ふつうに、そういうことで…

オカザキコージ

ふつうに、そういうことで…

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 きっと覚えているはずと話し出したら、だんだん表情があやしくなって、というか固くなりだして、いつの、だれの話って顔するから、こっちも不安になってきて。「だから、あのとき、たしかあの男の子と…」。そう言いかけて、もうこれ以上はって思って話すの、やめて。こうして会うのは久しぶりだし、前のようにうまく調子が合わないの、仕方ないかって。友だちといっても、それほど仲がいいわけじゃないし、だから私が覚えてて、彼女は忘れてる、そんなこと、あっても。

 だからこうしてたがいにスマホへ、目を落とすことになって、それほど気まずい感じもなく、ただ…。狭いテーブルを挟んで彼女が前に居るって、ふたりが向き合っていることに変わりないけど、ちょっと気分が下がって。「さあ、食べよ。あたたかいうちに」。だいぶ前ってわけでもないけど、このままじゃあ、店のひとにヘンに思われるかも、だから合図のように。「うん、食べよ、食べよ」。同じように右側にスマホ置いて、スプーン片手に掬おうとして。

 「だからさあ、これってやっぱり…」。なんかアプリのぐあい悪そうで、クリアにするの、けっこう大変そうだけど、そう言われても、そういうの、そっちの方が得意でしょうに。「もうっ、なんどやっても…」。こんなことで、また下がるのって、ほんと下らないけど、だからってスマホ、放り投げるわけにも。「どれ、課金してるの?」。そう言って前のめりになって、のぞき込んだところで、けっきょく解決しないってこと、わかってるんだけど、けっかこうして時間を埋めて。

 ここでなにするってことも、このあとどうするってのも、このまえのこと懐かしんだところで、しょうがないって。とにかく気分が上がるような、カラダが軽くなってココロが楽になるように、そうじゃないとやってられないけど、かんたんでないのも。「どうする? ずっとここにいるわけも…」。不機嫌な顔になって、でもわたしを責めるわけにも、イライラしてるの、わかるけど、きのうカラオケいったし、いまそんな気分じゃないし、どこへ行くのも。

 「わたしら、友だち…」。そう言いかけて止めるの、ますます下がっていくばかりで、そんなかくにん、フォローできないのに。いつもふたりで、友だち少ないってわけでも、何となく気の合うっていうのも、でもそれ以外になにか。「やっぱりアルコール? クスリやるわけにも…」。まあ、冗談のつもりだろうけど、それこそ一年前なら笑い飛ばせない、やっとオーバードーズやめられたのに。へんなこと言い出すから、ムリに上げるしか、だから居酒屋? まあ、そのぐらいで収めないと。

 「いい感じのおにいさんいれば…」。そこは難しいけど、イケ面でなくてもやさしい感じの、べつに好みでなくても、ほどほどならば今夜は。「ひとつあるけど、行ってみる?」。けっこう遠いけど時間はあるし、歩くの嫌だけど運動するのも、たまにはいいかなって、めずらしく文句も言わずに付いてきて。いつもラクしてるわりには、笑顔ってわけじゃないけど、まあ気分を変えるには、たいして上がらなくても、カラオケほどじゃなくても、たんにアルコールの力をかりて。

 アルバイトの、あの男の子、きっといないだろうけど、だいぶ前のことだから、でももしもってこともあるし。「けっこう空いてるね」。夕方もまだ六時前だから、週の半ばってこともあって、だから彼もいないって、いやキッチンにいるかもしれないし。「さあ、飲みますか」。そういってパウチのメニューを眺めながら、つまみになりそうな、できれば唐辛子の利いたやつ、女の子のアルバイトを呼んで、とりあえずは。

 きょうは酔いたいからって、それこそおじさんみたいに、だからちゃんと、胃を保護するもの入れないと。「これ、もう一杯」。そんなにサワー系ばっかり、おなか冷えるし、だけど日本酒っていう手はないし、せめてポテトサラダをお腹に入れてからでも。こっちはそんなに強くないし、すぐに顔に出る方だから、お酒なんて甘いカクテル系しか美味しく感じないけど。「お待たせしました」。追加でだし巻き玉子もいいけど、えっ、あの男の子? キッチンから出てきてくれて、笑顔でどうぞって、いいこと一つぐらい…。

 仲良しだと言っても、こんなに長くいっしょだと、べつに不都合はないけど、なんとなくしっくり来ないときも。「どう? 彼なんだけど」。こうして意識の中へ、彼女の視界をかすめて、わたしたちのあいだに、すっと入ってくるんだから。相手の意識に上っていなくても、こっちはけっこう上がって、ソワソワしてドキドキするんだから。「このまえ言ってた…」。たとえタイプじゃなくても、きりっとして感じでなくても、たしかにやさしい感じだし、なかなか見る目あると。

 「うん、そうだね」。でもこっちから声かけるとか、ぐうぜんをよそおって、しぜんな流れで、もっと言えば運命的な、そういうの期待しても。「カウンター越しに見えるかな」。ほんとうのこと言うと、べつに彼じゃなくても、男の子にかぎった話じゃなくて、セクシュアリティは大切だと思うけど。「だからそういうのじゃないって」。べつに女の子であっても、沙奈絵とのように、ふつう出会って、どういうわけか気が合って、この内側に少し来るものさえあれば、男の子だからとくべつなわけも。

 けっこうお腹いっぱいになったし、だからイライラも不安感も少し治まって、彼女が前にいるおかげで、きのうよりは悪くないかなって。「立てる、大丈夫?」。あのピッチならこうなるのも、でもふらつかずに歩くんだから、意識はかなり飛んでるようだけど、なんとか家へ帰れそうで。「うん、ごめんね」。わかってるよ、いつもこうだから、覚えてないだろうけど、ちゃんと送りとどけて、玄関前でお母さんに渡して、やっとひとりになって。

 少し遠回りして、このときとばかりにコンビニに寄って、べつに買うものないけど、ぶらっと一周、狭い店内をまわって、朝のヨーグルト、ないのに気づいて。“ひとりでだいじょうぶ?”。ちゃんと律儀にラインしてくるのだから、いつもふつうに重症ってこと、わかってくれてるはずだから。 “ありがとう。だいじょうぶ”。脚はふらついていないけど、酔えないというわけも、だからか、でもか、しらないけど、いつもたいして楽しくなくて、カラダが重くて、ココロはよくわからなくて。

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 できれば辞めたいけど、他のパートさんもきっとそう思いながら、なんとかやってるんだから、胃が痛いとか肩が凝るとか、自律神経の変調かどうかはべつにして。どこで働いても同じような、うっとうしい子とか、うるさい子もいて、たいていは嫌みな店長に耐えながら。「きょうもお弁当、えらいね」。この人いつも声をかけてきて、べつに嫌じゃないけど、ただ返すのが面倒で、彼女も邪魔しようとか、そんなつもりないの、わかってるけど。「えぇ」。それと、べつに弁当つくるの、えらいわけもないし、ただ節約したいだけで、いつも同じようなおかずで、味気なく食べ終わると、午後の作業、考えないようにスマホ開いて。

 微妙にきつくもゆるくもない、一連の流れ作業に乗ろうにも、雑念を振り払えず、ただ漫然というにも程遠く、うまく時が進んでくれずに。たんにラベルを貼るだけの、こんなことずっとやってると、それこそバカになるんじゃないか、お金と引き換えにやるにしても。こうして時間を費やすしか、これがずっと続くのなら、いっそうのこと、すべてを断ち切って、たいしていいこともないのだから、この際って思っても…。その前に、とりあえずここから抜け出すことを、ラインの前から逃れることを、考えないといけないのに。

 「お疲れさま、お先に」。そう言い合ってそそくさと、更衣室から放たれるも、スーパーマーケットとかディスカウントストアに立ち寄るしか。ちょうど値引きの時間だから、こんなことでしか、憂さ晴らしできないって、もう終わってると思うけど、これが現実なのだし。人が多いのも、冷房効きすぎてるのも、ほんとうんざりだけど、それに夕食どうしようか、考えるのやっぱり面倒で。頭を使う仕事じゃないのに、献立を考えるのさえ、時間ばかりかかって、なかなか決められなくて。

 二、三日分の食料って、両腕が抜けるほどじゃないけど、エコバッグ持つ手が痛くて、脚もよたってくるし、大きくため息ついて。そのうえ郵便物を取り出すって、チラシも絡んできて、けっこうエネルギー使って、ぎゅっとつかむように取り出して。鍵がなかなかカバンから、ドアの前であたふたと、エコバッグも郵便物も落としそうに、手先だけでなく、身体全体に力が入って。「ただいま…」。居ても返事してくれない、そんなときの一人娘って、たいして心配する必要ないの、わかっているけど。

 「あぁ、居たの? すぐに支度するからね」。ここからしっかりお母さんしないと、ほんとうのわたしを脇において、とやかく考えずにやっていくしか、こっちの方がラクってわけも。言葉少なにっていうけど、度が過ぎているというか、何かを惜しんで、わかってもらえないから、わかってもらう必要ないって、わかる気もするけど、母娘なんだから。「うん、それでいい」。そんな気の抜けた返事でも、ないよりましと切り替えて、包丁持つ手にしぜん力が入って。

 さすがにスマホ見ながらってわけも、だからって楽しく会話するのでも、ただ黙々と手を動かし口へ運んで、なんか流れ作業のようで。「きょうはどうだった?」。どうでもいいこと聞いてるの、わかってるけど、面倒そうに返して来るコトバ、想像できるけど、同じこと、繰り返しても。「どうしようかと思ってる」。きょうに限って、思わぬ反応に思わず、前のめりに構えてしまって、からだの具合が悪いとか、もう学校行くの嫌とか…。「いや、たいしたことじゃなくて…」。進路のこと、たいしたことじゃない? こんど三者面談があるって、そんなことでよかった、ホッとするのもおかしいけど。

 何がしたいってわけも、何ができるのって聞かれても、でも卒業した後の、フリーターって手もあるけど。「これなんだけど」。A4サイズの紙を差し出して、どれを選択するか、進学なら大学か専門学校か、就職なら事務っていう一般職? 何も資格ないと工場で流れ作業…。「専門学校じゃなかったの?」。こっちから言ってあげないと、らちが明かないの、そこはまだ子どもで、ネット経由じゃない社会のこと、わかってないので。

 「うん、でも…」。そうだね、美容師とか看護師、国家試験があるような? そうじゃなくてネイリストやトリマーとか、カタカナの人気ある仕事も…。「とりあえずってことでも、いいんじゃない?」。めずらしく“えっ? うん”って顔するものだから、ちょっと調子狂って、お母さん、いい加減なこと言ってる? 「うん、そうだね」。アドバイスってレベルじゃないけど、どうしたらいいのって気持ち、少しはわかる気がするし、初めてだよね、自分と向き合うの。

 お皿重ねて流し台へ持ってきて、スポンジ握って並んでいっしょに、めずらしく手伝ってくれるの? こういうの、かけがえのない、何ものにも代えがたいっていう、お腹痛めて生んだ子だから、血でつながってるから? そこに甘んじて、ほんのひととき安心して、遠くに感じること、最近多いのに、お皿洗ってるときぐらいは。「ありがとう」。だまってるけど、ちょっと照れた、やさしい顔になって、かわいいよ、その存在すべて…。

 シミやしわもそうだけど、なかなか疲れが取れないって、やる気が出なくなるのも、たんにエイジングの問題? これまでいい加減にやってきたから、このざまっていうか、いまさらながら後悔あとに立たず? だんだん壊れていくのが、いまにはじまったことじゃないだろうけど、いっそ融けて無くなってくれれば。細胞が劣化していくのを、ただ衰えていくのを、眺め感じていくだけで、四十も半ばになると、一つもいいことなく、ただ湯舟につかって。

 「これ、いつまで出せばいいの?」。進路希望調査の提出日を、聞くの忘れてて、朝話すの面倒だろうけど、ついでに立ったままじゃなく、すわってミルクコーヒー飲んでいったら? 「来週の木曜日かな、どうして?」。ちゃんと覚えてるって思ってなかったから、おどろきはしないけど、自分のことだから当然なんだけど、意外に思って安心して。「じゃあ」。急いで出る彼女の後ろ姿に、いつもえらいねって心で声をかけて、そう、遅刻はしないし、ズル休みもしたことないし、自分の子どもじゃないみたいで。

 足取り軽く来たわけでも、笑顔で休憩用のイスにすわっているのでも、ただスマホを開かず、背筋をぐっとのばして、作業開始十五分前に。「おはよう、きょうは早いね」。ただ一人ふつうに話す、前田さんがちょっとおどろいたように、こっちがけっこうな笑顔で返すものだから。「おはよう。きょうも…」。うんざりだねって意味で言ったのに、そんな顔じゃなかったのか、微妙に明るい表情で「そうねぇ」って話あわせてくれて、そんな些細なことでも。

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 べつにたいした仕事じゃないし、だれでもできることだし、ただすり減らすだけの、もううんざりの、愚痴言う相手もなくて。ほぼ寝るだけの、六畳一間に小さなキッチンと狭い風呂で、心身のバランスを保とうにも、休みもここにいるわけだから。“どうしてますか?” “いやべつに” “そう” “これといって” “そうだね” “まあねぇ” “うん”。取るに足らないコトバ連ねて、退屈しのぎでラインぐらいしか、こうしてスマホに向かって、ほかにすることもなく。

 離れて暮らす家族と、じゃなく、だからってパパ活の危険犯す、つもりもなく、適当にマッチングアプリで、見知らぬヒトと交わるって。まともな会話もなしに、何となく感じで、こっちはほぼ詐称なしだけど、そっちはきっと、仕込みか玄人さんで。けっきょくはいくらって話だろうけど、こっちはそんなつもりないし、ただ時間が埋まればいいだけで。たとえ意味のないやり取りでも、仲良くなる必要も、ただスマホを介して、コトバ遊びにすぎなくても。

 薄くつもったホコリが気になって、ハンディモップ片手に動き出し、ならと掃除機も引っ張り出して、そのあいだに洗濯も。ただ効率よく、べつに仕事じゃないのに、それで出来た時間を有効に? やることないのにどうして…。だけど空気が入れ替わってクリアに、つられて気分も多少上がって、思い過ごしであろうとなかろうと。お昼まで寝られなくなったから、背中の痛みを感じるほどに、だから朝からどうしようかと、あまり計画だってやるのも、ただ漫然とやり過ごそうにも。

 お昼だからって、お腹が空くってことも、だけど仕方なくキッチンに立って、塩・こしょうに加えてうまみ調味料を適宜に、野菜炒めをこしらえて。あとは冷凍ごはんを解凍して、みそ汁はないけどほうじ茶を入れて、たんぱく質の不足に気づいて、小さなフライパンでスクランブルエッグのようなものを。テレビと向き合って、ときに咀嚼の回数を意識しながら、食欲を充たしていく、生命を維持するっていう、いちばん大切なルーティンを。

 午後のひとときにっていう、そんなフレーズをリアルに、ゆったり充足した休日なんて、あった試しがなくて。カラダもココロも、ようは自律神経のバランスを取って、肩こりも胃痛も少しはラクに、すべてはそこから。負に傾きがちな内側のモノどもを、抑え込もうと、知らぬうちにため込んでる、コトどもを放り出そうと、とにかくでこぼこを均して、フラットにするっていう…。

 “なにしてるの?” “別に。洗濯とか掃除” “ぐうぜん、いっしょ” “もしかして、きれい好き?” “きまってるじゃん” “そうなの” “いちど、あってみる?” “うん、そうだね” “いつにする?”“どこにする?”“なにする?” “うん、でも…”“自信ないし”“何この人って思われそうだし” “どうして? お互いさまじゃん” “でもやっぱり…” “ずっとこうしてやり取りしてるのも…” “そうだけど” “じゃあ、いいじゃん” “うん、それじゃ” “それじゃ、らいしゅうの…” “わかった、週の半ばにどう?” “じかんは?”“ばしょは?”

