第34話――叫び②
もう既に始業の鐘が鳴ったというのに、彼女――天願院るかみは校内をうろついていた。
かれこれ数分、教室棟と実習棟の間を往復したり階段を昇り降りしたりして付近を見回している。
「……ここは誰もいないな」
人の気配のない実習棟の空き教室の様子を廊下から見つめつつ、再び廊下を歩み出そうとすると、突然一つの風が廊下を通り抜け、るかみの側に留まるように集まり出す。
そして風の中から青い羽毛に覆われた水鳥が現れ、何も無い空中へと着水するように優雅に浮かんだ。
「こんなところでお付きもつけずにどうしたのかしら、お嬢?」
長い嘴を翼や身体に当て櫛のように動かして身繕いしながら尋ねてくるバードリーに、るかみはややもどかしそうに視線を向ける。
「……別に、少し見回っていただけだ」
「ふうん、何か気になることでもあったのかしら?」
「そういうわけではないが……」
「まぁ、お嬢はこの学校のことまだ全然慣れてないから仕方ないわよね」
「…………っ」
含みのある言い方にるかみは若干眉をひそめつつ、歩みを再開する。
「そんなことより、明依のやつはどうした。あいつは一体どこまでほっつき歩いている?」
「はいはい、仔猫娘ね。あの子なら東京タワーのてっぺんで黄昏てたわよ」
「東京タワー? 何故そんなところまで……」
「知らないわ。本人に聞きなさいな。《サクラキャット》に変身して移動しているなら、もうそろそろ学校に着いててもおかしくないとは思うわ」
「あの莫迦者め……久々に出会えたと思ったらこれだ……」
頭が痛いような仕草をしつつ、廊下を曲がって階段へと足をかけようとしたるかみにバードリーは少し間をおいて質問を投げかける。
「ねぇ、お嬢、もしかしてあの子に会うの少し怖い?」
「――どうして?」
「なんとなくよ。今までだってその気になればあの子のいる所に突撃することだって出来たのにそうしなかったから。それが、今になって突然あの子から現れてそれで――」
「……まさか、かつての仲間に遠慮することなぞあるものか」
るかみは階段にかける足を見つめつつ、一段ずつ登る。まるでバードリーの言葉を誤魔化すように。
「何故この三年間、ずっと音信不通にしていたのか、何故私たちの前からいなくなったのか、そしてあの日、私たちが“闇の魔王”を打ち倒して世界の平和を取り戻したあの時、一体何が起きたのか……そんなもの、わざわざ私から聞くこともない」
「へぇ、それはどうして、お嬢?」
「決まってる、それは――」
踊り場に上がり、バードリーに振り返ったところでるかみは言葉を続けようとした時、何やら校舎中に響く音が聞こえてきた。
「ん? なんだ、この慌ただしい足音と叫び声のようなものは……」
「なんか、上の階から聞こえてくるわね……」
一瞬、モンスターやクライジュウのような騒ぎかと思ったが、そのような悪しき気配の感覚は捉えられず、二人が一層困惑していると突然階段上の方から一人の人間が飛び出してきた。
「う、うわああああーーーっ!!」
「――っ、浅田陽成……!? 何故ここに……!?」
るかみが見上げた刹那、階段を踏み外したその男子が勢いよく彼女に向かって落下する。
空中で一回転し、頭からるかみの眼前へ……。
このような事態になった理由は、今からほんの少し時間を遡ることになる。
――――――◇◆―――――――
「先輩、なんで逃げるんですかッ!?」
「いや、逃げるだろ、誰でも!」
後ろから凄い勢いで追いかけてくる女子生徒に罵声を投げかけつつ、俺は廊下を駆け抜ける。
廊下には先ほどの藤原の哀叫につられたと思われる生徒たちが何人か教室から出ていたが止まっている暇は無い。何故なら後ろからはさらに頭のおかしい変人が俺を捕まえようとしているからだ。
「ちょっと通るよっ!」
「うわっ、なんだ!?」
出来るだけ走る速度を落とさず、生徒たちの間をくぐり抜けて廊下を突き進んでいくと、後ろの方で絶叫がこだまする。
「うおおおおーっ、待って下さい、せんぱーーーーい!!」
「えっ、こんどは美少女が……ってぎゃああああーーーっ!?」
異様な物音に一瞬視線を後ろに向けると、廊下で佇んでいた生徒たちが続々となぎ倒されて廊下の端に吹っ飛ばされていた。まるで荒波をかき分けて進むモーターボートのように、真っ直ぐ突っ込んでくるそいつに戦慄を覚えた。
