第2話人への想い

第二話 人への想 

あれから数日——

 僕、安倍晴翔は、しずく街の片隅にある「妖霊媒相談所」で、蓮香(れんか)さんの“部下”として働くことになった。

「って言っても、働いてるっていうよりは、ほとんど掃除とお茶出しですけど……」

「ほれほれ、口を動かす暇があるなら拭き掃除もやらんかい!」

「は、はい〜!」 

 今、僕は蓮香さんにしごかれながら、相談所の畳をゴシゴシと磨いていた。

 埃っぽい午後の日差しが障子を透かして差し込み、部屋の中にきらきらと舞っている。

 「ていうか蓮香さん…‥なんで僕たちこんな事してるんです?依頼は?人間界じゃあ知らない人がいないほど有名なんですよね?」

 人間界で有名なら僕たちは今頃こんな事していないで、豪華な応接室で依頼人の話でも聞いてるはずなんじゃ……?

 「あ、あー、そ、それがのー」

蓮香さんの視線があちこちに飛び、額には汗がダラダラと垂れる。

 「……あれ、嘘なんじゃ」

 ……は!?

 「う、嘘ってどういうことですか……!?」

 少ししゃべりずらそうな顔をしながらも、蓮香さんが話す。

 「人間界で有名なのは、本当じゃ。なんじゃが……」

 ——と言ったきり、蓮香さんは言葉を切って、ため息をついた。

 「……人間界で依頼をしている時に夢中になりすぎて依頼主の家を壊したたり、神社を燃やしたりしてしまっての……その日以来、人間たちの耳には“物を壊す相談所”という悪評だけが残ってしまって……依頼が来なくなったんじゃ……」

一軒家の家が崩れて青ざめた顔をしている依頼主さんと、神社が燃えてあまりのことに泡を吹きながら失神している神主の様子が晴翔には思い浮かんだ。

 「噓でしょ!?なんでそんなことになったんですか!?」

 「いやぁ、つい……のぅ……。妖怪退治に本気を出した結果、ちょっと……手加減を忘れてしまっただけで……」

「結果、家を全壊させたり神社を全焼させたりするんですか!? それ“ちょっと”ってレベルじゃないですよね!?」

「ええい、文句を言うなら拭き掃除の手を止めるでない! ほれ、そこ、ホコリが溜まっとるぞ!」

 ぐいっと畳の端を指差されて、僕は思わず反射的に雑巾を動かす。いや、これ絶対理不尽!