 ちょっとした散歩のつもりで、駅前の商店街へ足を向けて、八百屋や肉屋の前を通って、総菜もおいしそうだけど、けっきょく小さなスーパーに入って。入口付近の特売ものに目がいって、足を止めるも前へ進めず、おばさんの壁にはね返されて、すぐにあきらめて。カゴ持って店内をウロウロするの、もう気にならなくなって、子どもの奇声がうるさいぐらいで、値引きシール貼ったの、探すほどに。週の半分は自炊と決めてるわけじゃないけど、適当に食材を買い込んで、大きめのエコバッグがいっぱいになるほどに。

 くもり空だからってわけじゃないけど、このまま帰る気になれなくて、いつにもまして前へ進めず、じっさい重いものを抱えてるの、たしかだけど。ちょうど小さな公園の前を通りかかって、ベンチもきれいに見えて、子どももいないし、ぼんやりするの、ちょうどよくて。だれか一人でも来れば、腰を上げようと決めて、ただ漫然とするも、なかなか来ずにけっこうな時間、そこにいて。さすがに意識が立ってくると、目に入るものが多くなって、砂場の親子連れに気がついて。

 迷うはずもないのに、戸惑い気味に足を運び、暗さのせいにするにはまだ早く、若年性の認知症を疑ったり、ふたたびパニック障害かと。見覚えのある、ちょっとしたメルクマールを探そうにも、放り出されたような、心寂しい感じを覚えるだけで、ちょっとしたふらつきに怖くなって。べつにめずらしくもない単身赴任で、家族との煩わしいことも、会社でも応援要員として気楽に、きほん人間嫌いなのに、ふつうに人恋しいときあるって。

 物理的な負荷が少ない分、内側へ入り込んでくる? よくわからないけど、隙を突いて来るっていうか、知らぬうちに澱のように溜まって来て。得体のしれないものだけに、どうこうしようにも、霧が晴れるという具合には、ただ受け入れて、抜けるのを待つしか。どこをどうぐるぐると、やっとそれらしいところに行きあたって、冷や汗が乾くころに、エントランスをすっとくぐって。

 ご飯の残りをラップして冷凍庫へ入れる、皿やグラスをすかさず洗う、テーブルをさっと布巾で拭く、そのぐらいはルーティンとして。一日も残りわずかと意識するほどに、なにもしないのがこのうえなく、こうしてゆるく時を経るも、ぼんやりとした不安まで消えることなく。“変わったことない?” “べつに。だいじょうぶ” “それならいいけど” “こんど…” “わかった” “たのむね”。家のものから日曜の終わりに、定期便のように、どうでもいいこと、だけど。

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 けっこう就活がんばって、このレベルの会社かって、たんに能力がないから、こうして意味のないことも、言われるままにやるしかなくて。付き合っているかどうか微妙な彼女と、無駄にってわけじゃないけど、時間つぶしに過ごすの、しようのないことで。部屋の片隅にエレキギター、ただの置物にホコリかぶって、捨てることができずに、見ないようにするのがせいぜいで。まわりを見てもたいして変わらない、どいつもこいつも、バズってるやつらを除けば、数百万円の借金を、奨学金の返済に縛られて。

 営業から帰ると顔をしかめて同僚が、さっき社内で起こった“事件”について、小声で耳打ちして来る、べつに興味ないし、関係ないし。「あいつ、ちょっとやばそう…」。あしらうのも面倒で生返事するも、いつ自分にふりかかってきても、そろそろ脱落者が、同期の二人が辞めていって。このさき十年もここにいる自分、ほんと想像できなくて、ただパソコンに向かって今日の営業報告を。

 “今週末、どうする?” “うん、そうだね” “仕事いそがしいの?” “べつに” “じゃあ、いつものところで11時とか” “土曜でもいい?” “だいじょうぶ” “どこかぶらっとして、ごはんは家で” “せっかくだから外で済ませたら?” “外食多いんだから” “まあ、そうだけど” “それじゃ、土曜日” “ごめん、それに…” “どうしたの?” “またこんどにする” “いいの?” “うん、じゃあ土曜日に” “たのしみにしてる” “こっちも” “じゃあ” “うん”

 いちおうオートロックが付いてる、けっこうくたびれたマンションの、狭いエントランスでやっと一人に、コンビニのレジ袋さげて、ただ。一つ残ってた、値引きシールの弁当を、ローテーブルに置いて、着がえるの面倒でも、さきにシャワーを浴びようと。会社で夜食っていうのも、だから低血糖気味にイラつき気味に、この時間までクッキーでしのいで。消化する前に眠ってしまうのも、そのぐらいは気をつけて、深夜のお笑い番組でぼんやりと、明日が近づいているのに…。

 朝からミーティングをこなし、午後一でプレゼンなんて、部長に加えて担当役員まで、たとえ先輩をサポートする立場であっても。自分のパートが近づくに、ぐっと胃液が上がってきて、吐き気をもよおすも、青ざめた表情で五分ほど、なんとかしのごうと。「次は…」。もし開き直る術があるのなら、うわずった声を抑え気味に、右脇に嫌な汗をかきながら、とにかく終わらせようと、早口になって。放心状態とまではいかなくても、薄っすらと目の前がぼやけて、耳がキーンとしたままに、もう出来不出来はこのさい。「じゃあ、次…」。

 ブラっとするぐらいしか、どこに行きたいってこともなし、景色を変えるのも面倒だから、このままふらふらと。「どこか入る?」。さっきカフェに入ったばかりだから、新しくオープンした、ファッションアイテムのほかインテリア雑貨や北欧風家具の、べつに興味ないけど。「行こ、行こ」。いろいろ見てまわるのイヤじゃないし、そこでエネルギー使うの無駄とは思わないし、あえて生産性のないこと、けっこう好きだし。「これどう?」って言うから「うん」ってうなずいて、ただそれだけの、そういうのもべつに。

 ちょっと早めに切り上げて、そそくさっていうか、スーパーに寄って彼女の家へ、料理が得意というわけでもないのに、買い物は楽しそうで。「なににしよう…」。独り言のように、だから放っておいても、パスタとか作りやすいもので、和食なんて言うつもりないし。手作りに意味があるの、わかってるけど、この味覚レベルだし、このさい総菜を皿に盛っても。広いエントランスで、レジ袋を両腕に下げて、新婚のふたりみたいに、オートロックを開錠して。「おつかれさま」

 一応そういう関係だけど、こうして数カ月もあいだが空いて、いまさらながらって、倦怠期でもあるまいに、あした休みといえども。「遅くなったけど、まだ終電あるし」。重い腰でないから、さっと立ち上がって、有無を言わさずってつもりも、たんにもうそろそろかと。「泊まらないの、帰るの面倒でしょ」。ふつうならそうだけど、ひとりになりたいわけも、いまここにいたいという、理由も思いもなくて。

 駅前のコンビニに寄るぐらい、余力は残ってるはずと、覆いかぶさる重力を跳ねのけるように、でも店内をさまようだけで、やっとあしたのパン、ないことに気づいて。「これでよろしいですか」。だからってわけじゃないけど、レジ横の、小さなお菓子カゴに入れて、袋断りカバンに収めて、一連のビヘイビアを滞りなく。暗闇をトボトボと、足を引っかけないよう、エントランスの明かりを前に、この重さ、どこから来るかと周りを見まわして。「うっ…」。声にならない、呻きとも違う、何かに誘われて、救いを求めて? ドアの前でこれってどういう…。

 週明けから淡々と仕事を、集中というより感覚を麻痺させながら、朝礼のあとのミーティングで、ただ肯くだけの、課長のコトバに。「じゃあ、それで…」。そのトーンで決まるわけも、このあと個別に呼ばれたからと、今週のニュアンス、その調子が決まるのでもないけど。ちょくせつ利益にならなくても、フォローする立場が多いからと、危機感をもつほどには、気楽に構えていいわけも。「これでいいでしょうか」。また下の子に、追い抜かれるのも、もうべつにって感じで、やり過ごすのもいいかげんに。

 週半ばに気分を変えようと、昼は外に出て天ぷらそばとか、あとは公園で時間つぶしの、緑を前に背筋をのばして。「いい天気ですね」。戻って来てエレベーターの前で、女子社員と並んで気まずく、会釈を交わす程度でもドギマギして。中に入って条件反射のように、意味なくスマホを開いて、何でもない彼女からのライン、日曜の前乗りでもあれば。“週末、どうする?” “うん、そうだね…” ただ面倒なだけで、会いたくないわけも、不機嫌な顔を見せるのも、間合いを取るのさえ、むずかしそうで。

 それがサイクルだとしても、ふつうにプロセスの一部であっても、こうしてその一翼を、パートをしっかりこなして、充実には程遠くても、そこに在って。いちおう隔日に自炊しようと、狭いキッチンに立って包丁を、だいたい豚と野菜の炒めものに、面倒でもみそ汁つくって、納豆もつけて。性格だからすぐに洗いものを、シンクのたまるのイヤだから、スマホから流れる、懐かしのポップスに、気分を軽くして、日常ってそういう。

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 もう、いつ辞めても、どうこう言われる筋合いも、べつにそう構えなくても、だれも何も思ってないの、わかっているけど、ここも自意識がどうしても…。そろそろ伝えないと、有休消化もあるし、年度末の面談では手遅れに、嘱託であってもちゃんとしないと。まだ年金が出なくても、数年なら蓄えから、たとえ残高が減ろうと、このままでは気力も、事務効率も…。毎日が日曜日になって、オロオロするかもと、心身のアンバランスが、そんな心配、ぜいたくな話で。

 この機におよんで、ほんと微妙だけど、たいして未練もないはずなのに、こうして内側で行ったり来たり、だから不細工な感じに。踏ん切りがつかない、このままずるずるもありかもと、ただそう思っているだけで、限界というか、潮時はたしかに。第二の人生へ、そんなステレオタイプなフレーズも、ただ終わりに近づいてるだけなのに、ポジティブに捉えようにも。意識過剰になるのも、判断を見誤るだけで、しぜんに向き合えば、この自分という得体の知れないものに。

 「お正月はどうするの?」。これまで通り、ちょっと無理してごちそうを、年に一、二度のことだから、面倒でしんどくても。「いつもどおりでいいんじゃない」。できれば年末の買い出しを、二回に分けるとか、体力を温存しながら、もう二人とも年寄りなんだから。「すき焼きの肉、どうする?」。早めに買って冷凍にして、少しでも費用を抑えてお年玉の捻出に、まだ働いてるけど、ずいぶんと給与下がったし。「帰りに買ってくるよ」。ここはロースのいいやつね、そろそろ孫も食べられそうだし、ケチるところじゃないの、わかってるよ。

 やっと週四勤になれてきたのに、ずっとこのペースでいくのも、ソフトランディングの仕方って、これもむずかしくて。いちおう自己実現を、試行錯誤しながら、少しの可能性に、ダメでもプロセスに意義があると、若いころは。「それじゃあ、年金の手続き…」。こうして国の財政を、払い込んできたからって、若い人らに食わしてもらうの、成長のない経済状況だから、やっぱり申し訳ないところがあって。「そうだね」。

 死が迫っているわけも、とりわけどこかが痛いわけでも、でもそろそろ意識して免疫力を、運動・食事・睡眠、どれも質を高めて病を寄せつけないように。「春の健康診断、どうなるの?」。会社辞めるのなら、市の保健センターとかで、たしか多少の補助もあるようだし、検査項目は減るにしても。「自分たちで考えないとね」。とにかく情報があふれて、いや氾濫してて、取捨選択をしようにも、さきに面倒になって気が滅入って、健康ってどういう…。「このまえ、市の広報紙に…」

 そろそろ始めないと、朝か夕方のウオーキングを、できれば軽くジョギングでも、有酸素運動がいいと、気分転換になりさえすれば。めずらしく続いている、ストレッチと腹筋、二㌔程度の鉄アレイに加えて、やっぱり脚の筋肉を鍛えて、体重が増えにくい体質に。「わたしもしようかな、ウオーキングなら」。いっしょに歩くっていう、初老の夫婦にはふさわしくも、どこか違う感じもして、だから走ろうかと思う、そういうのもそろそろ…

 これからますます体力が落ちて、それこそフレールっていう虚弱にならないよう、栄養バランスも大切だけど、要するにカロリーの高いものを。よく言われる、野菜類をたくさんに加えて、糖質・脂質もしっかりとって体重キープに心掛けて。なかでもたんぱく質が大事だっていう話、とくに高齢者には、筋力低下や体重減少で、健康寿命を損なわないように。「肉と魚をもっと食べようってこと?」。胃の消化機能が落ちて、食べる量も減って、あげく歯の具合が悪くなって、それと漁獲量は減って輸入肉も高くなってるし、だから、豆腐とか植物系で。

 前立腺の問題かどうか、なんども夜間トイレに立って、そのたびソファーでぐったりと、ここ数年ぐっすり眠った覚えがなくて。「漢方とか、薬飲んだら」。たしかに自律神経がらみの、副交感神経へ移行しないから、寝ているあいだも意味なく身体がこわばって、リラックスには程遠く。「内科で睡眠導入剤、処方してもらおうか…」。六十過ぎて更年期障害かもと、 とにかくストレス溜めない方策を、ようは気の持ちよう、病は気から、かもしれないけど、ひと言に多様化では収まらない、複雑怪奇な、ひどく病んだこのセカイでどうしろと…。

 好奇心を抱いて、いつまでも新しいことに、とにかく前向きにってことなんだろうけど、気力も体力も衰えるなかで、それに性格的な問題もあって。「なにか、趣味もたないとね」。この先のことっていう、もう将来も、いいこともないだろうに、さあ行動をって言われても。「そうだね、興味があることねぇ…」。もしライフワークがあるならば、加齢でレベルが下がっても、退屈しのぎの域を超えて、少しは時間を忘れるような、そんなビヘイビアって?

 セカンドステージというより、死へ向かうプロセスだから、期待とか、それこそ充溢なんて、ありそうにないし、何事もほどほどにって? 「だいじょうぶ、しぜんなれてくるから」。たしかに死ぬ準備のための、哀しくも厳粛な過程で、それこそ未知の領域へ、ただ心細い、見知らぬ世界へ向かって。「そうかもしれないね」。いわば生殺し期間というわけで、そんな状(情)況に耐えられるかどうか、認知行動療法を極めるか、それとも軽度認知症にでもなって…。

 とにかく肩の力を抜いて、なるようになるさ、どうしようもないのだから、この先なにが起こっても、ただ受け入れるしか、いろいろとあらかじめ考えても…。「ちょっと散歩に行かない?」。少しの落ち込みぐらいなら、こうして場面転換して、それがごまかしであっても、とにかくいまを救わないと、あとのことなんて…。「うん、行こうか」。けっきょくウオーキングをふたりいっしょに、思っていたより意識もせずに、しぜんにってわけじゃないけど、心身のバランス、均されるのなら。

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 住所不定・無職はいうに及ばず、まわりの人間、関わる人たちをことごとく、不安定にしてしまう、ろくでなしなのは、たしかで。ヒトのカタチをしていようと、一皮めくると内側に、黒ずんだ暗渠のような、そら恐ろしいモノどもが顔をのぞかせて。「そろそろじゃないか?」。と言われても、それほど親しくないし、遠い親戚でも、ちょっとした知り合いですらないし、関係性なんてもともとないんだから。「うん、でも…」。起動させようにも、カラダが、もちろんココロがついてこなくて、そこを無理にぐっと、ムチ打つ感じで。

 こんなところに放り込まれて、いちおう事務所のつもりでも、古びたマンションの片隅で、スマホとパソコンに取り囲まれて。身元確認だからと免許証をコピーされ、いざの時の連絡先に家族の居場所も、いわばソフトなやり方とは言え、縛り付けるために。「べつに営業成績ってわけじゃないけど…」。あくまで口調はおだやかに、少し機械かかっていようがAIほどじゃ、でも胃液が上ってきそうなトーンで。こっちはもともと、話うまい方じゃないし、国語の点数も悪かったし、こんなところで自覚させられるって。「がんばってみます」。そう返事したところで、べつにやる気ないし、ただ適当にスマホに向かって。

 いちおう通いだし、監禁というわけじゃ、出入りは自由といえども、まあノルマさえクリアすれば、ふつうのワークスと変わらないって? そんなわけないだろうし、そうかんたんにヒットしないし、いつまで経っても慣れないし、相手を怖がらせるの、嫌悪感を覚えるだけで。「そろそろ当てないとね」。悪魔のささやきが耳元で、こうして一日じゅう、ディスプレイ上の名簿とスマホを見合わせて、単純作業に違いないけど。ちょっとした賭けだから、罪悪感を覚えないように、無理に納得させるのも、隣の“同僚”が数千万当てたとしても。

 ちょっとしたレクリエーション? そんなわけないだろうけど、脅すばかりじゃ効率も上がらない、たまにはすかして? だから社員旅行の余興のような…。やけくそなんだろうけど、けっこう笑い声が起こって、自分らの状況をいっとき忘れようと、身体のこわばりはそのままに。「さあ、こんどは…」。幹事じゃあるまいに、いつもの管理者が声を張り上げて、そこはだれも笑えなくて、潮が引くように、不気味にシーンとなって。「ずっとここにいるわけにも…」。同年代の男が小声でささやいてくるも、なま返事しか、どこにスパイがいるかもしれず、疑心暗鬼になるの、とうぜんで。

 これもときどき、差し入れとかあって、個包装のお菓子をつまみながら、憩いになるはずも、ただ甘ければいい、という感じで。「少し聞いてください。あした…」。事務所移転ということで、なんの前触れもなく、定期的とは言うものの、アジトを転々と、ただ用心深いだけなのか、ガサ入れの情報でも入ったか。「…ということで、机のまわりを」。べつになにも置いてないし、ただ自分のスマホだけ忘れずに引き払うだけで、とつぜん二日の休みもらって、連休は久しぶり。

 彼女というわけでも、ときどきラインするぐらいで、居酒屋のときもあれば、アルコール抜きにカフェでってことも、せいぜい一カ月に一、二度会う程度なので。“ひさしぶり” “どうした?” “べつに”“やることないし”“めんどう?” “いや、そんなことないけど” “じゃあ、会わない?” “いいよ” “木曜日でいい?” “ちょっと待って”“うん、大丈夫” “どこにする?”“なんじがいい?” “いつもの居酒屋で”“七時以降なら” “わかった”“じゃあね” “うん、それじゃあ”

 これで一日埋まったとしても、ごまかせるほどには、だからもう一人、気なぐさみに用意する? でも同じこと繰り返すのも違うような、それなら新しく関係性を、性懲りもなく築いていくしか。真剣系の婚活アプリでないのなら、むかしふうの出会い系ならばと、とりあえずアプリをインストールして。できるだけサクラは避けようにも、どれもこれも仕込みに見えて、すぐに萎えてきて、もういいやって思うけど。“どこで会いますか?”。話が早いのはいいけど、ぐっと下がって、もう考えることやめて。

 こうして増えていって、ちょっとした関係性も、紛らわすにはちょうどいいと、べつに何かを得ようとか、それこそ意味づけしないのなら、淡々とやり過ごせばいいだけで。リストがつくれるほどに、カッコつきの彼女であっても、数がそろえばって感じで、内側を問わなければ。とにかく精神病んでいないなら、それこそ無表情でも、不感症ぐらいなら、いちおう写真も参考にするけど。とりあえず待ち合わせで有名な、ちょっと特徴あるトップスで、相手はどういう、思いのほか互いに地味な感じで。“お会いするの、楽しみにしてます”

 とにかく関わっていないと、ヒトでなくてもモノでもコトでも、ひとりになるのが、そんな感じだから交感神経が上がって、副交感神経が下がったままで。不安神経症ならばまだしも、もしやうつ病かもしれないと、たんに自律神経の乱れぐらいなら、どうにかなるって? ただの依存症ならば、病気の一歩手前にとどまっているなら、アルコールやニコチンでカバーできるのなら、オーバードーズになるのを。待ち合わせ場所にいなくても、じっさいに来なくても、言い訳のショートメールがなくても、こっちはべつに…。