「ば、バケモンかよ……!」
「せんぱーーーーい、待ってくださーい!!」
俺はその声にも耳を貸さず、廊下の先を曲がりすぐ近くの渡り廊下から実習棟の方へと駆け抜ける。
すぐ後ろでは人のものとは思えない重く、凄まじい足音が迫っているのが分かった。
「先輩、なんでですか!? ちょっとキスするだけじゃないですか!」
「何故俺が見ず知らずの人としなくちゃならないんだ!?」
「先輩の記憶を取り戻すためですよーーーっ!」
背後から打ちつける悲哀な声に、俺は戸惑いを覚えつつも、実習棟の入り口のくぐり抜け、そのドアを閉じる。
こんなやり取りが起きる前、衝撃の現場を目撃されて源先生が藤原を追いかけていったあの直後、残された俺のもとにあの春崎とかいう一年生が現れてとんでもない要求をしてきた。
“私と、キスをしてください”
これに対し、俺はもちろん拒否した。
だって怖ぇーじゃん。
「怖くないですよぉおおおーーーっ!?」
閉じたドアの窓越しにそいつの顔がビタンと張り付く。血走った眼球があらん限り見開いて、荒い息遣いがガラス窓に白いもやを作る。
「自分でも言うのもあれですが、私、結構可愛いと思うんですけどぉーーっ!?」
「少なくとも今のお前は十分怖いって!」
「なんで、そんなひどいこと言うんですか!? 私はこんなに先輩のこと案じているのに!」
「知るかよ! 大体、俺はお前のことなんか何も知らねぇぞ!」
「だから今からそれを思い出させようとしてるんじゃないですか!」
彼女が悲痛な声で渡り廊下のドアを叩いて押し破ろうとするのを、俺はドアの反対側から抑えてなんとか押し留めるも、物凄い反動が伝わって長く持ちそうにない。
さながら、俺の血肉を欲して牙を剥き出しにしながら檻をぶち破ろうとする猛獣みたいだ。
「私、階段上から見てましたよ。先輩、源先生とものすっごいことしてたじゃないですかっ! 朝っぱらから、他の生徒が来るかもしれないのにあんな大胆な……」
「んな……っ、バカ言え、誤解だ! 俺はそんなやましいことなんか……!」
「いいえ、ちゃんと見てましたよ私! 札束を先生に差し出して、挙句の果てにズボンに手を突っ込ませてたじゃないですか!」
「ちくしょう、本当にちゃんと見てた! けど、俺のせいじゃねぇ、勝手に突っ込まれたんだ! 服の中に入った札束取り出そうとして……!」
「つまり先生はお金に誘惑されたんですよね! だったら私もお金に誘惑されたせいにしていいのでキスしてくれませんか!」
「だったらじゃねぇよ、どういう理屈だよ!」
「なんなら私がお金払いますので!」
「もう、立場ぐっちゃぐっちゃじゃねーか!」
突っ込み疲れながら俺はどうにかドアの鍵を閉めた。
「あぁっ! 先輩、ちょっと!」
背後の声を振り切りながらその場から走り去った俺は背後の階段を一気に駆け上がる。
一体何なんだ、あいつは。今朝会ったとき夏目さんとなんか知り合いっぽいとは思っていたが……あんな頭のおかしい奴だったとは思わなかった。
息を切らし階段を上がりながら、どうにか三階まで辿り着き、廊下を走って実習棟西側へと向かった。
一階の渡り廊下で閉め出しを食らったあいつがこっち側に来るには別の渡り廊下から経由しないと来れない。
ただし、二階の東渡り廊下は天井の建材が剥がれて補修工事入っていて立ち入り禁止だ。入り口は施錠されているため、一度西側へ回るか三階を経由していくしかない。
どれほどの時間稼ぎになるかは分からないが、あいつが移動している間に西側の渡り廊下から教室棟に戻って――
「うおおおおお、せんぱあああーーーーい!!」
そんなふうに思案していたその時、外の方で突然騒がしい声が聞こえてきて咄嗟に窓の外に目をやると、信じられない光景が飛び込んできて思わず窓の側に立ち止まってしまう。
「な………………っ!?」
怒涛の叫び声を上げた春崎が走り出し、その足先が渡り廊下横の実習棟の壁に着いたその瞬間、そのまま全速力で壁を垂直に駆け抜けていく。
まるで足の裏にスパイクか何か付けて壁に突き刺して走っているような……いや、それでもあんな蜘蛛のように駆け抜けられるわけがあるか。
「ほ、本当に、バケモン……? じ、冗談じゃねぇ……!」