そんなやり取りの最中、ガラガラと戸が開く音がした。

 外の庭に咲いた桔梗の花びらが風に舞い込み、その向こうに、小柄な少女の姿が現れる。

「ちょっと、二人とも何してるんですか?」

 外見は七五三の着物を着た幼い子供。けれど、その瞳の奥に宿る光は、どう見ても年季の入った妖のそれだった。

 「あ、すまんすまん、ちゃんとやっているから安心せい、野狐」

 ……そう、この少女こそが、僕をここまで連れてきた小狐の野狐ちゃんだ。

 「全く、ちゃんとやって下さいね。」

 野狐ちゃんは眉間にシワを寄せつつも、僕たちの様子をちらっと見て、ふう、とひとつ息を吐いた。

「なんせ蓮香さんが依頼先で"とんでもないヘマ"をしたせいでずっとここの掃除ばっかりなんですから、この家をピカピカにするまで休憩なしですよ。」

野狐ちゃんの鋭い目がぎらりと輝く

その姿は、自分の子供が他所様の家で非常識な行動をしたので罰として自分家の家事を子供にやらしている、般若のような顔をした母親のようだ……

「ぞ、雑巾ばっかりじゃああれですから、ほ、箒とってきますねーー」

勢いよく掃除ロッカーに走ったその瞬間——足がタンスの脚に引っかかった。

「わ、わぁっ!?」

その拍子に、タンスの引き出しの中に入っていたものが中から飛び出て、辺りに散らばった。

「もぉ、何をやっておるのじゃ……」

蓮香さんは呆れながらも、中から出てきたものを次々と拾って行った。

晴翔も片付けようと、出てきた物を手に取る。

その瞬間、ぞくりと背筋に冷たいものが走った。

晴翔が手に取ったものは、真ん中の青い水晶の部分に無数の小さな星が散りばめられていて、

周りには繊細な彫刻細工がされている、海の底の光をそのまま閉じ込めたような色をした美しい海中時計だ。

周りを見わたすと、名前の彫ってある使い古された万年筆やクローバーの彫ってある木製のオルゴール、ハートのガラスが施されたネックレス……

どれも誰かが使っていたような、温もりの残る品々だった。

「蓮香さん、これ、何なんですか?」

「あぁ、これは退治した妖怪達の依代(よりしろ)じゃ」

「依代?」


蓮香さんは近くの紙を手に取り、さらさらと筆を走らせた。

 そこには鏡と大木の絵が描かれていく。

「依代というのは、神や霊、妖怪などが宿る品物のことで、身近な物でおったら神社なんかにある御神木や鏡なんかがそうじゃ。」

部屋にあった鏡がきらりと光る。

「じゃから妖怪の宿る依代は、その妖怪にとっての一番特別な物、思い入れのある物がほとんどじや、思い入れのあるものの方が妖力が増すからのぉ」

髪のリボンがふわりと舞い、蓮香さんの表情がふと翳る。

「じゃから妖怪にとっては、何にも変えられない、とても大切な物なんじゃよ……」

その声は、どこか遠くを懐かしむようで。

 そして、ほんの少しだけ——悲しみを帯びていた。

「……」

その様子を、野狐ちゃんは真顔でじっと見つめていた……

「ま、まあまあ! 掃除の続きしましょうか! ええ、ほら、拭き掃除!」

僕は慌てて話をそらし、雑巾を手に畳をゴシゴシ。

「……晴翔さん、あなた以外に拭き掃除上手いですね。」

見ると晴翔が掃除した床だけはピカピカになっており、晴翔が掃除したのとそうでない床で差が出来ていた。

 「そ、そうですかね……?」

「そうですよ、汚したのに掃除ができない、目の前にいる狐の誰かちゃんに比べたら……」

 「なんじゃと!? 誰が掃除できん狐じゃ!」

 野狐ちゃんの尻尾がぶわっと膨らみ、毛が逆立つ。

 「ほう? では証明してもらいましょうか、その手ぬぐいでこの窓、指一本の汚れも残さずに拭けますか?」

 野狐ちゃんが真顔で、障子の外を指差す。

 光に透けたその窓には、埃のようなものがうっすらと浮かんでいた。

 

 「ふん、こんなの朝飯前じゃ」

 蓮香さんが手拭いをもって構える。

 その瞬間、ぱっと風が吹いた。

 障子の向こうから差し込む光がきらめき、蓮香さんの髪がふわりと舞う。

 彼女は勢いよく手ぬぐいを構え——

 「……はぁっ!」

 ぴしゅっ! と音がして、手ぬぐいが風を切る。

 「どうじゃ、わしだってできるじゃろ!?」

 「…………」

本人はできたと言っているが、窓の埃は全く取れていない、それどころか動いてもない。

それをなにやってんだこの人と呆れた目で見ている二人

 「出来てないじゃ無いですか。」

野狐ちゃんの冷たいツッコミが飛ぶ。

 蓮香さんは肩を落とし、手ぬぐいをしょんぼりと畳の上に置いた。

「わしだって、わしだって……できるはずじゃ……」

 「はやく掃除始めてくださいね。」

 野狐ちゃんがぴしゃりと言い放つ。

 僕は笑いをこらえながら、隣の机の上を拭きはじめた。

 「ええい、こうなったら、この部屋隅々まで掃除して、二度と掃除できんようにしてやる!!」

 蓮香さんがぐわんっと起き上がる。

 「晴翔、そっちの棚! 野狐、床の雑巾がけ! わしは窓を……また拭く!」

「また!?」

 野狐ちゃんが尻尾を逆立てた。

 「窓はもういいでしょ!」

 「と、というか僕まだ机掃除し始めたばっかですよ!?」

「それに窓ほぼ吹き終わってますし……」

 「ええい、いいからさっさとやるんじゃ!?」

 蓮香さんの怒号(?)が響く中、僕と野狐ちゃんは顔を見合わせ、同時にため息をついた。

「はいはい……」

「まったく、元はといえば誰のせいだか……」

尻尾をぷいと揺らしながら、野狐ちゃんは雑巾を掴み、僕は机の上の紙や筆を片付けはじめた。

——その時。

「……ん?」

机の引き出しの奥で、かすかに光るものが目に入った。

そっと手を伸ばして取りだすと、それは小さなデジタルカメラだった。

黒と緑のレトロなボディで、小さいレンズがきらりと光る。

カメラには『デジ撮るです』と書かれている。

「『デジ撮るです』……?」

思わず声に出してつぶやく。

「これ……誰のですか?」

僕がそう尋ねると、蓮香さんが顔を上げた

 「それはのぅ……もう何年も前にここへ持ち込まれたものじゃ」

 「持ち込まれた?」

「ふむ。確か、“亡くなったおばあちゃんの部屋に残っていた”と、そんな話だったかの。

 依代でも何でもない、ただの人の思い出が詰まった道具じゃ」

電源を押してみると、かすかに小さな音がして、画面が明るく光った。

そこには、知らない誰かの写真が映った。

縁側で笑う老婦人と、隣に座る子ども。

その笑顔は、まるで時間の中に閉じ込められた光のようだった。

「……なんだか、優しい写真ですね」

僕が呟くと、蓮香さんは少しだけ目を細めた。

「そうじゃな。人は、忘れたくない時間をこうして残す。

 わしら妖とは違って、消えるものを“写して”生きるのじゃ」

その声は穏やかで、どこか遠くを見ているようだった。

障子の外では、風がそよぎ、桔梗の花びらがふわりと舞い込む。

画面の中の二人も、その風に包まれているように見えた。


「……このカメラ、あと一枚残ってますね」

 野狐ちゃんが言った瞬間、蓮香さんの耳が、ぴくっ。

「……るのか?」

「はい?」

「残ってるのか、一枚……???」

 「ええ、まあ、一枚だけですが……」

その瞬間どこかでスイッチが入ったように、蓮香さんの瞳がぎらりと輝く。

「……晴翔。そのカメラ、こっちによこせ」

「え、あ、はい……?」

反射的に差し出した僕の手から、カメラをぱしっと掴み取る。

「野狐ッ!! 晴翔ッ!! 聞け!!!」

蓮香さんはカメラを掲げ、息を荒くしながら宣言した。

「この一枚での、依頼の呼び込みをする!!!」

「……依頼の、呼び込み?」

野狐ちゃんの眉がひくりと跳ねた。

「そうじゃ! わしはずっと考えてたんじゃ!!