 こんなことで埋め合わす必要も、代わりを用意しなくても、ただやり過ごせばいいだけで、いちおう予想できたプロセスだから、淡々と。“ごめんなさい。いま駅を出たところで”。引き返そうと、もう五百㍍以上離れているけど、ここがデスティニーのブランチ? そんなコトバないけど、そのぐらいの労力、折り込んでいないと。“僕もいま、向かってるところ”。紺色のワンピースの、けっこうおとなしい目の感じで、それこそ仕込みっぽくない、三十前後の、どこにでもいそうな…。「はじめまして」

 そのままホテルへ行っても、そこでお金の話も、互いの目的を共有して、もちろん暗黙の了解で、手っ取り早く済ませたほうが。でもいちおう「どうしますか?」。えっ?て表情するものだから「とりあえず歩きましょうか」。戸惑いを抑えたふうに「はい」。この状況なら喫茶店ぐらいしか、でも表通りのカフェは避けて、裏通りに引っ張り込んで、あくまで出会い系だから。

                   ◆

 さいきんじゃあ、めずらしくもないけど、父親いないの、だから意識し過ぎるのも、でも離婚だから、単身赴任じゃないから、こっちのような。どうであってもお母さんは大変なんだから、あまり心配かけるのも、ひとのこと言えないけど、隠れてアルコール飲むぐらいなら。“だいじょうぶ?” “うん” “返して来ないから心配になって” “ごめん”“ぼんやりしてて” “じゃあいいけど” “このまえ楽しかったね” “うん、居酒屋で” “そう、カレ、感じがよくて” “かなり酔ってたのに” “そういう点はしっかり” “まあ、さすがだけど…”

 うちのママは気楽なパートだけど、彼女のお母さん、けっこうしんどい感じの正社員で、小さな会社の総務ぐらいじゃ、スナックでアルバイトするしか。帰ってくるの、早くて十時すぎって、それだけ働いてもギリギリのところで、そういうところわかってるから彼女も…。母娘のそういう、表面的にはギクシャクしてても、さいごにはわかり合えるって、深いところでつながってるというか、うらやましく思って。こっちはきほん、お金に困ってないの、めぐまれてるって、わかってるけど、それでしあわせかどうか。

 「もう決めた?」。クラスが違うので昼休みに、こうして学食の隅に残って、スマホみながら何するのでもなく、思いついたらおしゃべりして。「進路のこと?」。ほかにも面倒なこと、嫌なことたくさんあるけど、進路調査票の提出、忘れようとしても、期限がせまって。「このままアルバイトするのも…」。そうだね、それがいいけど、もらえるお金すくないし、もちろんボーナスもないし、それなりにちゃんとしたところに就職すれば…。「どこか面接受けるってこと?」。まあ、とりあえずってことでいいと思うけど、それって親孝行にもなるし、お母さんが安心するし。

 こっちは専門学校ってことだけど、何をしたい、何になりたいってことないし、ほんと困ってる、これで一生決まるわけじゃないけど。「そうか、いろいろ迷うよね」。いっそうのこと、いっしょに面接受けて、総務とかで机並べて、いまと同じようにお昼食べて…。「うん、それもいいけど…」。でもずっといっしょにいるわけも、それぞれやっていくしか、当たり前なんだけど、やっぱり面倒だし、社会へ出るってほんとに。

 そんなことより、もうすぐ夏休み、高校さいごの、思い出づくりしないと、キャンプするとか、旅行もいいし、やっぱりふたりで、とにかく楽しく。「お金、貯めないとね」。あと一カ月もないけど、試験おわったら掛け持ちもして、合わせて十万円ちかく貯めて、ふたりでどこへ行く? まあ、温泉とかでも、二泊三日ぐらいで。「海外も行きたいけど…」。それは卒業旅行にして、とうめんはそのぐらいの予算で、国内旅行のサイト見て、わいわいやるのも楽しいし。

 わたしと違ってカレがいるのだから、やっぱり夏の予定、こっちの都合だけでは、そっちもうまくいくように、いろいろ事情、あるだろうけど。「もういいよって思うこともあるけど」。そんなこと言い出すから、そっちを優先させるほうが、それなりに長く付き合ってるし、かんたんに分かれるのも、そこはフォローできないし。「まあ、そのぐらいは…」。向こうが悪いの、わかってるけど、あまり強く出るのも、カレの味方するつもりも、ほんと、わからないとこ、いっぱいあるし、男子って。

 あまり話してくれないの、のろけになるとでも思って、カレのいないわたしを気づかってる? うらやましいとかぜんぜん、ほんと強がりじゃなくて。「誰か紹介しようかって」。カレがそう言ってるの? 大きなお世話って言うつもりないけど、それこそ高望みしてるなんて、へんなこと言うから、カレの友だち、かっこうよくても。「悪いけど、そんな気ないし」。口ぐせのように、わたしよりずっと可愛いんだからって、なぐさめるのもほどほどに、いろいろやってくれて、ほんとありがたいけど。

 「さいきん、いるじゃん、まえにはいなかった…」。そう言われても、そんな子いたかなって周りを見まわして、転校生ってこと? もう三年生だし、なにかの間違いじゃ。「うん、制服が違うので目につくっていうか」。それならそうかも、見た感じもいいって、だからってべつに、たいして興味ないし、あっそう、ぐらいで。「そう、けっこう高いし、顔ちっちゃい」。だから、こんど会ったとき、声かけようかなって? わたしのいないときにしてよね、巻き込まれるのイヤだから。

 うちら帰宅組だから、授業終わったらすぐ、背の高いシューズラックのところで落ち合って、駅までいっしょに、それぞれのホームに分かれて、小さく手を振って。「じゃあね」「うん、またあした」。きょうはそのまま、どこにも寄らずにって思うけど、ちょっとぐらいコンビニに、めずらしく本屋にも、雑誌コーナーじゃなく。専門学校の情報を、スマホでも見てるけど、やっぱり将来のことだからしっかり、とりあえずいろいろと集めて。

  “試験勉強してる?” “どうしよ、やらないと” “けっこうギリギリってのもむずかしい” “うん、ほんと” “五十点ぐらい目指すってのも” “それだけ取れれば” “いつも低いレベルでやってるね” “笑っちゃうけど” “これ終われば旅行だよ” “うん、いまから楽しみ” “いっしょに旅館とまって?” “そう、はじめて” “なに持っていく?” “そうだね” あと一週間で期末なんだから、べつに赤点すれすれでも、クリアできればいいんだけど、なかなか集中できなくて。

 こんな感じがずっと続くはずも、いつまでもいっしょにってわけも、もうすぐ十八だし、大人になるって、ただ時間が過ぎていくだけの…。ごまかしてみたところで、見ないようにしても、このわたしっていうリアル、どうしようもなく、愛想を尽かしたところで。わたしって何? そんなむずかしいこと考えても仕方ないけど、たまにはありのままの自分と向き合って、目を背けようにも、そこはごまかせないし、ほんとイヤになるけど。まあ、とりあえず、これまで通りにって、もういい加減そんなところから、まじめにしんけんに? ずっと避けてきたけど…。

                   ★

 こうして流れ作業のように、変わらぬ日常を淡々と、こなしていくしか、家事もそうだし娘のことも、いつもは意識の外にいる夫だって、少し頭をめぐらすだけで…。片手で数えられるほどの、その程度の関わり合いに、あたふたするのも違うような、だからって強弱や濃淡があるし。それこそ関係性といえば、ここのおばさんたちとの、面倒でもストレス感じても、それも仕事のうちと、微妙な笑顔で。「おはよう。きょうもイヤねぇ…」。きっと六十過ぎの古株のおばさんに、そう言われたところで、あいさつ以上に何もないし、世間話っていうのも…。「おはようございます」。

 だいたい五、六人のグループに分かれて昼どきの、ガヤガヤと騒がしい休憩室で、そこまで大きい声で話さなくても、ほんと頭がキンキンするほどに。どんなことがあっても一人で、貴重な一時間なんだから、わずらわしいことから離れて、だからって自分と向き合うこともなく。「シフトのことだけど…」。同じく一人で食べている、近くのおばさんから、仕事に関わることだから、無視するわけにもいかず。「まあ、そうですね」。

 手さばきしだいで、とうぜん見逃すことも、それでも不良品をはねるっていう、検品作業の精度、どんどん落ちていくなかで。どうしても流れに乗れなくて、どこかが痛いとか、雑念にさいなまれてるわけでも、たんに気分が乗らないから、心配事はあるにしても。一日の大半を費やして、対価といえば取るに足らない、こういうデイリーって、そんなプロセスを、だからってどうしようも。ただ時間にそって、リアルに従って、疑問や不安を差しはさまず、心身を沿わせていく、そんな感じじゃないと。

 ただラインに入れば、顔を上げなくても、話しかけられることも、目も合わさないで済むし、だからこうして続けて、モノ相手の仕事を。ちょっとした修行感覚でいるのも、バチが当たらない程度に、修験道みたいの全身白ずくめで、目元だけ開いたフルフェースの作業衣まとって。だからって集中できるわけも、とうぜん悟りをひらくなんて、せめてストレスフリーで、フラットになって引き戻してくれるなら。ただモノに触れる、その実感だけで、虚業じゃないと言えるほど、確かなものを感じられるわけもなく。

 こうしてまた来年三月まで、この程度のストレスなら、精神病むほどじゃなければ家計の足しに、娘の学費もあるし、昇給もなく契約更新して。“どう? 元気にしてる”。こんなふうにラインくれるの、彼女ぐらいで、何でも話せるってわけじゃないし、でもほっとひと息つけるのはたしかで。“どうした? 元気だよ”。どの程度か知らないけど、何かあって、こうしてほぼ一カ月ぶりに、ほんとうなら会って、話聞いてあげたいけど。“どうもねぇ…。ごめん、忙しいでしょ” だいじょうぶ、どうした?”

 「おつかれさま」。おばさんたちが三々五々、ロッカー室をあとにして、ひとり残ってラインの返事を、けっきょく会った方が早いから、さっそく来週に。その日ならシフト外れても、それに気分転換になるかもと、彼女の話を聞くのが目的だから、たいして上がらなくても。「あれ、まだいたの?」。これもけっこう古い、ほぼ話したことのないおばさんに、べつにへりくだる必要ないのに、押し出し強そうだし、あとあと面倒になるのも。「すいません…」。おばさんも、なんで謝るのって顔して、だけどへんに気をよくして? 話すこともないのに世間話のつもり? 薄っすら笑顔をつくって。「よく頑張るね、若いのに…」。

 イレギュラーは突然にっていう、買い物ちゅうに、ぼんやりしてるから、おかしなことに巻き込まれたり、思いもよらないことに、まんまと。「はい、二番レジでお願いします」。これまで一度もそんなこと、どういうわけか知らないうちに、ついうっかりじゃあ済まないけど、ほんとあり得ないことで。「失礼ですが、先ほど…」。ただ混乱するばかりで、意味がわからなくて、どう反応したのか、あとで振り返ってみても、その部分がすっぽり抜けていて。

 カートに掛けていたエコバッグに、そんなはずないのに、誰かにはめられた、陥れられたとしか、レジをスルーしてモノ(商品)が、そのなかにあって。「すいません、なにかの間違いで…」。さっそく引き返して、もう一度レジに並び直そうと、胸の鼓動が激しくなって、冷や汗というのか、これを初犯というには。「気をつけてくださいね。今回は…」。お店を出る前に声をかけて、万引きにならないようにしてくれて、警備員のおじさんに頭下げて。

 ずっと放心状態のまま、どこをどう辿って家まで、さっき捕まっていてもおかしくなかった、こんな状況って? 夢遊病者のように。無意識のうちに手が伸びて、カゴじゃなくバッグの中に? その精神状態ってどういう…。ほんと怖くて、この内側に潜む、得体の知れないものが、なにか鬱屈したものがぬっと出てきて? 「お母さん、だいじょうぶ?」。娘の声にハッとして、見るとリビングで不安そうな顔を、ぎこちない笑顔を返すも、この世界へ戻るの時間がかかって。「ごめんね、いまから夕食の支度するから」。

 娘の話にうわの空で、生返事を繰り返すものだから、もういいとスマホを取り出して、せっかく心配してくれてるのに。「進路のことだよね」 「………………」 「提出したの?」 「………………」 「専門学校に?」 「うん、栄養士の…」 「そう栄養士さんの…」 「まあ、いちおう…」 「いいじゃない、しっかりした仕事だし」 「二年間通ったら免許もらえるって」 「そう、よくわからないけど学校とか病院で?」 「ほかにもいろいろ就職先あるみたい」 「よかったね。入学金とか学費、だいじょうぶだから」。「うん」。 

 いまさらながら、しっかりしないと、ヒトの親なんだから、いつもふらふらして、ほんと頼りなくて、どうしようもなくて、ごめんね。そばにいながら娘のこと、こんな特別な関係でさえ、うまく引き寄せられなくて、自分のことで精いっぱい、相手に嫌な思いを、不安がらせて、性懲りもなく。いつまで経っても定まらない、地に足つけてってことなんだろうけど、どうしてもふわふわしてて、きっと自律神経のバランスが、心身の重なり具合がどうもしっくり来なくて、心療内科へ行けってこと?

                   ■

 こうしてもう三年も、新幹線で二時間余りだけど、家族と離れて過ごすという、それもふつうに日常なんだから、その意味するところ、深く考えても仕方なく。けっきょくエレメントが、関わるヒト・モノ・コトが少ないから、ごまかしがきかないし、レギュラーにも弱くなって、デイリーをうまくフォローできなくて。だからバーチャルの、リレーションから離れて、インサイドをつく、そんなこと繰り返してるうちに。仮想と現実のはざまで、その辺りで浮遊するのも、だからスマホ開いて、あやしいアプリに手を出して、性懲りもなく関係性を…。

 きっと来ないだろうと、たしか土曜の午後、だからなかったことに、やっぱり面倒だし、パスするの前提に。どんなプロミスも嫌になって直前に、だからゆっくりと、いつものように休日の朝、ルーティンをこなして。トイレを掃除しようと、テーブルの横を通り過ぎて、しぜんスマホに、例のアプリから確認メール?  “きょうの午後、たのしみにしています”。その感じ、やり方ってやっぱりサクラ、仕込みってこと? しとやかに素人よそおって、画面からは…。

 半日も家を空けるのも、たんに家事をやり残すだけで、だからそっちを優先して、たいして刺激がほしいわけも、イレギュラーを楽しむのも。“急に用事ができて”とか“そういうつもりじゃなかった”とか、でもやっぱり無視するのが、放っておくしか、それがこのアプリの作法かも。とりあえず様子を見ようと、内心の動きを、しぜんにまかせて、意外な結果になっても、そこは自分に嘘をついても。ちょうど買い物するころに、それも外出に変わりないし、少し足を延ばせば、来てるかどうか、確かめるのも。

 私服っていってもパッとしたのなく、いいおっさんなんだからしょうがないけど、ただ変な臭いしないように、できれば見た目も清潔感あるように。さすがにゴルフウェアって歳じゃないし、チノパンとポロシャツに明るめのジャケットぐらいで、冴えない顔はどうしようもなく。途中下車する手も、べつに行かなくても、重く考える必要も、そういうアプリなんだから、ほかのところへ行くのも。目印をさがしているうちに、いろんな思いがめぐってきて、軽い吐き気が、ちょっとしたパニック障害じゃないけど、このふらつきって。

 「だいじょうぶですか」。こっちのジャケットの色で、このおじさんかって、わかってくれたみたいで、それにしてもどうしてそんなに、暗くて青白い顔なの? 「いや、だいじょうぶです」。いたってふつうというか、どちらかというと地味なぐらいで、タイプじゃないけど、なんとなく好感もって、この女に。「ごめんなさい。先にはじめまして、ですよね」。あのアプリでこういう感じの子、来るかなって、こんどは怪訝な表情になって、返すコトバのタイミングはずして、へんなふうに。「こちらこそ、はじめまして。よろしくお願い…」。           

 とりあえず歩きながら、どこへ行こうかと、やっぱり落ち着いて自己紹介したほうが、思い浮かぶのは喫茶店、いやカフェにしないと。「ここに入りましょうか」。さきほどのこと、謝りを入れる感じで、かんたんに説明するはずが、言い訳がましく、けっこうなところまで話してしまって。「わかります。わたしも…」。こんなことで話はずんで、へんに傷をなめ合っているような、それでいて少しばかりの共感を、目的は一つだと、手っ取り早くっていう感じじゃなくなって。

 いや、これが新手の、まずはふつうの出会いを装って、へんに油断させてけっきょくっていう、求めていたもの、わからなくなって。「落ち着きましたか?」。とりあえず相手の反応を見て、すぐに本題へいく必要も、カラダ売ってる子も、そのぐらいの会話、できるだろうし。「えぇ、だいじょうぶです」。このあと、なにを話せばいいのか、まじめな婚活アプリじゃないし、趣味とか休日の過ごし方とか、そんなこと聞くの、どうかしてるし。「ちょっと安心…」

 こんどはこっちが気になること、身体の調子とか、そういうのじゃなくて、このアプリで会うっていう、その意味を確かめるのも。「えぇ、わたしは」。キョトンとした顔で、しぜんな笑みを浮かべて、ほんとわかってるの、この子って、なにかカン違いして、ここに来てるような。「それなら、これから…」。そう言いかけて、コトバを濁すように口ごもって、そのあと立て直そうにも、彼女の表情を見ていると。「はい」。べつに勝ち負けじゃないけど、これはもう降参って感じで。

 だからカフェを出て、考えていた裏道の、じゃなくて大通り沿いの、いまさらソコかってことだろうけど、どこへ行けばいいのか、どうしようもなくて。「ほんと、久しぶりです」。こっちも映画館なんて何年ぶりか、なぜこんなことになったのか、よくわからなくて、でも当分話さなくていいし、そのあいだに整理しようと。「ちょっと…」。トイレでもないのに席を立って、とりあえず売店でスナック菓子買って、壁にもたれてぼんやりと、この状況って? やっぱり答えがなくて。

 「ごめんなさい、これどうぞ」。へんなトワイライトゾーンへ、たしかに三次元から二次元へ、こういうときだから、フィクションの、映像の世界へ、リアルから離れるのも。「なにか、わくわくしますね」。けっこう長い、広告映像が流れてるあいだに、高校生の初デートじゃないんだから、でもどういうわけか、すっと和んできて。「これでよかったですか」。オーダーがないから、なんとなく選んだコンテンツ、外国映画のリバイバルって、いまの子にはどういう…。