その後、壁を駆け上がっていったそのまま春崎の身体が東側の三階渡り廊下の欄干にしがみつくのが見え、そのまま建物の中に入っていくのが見えた。
「せんぱーーーーい、逃げないでくださーーーーい!!」
廊下の向こう側から聞こえてくる声に戦慄を覚えながら、俺は廊下を再び駆け抜けた。
彼女の凄まじい蹴り上げで床が響き、校舎全体が僅かに揺れているのを遠く離れたこちらにも伝わる。さらに小刻みに震える廊下の窓のそれが徐々に大きくなると、背中越しに感じる彼女のプレッシャーがだんだんと近付いているのが分かった。
「く、くそ……なんでこんな目に……!」
ダンジョンのことで揉めたり、なんか日本刀持った一年生に偉そうなこと言われるし、藤原のやつになんか誤解されるし……。新学期早々に不運なことが重なりまくっている。
西側の階段に到着して降り始めると、もう春崎は廊下を駆け抜け切ってすぐそこまで迫っていた。まずいと思いつつ、そのまま階段を下ろうとしたら、何故か彼女は階段の前で立ち止まってしまう。
「っ……なんだ……?」
階段を降りるペースを落としつつ少し振り返ってみると、春崎は顔を歪ませて、胸の前で自分の制服の端をぎゅっと掴んでいた。
「お願いです……先輩……私から逃げないで下さい……!」
悲痛な表情で俺を見つめる彼女の両目からぽろぽろと雫がこぼれ落ち、すがるように掠れた声が廊下と階段の狭間で冷たく響く。
「ずっと……ずっと追いかけていたんです……! 貴方に会うために、ずっと……! だから……私から……逃げないで……!」
「…………っ」
彼女のその発言には何の要領も得なければ、心当たりもない。ただひたすらに俺に迫るだけの彼女に、耳を貸す意味もないはずだった。
だけど……彼女の声と、表情と、その涙に、俺は自然と視線を引かれていた。
どういうわけか、彼女のことがずっと頭の中で気にかかって……そんなふうに気が逸れていたその時だった。
突然、足元ががくんと落ちて、体勢が前方に傾く。
「――――っ!?」
右足が空中を踏み抜き、続けざまに左足を蹴り出したせいでバランスを完全に崩す。
(し、しまった……余所見をして……!)
速度を落としていたとはいえ、それなりに急いで降りてしまった結果、階段を踏み外してしまった。手すりにも手は届かず、俺の身体はそのまま階段下の方まで落ちていく。
「っ……先輩!?」
春崎が異変に気付いて走り出そうとするも、既に遅く、俺の身体は踊り場に向かって真っ逆さまだった。
「う、うわああああーーーっ!!」
視界が反転する中、俺は踊り場の方から誰かが上がってきているのが一瞬見えた。
「――っ、浅田陽成……!? 何故ここに……!?」
落下している一瞬、驚いて見上げる彼女と視線が交差してその顔がすぐ迫る。
(まずい……ぶつかる……!)
何かしようにもこんな空中じゃあどうにもならない。
この後に起きることを想像して目を瞑った――その瞬間、顔面に力強く何かが鷲掴むように食い込んだ。
「――フンッ!」
「うわっ――――ぐへっ!?」
身体が空中でぐるんと一回転し、その流れで制服の端を掴まれ、そのまま押さえつけられるように壁の方に背中から叩きつけられた。かなり加減されてはいたが、それなりな衝撃に口から息が吐き出る。
そして、天願院は壁ドンのように俺を挟んで壁に手をつき、呆れたような声を出した。
「……まったく、一体なんのつもりですか、貴方は……」
丁寧な言葉遣いながら冷ややかな態度の彼女。体格も違う、一回り細そうな腕で空中から飛んでくる俺を投げ飛ばしたにも関わらず天願院は実に悠々としていた。
「いや……その、すまん……」
顔面を鷲掴まれていた時に爪が食い込んでいたところを少し撫でながら俺は小さく返事をし、顔を少し上に上げて天願院の顔を見ようとしたその時、彼女の背後から突然奇声が上がる。
「うわああああーーーせんぱーーーーーーーい!!」
「…………!?」
その声に天願院が反応するのも束の間、大きな音と共に彼女の身体が俺に覆い被さった。
「あっ………………!」
「っ…………………!?」
天願院の身体の重さが胸元から伝わり、そのまま壁へ倒れ込む。
その時、何か柔らかいものが僅かに半開きになっていた
口に押し付けられるのを感じた。
妙に湿っぽくて、生温かくて、声も出せず塞がれて……。
(……?)