どうしたら人間界から“物壊す相談所”という忌々しい名前を消すことができるのか……!

 そこでじゃ!!」

蓮香さんがカメラを掲げる。

「わしらが依頼をかっこよく解決している姿を、このカメラで撮り、その写真を町にある掲示板に載せ、この相談所は”物を壊す相談所”ではなく、“かっこよく依頼を解決させる相談所”だと思ってもらうんじゃ!!」

蓮香さんが女優のようなポーズをとりながら、続ける。

このカメラの最後の一枚を使って――

妖霊媒相談所の汚名を返上するのじゃ!!」

「いやいやいや!!」

僕と野狐ちゃんの声が、見事にハモった。

「そんな都合よく“かっこよく依頼を解決してる瞬間”なんて、撮れる訳ないじゃないですか……!」

 「そもそも私たち、依頼がないから掃除してるんですよ!依頼がないのに、どうやって撮るんです?」

蓮香さんがにやりと笑う。

「……”しずく町の七不思議を解決するところを撮る”、なんてのはどうじゃ?」

 僕と野狐ちゃんは、同時に固まった。

 

 しずく町の七不思議……

 それは、しずく町に長年伝わってきた妖怪にまつわる七つの怪談話である。

しかし、これらがなぜ存在し、誰がなんのために語ったのかは、まるで妖の術にかかったかのように、誰も覚えておらず、誰も知らない……まさに妖怪のようなものである。

  「……七不思議、ですか?」

 僕が思わず聞き返すと、蓮香さんはドヤ顔で腕を組んだ。

 「そうじゃ! 七つあるんじゃから、一つくらいは、かっこよく解決できる瞬間が撮れるじゃろ!!」

 野狐ちゃんは、ものすごく冷めた目をした。

 「……そんなギャンブルみたいな考えあります?」

 「それにもうここ10年以上七不思議に関する噂を聞いておりませんよ、専門家ならまだしも、私達だけで見つけるのは難しいのでは……」

 「いやいやいや、野狐。」

 蓮香さんはぐいっと彼女に顔を近づける。

 「わしらにはそう言うのに関してピッタリな専門家がおるじゃないか」

 「そんな都合のいい専門家、いるわけ」

野狐ちゃんが何かを思い出し、ハッとする。

 「……もしかして、彼ですか?」

 「彼?」

 蓮香さんは、にぃっと悪戯っぽく笑う。

「ここら辺でいちばんの噂通――''鞍馬山の烏天狗''じゃ」 

「……あぁ」

野狐ちゃんが、心底嫌そうな顔をした。

「烏天狗……?」

僕だけが置いていかれたまま、二人の反応を見比べる。

「人間の格好をしたカラスじゃよ、そいつは山や空を飛び回って、妖怪や人間界の噂を集めるのが好きなヤツなんじゃ。じゃから大体の情報は知っておる。」

「話が長い、脱線する、恩着せがましいし地味に要求が多い奴でもありますけど。」

野狐ちゃんが淡々と列挙する。

どうやら、かなり強烈な人物らしい。

「じゃあその彼の所に行けば、七不思議の場所とか分かるかもしれないってことですか?」

「あぁ、奴大体の噂話を知っておるからの、この噂についても何か知ってるはずじゃ。」

蓮香さんはカメラを大事そうに胸に抱いた。

「新しい部下も入ったし、専門家もいる……完璧じゃ」

「完璧、かなぁ……」

野狐ちゃんはため息をつき、尻尾をぱたんと床に落とした。

「……晴翔さん。覚悟してくださいね。

 あの人に関わると、大体ろくなことになりませんから」

「え?

「さて、日も暮れかけとる。行くぞ」

 そうこうしているうちに、外が少しずつ朱に染まり始めていた。

 障子越しの光が傾き、桔梗の影が床に長く伸びる。

 「え、今からですか?もう夜になりますよ……」

「奴は夜の方が機嫌がいい。日に当たるのを嫌っておるからの」

 日を嫌ってる?前に何かあったのかな?

「心配せんでも、迷子にはならん。野狐がおるからの」

「道案内はしますけど……」

 野狐ちゃんは少し嫌そうにしながらも、草履を履いた。

 こうして僕たちは、夕暮れのしずく町を後にした。

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妖霊媒相談所へようこそ〜安倍晴翔と蓮香さんの物語〜 黄昏夏目 @015mairimasita

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