早苗と由衣の物語、シリーズ3作目にあたる本作は、学習発表会のための合同練習にて、鉄琴・木琴パートの由衣が他の生徒から仲間外れにされている様子を、早苗が目撃してしまうところから始まります。
早苗は事情をほかの女子から聞くのですが、
「由衣はフツウの子なのに、先生にひいきされて鉄琴に選ばれた」という、まったくスッキリできない答えが返ってきました。
早苗はその後、苛立ちを抱えたまま授業を受けていくのですが、体育の授業で怪我をしてしまい、保健室へ向かうことになり――。
小学生時代のちょっとした認識の違いや、共感を求めて固まる集団の怖さ……大人になった今ではすっかり忘れ去っていたことを、本作は見事に捉え、物語という形に仕上げております。
自分自身は小学生の頃、そういう意見に流されていなかったかどうか……本作の持つリアリティに、己の過去を振り返らざるを得ませんでした。
そして、由衣が「フツウの子」ではないことを知っている早苗は、自分自身のことも考えながら、ある行動に出るのですが……そこで深く心を動かされました!
大きな事件や奇跡が起こるのではない、静かな物語。
けれど、誰の心にも届くような、優しい力に満ちている素晴らしい物語。
シリーズを通して、ぜひともご一読ください。
応援レビュー(3だけではなくシリーズ全体のレビューです)
・みすみ・さんの『少女未満のわたしたち』シリーズは、少女たちの「痛み」と「芽生え」を、手触りまで届く具体(ペンケースの重み、花びんの水の濁り、体温計の数字)で確かにしてくれる連作でした。語りの瑞々しさがまず素敵。開幕の「女子って、めんどう。」と、男子とつるむ早苗の等身大の声から、野球(ズムスタ脚注まで!)や工作好きが自然に広がっていく導入、読み手の視界が彼女と同じ高さにスッと落ちます。
【具体シーン①:アトリエの攻防—「ペンケースは置きましょう」】
アトリエ・レインボーで、由衣の作品に手を伸ばす“もっちり”5年生に、由衣が「親鳥」のように身をかぶせて守る。白ヤギ先生が「手首が真っ赤ですね」「防犯カメラが…」と凜と状況を収めつつ、早苗には「その右手のペンケースを、きちんと置きましょう」とだけ言って矛先を柔らかく落とす。直後の由衣の「ありがとう」、そして由衣の手毬に見とれる早苗の視界が「なないろの滝」に変わる比喩……ここで“ものを作る”ことの尊厳と、ふたりの関係の芽吹きが一度に立ち上がります。
【具体シーン②:花びんのチューリップ—ケアの共有】
茂木原先生が置き場所だけ決め、世話の段取りをしない花びん。由衣が静かに申し出て、エリナと一緒に“教室のうしろ”に居場所を変えると、花はみんなの視線の届くものになる。やがて花びらが落ちるさまを「小さな鳥の死骸」に見立てる描写は胸に刺さり、ふたりのケアが“見届けること”の尊さにまで広がります。
【具体シーン③:ひいき?—「フツウ」の揺らぎ】
学習発表会の鉄琴オーディションをめぐる「ひいき」噂話。壱花の説明は“論理”を装いながらも温度が冷たく、早苗の内心に「分かり合えなさ」が蓄積していく。ここで作者は“女子トーク”の息苦しさを断罪せず、早苗の鈍く痛む胸の温度として残す選択をしていて誠実です。
【具体シーン④:36.9℃と『ミッケ!』—同じテーブルで】
保健室。36.9℃の由衣と、足をぶつけた早苗。『ミッケ!』を並んで覗き込む小さな同盟から、給食がカレーだと知った早苗が「ここに持ってくるね」と即答し、由衣が「教室で食べるよ」と立つ。養護教諭の「歩いて戻るんですよ〜」に、ふたりで“早歩き”で応える小さな反抗は、関係の温度計そのもの。鼻を「すんすん」と鳴らす仕草を“プレーリードッグ”と密やかに愛でる視線まで、繊細で優しい。
◎ここが好き
・具体小物が物語を運ぶ:手毬・ペンケース・花びん・体温計・絵本。小さな物が少女たちの尊厳や連帯を受け止める設計。
・大人の描き方が偏らない:白ヤギ先生の機転と、茂木原の未熟さ(悪ではなく“未設計”)の対比が現実的。
・比喩の確かさ:花びら=小鳥、手毬=内奥で跳ねる音。言葉が“可愛い”で終わらず、痛みとよろこびの両方を連れてくる。
◎総評
「作る」「世話をする」「いま、このテーブルで一緒に食べる」——行為の単位が優しく、だからこそ切実。早苗の一人称はときに拙く、ときに鋭く、読者の胸の“かつて”を静かに照らします。連作として、人物とモチーフが緩やかに反復し、各話の終端で次の光を残す構成も美しいです。