屋からそう遠くないレストランで、私はカナちゃんと向き合って、夕食を食べていた。


「これが、あの注射器に入っていた液体ね」


 カナは手のひらに握れるくらいの小さな小瓶に、その液体を移し替えてくれていた。

 明かりに透かして見ても、その黒紫の液体は、食欲を失せさせるくらい邪悪な見た目をしている。なーんか臭そう。


「一体なんなのでしょうか?」

「瘴気にまつわるものなのは確かね。詳しい人に分析してもらう必要があるわ」

「瘴気に詳しい人物……さすがに思い当たる者がおりませんわ」

「そうねぇ……」


 聖女の里には戻れないし。外の世界には知り合いなんていない。


「ダークスフィアって連中が、これをばら撒いているのは間違いないわ。そいつらについて調べれば、自ずとこの液体のこともわかるでしょう」

「瘴気の液体を街のチンピラにばら撒き、無作為に人を襲わせている……そして秘密を洩らそうとする者は、容赦なく抹殺、ですか」

「あの魔術……私が使っているものと似ていた気がするわ」


 男たちが口封じに処分された時、放たれた杭のような魔法は、私が使う黒い魔法に似ていた。


「リリカによれば、闇属性魔法、だとか? 思えば、お嬢様に初めて会った時に感じた”匂い”は、まさにそれだったのですね」

「あっ!」

「どうしました? 何か思い出されましたか?」

「名前!」

「名前……?」

「初めてカナちゃんが、リリカちゃんの名前を呼んだわ。ちょっとは仲良くなれたのかしら?」

「……そんなことですか」


 表情は変わらなかったけど、カナちゃんは少しばつが悪いように視線を逸らした。


「少し、反省をしただけです」

「反省って、何を?」

「あの時……私はあの裏路地に駆け付けるのが遅くなってしまいました。お嬢様の身に危険が及んでいるのにも関わらず。故に悟りました。私とリリカはいがみ合っている場合ではなく、協力してお嬢様をお守りすべきである、と」

「大げさね。結局無事だったんだから、いいじゃない」

「全然だめです。私は……恐ろしいのです。お嬢様に何かあったら、この先どうすればいいのか。己の力を過信していたと実感しました。リリカを叱りつけようともしました。半端な力で足を引っ張るのなら、お嬢様の傍にいない方がマシだと」

「でも……そうは言わなかった」

「はい。リリカは不愛想な私と違って、お嬢様の癒しになるようですから」


 何でそんなことを言い出したのかって思ったけど、やっぱりあの時、お部屋でリリカちゃんと話していたことは全部しっかり聞かれていたみたいね。


「まったく、盗み聞きはよくないわよ?」

「私が仕えるということは、私とお嬢様以外のあらゆる対象に蜘蛛の巣を張っておくということです。例外はございません」

「はぁ……まぁいいわ。それで? リリカちゃんに不愛想って何度も言われたことも気にしてるのね?」

「気にしてなどおりません。愛想のないのは事実でございますから」


 カナちゃんは表情の変化は乏しいけれど、案外何をどう感じているかは伝わるものね。


「あのね、カナちゃん。私は愛想があるからって理由でリリカちゃんが好きなわけでもないし、愛想がないからってカナちゃんを嫌いになったりしないわ」

「そうは思いません。愛想というのはあるに越したことがないものと聞いております」


 意外。結構気にしちゃってるみたいね。ここは聖女らしく、ちゃんとメンタルをケアしてあげないとね。


「不愛想なのがたまらなく可愛いってこともあるのよ。例えば……今のカナちゃんみたいに拗ねた顔とか、ね」


 そう言って、私はカナちゃんの頬っぺたを軽くつついた。


「むぅ……」


 カナちゃんは不満げな鳴き声を上げて相変わらずむすっとしていたけど、少し耳が赤くなったような気がする。ちょっとは元気になってくれたようね。


「理解しかねます。でしたら、そう思っているとちゃんと証明していただかなくては」

「証明?」

「私めにも、ベッドに入って、ぎゅー、です」

「……ねえ、確認だけど、盗み聞きしてただけなのよね?」

「先ほど申し上げた通りでございます」

「ベッドは無いけど、ぎゅーはしてあげる」

「ここでは人目に付きますので」

「へえ、恥ずかしいの?」


 カナちゃんはしばらく黙り込んで、じっとテーブルの上を見つめている。

 しまった。聖女流メンタルケアに失敗してしまったかしら……


 なんて思っていたら、カナちゃんは静かに席を立って、私の膝の上に座ってきた。レストランは賑わっていたから、幸い誰も気にはしていないみたい。

 私は後ろから、カナちゃんの腰をぎゅっと抱きしめた。


「これで満足かしら? 甘えん坊さん?」

「私としたことが……主人の膝に乗るなど、あるまじき行為です」

「イケナイ行為の方が、興奮するでしょ?」


 カナちゃんの耳元でそう囁くと、カナちゃんはぴくっと身体を硬直させた。

 顔は見えないけど、そろそろ元気になっているかしら。


「さ、気が済んだら、リリカちゃんにご飯を買って帰りましょう? だって、これからは仲良くするんでしょう?」

「むぅ……」


 あら、これは本日二度目の、カナちゃんの鳴き声ね。


「一時休戦というだけのことです」

「素直じゃないんだから、ほんと」

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無自覚最強のサキュバス聖女、百合救済の旅に出る。 八塚みりん @rinmi-yatsuka

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