 しぜん横顔が目に入って、ストーリーがもうひとつってわけも、ぐっと入り込めないのでもなく、ただスクリーンが放つヒカリ、まぶしくて。「だいじょうぶですか」。こっちがゴソゴソ落ち着かないから、気が散ってしまったようで、何度も同じフレーズ、言わせてしまって。「すいません…」。出ましょうかって腰を浮かすので、あわてて抑えてこのままに、この時間をもう少し、へんに癒されてる? この情況って? 自己分析してみたところで、出会い系アプリなのに。

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 なんとか世代と言われるわりには、当事者にそういう意識も実感もなくて、ただSNS上で展開される、表面をかすめる程度の、けっきょく実にならない、軽薄なモノどもコトどもに囲まれて。そこにいれば、なにごともなく過ぎていくわけも、でもまあ無難に、ほどほどにやっていれば、うまくごまかして。だから卒業しても、意味なく強いられる、業務というには、日常を潰されるだけでなく、入社二、三年はこういう…。辛うじて意欲ある自分に複雑な、違うような気もしながら、まじめにやろうとするのだから。

 若気の至りってほどでも、何年かあとに振り返って、そのときにわかっていれば、いや、いてもっていう…。ぐっと内側の、それも底の方を浚うまでもなく、触れてしまう、べつに精神病んでなくても、弱い質(たち)だから仕方なく。そこは意識を効かせて、ふらふらと戸口に立たないよう、けっこうな力で引き戻す、一定のレンジのなかで。多少の振幅はあっても、うまく収まりさえすれば、辻褄が合えば、表層さえ整えれば、デイリーは動いていく、そう信じて。

 “行きたいとこ、あるんだけど…” “こんどの週末に?” “いや、予約しないといけないから” “そう、なら来月でも” “うん、予約しておく” “わかった”“でも、それって?” “うん、まあ…” “べつにいいけど…”“悪いけどこの週末、用事あって” “そう、じゃあ金曜とか?” “そうしたいけど、仕事忙しくて” “じゃあ仕方ないね” “ごめん” “それなら…”“美容院、予約して”“夕方に料理教室、それと…” “うん、悪いね” “まあ、たまには” “それより…” “なに?” “べつに、だいじょうぶ…”

 これでも日常のなかで、ほかに目を向ける、少しの余裕というか、邪心とか雑念とは違う、不穏なココロの動き、そういうのでも…。なんとなくレールを敷かれているような、つまらないものが積み上がって、そろそろ表面張力が破れそうな、あふれこぼれ落ちて。ダムが決壊するほどには、そんな大ごとじゃなく、しだいに侵されていくという、そのままにしていたら。抜け出すというより、ちょっとはみ出したり、様子見ながら足先そろりと、いつでも引き返せるよう、ずるく担保をとって。

 いまどの辺りか、そのプロセスのなかで、立ち止まる、右へ行く、左に舵を切る、まさか真っすぐっていう、そういう岐路にいるわけも。浅はかにもほどがあるって、ただ右往左往するだけの、その往生際の悪さに、嫌悪を覚えるのも、未熟もいいところで。少しの可能性が邪魔になって、大人な感じに違和を覚えて、ただ諦めが悪くて、前へ進めなくても。すでに先細りの状況でも、開けてなくても、そこでつまずくのも、すべては不可抗力だと、為す術もなく。

 “予約とれたよ” “そう、いつ?” “来週の土曜、行けそう?” “だいじょうぶだけど”“それって?” “ブライダルショー”“いっしょじゃないと”“どうした?”“よくなかった?” “いや、そういう…” “ただの見学だから”“そこでってわけじゃないし” “そうだけど…” “まあ、たんなる見学なら” “そうだよ”“べつに問題ないでしょ?” “そうだけど…” “なんか恥ずかしい?” “そういうわけじゃ…” “いろんなイベントあるみたいだし” “まあ、そうだろうけど” “じゃあ、よろしくね” “まあ…”

 底の方で渦巻いている、カタチになる前の、どろっとした澱のような、得体の知れない、名付けえぬ流動というか、ソコへ手を伸ばしたところで。反作用とは限らないところに、可能性へ転じていくことも、方向を変えたぐらいでは、けっきょく日常がすべて吸収するって。ジタバタしたところで、なにかカタチにしようとか、回収しようとか、それこそ意味を与えるなんて、とんでもないことで。どこかへ誘導する、なにかを強いるという、有無を言わさない、スポイルする、プロセスを狭める、そういう…。

 抵抗できないほどに、無気力にさせる、日常の手練手管というか、気がつけば馴染んでいる、うまく沿って違和感もなく、ただ…。制度とか構造とか、堅牢な枠組みのなかで、知らぬうちに囚われの身になって、そうとは感じず、がんじがらめに。抜け出そうと試みたところで、まわりに平服の看守がうじゃうじゃと、笑みを浮かべて睨みを利かせて。とりたてて監視社会というわけも、ただオーガナイズされるのでも、偽って勧誘されるわけでもなく、しぜん日常のなかで。

 “ごめん、急に出張入って” “えっ、行けないってこと?” “うん、悪いけど”“また別に日に” “予約キャンセルするの…” “ごめん、せっかくなのに” “たのしみにしてたのに…” “なにか埋め合わせするから” “だけどブライダルショー、こんどは秋の…” “ごめん、半年先に?” “そう、どうするの” “うん、申し訳ない” “でも、土日に出張って、どういう…” “新しいプロジェクトに参加して” “…………………” “イヤだけど、仕事だから” “週末、会えなくなるって?” “毎週ってことじゃないから” “でも…”

 どこかに突破口が、でなければ抜け道のような、ブレークスルーっていう、少なくともズレとかヒズミとか、スキを突こうにも、そうかんたんには。みずから袋小路に入っていくような、だからぐるりと囲まれながらも、けっきょく自業自得の、相も変わらずジタバタして。穿たれているように、一筋のヒカリが差してくるのを、ただ待っているしか、いつまで経ってもアンガージュ(投企)できない、この身に。だから闘争、でなく逃走だからって、どこが悪いのか開き直って、とにかく場面転換しようにも。

 イレギュラーに怯むことなく、そこに相乗して、アリの一穴じゃないけれど、徐々に崩していく、どんな構築物も、エターナルじゃないし。ディコンストラクトするって、それだけのエナジーがどこに、後のことを考えるとなおさら、いちから立て直すなんて…。とりあえず一度壊すっていう、その恍惚と不安に、がれきの荒野に惑わされず、しっかり耐えて準備して。転がるパーツをかき集め、パズルのようにはめ込んでいく、ただ完成を期すのでなく、ピッタリ合わす、一致させるのが目的じゃなく。

 “ちょっと話、あるんだけど” “なに?” “うん、インターバルを置くというか…” “どういうこと? 意味わからない” “まあ、間隔をあけるという…” “カンカク? なにそれ?”“なに言ってるの?” “うん…” “そんなことより、どうする?”こんどの土・日” “うん…” “どこか行く? 温泉とか”“予約とれるよ、いまからでも” “まあ…” “休みでしょ?”“クルマじゃなくても” “いや、クルマぐらいは…” “出してくれるなら”“ラクでいいけど” “うん…”

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 朝起きるの、ちょっとくらい辛くても、あと数カ月なんだから、楽しむぐらいでないと、長い年末年始も終わって、さあって言われて。「気をつけてね、すべらないように」。駅へ向かう高架橋で、けっこうこける人がいて、だからゴム底の靴はいてそろり、なにを確かめてるのか、意識するのをやめて。「おはようございます」。だいたい同じ時刻だから、会う面子も決まってて、声を掛け合う相手も、名前も知らないけど、悪い気はしないで、微笑む返すものだから。

 だからと言って、プラットホームで世間話するのでもなく、別々の列に並んで、前を向いて何を思うでもなく、ただ電車が来るのを。こういうときに、どういうわけか、夏のさなかの、くらっとした、身体が圧し潰されそうな、あの違和感がよみがえってきて。このあと断続的に、胃の不快感とともに、秋の終わりごろまで、パニック障害とか、男の更年期障害? やっぱり自律神経系なのかと。出勤の道すがら、来ないように、あのときのような、強迫神経症なのかもと、しぜん身体が固くなって。

 エレベーターの前でも、デスクについたあとも、軽く会釈を交わしながら、なんとかたどり着けたと、ほっとしてパソコン開くも。さっそく昨年のつづきを、簡単なデータ整理を、早く済ませたところで、このあと時間調整に困るだけで、もう嘱託のような仕事させられて。六十過ぎても同じようなこと、ただ年金支給までの、生産性のない単純作業を強いられて、会社側の配慮、お目こぼしに感謝しろ、と。情けなくても、この状況を、ありがたく受け入れて、この歳になっても、こんな仕打ちに耐えるしか。

 できればバランスのいい定食類とか、せめてサラダの小鉢をつけるのも、しっかり昼食をとるぐらいしか、充溢というか満たすという意味で、ほかに何もなくて。「もう提出されました?」。同じ今春卒業組の、歳は同じでも明るいぶん、若く見える同輩が前に座って、ふつうに話してくるから、軽くあしらうのも。「今月末だったよね、どうするの」。還暦をさかいに辞めるか残るか、ただそれだけのことで、すぐに年金入って来ないから、たいていは残留するしか。「仕方ないよ、選択の余地なしってところで」。

 まわりに出処進退、あえて知らせる必要も、だから曖昧にして、気づかれぬうちに居なくなった、というふうに。「うん、まあね。どうしようか…」。この期におよんで、こういう反応って? ただ往生際が悪いだけの、じゃなかったら残るつもりないっていう、再就職先を見つけて? 「いいね、悩めるぐらいだから」。恵まれた環境だと、ダブルインカムだから、パートナーが稼ぎ頭っで、へんな矜持があったとしても。

 もう会議に出る必要も、朝礼で意見を言う機会も、残業の指示もないし、誰とも話さない日もあるぐらいだから、気楽でいいんだけど、負け惜しみじゃなく。「じゃあ、お先に」。総務女子より早く、机の上を片付けて、さっさと席を立って、一目散に出口へ、というほどではないにしろ。「お疲れさま」。エレベーターの前で肩越しに、同期で一番の出世頭、違う世界のヒトから、気軽に声をかけられて。「あっ、お疲れさま、です」。役員だから、定年とか嘱託とか関係なく、見た目もこざっぱりして、表情にも余裕というか。

 「久しぶりに飯でも行こうよ」。そう言われても、すぐにはうなずけなくて、戸惑っているのに、気にするふうもなく、しもじもの気持ち、わからないだろうに。エレベーターをやり過ごし女子社員を見送って、引いてる感じ分るはずなのに、たたみかけるように、無神経だから出世して。「今週末はどう? 予定入ってる?」。きょうは水曜日なんだから、明後日という、ふつうなら無理でも、この身に断る理由がなくて。「じゃあ、六時ってことで」。うんともすんともしてないのに、できる奴の強引さというか、こっちは従うしかない感じに。

 執行役員に取締役も付いているのだから、取引先の接待とか、シークレットな打合せとか、週末はつぶれるはずなのに、急にキャンセルになって? まあそんなところだろうけど。この会社のなかで、休まるところないがの、わからなくもないけど、日々緊張を強いられて? 経営の中枢にいるのって。だから気の置けない、気晴らしになる相手を、たしかに同期で残っているの、二人のほか一人ぐらいしか。もう一人よりこっち、ただ二分の一の確率で、お鉢がまわってきて? 深く考える必要ないけど。

 金曜日だからって、しぜん上がるような、もうそんなこと、ここ数年ないし、これからもありそうになく、もうすぐ毎日が日曜になる身には。役員ともなれば、そこいらの居酒屋ってわけにも、だからって接待に使うような小料理屋でもなさそうで、そんな取るに足らないこと考えて。「悪かったね、とつぜん誘って」。うまくあいだをとって、こじんまりとした和食の店で、ちょうどいい広さの個室に通されて。「いや、こちらこそ。こんなところに…」。

 どうしても入社したころの、エピソードとか、思い出を、記憶をたどりながら、じんわり懐かしんで、それだけならば。「どう、ひとつやってみない」。思いもかけない、ふつうならあり得ないオファーに、ここも戸惑いの顔を見せて、新プロジェクトの本部長の補佐って? そんな大役、できるわけないし。「いやぁ、無理だよ、この俺に」。部長をやれとか、課長でもないわけだから、ただアドバイスするだけでも、なんの役に立たないの、目に見えているし。

 まあ、とりあえず考えておいてよって言われても、断るしか、もうそんなモチベーション残ってないし、企画から遠ざかって久しいし、やれるはずないし。「その歳で引っ込んでどうする」。六十で辞めるつもりだと、言うつもりはなかったけど、思わず口をついて、こっちはただ静かに身を引きたいだけなのに。「まあ、そうだけど…」。その補佐って役、嘱託にかわりないけど、いまの給与そのままに、特別な処遇だからって、はい、わかりましたとはいかなくて。

 軽く手を上げて店前で別れてひとり、けっきょく断るにせよ、いろいろと頭に浮かんで、それらをはねのけるのも、うまくいきそうになく。めったに立ち入らない公園のベンチで、生々しい話はさて置いて、ここは戯れようと、いま感じるものを受け止めて。岐路に違いないのに、そういう変化に嫌気して、こうして見っともなくも日常を、ごまかしているつもりもなく。久しぶりにぐっと引き入れて、この等身大の姿に、逃げずに身を寄せる、答えを出せるかどうかはべつに、この機におよんで、ここぞとばかりに…。

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 小さなテーブルをはさんで、お見合いと言えばそうだけど、ファーストインスピレーション? しっくり来るってほどじゃなくても、嫌な感じがなければ。「こういうの、はじめてなんですか?」。こっちが話そうとしないので、顔をこわばらせながらも、それだけ言ってうつむいて、また黙り込んでしまって。そんな質問するかって、初めてのように見えて、それも新手の、地味なワンピースで素人よそおって? そんなふうに思うのもこっちが。「いや、何度か、こういう…」

 こうして面と向かっていると、少しはわかってきそうなもので、外ヅラだけじゃなく内側も、それが思い込みでも、たとえお門違いであっても。まじめに付き合うわけでも、段取り踏んでいこうとか、そういうアプリじゃないのだから、いくらまともな感じであっても。「じゃあそろそろ…」。そう言ったところで、あそこ以外どこへ行くあてもなくて、だから彼女の行きたいところを、だからってなんでテーマパークに、それじゃふつうのデートと変わらないし。「一度、行ってみたかったの」。

 たしかにテーマをしぼって、でもせいぜい大きい催事ぐらいの、子ども向けイベント程度にしか、だからぬいぐるみがメーンのようで。「ごめんなさい、こんなところに…」。そう思うなら、三十過ぎの女が、子どもも連れずに、出会い系サイトの相手と、よくもまあ、どんな顔して、こんなところに。べつにって苦笑するしか、ギャップ萌えとかもなくて、このクマとかカエルとかブタとか、こういうマンガみたいなモノ、好きなのかと、それ以上深く考えないようにして。

 さすがに乗りものとか、アトラクションの列に並ぶはずも、だからぶらぶらと周遊するだけで、もちろん腕をくんだり手をつないだり、そんことあるはずも。「疲れてないですか?」。申し訳なさそうに、ならば付き合わせるなって、そういうニュアンスも含めて、睨みつけるほどじゃなくても、表情を硬くして。「いや…」。だからって、どこかに腰を下ろさないわけにも、ラージの紙コップを片手に、メリーゴーランドを背にして、楽しげな人たちを前にして。

 知らぬ間にってほどでなくても、思いのほか日が暮れて、出口へ向かう家族連れにしぜん促されるも、途中足止めされて。パレードと言っても、あのTDLのようでなく、ただ被り物のぬいぐるみが歩いているだけの。「ちょっと見て、いい?」。べつにいいけど、このあとどうするか、なにも決めてないし、猶予になるし、めくるめくって感じじゃなさそうだし。「まあ…」。ヒトが入ったクマが親しげに、近寄ってくるものだから、逃げるわけにもいかず、だからって手を握ったり、抱きしめたり、できるはずもなく。

 ふつうに付き合ってる、もう中年にさしかかるペアの、その場にそぐわない感じが、誰も見ているはずが、でも気になって仕方なく。「すいません、付き合わせて」。さすがに最後までいるのも、このあたりで出口の方へ、でもこのあとどうするつもりで、二人並んで歩きながら。「ごはん、食べようか」。このさい欲といっても食べるほうで、まだ満たされずホテルっていう、いきり立つこともないようで。「そうですね」。このあたりでもういい加減、ちょっと違うんじゃないかと、ふつうはどちからともなく。

 いちおう風俗系が集まるエリアで、チェーン系の居酒屋に入って、とりあえず生ビールたのんで、そんな一連の流れのなかで。「何にします?」。差し出されたメニューに、べつのこと考えながら、このあとどうしようか、でもなく、ただ欲を充たすのが嫌悪されて。「じゃあ…」。そこも欲せなくて、このプロセスの、どのあたりにいるのか、そこまで深く考える必要も、ただ表面をかすめる程度で。「きょうは、いろいろと…」。そう、もう終わりにしないと、てきとうにお腹満たして、アルコールもほどほどに退散するのが。

 駅へ向かうあいだも、コトバを交わそうとか、ただ線路沿いを行くだけの、背中に気配を感じながらも、振り返ることなく。「いいんですか?」。言ってる意味わかるけど、ここもコトバにするの違う気がして、改札をくぐる彼女に、微妙な笑みを向けるしか。「じゃあ」。これでもう会うことも、話すことも、とうぜん交わることも、ないだろうし、だから一期一会って、その意味するところ違うけど。「それでは…」。ふつうに彼と別れるように、寂しそうな顔するのって、それも新手の、諦めずに最後まで引っ張ろうと、これじゃお金もらえないって?

 軽く手を上げて、もうこれきりだから、きびすを返して隣のコンビニへ、入ろうとして横目に改札口が目に入って、まだそこに彼女いて。「えっ…」。だからって引き返すのも、その場で頭下げるぐらいしか、彼女がここへ戻るわけにも、その距離を縮めようとして。“ごめんなさい…”。そう言ってるような、申し訳なさそうに、寂しげな表情を浮かべて、そこに偽りがあったとしても、このさいそんなこと。彼女とのあいだの、澱んでいた空気感というか、わだかまりがクリアになって。

 知らぬ間に改札の内側に、抱き合うのでもなく、いつの間にか手を引いて、どこへ行くとも、ただいっしょに居て、どういうわけか、しっくり来るものだから。「………………」。電車を待つあいだも、もどかしくて人目構わずって、そんなことこれまで一度も、だからってわけじゃないけど。「………………」。行く当てがなくても、ただ乗り込んで、できれば遠くへ、郊外というより山や海まで、とにかくトランスポートしようと。「………………」。この先どうなろうと、もうどうでもいいやと、やけっぱちというわけじゃなく、こうして並んでいるのだから。

 この関係性を大事にしようとか、深めていくなんて、そういう感じではなく、コトバにすれば違うような、しっくり来るほどじゃなくても、ただ開いてさえいれば。「どうします?」。我に返らなくても、不自然な領域へ、いまなら引き返せるだろうと、彼女の方へ顔を向けるも、出てきたコトバと言えば。「うん…」。この先はもうないのだから、終着駅という、見果てぬところで、だから降りるしか、そうでもないと動かない、開かない、そういうのって。

 このあとはもう、ひとつになるしか、よくある行きずりの、軽い感じでも、心中するような思い詰めた状(情)況でもなく、ただうまく制御できないのは事実で。ここまで来たことの、必然というわけも、しぜんにって感じでもなく、成り行きにまかせて、そういうのでも…。ただこの関係性に、コトバにしたり、意味づけするような、そんなレベルの、既にあるようなモノやコトじゃなく、初発の、ぐっと生み出された、清らかな間欠泉のような、連なりというか、その関わりに…。

                   ◆

 「もう準備できた?」「うん、そっちは?」「ドライヤー、もってく?」「あっそうか、ふつうのしかないよね」「でも重たくなるから」「どうしよう」「じゃあ、わたしがもってく」「重たいよ」「だいじょうぶ」「それじゃあ、化粧水と乳液、いっしょだったよね」「うん」「もってくから、もってこなくても」「いいの?」「だいじょうぶ」「八時半だったよね、待ち合わせ」「うん、あのターミナルで」「朝、食べて来るの?」「どうしよう」「駅でなんか買って電車のなかで?」「それいいかも、駅弁っていうのも」「いいね、朝から」

 必死にバイトして、やっと貯めたお金で、夏の終わりに思い出づくり、なんとか間に合って、めでたく彼女と。学校の行事とか家族で行くのと違って、なんか気持ちが上がってくるし、楽しいことばかりだし、二泊三日の短い旅だけど。こんなことないよね、きっとこれから、だからこのさき不安というか、大人になる前の、これってどういう…。勉強や試験はイヤだけど、いつも日向ぼっこしてるような、のんびりな感じって学校だから、やっぱり守られて晒されることなく。

 「おいしかったね」「うん、ちょっと多かったけど」「旅行だからいいじゃん」「うん、そうだね」「お昼、どうする?」「もう、いまから?」「こんども和食っぽいの?」「そうだね、いなかの店って…」「でもマックとかカレーというのも…」「そう、旅先でそんなの」「あっ、出てきた」「ランキングで一番って?」「この店なんかどう、駅前だし」「まあいいじゃん、とりあえず行ってみて…」「それよりどこ行くか」「お寺や神社ってのも…」「ネットもいいけど、案内所で聞いてみるのも」「うん」

 温泉地なんだから、高校生が楽しいって思う、そんなところあるわけも、だけど案内所のおばさん、同じ年ごろの子いるのか、やさしく対応してくれて。そういうのうれしくて、なんとか坂でかわいい小物とかスイーツの店あるって、おかげでだんだん楽しくなって。そのさきに縁結びの神様、恋愛がかなうというから、彼女けっこううれしそうで、こっちはたいして興味ないけど。でもおみくじ引くの、こっちも楽しみというか、大吉だと上がりそうだし、そういうの、信じるほうだから。

 「ちょっと休まない?」「この坂、けっこうきついね」「抹茶のパフェ、あるって」「いいね」「あのみたらし団子もおいしそう」「ほんと迷うね」「とりあえずは」「うん」「けっか、かき氷って」「やっぱり暑いし」「そうだね」「ついかでみたらし、たのもうかな」「いいね」「こっちはあんこのやつ」「ひとつちょうだい」「うん」「どう、これ?」「かわいい、なんか…」「さっそくバッグにつけて」「うん、いいと思う」「それもいいじゃん、かわいい」「いっしょに付けて、旅の記念に」「あと半年ぐらいだけど」「そうか、会社につけていけないか」「それもいいじゃん」「まあ、そうだね」

 思っていたより広い和室で、窓のそとに川が流れてる、ちょっとこわくなるほど自然というか、こういうのも悪くないし、おだやかになるっていうか。荷物を持ってくれて、部屋でいろいろ説明して、お母さんよりかなり年上だけど、おばあさんほどじゃなくて、仲居さんっていう。テーブルの上にある和菓子、これ食べてもいいのって、帰るときフロントで精算かもと、とりあえずそのままに。なにを持っていけば、風呂じゃなく温泉なんだから、浴衣を着ていくの分かるけど、それから…。

 「ちょっとはずかしいけど」「いいじゃん、こっちも裸だし」「でも、はじめてじゃん、こういうの」「そうだけど、べつべつに入るのも」「うん、だけど…」「さきに行っとくよ」「うん、ごめん」「じゃあ」「こっちこっち、気持ちいいよ」「温泉っていいよね」「カラダがのびる」「そう、なんていうか」「あぁ~とか、うぇ~とか声でるの」「なんでだろ、お湯が熱すぎる?」「そうかもね、温泉特有の…」「外にもあるよ」「露天風呂っていう」「うん、足もと気をつけて」「岩でかこまれてる…」

 小さな温泉地でも、見るところ、けっこうあるようで、夕食までの時間、浴衣姿でぶらぶらするの、くつろぎってやつで。いっぱい写真とって、思い出が重なって、最後の夏だから、卒業したらもうこんなふうには、これからさきはもう…。なんか寂しくなってきて、楽しいはずなのに、ここで時間が止まれば、就職したり専門学校いかなくても。射的って倒せばいいの? もらえるの? あの人形、けっこうかわいいし、彼女とふたり、がんばってみたけど。

 「楽しかったね」「でも、けっきょく倒れなくて」「仕方ないよ、そういうもんじゃん」「そうかな、ざんねん」「なかなかよかったよ、ちゃんと当たってたし」「なんで倒れないだろ」「だから、そんなもんじゃないの」「まあ…」「ソフトクリーム、食べる?」「冷たいもの、ほしい」「夕食、だいじょうぶかな」「ぜんぜん、ソフトぐらい」「そうだけど」「たべよ」「うん」「どれにする?」「なんか抹茶の気分」「わたしも」「おいしいね」「おいしい」「ちょっと高いけど」「こういうとこだから」「そうだね」

 七時からの夕食、ちょうどいいタイミングで、ちょっと歩いたから、いい具合なおなかになって、それにしても料理、どんどん運ばれてきて。刺身はちょっと苦手だけど、お椀に入った煮物? けっこういけるし、お肉もやわらかいし、なんと言っても白いご飯、お米が違うの? 炊き方なの? こういうところなので? 彼女といっしょだから。さすがにデザート、ケーキってわけにも、だから水菓子って、果物だってこと、はじめて知って、メロンとか桃とか、いつも食べないものを。

 「どうする、もう一回おふろ、入る?」「うん、温泉ね、気持ちいいもん」「じゃあ、用意しよ」「うん」「そのあと、売店見てみる?」「いいね、たのしみ」「こんどはしっかり浸かろう」「上がったあと、汗でるよ」「体重減るし」「水分だけでしょ」「ジュース飲んだら、すぐもどる」「そうだけど」「でも、お肌すべすべ」「うん、それはたしか」「ちょっと白くなった?」「どうかな、そこまでは」「彼はどうなの?」「知らない、色白好きかも」「白くまみたいな」「よく言うよ」

 売店じゃなくてお土産処っていう、ちょっとしたコーナーで、やっぱり楽しくて見てまわって、お母さんとおじいちゃんに、お兄ちゃんにも、よろこんでくれそうな。だけどなにがいいのか、とりあえずスイーツ系の、まんじゅうとかクッキーとか、食事系のつくだ煮とかも、置き物とかキーホルダーはいらんだろうし。おこづかいにも制限あるし、まあ、この程度にしておいて、でも持って帰るのけっこう大変そうで、紙袋一つじゃ収まらなくて。

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 念入りに化粧も服選びも、おばさんどうしであっても、見栄というより体裁ととのえて、やっぱりそういうの、大事だから。駅前のカフェっていうから、チェーン系と思ったら、ちょっとこぎれいな喫茶店ぐらいの、でもこっちの方が落ち着くし、注文しやすいし。「お元気そうで。きょうはすいません」。ここへ来るまで、どういう関係性か考えるまでも、それほど長くないし、前の前ぐらいのパートで知り合っただけの。それほど気が合う感じでも、年齢も五つほど下だし、ただ高校生の娘がいるの、そこだけがいっしょで。

 ただちょっと気になって、彼女の雰囲気というか、少しはあったクリアなところ、まったくなくて、顔色も化粧ののりも悪くて、どうしたのって感じで。「それって、言いづらいこと?」。もう十五分近くも、戸口のところでうろうろしてるような、どうでもいいことを、こっちはせいぜい四、五十分ぐらいしか、付き合えないのに。「うちの子のこと、なんだけど」。まあ、そんなところだろうと、予想してたわけじゃないけど、その程度の相談ごとなら、進路のこととか、言うこときかないって。

 けっこう深刻な、親が一番おそれる、不登校とか、引きこもりって、それだけは避けたい、勘弁してほしい、思わず前のめりになって、他人ごとじゃないし。「同じぐらいの子を持つ身として…」。最初は少し欠席が多い程度で、たしかに微熱が出て風邪のような感じだから、強く言えなくて、ずるずると底なし沼に。そうしてたら、夏休み明けに、ほぼ行けなくなって、昼夜逆転の、生活サイクルが狂いだし、昼ごろ起きるようになって。こっちは腫れ物にさわるように、為す術もなく、どうすればいいのか、途方に暮れるばかりで、しだいにこっちが病んできて。

 とにかく、聞き役に徹しようと、処方箋なんて、専門家でも答えのない、難問もいいところなんだから、そのかわり親身に、ちゃんと聞いてあげないと。「うん、うん…」。でも、だから相づち打つぐらいしか、彼女の身になって? けっきょく、その親御さんにしかわからない、とくべつな事情まで。「そっとしておくしかないよう…」。打ちひしがれて、心が折れかけて、もうこの世も終わりかと、それぐらいデッドラインに差しかかってるふうな。「まあ、寄り添ってあげないと…」。

 まだ恵まれてるほうだと、比べるのもへんだけど、他人の不幸にことよせて、そういう心持ち、やっぱり気分のいいものじゃなくて。午後からのパート中も、頭にチラチラと、彼女の娘さんとうちの子がダブって、いつわが身にふりかかってきても、そんなこと考えてもしょうがないのに。いま旅行中だから、家にいないからなおさら、あれやこれやと要らぬこと、心配性も度を超すとカラダにさわるって、胃の不快感ぐらいでとどまってくれるなら。「お先に。お疲れさん」。

 心配ごとや不安なこと、ないわけじゃないだろうけど、にぎやかに今日もおばさんたち、ワイワイガヤガヤ、ちょっと馬鹿らしくなってきて。「お疲れさまです」。めずらしく声を張ってしまって、ひとりのおばさんが反応して、いっしょに来ないかって、いまから一時間ほど喫茶店で。今夜はちょうどひとりだし、夕飯も作らなくていいし、こんなタイミングでないと、一生行けない? たしかにそうだけど。「じゃあ…」。そのおばさん、手柄を立てたように喜ぶものだから、こっちが引き気味になっても、腕をつかんで輪の中へ、こんなウエルカムって…

 「よく来てくれたね」「そうそう、こういうの…」「来ない人かって」「うん、うるさいおばさんだって」「そう、いやだったでしょ?」「かってに決めつけて」「でも、こうして…」「よく来てくれたわね」「大歓迎ですよ」「そうそう」「若い人が加わるって」「うん、いいよね」「年寄りばっかりじゃ、うるさいばかりで」「それで、どうして来たの?」「困ってるよ、べつに理由なんて」「こうして来てくれるだけで」「そうそう」「それで、何にする?」「口はさむ、余地ないんだから」「しゃべらせてあげて、注文ぐらい」

 六十前後のおばさん六、七人に囲まれて、賑やかを通り越して、その迫力ときたら、店の人はいつものことと、ほかにお客さん、居ないでよかったけど。われ先に話すのが、内容なんて、だいいち相手の話、聞いてないし、とにかくたまってるもの、日ごろのうっぷんを吐き出そうと。愚痴でも、悪口であっても、蔑みに、ハラスメントにならないのも、腹にないから、言いたいことを言い合って、ただそれだけで、大きな声で笑い合って。

 黙って観てただけなのに、なんか軽くなったというか、肩の荷が下りたわけじゃないけど、なんとなく気分がよくて。おばさんの生態を垣間見て、その歳になるとわたしもこうなるって? それもいいのかなって、ラクそうだしカラダの力も抜けて…。その鈍感力というより、ただその強さに降参して、これからはうるさいだけじゃなく、理解を示して敬意を表して? こんどはこっちから、それこそ相談ごとでも、答えの内容はべつにして、聞くのも一つの…。

 こうして黙々とラインに沿って、おばさんたちとともに、連帯感とか共感とかじゃないけど、この前より親しみを感じて、食わず嫌いだったって? いまだってあんな人たち、食えないよって、フルフェースだから安心して笑って。とうとうおばさんの域に、違和感なくそっちの方へ、抵抗したからって、ここは受け入れて、とにかくラクになるのなら。「こっち、こっち」。もう仲間のように、ひとりでいたい昼の休みに、手招きするのだから、そこでお弁当ひろげるのも、おばさんだから気にしないって。「いつもえらいね、弁当づくり」

 商店街の八百屋さんも、コロッケ売ってる肉屋も、それに総菜屋さんも、スーパーよりちょっと寄り道感覚で、けっこう楽しく、手間も省けるし。面倒だと思ってたけど、いっけん取っ付きにくそうなおじさんも、うるさく話しかけて来るおばさんも、店前でかわいく見えてきて。人との触れあいって言うけど、そういうの恥ずかしい、どんな顔してって思っていたけど、いざそっちへ入り込むと、それはそれでしっくり、それこそハマってしまうのだから。

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 映画を見終わって、さあこれからっていうふうには、この関係性なんだからおのずと、だからってそんな気分じゃなくて、ただのデートの終わりのような。「それじゃ…」。大きな交差点の前で、こんなはずじゃなかった、調子が狂ってしまったと、だからってちゃんと向き合うのも、次があるのもへんな話で。「またメール、してもいいですか」。いや、こんな感じで付き合うの、違うでしょ、出会い系アプリなんだから、それともこんどはホテルへ直行? こっちはべつに構わないけど。

 だから駅へ送っていく必要も、名残り惜しいでも、しぜんかふしぜんか、そういう流れでもなく、気がつくと改札口まで、来ていたようで。「じゃあ」。うなずき微笑んで、控えめに手を上げるものだから、こっちも微妙な笑みで、苦笑いにしかならなくても、軽く手を上げて。このまま帰るのも、だから駅から離れて、人いきれを避けて、あらゆる関係性を断ち切って? ただ漂う感じで疲れるまで、さまようほどでなくても、けっきょく公園のベンチでっていう、そこから…。

 このあたりで最寄りの沿線へ、ちょっとしたノマドから、せっかくのトリップなのに、時間も空間も迫ってきて、われに返るしかなくて。駅を降りるとコンビニへ、常夜灯にとまる虫じゃあるまいに、ちょっとした異空間を、少なくとも何かの境界を、だからぶらぶらと店内で。ちょっとしたスイーツとか、朝食のロールパンやヨーグルトも、カウンター横のグミもいっしょに、たどたどしい日本語に違和感を、もうここからリアルに。「ありがと、ごじゃいます」

 薄暗がりの路地にもどって、プレハブのような二階建てのアパートに、会社の補助ではこの程度の、べつに構わないけど、薄い壁から声や物音が。だからシーンと静まり返るってわけも、騒音というほどでも、ちょっとしたBGMと思えば、たしょう耳ざわりであっても。やっとここにきて本能っていうか、きっと食欲だろうけど渇望ってほどでも、ただ充たせればと、冷蔵庫をのぞき込んで、ひとりごちするぐらいなら。「そうか…」

 週末の家事が中途半端に、こんな夜遅くにできないと、翌週へ持ち越しになって、そこにストレス感じて、些細なことと思えなくて。ちょうどいいタイミングかどうか、スマホにラインじゃなくショートの、迷惑か営業メールだろうけど。出会い系アプリ経由でも、彼女とは限らないし、ほかの玄人系かもと、ない交ぜの複雑な感じで少し期待して。“メールしてごめんなさい”。そうくるだろうと、べつにへんに思うのでも、だからってウエルカムってわけも、たしかに面倒だけど、悪い気はしないで。

 “どうしました?” “きょうは…”“いろいろとお世話になって” “いや、べつにたいして…” “映画、楽しかったです” “そう、それはよかった” それからはもう、あとが続かなくて、長いインターバルなのか終わりなのか、だからシャワーを浴びようか、ソファーから腰を上げて。“ごめんなさい”“こういうの嫌でしょうね” “まあ、もう遅いし、あした仕事だし” “そうですよね”“ただ、お礼が言いたかっただけで” “そんなたいそうなこと、してないけど” “でも、楽しかったので” “それならよかったけど” “おやすみなさい” “おやすみ”

 この時間、洗濯できないけど掃除ぐらい、せいぜい六畳一間だから、キッチンとお風呂はそのままに、そっと表面をなぞるように。コロコロの本体に、新しいロール取り付けて、絨毯のゴミを根こそぎに、ちゃんと成果がわかるの、けっこうストレス解消になって。あとはモコモコの、ハンディモップでやさしく、モノどもに沿わせて、ホコリが舞い上がらないようにそっと。ルーティンの一部を、多少やり残しがあっても、日常のことだから、やることに意味があるって。

 けっこうな対応力かもと、日常を意識することなく、うまく沿っていくのも、それが処世術というビヘイビアで。一人暮らしになって否応なしに、面倒でも仕方なくっていう感じから、少しずつ意識が変わって、徐々に放たれていくのも。たんなる日常的行為の、ささいな作業だとしても、しぜん湧いてくる、そうした流れにしたがって、こなしていく日常という、かかわりという点で、関係性へいくかはべつに。

 ヒトと接しなくても、そこで関係性を作らなくても、モノやコトと済ませても、ただ有機的かどうかの話で。血が通ってないから、神経が張りめぐらされてないから、軽く考えたり粗末にしてもいいとか、そういうことじゃあなくて。ていねいに接していれば、ちょっとした関わりでも、なにも超現実的とか、それこそシュールレアリスムとか、難しい話じゃなく、そこも、それも関係性というだけで。

 人・物・事って、三位一体じゃないけど、日常を構成する主要エレメントとして、複雑に、コンプレックスして、それこそオーガニックに絡み合って。なにを、どこを強調するのでなく、ただ配分に手抜かりなく、俯瞰して構成を、うまくバランスを取るというのでも、沈むズレを、潜む歪みを正そうとするのでもなく。競合するというか、互いに働きかけて、カタチにしようとか、収めようとか、あえて放ったままの、プログレスするのでも、エボレーションでもなく、ただトランスポートするだけで。

 イマジネーションを打ち消すように、なにか腹に入れようと、スーパーで買った総菜の残りものを、缶ビール片手にテレビ見ながら。背を正して口へ運ぶたびに、食道あたりに引っかかりを、器官的なものなのか、これもストレスだろうと、気にしないようにして。やたらに多いグルメ番組に飽きることなく、ただ漫然とながめて食べた気分になって、しっかり日常を感じて。あとは寝るだけの、頭に浮かぶコトそのままに、打ち消す必要も、生かすことのせず、ただ思いにまかせて。

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 さいしょから温泉に行くつもりも、郊外のテーマパークでお茶を濁そうとか、そういうのでもなく、クルマを走らせて、できれば静かなところで…。どう切り出すか、タイミングを見極めるのが、有無を言わさずってわけにも、状況しだいなんだろうけど、その前にそんな度胸があるかって? ブライダルショーをキャンセルさせた償いの、小旅行に代わるドライブだから、さらに機嫌を損ねるような、そこに合わせなくても。でもか、だからかしぜん、明るい海岸というより、さみしい山のなかへ、見晴らしのいい丘を越えて、切り立った断崖は見当たらないけど、へんなドラマみたいな…。

 「この前は悪かったね」「べつにいいけど」「こっちの都合で…」「仕方ないよ、仕事だもの」「そうだけど」「それより、ここどこなの?」「うん、ちょっとエンジンの加減で休憩…」「そうなの」「ちょっと話があって」「なに?」「うん…」「あらためて…。へんな感じ」「うん、いや、そういうのでも…」「じゃあ、なに?」「いっしょに住もうって話だけど」「うん、それが?」「いまはどうかなって」「嫌だってこと?」「そうじゃなくて、この時期かって」「時期って?」「引っ越すのも大変だし、部屋探すのも…」「なんだ、そういうこと…」

 とりあえず延ばしてもらって、できればなかったことにしようと、そんな企てもはかなく、どっちかが転がり込めばいい、むずかしい話じゃないって、なんでそうなるのか。ふつうは彼女がこっちに、そういうつもりでいるような、思いのほか楽しそうで、やぶ蛇ってこういう、機嫌が戻ったのはいいけれど。当初目論んでいた、別れ話のタイミング、こうもきれいに外されて、笑い話にもならないし、寝た子を起こすはめになって。期せずしてプロセスを進めて、軌道修正するのも、もとに戻すのすら、自業自得なんだけど、善後策に打つ手なしって…。

 「こっちはいつでも。一カ月後とか」「そういうわけには。マンションの解約とか」「まあ、そうだけど」「べつに急ぐ必要ないし」「えっ、そうなの?」「いや、そういうわけでも」「いまから準備しないとね」「こっちも迎え入れる…」「お互い、忙しくなるね」「食器類とか日用品、じゃまにならない程度にもってくから」「まあ…。狭いからね」「でも、たのしみ」「うん、まあ…」「マグカップとか、そう、お箸も小皿も、ペアでそろえて」「まあ…」「いまから買いにいく?」「そう慌てなくても。置くところないし」「そうか。あとでいいか」

 こうなれば時が経るのを、うやむやになるのを、静かに待つしか、彼女の思いが薄まって、気まぐれだったというふうに。だから間を置いて、空間的にも会わないように、仕事にかこつけて、当分のあいだラインでごまかすというのも。互いに見つめ直す時間になれば、ひとりになって自分と向き合う、このままでいいのか、そういうインターバルに? こっちの思いとは裏腹に、逆効果にならないかと、へんに早めることにでもなればって、嫌な予感がしないでもなく。

 “週末どうする?” “うん…” “いろいろまわりたいところ、あるんだけど” “買い物?”“そう” “じゃあ、クルマ出すよ” “いや、街中だから” “そうなの” “うん、雑貨屋さんとか日用品も、おしゃれな感じの” “そうか…” “せっかくなら、かわいいのがいいでしょ?” “まあ…” “じゃあ、何時にする?”“土曜日でいい?” “都合が悪くて” “それじゃ日曜日” “それも” “えっ、また出張?” “そういう感じ…” “そういう感じって?” “まあ…” “なんかこういうの、多くない?” “いや、そうじゃなくて” “どういうこと”

 愛想つかされるように、もうこんな人って相手のほうから、あとぐされなく巧妙に、こっちが悪者になれば、ことはうまく…。ほかに彼女できたニュアンスを、わかりやすく醸し出す、卑怯なやり方だけど、そうでもしないと、もう…。いつもふさがっているように、仕事で忙しいだけじゃなく、不穏な動きだと思わせて、これはダメだと、もうこんな男って…。けっか週末はひとりで、なかなか快適というか、ゲームやってると日が暮れてるし、起きたら昼前ってことも、気を張らないって、関係性を取り結ばないって。

 “三週間だよ、会ってないの” “そうなるかな” “なに、それっ”“どういうつもりで…”“なにか悪いこと、した?” “いや、べつに…” “もう会えない、会いたくないってこと?” “いや、そういうことじゃ” “じゃあ、どういう…”“なんかもう…” “だから話あるって”“忘れてるかもしれないけど” “だから何の話かって” “だから一度会って” “ずっと会ってないじゃん” “そうだけど。じゃあ…”“今週の金曜日はどう?” “仕事終わってから?”“べつにいいけど” “午後六時にいつものカフェで” “わかった、けど…”

 こういうときは先にいって、しずかに待ってる、いつもと違う感じ漂わせて、あれって思わせるような、演出というには稚拙だけど。めずらしく遅れてる、ラインで確かめようか、いやこのまま来なくても、これでフェードアウトするなら、それも…。都合よく考えて、少しの可能性にすがって、そんなこと無理なのに、いっときの慰めに、悪い癖だとわかってるけど。自分と向き合うって、こういう機会に、ほんとうの気持ちを、雑念や偽りをはがしていくように、裸の、剥き出しの、ホットコーヒーを前に。

 “ごめん、遅れてる”“もしかして、いけないかも” “どうした?” “うん、いろいろと…” “じゃあ、しかたないよ” “ごめんね” “べつにいいけど” “どうするの?” “なにが?” “これから…” “えっ…” “いまカフェでしょ、あそこの” “そう、まあ…” “せっかく出て来てくれたのに” “適当に、ぶらぶらして…” “わるいけど…” “だいじょうぶ” “来週だけど、どうする?” “また、ラインする” “そうだね” “いろいろと、ごめんね” “なにが?” “いや、いろいろと…” “うん、まあ…”

 うまくごまかされたのかも、ここは行かないほうが、さらに時間をおこうと、駆け引きに長けてる、やっぱり彼女っていう…。肩透かしをくって、こうしてひとり残されて、べつにいくところも、したいことも、やっておくべきこともないし、どうすれば…。とりあえず、どこかの店で独り飯でも、わびしくも少し解放された、ちょっとしたこの状況を。だからって、すっと開けてくるプロセスに、うまく乗れそうになく、このまま当たり障りなく、相も変わらず面倒なことから避けて、同じところをぐるぐる回って…。

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 沈思黙考っていうほどじゃなく、ただぼんやりすることが多くなって、この時期だから気分が落ち込み、そういうサイクルに入ったのか、寒さ和らぐころに。「ちょっと散歩にでも行かない?」。引退後はこうして、夫婦仲睦まじくウオーキング、健康づくりの日課にするって、年寄りの側へぐっと…。「あぁ」。軽くダウンジャケットをはおって、近くのスーパーへ行くような、それこそポケットに手を突っ込んで、たんに歩いてるだけだからと、照れても仕方ないけど。

 定年を前にしてるから、もうこの先ないのだから、あれこれ考えても、けっきょくなるようにしか、だから肩の力を抜いて、自律神経のバランスだけを。「食事も見直さないと…」。基礎代謝が低下して、筋肉量が落ちて、脂肪が下腹部にたまって、冴えない顔つきで、立ち姿も見っともなくて。「そうだね」。毎日が日曜になるって、ふつうにやることなくて、ごまかし続けながら、この日常をうまくかわしていくほか、だからって地獄のような日々っていうわけじゃないけど。

 だから家事をシェアして、新婚当初とまでいかなくても、まずは掃除から、率先してお風呂掃除も、リモコンの置き場も決めて、整理整頓に心砕いて。「無理しないでいいよ」。とりあえずはゆっくり休んで、どこか旅行にでも、趣味のひとつも考えて、持て余さないように、デイリーとうまくやって。「いや、大丈夫」。ただ生活にリズムをつけたくて、習慣にすることで、脳を経由せず神経へ流さず、筋肉質に、馬鹿と言われようが、そういう構えでやっていこうと。

 土・日はしぜん予行演習のような、ブランチじゃなく朝食をしっかり、炭水化物だけでなく昼食もそれなりに、バランスとって夕食は控えめにっていう。「これ、おもしろいね」。録りためた、べつに観たいわけでも、ただ時間つぶしにドラマを時代劇でさえも、それほど退屈せずにいるのだから。「うん、この俳優うまいね」。ほかにやることないのかと、自己実現とは程遠くても、無為といってもこのザマで、生き永らえるって、ただただ認知症にならないよう、祈るぐらいしか。

 凡庸な時が流れるぐらいなら、部屋にこもってあらぬ妄想を、精神が病むようにあえて、イカレタ世界へ誘ってくれるなら、それで退屈をしのげるならば。「きょうもいい天気ね」。ほとんど意味をなさない、当たり障りのない、そういうフレーズに頼るしかない、パートナーの身になって、そこは配慮を効かせて。「そうだね」。そういう会話を、これからひんぱんにやっていく、そこを意識するとやられそうで、だから日常に合わせてふわっと…。

 一日の大半を食うために、組織にささげて仕打ちをうける、屈辱の日々っていう状(情)況から、めでたく解放されたのだから。「これからはゆっくりと」。だからって安らかに永らえるわけも、心身ともに軽くなるのでもなく、これも因果だと、宿痾ってことはないだろうけど。「うん」。あらためて、いや初めての自由を、フリーダムの意味を、哲学的じゃなく日常へ引き寄せて、それがどういう、じっさい具体的に身震いするぐらい、手に余るとしても。

 デイリーの一コマ一コマに、なにかが宿るのでも、はっきり関連があるわけもなく、ただ流れていくだけの、時間と空間でしかなくて。「でも、しっかりやっていくしか…」。こっちが寄り添わないかぎり、あっと言う間に通り過ぎていく、たとえ取り逃してしまっても、たいしたことなくても。「そうだけど…」。日常を充実させるって、うまくイメージできない、思い存分とか、悔いなくとか、生き抜くとか、そういうフレーズとも違うような。だからって淡々と、しぜんにやっていればっていうわけも、自己実現とまでいかなくても、ぐっとレベルを落として、まあまあのラインで、それがリアルだと?

 ぐっと上がるのも、刺激があるからって、たんに道すがら心地よくても、内側に残るものが、じんわりと来るものが、ないのなら。「それに越したことないけど…」。そういうの、享受できるって万に一つ、数の話でないけれど、ありそうになくて、だから表面をなぞるぐらいで。「むずかしいけれど…」。胸に手を当て頭をめぐらせても、答えの出る話でないの、ただ受け入れる側の、キャッチする感度というか、どうかみ砕いていくか、そこにかかってくるようで。

 整理がつかないまま、そういうゾーンに入っていく、しっかり準備してないと、身も心ももっていかれる、やられてしまう、わかっていても、呼び入れられて。「そこまで考えなくても…」。けっきょく一周まわって元にもどる、だから気にせず無理することなく、肯定感が低くても、らせん状に上がっていくならば。「うん、そうだけど…」。まだ余力があるならば、あえて境界線を越えなくても、いずれ始まるのだから、終末へ向けたプロセスが、いまはその手前にとどまって、やり残したこと? べつになくても。

 たとえ年金がまともに出なくても、貯蓄を取り崩しながら、それより意味ある、価値あるかどうか別にして、いつ死ぬかわからないし、やるべきことって? 「お好きなように…」。これまで適当にやってきて、しっかりした手応えもなく、ただ凡庸に流されてきただけの、そういう奴に残されたことは? 「うん、そうだけど…」。何がしたいのかって、できることって、余生というより、死を待つぐらいしか、穏やかに過ごすために? ただ自律神経のバランスを、いかに免疫力を上げるかって?

 できれば時間も空間も、はるかトランスポートして、次元の異なる何ものか、対象の、状況の、情況でもあるような、そういう展開が期待できるのなら。「だから旅行にでも行けば」。身をどこかへ移したところで、心がウロウロして追いつかなければ、だから旅先であっても物足りなさを、うまく収まりそうになくて。「それもいいけど…」。でも何かのきっかけに、目の前に広がる現象といえども、脳も神経も経由しない、ぐっと内側へ来るものが、思いもかけずに。

 だから場面が変わるのなら、もうそれだけで、潜在意識とか、底に流れてるモノどもコトどもを、ぐっと引き上げて、というより浮上するのを、ただ待っているだけでも。「そういうことなの?」。そんなサーフェイスの、見えないからって、ぞんざいに扱うのも、水面下で深層で蠢いている、そうしたプロセスに寄り添うって。「じゃあ、行こうか」。ただ機会を醸成する、状(情)況へ企てる、己を投げ入れるぐらいでないと、エイジングに反して、ジタバタしてもっていうけれど。

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 もう引き返せないって、ただの思い込みにすぎないのに、何かの間違いだと、少し離れただけの、次元の違うところに、いまさらながら、そういうのでも。だから、ためになるとか、意味があるような、そういうプロセスというわけも、ふたりならなおさら。ただ関係性のなかで埋没して、もうそこから抜け出せそうにも、どこへ行くともなく、こうしているって、充足というには。周りのことや、内と外との隔たりとか、すべてが融けて同じように、ただ漂うだけのノマドであっても。

 降り立って海岸線に、プラットホーム上で、どうしてこの女と、不自然のようでも、こうしてココに、どういうふうにして。「これから…」。経ていたり、隔たっているのでも、時間に沿ったり、空間にあるのでもなく、ただ並んでいる、それだけのことで。「これまで…」。後戻りできない、後悔している、というのでも、ここへ至って辿り着いた、だからってユートピアというわけは。「それでも…」。とりあえず上がっていくのなら、穏やかにスパイラルして、傾き加減はべつにして、静態よりましというけど。

 街中を歩く程度だから、ちょっと肩をすぼめて、抱き寄せるまでもなく、晩秋の冷たい風に打ちひしがれて。「だいじょうぶ?」。さすがにやさしい言葉を、そういうつもりじゃなくても、この状(情)況にしたがって、いまだどういう女か、知らないけれど。「うん、だいじょうぶ」。吹きさらしの、潮のまじった風に、落ち着き先がなくとも、とにかくしのげるところを、もうひとつになるほか? 「どこへ…」。解けそうにない、ディフィカルな問題とはいえ、頭で考えるほどでなく、だからって、感じられそうになく。

 ここはリアルに沿って、イリュージョンとかファンタジーに、どっぷり浸ってる場合じゃなく、ちょっと安らげるところを、いのちにかかわるわけじゃなくても。「ほっとした、からだが温もって」。錆びのめだつ、ひと昔前のちゃちなお城のように、ひなびた感じがなんとも、偶然にしては海岸線に、よく見つかったもので。「やっとここに…」。もともとこういうふうに、出会い系アプリから始まったわけで、目的はひとつの、レベルの低い情動に合わせて、ベッドインして絡み合うって。

 記憶をたぐりながら丸いベッドの上で、この女を横にぐっすり眠れたわけだから、このままでいようと、ここで考えをめぐらせたところで。「いま、何時?」。どこ?って起き上がるのでもなく、だいたいの状況をとらえて、やけに落ち着いてる、こんな女に乗れるのなら、たとえエレクトしなくても。「うん、もう…」。ふたりしてどのぐらい、五時といっても午前か午後か、それによって変わるわけでも、ただピンクともブルーとも、天井を見つめるだけで、このあとのこと、わかるはずもなく。

 ちょうど狭間に、境界にいるって、行くも戻るもずっとここにいるわけも、だからって起き上がる気力も、やろうとする意欲もなくて。「まだいいんでしょ…」。ベッドの両端にふたり、背中越しに夢から覚めるようには、身も心も収まりきれず、余韻にひたるわけでもなく。「うん、まあ…」。たとえここで一日じゅう、さらに二、三日に及んでも、棲むわけにもいかず、ただコンプレックスに漂って、しぜんに動き出すのを待つしか、自然体には遠く及ばなくても。