目の前に天願院の瞳がある。
睫毛がある。
目蓋がある。
少し垂れた前髪がちらつく。
僅かに、甘い匂いがする。
「………………っ」
状況を理解する前に、思考が停止する。
ほんの少し、世界の時間が止まったような気がした。
――――――◇◆―――――――
「いったあぁ………」
床に背中とお尻を強打して、
「先輩を華麗にキャッチしようとしたのに……」
階段から転げ落ちた
「大丈夫ですか、せんぱ――」
彼女が見上げたその時、言葉を失った。
「――――えっ?」
彼女の視界に二人の男女が重なっているのが見えた。
壁を背にもたれかかって床に尻もちをつく陽成と、それに覆い被さるような体勢のるかみ。
しんと静まり返った階段の踊り場で、二人の息遣いが際立ち、お互いに見開いた目を向き合いながら、まるで時間が止まったように硬直している。
そんな二人の輪郭が、ある一点で繋がっていた。
「――――――――――」
「――――――――――」
重なり合った唇と唇。
陽成の胸の上に添えられたるかみの
横に流れ落ちたるかみの長い黒髪が、まるで二人の身体を隠すようなヴェールのようになっていた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」
顔を赤くさせたるかみが素早く飛び退き、陽成の身体から離れる。
その際、彼と彼女の唇の間に粘液の糸が引き伸び、まるでその繋がりを名残惜しむようにきらりと光るのを見て、それが目の錯覚ではないと明依は気付かされた。
「あ…………あ、ああ……!」
彼女の中で何かが罅割れ崩れ落ちるような音がする。
瞬く間に表情から血の気が消えて真っ青になり、その口元を震わせていた。
「き、貴様……何を……っ!」
「お、俺は何もしてないって!」
慌てふためく両名は、お互いに距離を離しながら口元を拭うような仕草をして紅潮している。
るかみにいたっては敬語も忘れ、制服の裾で何度も唇を拭いながら彼を睨み、赤く染まった耳朶をもみあげから晒していた。
「おい、明依なにをしてくれる! お前のせいで私は……!」
明依に振り返ったところでるかみは彼女の様子がおかしいことに気が付く。
「め、明依……?」
「せせせせ、先輩と……るるるるかみちゃんが……き、き…………!」
明依はまるで壊れたロボットのように顎をがくがくと上下させ、焦点の合わない視線をるかみと陽成の間で行ったり来たりしている。
これには先ほどまで執拗に追いかけ回されていた陽成も少し心配する目を向けるほどであった。
「お、おい……どこか変な所ぶつけたとかじゃ……」
「せ……」
「せ?」
「――先輩の、うわきものおぉぉぉーーーー!!」
突然声を張り上げ、泣きじゃくりながら明依は瞬く間に階段を四つん這いで駆け上がり、廊下の奥の方へと消えていった。その叫び声は遠く離れてもしばらく建物中に響くほど大きく、そして哀しげなものであった。
そして、言われた本人は心当たりが無い。
「な、なんなんだ、あいつは……?」
困惑する陽成の傍らで、るかみは一呼吸をおいて動揺で乱れた息を整える。
「――やはり貴方は何も覚えていないのか」
「は、はあ? どういうことだよそれ……?」
「……まぁ、いい」
髪の毛を払い、そのまま階段を上がろうとしたところで、彼女は足を一度止めて陽成の方に振り向く。
「いずれこのお礼はさせていただきます、浅田先輩。この天願院るかみを辱めた責任、とってもらいますよ」
「へ、え、は?」
困惑する陽成を捨て置き、るかみは階段を上がる。その途中、自分の唇に触れようとした指を慌てて振り払いながら、足早に消えていった。
そして、ぽつんと置き去りにされた男子が一人。
「な、な……なんだってんだ……今日は……」
朝から怒濤の連続に追われ、すっかり弱りきった声が冷たい壁に響く。
そんな彼に、まだ昇りきってない日差しが踊り場の窓から差し込んで慰めるようにその肩を照らしていた。
ダンジョン攻略はサクラ色の魔法とともに〜反則(チート)すぎる魔法少女は迷宮を破壊する テルヤマト @teruyamato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ダンジョン攻略はサクラ色の魔法とともに〜反則(チート)すぎる魔法少女は迷宮を破壊するの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます