36.9℃

 1、2時間めの学年音楽の授業(お説教のおまけつき)を終えて、3時間めの国語の時間に、由衣ちゃんが教室にいないことに気づいた。


 5年生になってから、何回かの席替えがあって、由衣ちゃんは一昨日おとといから、教室のほぼ真ん中の席。わたしのななめ前に座っている。


 昨日、一昨日と、授業中に見えていた白いうなじが、いまは見えない。

 ぽかっと空いた席を気にしながら、わたしは、新出漢字をドリルでなぞった。


 4時間めの体育で、はりきりすぎてけがをしたものだから、保健室に行った。

 人生2回目の保健室利用だ。

 つきそってくれた保健係は、ノートに記入を終えると授業にもどった。


 足を打ったというわたしに、養護の先生は、かんたんな質問をしながら、患部をじっくりと観察し、保冷機能のある湿布みたいなものを貼ってくれた。


 保健室内の、パテーションでなんとなく区切られた空間に、由衣ちゃんがいた。

 大きな丸テーブルのぐるりに置かれたいすのひとつに座って、読書していた。

 おさげ髪が、すこしだけふっくらとしてきた由衣ちゃんの胸にたれ下がっている。


 ほかにも1人、同じテーブルを囲んで低学年の子がいて、タブレットを操作していた。

 開いた画面がこちらから見えた。九九くくドリルに取り組んでいるようだ。


 手当が終わると、少し休んでいっていいよと先生に言われたので、わたしは、由衣ちゃんの横に立った。

「由衣ちゃん、どこが悪いの」


 由衣ちゃんは、本から目を上げた。

「……頭が痛くて。早苗ちゃんは?」

「体育で、足をぶつけた」


 わたしは、足首の湿布を見せながら、答えた。

「痛い?」

 由衣ちゃんが心配そうにきいた。


 わたしは、わずかに考えてから、うなずいた。

「うん。由衣ちゃんも、痛いの?」


 由衣ちゃんは、

「熱はないの」

 と、答えた。


「何度?」

「36.9℃」

「早退するの?」

 由衣ちゃんは、首を振って否定した。


 3月まで放課後にあずけられていた児童クラブでは、体のだるさを訴えた子は、検温して37℃をこえると、保護者に連絡して、お迎えに来てもらっていた。

 36.9℃までは、ひとまずおとなしくして、ようすを見る。

 小学校でも同じシステムなのかもしれない。


「なに読んでたの?」

「『ミッケ!』」

 由衣ちゃんは、ながめていた絵本の表紙を見せてくれた。

 

 落ち着いた色調で精密に描かれた絵の中から、指示されたアイテムを見つける、さがし絵の本だ。

「わたし、得意だよ」


 自慢すると、由衣ちゃんが、

「一緒に見る?」

 と、誘ってくれた。


 由衣ちゃんのとなりに座って、こそこそと話をしながら、絵本を見る。

 何ページか、夢中でさがしっこしていたら、4時間目終了のチャイムが鳴った。


「あ、時間だ」

 わたしは立ち上がった。お腹がペコペコだ。


 由衣ちゃんが動かないのに気づいて、

「由衣ちゃん、お腹も痛い? 今日の給食、カレーだよ」

 と、たずねた。


「お腹は、痛くない」

「よかった! じゃ、先生に言って、ここに持ってくるね」


 由衣ちゃんは、丸い目を少し見開いた。

「なんで?」

「え? だって、カレーだよ。お腹痛くないなら、食べるよね」


 わたしは、質問されたことにびっくりして言った。

 由衣ちゃんと、わたしは、おたがいにびっくりした顔をして、見つめあった。


 由衣ちゃんの頬がゆるんだ。

「教室で、食べるよ」

 由衣ちゃんが、立ち上がった。

 おさげ髪が揺れた。


「三木さん、足の具合は、どう?」

 と、白衣をつけた養護の先生が、わたしに近よりながら話しかけてきた。


「足? ……あ、痛くなくなりました」

 わたしは、自分の足首を見た。はんぺんみたいな白い湿布がられている。

「そう。では、その湿布はがしておきましょうね」

 先生はにこにこして言うと、膝をつき、ピリピリと湿布を剥がしてくれた。


 足が、すうっと軽くなった。


「先生、ありがとうございます!」

 わたしは元気よくお礼を言った。

「どういたしまして」


 由衣ちゃんも、

「ありがとうございました」

 と、小さい声で言った。

「はい、水島さんも、どういたしまして」

 養護の先生は、ゆったりとこたえた。


「失礼しましたぁ」

 わたしたちは、連れ立って、いそいそと保健室を出た。

「歩いて教室に戻るんですよ〜」

 養護の先生の声が追いかけてきた。


「早歩きは、セーフだよね」

 給食の準備のためにざわざわしている廊下で、わたしが言うと、

「ええっ、だめじゃないかな」

 由衣ちゃんが言った。


「カレーなのに!」

 わたしは天井をあおいだ。


 由衣ちゃんが、クスクス笑った。

「いいよ、早歩きで行こう」

 由衣ちゃんが、両手をふって、スタスタ歩き始めた。


「いぇーい」

 わたしは嬉しくなって、由衣ちゃんの横に並んで力強く歩いた。

 さっきの体育で、どちらの足を痛めたのかも、もうすっかりわからなくなっていた。


 放送委員が、お昼の放送を流しはじめた。

 先週、わたしがリクエスト箱に入れた曲、今日あたり、かけてくれないかな。

 わたしは、ふと考える。


 もし、かかったら、由衣ちゃんに、わたしがリクエストした曲なんだよって教えてあげよう。

 かからなかったら、早くかけてほしいのに、っておしゃべりしよう。


 いまの由衣ちゃんは、わたしのななめ前の席。

 授業中は、後ろ姿しか見えない。

 でも、給食の時間は、机を寄せ合わせて班で食べるから、由衣ちゃんの顔が、よく見える。


 昨日も、一昨日も、わたしは、給食時間に、前の席の阿久里とばかりしゃべっていたけど、ほんとはね。

 ほんとは、由衣ちゃんとも話したかったんだ。


 由衣ちゃんと、話したかったんだ。

 たぶん、ずっと前から。


 女の子は、めんどくさい。

 意味わかんないし、男子のほうが、いっしょにいて、楽だ。


 由衣ちゃんとはチームが別で、遊び方も、ノリも全然ちがう。

 由衣ちゃんだって、わたしより、おとなしくて優しい女の子のほうが、気が合うだろう。


 がっかりしちゃうかもしれないし、がっかかりさせちゃうかもしれない。

 由衣ちゃんから、女の子のイヤなところを見せられたり、わたしから、女の子らしくないバカなところを見せてしまったりするのかもしれない。


 だって、わたしは、「フツウの女の子」じゃないから。


 ……やっぱり、ちょっと、こわいな。


 けれど、由衣ちゃんのいない教室は、どこかうつろで、物足りなかった。 


 だから、わたしは、すこしだけ、女の子を知ろうと思う。

 由衣ちゃんのことを、知りたいと思う。


 由衣ちゃんが、ふと、すんすんと鼻で息を吸うしぐさを見せた。

(プレーリードッグみたいだ)

 わたしは、知らず、ほほえんだ。


 大丈夫。

 今日の給食も、きっとおいしい。


 4時間めをさっさと終えたとおぼしきどこかの教室から、早くも食欲をそそるカレーの香りが、廊下にただよってきていた。


                  〈終〉



 





 



 


 



 




 

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少女未満のわたしたち・3(『フツウの子』) ・みすみ・ @mi_haru

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