第15話 エピローグ

 あの現象は一体何だったのだろう? 一瞬だけ見た夢? それとも幻?

 あの時私は本当に死ぬつもりだった。だけど、ナイフの先が喉に当たる寸前、突然、真の前が真っ白な煙に包まれて、気がつくと私は昨夜の雪が降る中庭に浮いていた。見張り台に向かって、弓を構える自分自身の姿を俯瞰で見ていた。

 記憶と同じく、ロープを巻き付けた弓矢を放とうとしたところで、すぐ近くの窓が開いた。その隙間から智恵が顔を覗かせ、私と目が合った。

「あっ」

 驚いて目を見開く智恵に、私は反射的に弓矢を向けていた。ここで計画を邪魔されるわけにはいかない。リカの仇を討つためならどんな犠牲でも払う。

 ……そう心に誓っていたはずなのに。復讐のために近づいた智恵に、私はいつしか情を抱いていた。そのことを、その瞬間になって気づいた。だから、矢を放つのに躊躇した。その隙に智恵が窓を閉めようとしたから、私は慌てて矢を放った。それは智恵の首をかすめたらしく、弾みで閉められた窓ガラスに血が飛び散る光景が、雪が降っているせいかやけに目に鮮やかに見えて、私は一瞬、呆然と見惚れてしまった。

 意識を取り戻した瞬間、ガクンという音が聞こえるくらい、心臓が激しく鼓動を打ったことを思い出す。

 記憶の中の私はフードを脱ぎ、弓をその場に捨てて慌てて窓を開け、部屋の中を覗き込む。智恵は床の上に仰向けに倒れていた。左手で押さえた首から血が噴き出している。

 ――まだ生きてる。

 安堵と不安に襲われた私は、ロープを引っ張って矢を外に出すと、自分の部屋の湖側の窓を開けて室内に入り、すぐに廊下に出て隣の部屋のドアノブを掴む。鍵が掛かっていることが歯がゆかった。ドアを蹴破って智恵の安否を確認したい気持ちを堪えて、大沼がいびきをかいて眠るモニタールームから102号室のスペア・キーを取って、すぐに戻った。

 開錠する手が震えている。やっとのことでドアを開けて部屋の中に入ると、智恵はもう虫の息だった。私が抱き起こすと、

「幽霊を見たの」

 智恵は首筋を押さえたまま、うれしそうにそう言った。一瞬、何を言っているのか理解できなかったけど、私は外でフードを被っていたことを思い出した。それから、ロビーに飾られた肖像画が、ローブを頭から目深に被った元の城主をモデルにしていることを。智恵は、暗がりで私を幽霊と勘違いしたんだ。

 だけど、血が付いた私のベンチコートを見て、智恵は真実に気づいたみたいだった。目を見開いて私の顔を覗き込むように見た。その間にも、智恵の首からは血が噴き出している。

「違うの、そんなつもりはなかった。ごめんね、私は、そんなつもりじゃなかったの」

 私の声はちゃんと聞こえてるはずだった。だけど智恵は笑って、

「幽霊を見たの」

 また同じことを言って、右手の人差指を動かした。そこには『れい』と書かれてた。

「幽霊を見たの」

 智恵の声はかすれて、意識がぼんやりしているのがわかった。

「もう喋らないで」

 智恵の頭を撫でると、私の目からは大粒の涙が零れ落ちた。

「葉月……」

 口元に耳を近づけないと、もう智恵の声は聞き取れなかった。

「何?」

「……してる」

「え?」

「愛してる」

 驚いて顔を見ると、智恵はにっこり笑って、そのままふっと魂が抜け落ちたみたいに死んでしまった。

『愛してる』

 その言葉が頭の中で何度も繰り返されて、私は初めて気づいた。私も智恵を愛していたことを。復讐に利用するために交際を始めたけど、いつの間にか智恵に愛情を抱いていたんだ。だけど、その大事な人を私は自分の手で殺してしまった。

『愛してる』

 何て胸に響く言葉だろう。もしあの時、川原で倒れてた理香に僅かでも意識が残っていて、私にその言葉を与えてくれていれば、私の人生はもっと違うものになっていたかもしれない。それだけ力がある言葉なんだ。そう言ってくれる相手が、私も心の底から愛してる人ならば。だけど、今さら後悔しても遅い。私はもう復讐をやり遂げるしかない。

 智恵が私のイニシャルだと大事にしてたネックレスを形見にもらうことにした。そして部屋を出たところで幻は終わった。意識を取り戻すと、私は食堂の中、人目も憚らずに号泣してた。

 あの現象は本当に何だったのだろう? 考えても答えは出ない。ただ、復讐をしてもまったく心が晴れない。それだけはわかった。智恵を殺してしまったのは、神様が私に与えた罰だ。私はこの十字架を一生背負って生きていかなければならない。

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古城バチェロレッテ殺人事件~煙幕の名探偵・神宮寺胡桃 相羽廻緒 @taknak

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