 オートマチックに、いずれ日常が淡々と、シークエンスにいきつくしまも、コマ送りのようには、ただふつうに訪れてくるのだから。「ずっとこのままで…」。背中が痛くなるまで、お腹が空いてくるのを、ただ生理にまかせて、だからって例の欲情がもたげて来ないのも。「……………」。こうしてアンニュイに、丸い舞台の上で滑稽に、踊り子じゃあるまいし、嫌悪感を覚えるしか、こんなザマにというけれど、ここから抜け出そうにも、足掻いたところでいまさら。

 持て余し気味に、身が持たなくて、心もってわけじゃないけど、このままじゃ、なまってしまうぐらいに、倦怠感に苛まれて。「どうする? これから」。デイリーに戻るしか、このあとに来る、ふたりのプロセスに、残りのパートを、もしそういうのがあるとしたら。「うん、そうだなあ」。とりあえず、ここを出るしか、行くところなくても、踏み出すっていう、前向きに構えようにも、日常のなかへ。ここで別れるのも、プラットホームにもどって、一両編成のディーゼル列車に、彼女だけ押し込んで、手を上げて見送り、じゃあって笑顔で。

 そうかんたんには、きのうきょうの関係なのに、あと腐れなくっていう、彼女の身になる必要も、自分勝手に振る舞えば。「お別れなの?」。驚いたふうでも、そうだねって納得しているようでも、もうこれで終わりに、始まりがアレだから、たいそうにフェードアウトする必要も。「………………」。ここも軽くうなずいて、デートの帰りのように、このあとラインするのでも、また会うつもりも、一期一会であるはずも、その日かぎりが一番っていう…。

 ぜんたいのシチュエーションというか、状(情)況がカラダに、ココロにも沿って、違和感なくストンと、しっくり来るのだから。「どうして? こんな感じじゃ…」。列車を見送りながら、彼女といっしょに、だれもいない車内へ向かって、手を振るわけにもいかず、ただ消え入るまで。「………………」。二人残されて、これからのこと、思い描けないで、さわやかな海風に乗って、というわけにもいかず、どこへ行くともなく。

 その存在を意識するほどに、横にいる彼女がどういう、具体的なヒトとして、いまさら興味がわいて、どうしようと。「………………」。だから、名前を聞こうとか、どんな人なんて、趣味とか癖とか、考え方も感じ方も、いまさらながらに、これからのこと? 「とりあえず…。やることもないし」。浜辺というには、傾斜がきつくて、石ころもそこいらに、くもり空が拍車をかけて、必要以上に気持ちを下げる、心象風景というには。

 しぜんカラダが近づいて、そのつもりなくても、歩幅が合っていく、すっと内側へ、双方向にズレがあろうと、相乗する手前というわけも。「このままでいいの、かな…」。期せずしてニュアンスを感じて、海風に洗われながら前へ? トランスポートできるかもと、顔を見合わすのでも。「いいんじゃ…」。このあとずっと、いっしょにいるわけでも、いずれ分れるしかないのだから、このときを、この隔たりのなかで、身を浸すのも、できれば心をも添えて…

                   ◆

 やっぱり楽天的というか、このさきのこと、ポジティブっていうのかな、なにごとにも前向きで、わたしと違ってホントうらやましくて。年が明ければ、もうバタバタと卒業へ、みんなとお別れなんて、べつにふつうの友だちでも、顔見れないの、なんとなく…。それまでに気持ちの整理? どうにか引き上げようと、だからって、そうかんたんには、なんていうか、たんに寂しいとか、悲しいでもなくて、ただだるくて。

 「クリスマス、どうする?」「彼と過ごすんじゃ…」「べつにそういう、話ないし」「なにも言って来ない?」「うん、いまのところ」「まだ一週間あるし」「そうだけど…」「きっと考えてくれてるよ」「うん、まあ…。そんなことより」「なに?」「ふたりでやらない?」「なにを?」「クリスマス会っていうか」「子どものころのような?」「そういうのじゃ、いやそういうのでも…」「そうか、いいかもね」「どっちかの部屋で、ちょっと飾り作って」「やろうか、楽しそうじゃん」「うん」

 この時期、ひとりぼっちになるのイヤな、わからないでも、だからって安易というか、カンタンにコクってくる、そういうのってうっとうしいし。顔もタイプじゃないし、どういうのかな、もじもじはっきりしない、最悪ってわけじゃないけど、イライラしてくるし。なんて言うか、人畜無害っていうか、構える必要ないのラクでいいけど、ただそれだけのことで。べつに無視すれば、放っておいても、とりたてて用があるわけも、だからって気になるっていうか、思いを寄せられるって。

 「あぁ、あの子ね」「べつにって感じなんだけど…」「そうだね、なんの話だろっ」「そうなんだ」「でも見方によっては…」「どういうこと?」「目、細いけどシュッとしてるっていうか」「それに、180㌢ぐらいあるでしょ」「それが嫌なんじゃない、背の高いの、こわい」「怖いって? それって変わってる」「そうかなぁ。着ぐるみってこわくない?」「なんで、かわいいじゃん」「なんていうか、威圧感っていうか」「まあ、インパクトは強いけど」「そう、ふつうじゃないよ」

 ということで彼女の部屋でイブの夜に、男っ気なしに楽しく、わいわい騒ぐほどでなくても、しっかりこのときを、ふたりで聖夜を、高校さいごの。フライドチキンとポテト、それにプレゼントを持ち寄って、高校生らしく三千円ぐらいの、お互い好きなキャラクターを、かばんにつける大き目のやつ。さすがに折り紙を丸くつなげたり、ぬいぐるみに三角帽をかぶせたり、そこまでしないけど、低アルコールの酎ハイ片手に、お気に入りのJポップ流しながら、あふれる思い出を…。

 「正月、どうだった?」「親戚、何人か来たけど、べつに」「ちょっと太ったかも」「わたしも」「おもち食べてないのに」「うちも」「なんでだろう」「そうだね」「でもなんか、イヤだね」「なにが?」「この冬、どんよりしてて」「気持ち、晴れない?」「そう、それ」「なんか、下がるいっぽうで」「そう、上がって来ない」「うん、それに…」「三学期って、どうも…」「暗くなる」「ほんと、どうしてだろ?」「それに今年は最後だし」「もうすぐだね、卒業」「どうなるんだろ」「ほんと…」

 じっさい彼女は就職で、わたしは専門学校だから、別々にやっていくしか、きっと楽しくないの同じだろうし、何時間もそこにいて、すぐ嫌になって。こっちはお給料ないし、二年間またお勉強だし、数学とか国語はないけど、それほど好きでもない、専門的なこと、できるかなって、それに友だちも。不安ばっかりで、一つもいいことない、卒業するってどうなのって感じ、旅立ちのときに、もういい加減…

 「このじきって苦手で…」「わたしも」「なんていうの、ぬるい感じで」「そう、なんか不安定というか」「胸のあたりがどうも…」「ムズムズじゃなくて、なんていうか」「心細くて、やりきれなくて?」「そう、この季節、不安な感じ?」「温くなっていくのが…」「花粉も飛んでるし」「クリアじゃないよね」「うん」「どうもしっくりこない」「そうだね、卒業するって」「うん、しかたないよ」「お別れって…」

 桜の季節ってやっぱり、いずれ散ってしまうし、そういうのに見送られて、ふつうにいられるわけないの、しぜん目が赤くなるんだから、花粉じゃなくても。制服着るの、これで最後になるって、わかってるけど、さみしい気持ちと、せいせいするのと、だけどきょうはしみじみと。後ろのほうでお母さん、小さく見えて、あんな感じだった? なんかかわいそうに見えて、こっちが成長したから? ここが出発点じゃないけど、区切りにして、これから、いいことあってもなくても、やっていくしか、彼女と目があって、笑みを浮かべるしかなくて。

 「化粧、落ちてない?」「だいじょうぶ、いや、ちょっと…」「どこ?」「したまぶた」「えっ、どんな感じ?」「それほど気にしなくても」「トイレ行ってくる」「わたしも」「それにしても…」「こんな感じ?」「そんなもんじゃないの」「そうかな」「ちょっとぐっと来たけど」「そのあとはべつにって…」「そう、そんな感じ」「これで会わなくなる、みんなと」「そうだね、ちょっとせいせいしない?」「さみしいっていうより」「そう、バラバラに、それぞれ…」「すっきりした気分?」「うん、わたしも」

 ウジウジしててもしょうがないし、また明日から、同じような日常っていう、そこでやっていくしか、けっきょくはひとりってこと、思い知らされて。たとえ嫌なことばかりでも、なにか支えのような、いやされるものがなくても、自分と向き合っていくしか、しっかり見つめて? そうかんたんにはいかなくても、まだ死ぬまでに時間あるし、退屈しのぎじゃないけど、せっかく生きていくのなら。このトシからあきらめるって、かならずしもそういうわけじゃないけど、卒業するたびに? なにから? どこから?

 「これからどうする?」「どこか入る?」「カフェでも?」「それならカラオケ、どう?」「いいね、やっぱり」「お腹も減ったし」「あそこ、ドリアあった?」「あったと思うけど」「なかったら、スパゲティでも」「うん、ドリンクフリーで」「一時間じゃ、足りないかも」「きょうはとくべつ、むせいげんで」「よし、やるぞ」「なに、それ。でもかわいい」「この花、どうする?」「どうするって、ちゅうとはんぱ…」「でしょ、やっぱり」「でも、こんなもんでしょ」「みんなに持たせるんだから」「そうだね」「歌うぞ」「着いた、着いた」。

                   ★

 マンネリって言葉、死語じゃないけど、使わなくなってだいぶ経つなって、そう思いながら工場の控室で、おばさんたちと楽しくやって、こういのも悪くないけど。「子ども、いたっけ?」。このご時世、そういうの聞かないってこと、わかってないし、容赦のないの、なれてきてるから、こっちもふつうに返して。「ひとり、むすめだけど」。べつになんの根拠もないのに、いい加減もいいところだけど、なんでそう言えるのか、ほんとうにそう見えてる? 「やっぱりね、女の子だと思った」。おばさんの直感って、でも軽く見ないほうが、もっと深刻なことで、言い当てられるかしれない? おそるべしってところで。

 だけど、このまま年取って、べつにこれっていうこともなく老いていく、不安というより焦りというか、それだけで気分が下がっていくので。「そんなこと、気にする必要も…」。話の途中で口をはさんでくる、例のおばさんにフォローされても、ひとつも説得力がないし、聞き流せばいいのに。「それより、帰りにカラオケ行こうよ」。高校生じゃあるまいし、思いつきでそういうの、なにも考えずに動くって、もうこの歳だし、あり得ないって思うのも。「あんたも、来る?」

 こうして八時間、とちゅう昼食をはさんで、おやつタイムもあるけど、フルフェースの白衣着て、いちおう無心にラインへ向かう、修行のつもりじゃないけど、少しそんな感じも。「……………」。とうぜん無言で、うるさいおばさんたちも、せっせと手を動かして、無表情かどうかわからないけど、ラインに流れてくるモノどもを前に。「……………」。それなりに気は急くも、きほん単純作業だから、べつのこと考えても、だからとりとめなく、ちょっと次元の異なる? 期せずして自分と向き合う、内心を洗うことも。

 なんか心細いっていうか、どうしようもなくて、どこに身を置けばいいのか、この内側の浮つきに、うまくフィットできなくて。「そんなこと、話しても…」。この場にそぐわないの、わかってるけど、思わず口をついて、だれに助言を求めてるわけもないけど。「わたしだって…」。思いのほか、けっこうな数のおばさんが反応して、議論ってこともないけど、こんなテーマでわいわいやるって。「みんな、それぞれ…」。まあ、深まりはないにしても、吐き出すことに、日ごろのうっぷんを、明るくっていうのが。

 いつものルートで、裏道へ入る勇気もなくて、表通りってわけでもないのに、この道を進んでいくしか、どこにでもある、古びた商店街であっても。「久しぶり、どうしてたの?」。その屈託のない、少年少女を形容するような、ちょっとおしゃれっぽい、くだもの屋のおばさん相手に、できれば路地ものがいいんだけれど。「これどう? みずみずしいよ」。ぜいたくかもしれないけど、清水の舞台から飛び降りるってほどじゃないし、このぐらい構わないって言い聞かせて。「これ、おまけね、食べてみて」。

 景色が変わるほどじゃなくても、これもちょっとした、目先を変えるには、なんとなく冴えない季節に、この三月っていろいろあって、ひとつの区切り以上に。「早いじゃない、たしか…」。卒業旅行に行ってた、最近みるみるって感じの、けっこう上がった娘見るの、うれしくてこっちも上がってきて。「そんなことないよ、予定どおり」。急いで夕食を、彼女の好きなオムライスを、きっと和食だったろうから、温泉宿もいいけれど、やっぱり家で。「よかったね…」

 ふたりいっしょにこういうの、貴重かもしれないし、だから向き合って食べてるあいだも、いつもしない話をけっこうして。「お母さん、お父さんと…」。さすがにそこまで言って、口ごもるしか、コトバをえらんでいるうちに、いまは無理のようで話をかえて。「お父さんと?」。ごまかそうとしても、感じるところ、ないはずはなく、ニュアンスをくみ取って、それ以上は聞いて来なくて。「ごめんね…」。なんとなくうまくいっていないの、わかってるだろうけど、ほんと親失格で。

 だからってこの気持ちを、向かう方向を変えて、何事もなかったかのように、もうそういう次元でないの、いずれわかると思うけど。「準備できてるの? そろえる必要なもの…」。春から新しい日常に、うまく合わせてやっていける? その顔なら大丈夫そうだけど、心配のタネは尽きなくて。「うん、べつに教科書ぐらいだから」。けっきょく自分のことじゃないので、いくら母親だといっても、いちおう分身かもしれないけど、おのずと限界があって。「そう、何かあったら言ってね」

 そういうのあるから、やって来れたところがあって、子はかすがいってわけじゃないけど、ただわたしっていう面倒なものに、向き合わなくて済むから。「楽しかった? どうだった」。けっきょくいつもごまかして来たから、こんなふうにいつまで経っても、どうにもこうにも中途半端で、娘がいるからって言い訳して、どんなことでも…。「うん、楽しかったよ。それに…」。当たり前のことだけど、これからますます離れていくのだから、こっちの心配をしたほうが、足元を見てっていうことだろうけど。

 だからこの春を機にっていうわけにも、自立には程遠いパートの身分で、いろいろ考えたところで、どうにもならないの、わかってるし。「最近なんでも高いよね」。きっと野菜とか、食料品のことなんだろうけど、相づち打つの、どうにいってきて、だからってわけでもないけど、落ち込むこと少なくなって。「そうですね、たいへんですね」。このあと、おばさんの子どものこと、十分以上聞かされて、でもむかしほど退屈しないで、面倒がらずに肯いているのだから。「それでね…」

 だれでもない、こうしてミイラみたいな、しぜん匿名にしてる、白装束の自分を、自由ってわけじゃないけど、このあいだだけ関係性を断ち切って。「……………」。なぜか、なにか心強くなるっていうか、前向きってほどじゃなくても、ただ気分がよくて、これでいいんだと、思える、少しは自己肯定感? 「……………」。ラインに乗って、身を任せるのでもなく、だからって制御してるっていう感じでも、しぜんというわけも、ただ軽い感じがして、うまくいきそうな。「……………」

                   ■

 アパートからせいぜい二十分ほどだから、遅刻するわけにもいかず、だからって七時半ごろまでぐずぐずベッドのなかで、いっそうのこと会社、休んじゃおうかと。ショートメールの着信音に、関係ない営業系の、でもけっきょく、そういうのに救われて、身体をぐっと起こして。だからって気分が上がるわけも、けっきょく不安になるだけで、仕方なしに食パン焼いて、インスタントコーヒー淹れて、すこし牛乳混ぜて。きのう着たワイシャツに、相も変わらず黒のスーツを、靴下だけは毛玉のない、ベルトも剥げてない、冴えないヤツが内側にいても。

 出がけにラインだからって、開くつもりも、だからそのまま駅へ向かって、電車でもカバンのなかに、この面倒なモノを。“週末はどうします?” “金曜日なら” “だいじょうぶです” “じゃぁ、いつもの時間にあの喫茶店で” “わかりました” さすがに降り際に、これってふつうに付き合ってる、もともと出会い系なのに、こういうプロセスっていうのも。パートナーがいるからって、べつにそこが問題でも、それも前提というアプリだから、いまさら道徳的になるのも、たんなる欲求なんだから。

 支社といっても、ビルのワンフロアを占めて、ぐうぜんうまく壁際のデスクで、こっそりひっそり、パソコンに向かうだけで、しこしこと時間費やして。「昼、行きますか」。気を遣って誘ってくれる、同じ境遇の転勤組といっても、べつに気慰めにもならないヤツであっても。「あぁ、そうだね」。ちょっと遠くの定食屋まで、話すことないけど、それこそパチンコとか、キャバクラの話でちょっと盛り上がる程度で。「きょうは魚かな」。それでもちょっとカラダ気づかって、こっちに来て太るの、一番の変化だって思ってみたところで。

 午後からの長い時間を、闇取引じゃないけどアンダーテーブルで、コソコソとこの場合、スマホをいじるぐらいで。“この前はありがとうございました” お定まりの営業メールかもと、飲み会のあと入ったラウンジの、きっと三十半ばの、まあ好みだとはいえ、もう行くつもりも。“楽しかったよ、また遊びにいくよ” エクセルの表計算ほど面倒じゃなくても、それぞれの関係性のなかで、深浅はべつにして、片足か両足かにかかわらず沼へ、いっそうひとりでいるほうが、わかってるんだけど。“きょうはどうですか?”

 もう暗いはずがけっこう明るくて、この時期ってどうも年度末の、面倒なワークスが重なって、あと一時間ていどの、やむなくサービス残業して。「せっかくだから、行く?」。このいい加減な感じに、でも断る理由もなくて、会社のお金だから、営業で落とせるからと、接待にかこつけて、なにがせっかくなのかと。「あぁ、べつにいいよ」。総務系なのに、こうして付いていくの、数合わせの、無人格の、そういう気楽さに、取引先の相手にかまわず。「今夜はどこにしようか…」。

 接待にもかかわらず、だからラインのほうに、スマホへ手をのばして、チェックというよりチャットへ、いちおう席を外して。“ちょっといい?” “どうしたの?” その程度のことで、こっちの状況しらないとはいえ、べつに相手にすることでも、だから、でもこうして、冷たい洗面所の前で。“ちょっと気分が悪くて” “だいじょうぶ?” そんなことって切って捨てるわけにも、だからってそう長く、時間つぶしに付き合うのも。“ごめんね、だいじょうぶ” “それならいいけど…”

 「だいじゅぶですか」。前のスツールにすわる、ヘルプの子におしぼり手渡されて、横にいる子と比べてみたところで。「いや、だいじょうぶ…」。グラスのしずく拭いながら、顔を上げようとしないのも、やる気がないのじゃ、しおらしいわけも。「はい、どうぞ」。グラスを手渡されて、べつにおいしくもない、きつめの水割りを口に近づけ、彼女の表情をのぞき込むのでもなく。「ありがとう」。あらためて巣窟のようだから、せいぜいダブルトーンぐらいの、ただ極彩色よりもマシかもと。

 心象風景っていう、モノやコトじゃなく、だからってあやふやなわけも、イマージュとか、トランスポートするのでも、かといってノマドっていう…。深夜の闇に放たれて、こんどはアフターっていう、横にいる女に応じて、なかなかノドを通らず、嘔吐感をこらえて。「だいじょうぶですか」。焼きすぎないよう、トングでひっくり返す、あぶらの乗った肉を前に、無音の耳に疑いを差しはさんで。「いや、だいじょうぶ…」。顔色を意識しながら、女を見直す、だからって落胆とか、性的欲動を感じるわけも、肉を口へ運ぶしか。「はい、どうぞ」

 たんに夜更けに食事するだけの、ちょっと小腹を満たす程度でも、ふと関係性を、われへ返るってほどじゃなく、内側へそっと手をのばして。「おつかれさま…」。そのぐらい声にして、返すコトバが想像できても、あっさり別れるには、このあとどこへ行こうと、あと腐りなく、キズナなんてどこにも。「ありがとうございました…」。ニュアンスを楽しむどころか、ストレートに響くって、錯覚かもしれないと何度も、でもすっと入って来るのだから。「えっと…」

 もうさ迷うしか、この夜と朝のはざまをただ、許されるのならあてどなく、うろつき漂う、できれば浮かびあがって、らせん状にゆるく。「どうします?」。タクシーがつかまらないから、始発を待つには、少し落ち着けるところへ? 明かりを求めて、ベッドの淵まで。「よかったのかな」。手出ししないから、ちょっと休むだけだからっていう、言い訳ふうの不細工な感じに、脚を投げ出すほかなくて。「あったかくていい」。だからベッドへ倒れ込んで、天井の模様をたどりながら、性懲りもなく朝が来るのを待つしか。

 気配を感じられない、明かりが入って来ない、だから朝が来ないってわけも、ずっとこのままであるはずも、ただ身動きとれないっていう。「そっちいってもいい?」。だから抱き寄せようとも、カラダを開くわけにも、ただ並んでそのときを待つしか、べつに悲観してもいないのに。「あぁ…」。元へ戻れなくても、すっと入り込めるなら、たいして変わらないだろうし、自分も、この女も。「………………」。どのあたりか考える必要も、プロセスが敷かれていても、もうこのあたりで十分と、ぎゅっと抱きしめるしか、なくて。

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 当たり前のようになんでもかんでも、転がり落ちるように限りなく、こんなプロセスに乗り合わせて、ただ導かれていくだけで。だから下がっていくのを、そのまま見過ごすしか、ひとごとのように、下っていくのを止められず。あっと言う間に包囲され、レールを敷かれて身動きできず、どこへ連れていかれるのか、怖くて聞けないっていう。もうあきらめるしか、どうにもこうにも為すがままに、感度を落とし思考を止めて、淡々と振る舞うしかなくて。

 「土・日、どうする?」「あぁ…」「先週、ずっと家にいたでしょ」「まあ…」「この前できた、ちょっと郊外の…」「えっと…」「けっこう遊べる、モールみたいな」「うん…」「そう、広くて楽しそうな」「ふ~ん」「ちょっとした服も買えそうだし」「それじゃ…」「なかに大きいスーパーもあるし」「うん…」「晩ごはん、何にする?」「そうだね…」「せっかくだから、刺身とか買って…」「まあ…」「手巻き寿司っての、どう?」「うん…」「えっと、実家のときは…」「ぐっ…」「どうした?」「いや、べつに…」「あっそうか、大葉いるんだ。具をくるむように」「………」

 スマホ見ながら放り込んで積み上げて、大きな買い物カートへふたりのプロセスも、ただ消費するために食材のごとく。野菜売り場で大葉ときゅうりに、サラダ用のトマトやブロッコリーも、めずらしく総菜コーナーと焼きたてパンをパスして、奥の鮮魚コーナーへ。刺身の大き目パックに、大根のつま確認して、デイリーコーナーへ向かうも牛乳と食パンに、なにかもう一つ…。だから残りわずかなマーガリンとタマゴも忘れずに、おやつに二人の好きなソフトケーキとアイスクリーム、そこで上がっても。大きなエコバッグを両手にさげて屋上へ、かなり離れた駐車スペースで、小型SUVのハッチを開けて。

 「ちょっと冷えてきたね」「そうだね」「三月なのに…」「春だけど…」「この季節って…」「えっ」「なんか気ぜわしくて」「うん、ちょっと気分が…」「そうね、目がかゆいし、鼻もつらいし…」「クスリ、飲まないと」「でも最近効かないし」「じゃあ、もっと強いの」「あっ、気をつけて。横断歩道にいる…」「ごめん、危ないなぁ」「ごはん、何合たく?」「二合ぐらい?」「そんなもんでいいか」「少し余っても」「でも酢飯、冷凍できる?」「どうだろう、できるけど」「チンしておいしい?」「どうだろう、わからない」

 きょくりょく、かち合わないように、洗面もトイレもズラして、あくまで彼女のあとに、家出るときも、同じ電車にならないよう、あえて彼女をさきに行かせて。こうして共同生活を、しぜん習慣になるような、ルールができてデイリーをうまく、肩があたらないよう、それこそ手もふれないように。もうかれこれ三カ月で、日常をおおう雰囲気というには、彼女とのあいだの、劣化というほどでなくても、しだいにはがれていく、いずれなくなってしまうにせよ。

 “晩ごはん、どうする?” “なにか総菜とか弁当、買って来ようか” “うん、それもいいけど” “久しぶりに外で食べる?” “うん、それがいい” “どこで待ち合わせる?” “あそこがいい” “どこ?” “むかし、よく行った喫茶店” “えっと…” “ちょうど中間だからって” “それぞれの会社から?” “うん、大通りから外れた” “あぁ、あの裏道っぽい” “そう、そこ” “わかった、じゃあそこで六時は?” “うん、わかった” “それに…” “なに?” “いや、そのとき話すよ” “なによ、気持ち悪い” “そんなことじゃなくて…”

 べつに別れようとか、深刻なことでも、日常に根差しているから、そもそもそんな勇気ないし、だからこのまま老いていくしか、そんなたいそうなって? ちょっとしたことでも、修正するにしても、お互い直そうかと、途中で面倒になって、もうどうでもいいって、だから澱んでいく一方で。そうして積み上がった、うっぷんの山っていう、見るにもうっとうしい、ここもだからそのままに放っておくしか、しぜん崩れるのを待って、倦怠期かどうかはべつに。

 「久しぶり、こんな感じだった?」「マスターも代わってないし」「クリームソーダ―にしようかな」「このあと食事だよ」「いいじゃん、たまには」「べつにいいけど」「ボクはホットコーヒー」「バイトの子、若いね」「高校生かな」「トシ、感じるよね」「そりゃあ…」「もう三十だもん」「いや、まだ一年以上あるじゃん」「二十八でもう二十九、三十もどうぜん…」「そうかなぁ」「そうだよ」「まあ…」「ずっとこのままってわけにも」「……………」「あっ、来た。青いやつね」「……………」「アイスクリームがおいしい。コーヒー、どう?」「うん、まあ…」

 ふつうに行きつく先なんだろうけど、すすむプロセス阻んでみたところで、年貢の収めどきってコトバあるぐらいだし、むずかしく考えてみたところで。カタチにするって、相手の親とか、式をするかどうかも、ヒトに加えてモノやコトの、関係性が増えていくって。放射状に延びる個々の、接点を見つけようにも、自縄自縛ってわけも、マゾっぽくはだけてるつもりも。ぽっかりとまでいかなくても、空隙というには、ココロのどこかにってことだろうけど、感じられないという…

 「帰り、何時ごろなる?」「いつもどおりだけど」「ちょっと話、しようと思って」「なに?」「そのときに…」「いまじゃだめなの?」「……………」「べつにいいけど」「……………」「あっ、あぶない、あぶない」「どうしたの?」「お弁当、忘れるとこだった」「あぁ、これ、はい」「ありがとう」「じゃあ、行ってきます」「気をつけて」「そっちもね」「うん」「あっ、そうだ。ごはん、なに食べたい?」「う~ん、なんだろ…」「なにか買って来ようか」「そんなことより、急がないと」「あっ、あばい。じゃあね」「クルマ、気をつけて」

 残業の指示はないのに、こうしてデスクの前で、何をするでもなくぼんやりと、パソコンを通り越して、できれば違う世界が見えるのなら、せめて夢想ぐらいは。走馬灯のごとくって死ぬときだろうけど、こうして人生の墓場へ、きっとこのあとも、たいしたことない、取るに足らない、くだらない、どうしようもない…。だからエスケープして、いっそのこと消えて無くなれば、彼女の前からすっと音も、沙汰もなく、失踪っていうカタチをとって。もうすべてが嫌になったわけでも、死に場所を探す旅に出ようとも、この先の漠然として不安という、作家じゃあるまいに。

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 老い先が短いっていう、もうプロセスも終わりに近づいて、達観しようにも雑念が底の方から、いつまで経っても、往生際が悪くて。「どうするの? 春から…」。やっぱり年金が出るまでのあいだ、ただ対価を得るために、引き続き奴隷のように、この身を、この内側もサクリファイスして。「続けるよ、まわりもそうだし…」。ほっとしたって感じの、やっぱり気を揉んでいたようで、パッと表情が明るくなって、たいして預金もないみたいだし。「きほん、変わらないっていう…」。部課も変わるし、役職もなくなるし、窓際に追いやられて、ボーナスも見る影なくて、ただ食っていくだけの、年金額ぐらいに。

 けっか関わりが減って、いろんな関係性から解放されて、プロジェクトへの参加も、飲み会の誘いも、潤滑油的な会話も、たいていの面倒から…。「ゆっくりできるじゃない?」。六時過ぎに帰って来られても、残業がないからって、どこかで調整してくれないと、家で長いあいだ、どうするの? 「犬の散歩、まかせようかな」。そんな“仕事”を提案されても、素直にやるにはもう少し、わかってもらうにももう少し、時間がいること…。「そうだねぇ…」。規則正しく時を刻んで長生きしようと、そんなクソくらえの、いや本音では死ぬの怖いし、そうするしか…

 何となく周囲の見る目が、自意識過剰にすぎないの、わかってるけど、被害妄想までいかなくても、負い目というか、引け目を感じるって。「そんなこと、気にする必要も…」。嘱託だから、第一線から外れたという、気にしているの本人だけで、これまでもたいした戦力でなかったのに。「そうだけれど…」。ことさらエッジを立てる必要も、こっちから動かなくても、敷かれたレールに沿って、成果っていうほどの、カウントされることもなく。「気楽でいいって…」。ひとごとだから、そう割り切るにはどのぐらい、麻痺していくのを、しだいに鈍化していくのを。

 単純な作業という割にはエクセルを、企画営業だった身には、しかもここ十年はディレクションを、いまさら実務をこなせと言われても、表計算? 嫌がらせにしか。「どんな感じですか?」。どこまでやれたのか、進ちょく状況をそれとなく、いちおう気をつかってくれて? そんな感じでもないし、妙な空気感に居心地わるくて。「いや、まあ…」。四十過ぎの課長から、冷ややかな視線を向けられて、言葉を選んでるふうも、引いてる感じも、ぎこちなくも笑顔で返せるのなら。「まあ、急ぎませんから」。もののかずでないの、どうでもいいってこと、でも無理に仕事つくって、年金支給までのあいだ、囲ってあげないと、むげに切り捨てるわけにも…。

 気晴らしにパチンコを、あの騒音のなかへ、何十年ぶりか台の前にすわって、ハンドルをにぎって盤面の、玉の動きを追っているうちに、ふっと持っていかれるような…。「こんなところで…」。身を隠してるわけも、人知れずってほどでもないけど、とつぜん後ろから、きっとひと違いだろうに、もしや言いがかりを。「………………」。不審そうな、少し怯えた感じで見上げるも、どうみても怪しい感じの、反社会的勢力ってほどじゃないにせよ。「俺だよ、オレっ」。凄みを利かせてるつもりも、いちゃもんつけてるふうでもない、むしろ柔らかい物腰で来るのだから、無視するわけにも。

 考えるまでもなく、小学校高学年からずっとこの辺りに、離れずにいるのだから再会しても、名前が出て来ないだけで、なんとなくヤツかもしれないと。「ごめん、思い出せなくて」。同じように運動ができて、勉強はもうひとつだったけど、けっこう仲良く放課後に、帰り道でふざけ合って? 少しずつ思い出して。「そりゃあ、五十年ぶりだから」。きっとあいつだろうと、急に親近感を覚えて笑顔になるのだから、抱き合うほどでないにしても、やっぱり懐かしくて。「ほんと、ひさしぶり」。振り返ってるあいだに、大当たりするって、興奮して肩をつかん来るんだから、ハッとするもフィーバーする盤面に、ふたりして目が離せなくて。

 こういうこともあるのか、早く帰るって地域社会での、引退後はそういうの大事に、積極的に関わるって? そうはいうものの。「せっかくだから…」。きほん人間嫌いだから付き合いっていう、ことごとく面倒な関係性を避けてきたのに、もうこの歳になって。「安い居酒屋だけど…」。六十前のおじさん二人の、意気投合って見っともなくも、周りの目を気にする必要も、めずらしく盛り上がってるんだから。「うん、いこ」。薄暗い換金所のそばで、さっき換えたばかりのお金だからって、生ビールたのんで、付きだしに箸つけて、何にしようか迷って。

 すっと馴染んでいくものだから、いっしょに泣かした男の子のことを、先生に怒られて立たされたあのころを、ちょっと切なくも。「そうだった。それに…」。運動会のリレー選手に、第一走者とアンカーに分れて、声援を浴びながら、恥ずかしくも頑張った、甘酸っぱいものがこみ上げて。「ほんと、懐かしいね」。こうして生産性のない、ただ昔のコトどもモノどもを引っ張り出して、初老のふたりが興奮気味に、見た目は不細工でも。「そうだね。それと…」。そろそろこのあたりで、さすがに疲れを感じて、酔ってるあいだに、切りのいいところで、きっともう会うことないだろうけど。

 一期一会じゃないけれど、そういう感じで済まそうと、これ以上話すことも、連絡先を交換するのも、まあ一日だけの、ちょっとしたリクリエーションにとどめて。「遅かったね、食事は?」。たまには定時じゃなく、一人の時間を少しでも長く、だから寄り道してあえて調整して、顔を合わせるのを。「食べてきた」。テーブルの上の夕食に、少し目をやって浴室へ、しだいに醒めてきて、なんとなく気まずくなって、あした食べるので。「えぇ…」。変な空気とまでいかなくても、このあとのこと、何となく不安になるのを、そのまま放っておくのも。

 だからって生きていくしか、自死するわけも勝手に消え去ろうにも、この世からおさらばする勇気もなく、ただこの日常にのみ込まれて。「旅行の準備、これで…」。大型連休に入る前に、ちょっとクルマで遠出を、温泉めぐりっていう、心身ともに浸かって労って、この自分っていう…。「うん、だいたい」。たしょうデイリーから離れたからって、関係性から、希薄なものであっても、数が少なかろうと、解放されるまでには、このプロセスから外れようにも。「ほんと、たのしみ…」。

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 ふと気づくってわけじゃないけど、どうしてこういう、でもしっくりくるから、心地いいというほどでなくても、ただ横にいる、この女と。「じゃあ、行ってくるね」。思いのほか整理された、狭いワンルームで横になって、生返事するぐらいなら、ここから出ていくのも、きっかけさえあればって言い訳して。「気をつけて」。着飾った、というより露悪的な模様のワンピースを、その後ろ姿を見送るでもなく、顔を上げるのも、スマホさえも面倒に感じて。「帰りになんか買ってくるから」。どこかの場末の、小っちゃな物語ならまだしも、リアルに進む日常のなかで、どう処せばいいのか、理屈をこねても仕様がないけど。

 窓があるからどうにか、ベランダへ出ようにも、足がすくむっていう、だからこうしてギリギリのところで、彼女がいるから踏みとどまって。“言い忘れてたけど…” このタイミングでぐっと引きもどしてくれる、デイリーを続けさせようと、なんども同じことを繰り返して。“わかった。気をつけるよ” 性懲りもなく窓際のテーブルで、パソコンに向き合ったところで、言葉が浮かんでくるわけも、イメージが拡散するだけで、ストーリーを紡ぐなんてこと…。

 めずらしくアフターがなくて、いつもより元気にコンビニで、サンドイッチと小さい弁当を選んで、午前一時過ぎの白いテーブルに、広げてくれるけど。「お腹すいたでしょ」。枯れた香水ただよわせ、大きなクッションの上で沈むように、化粧そのままに笑顔を向けるものだから、パソコンから目を離して。「あぁ…」。ここはカロリーを気にせずに、パフェっぽいスイーツを、楽しみ度の高いこの状況で、彼女とともにするって。「これ新作…」。めったに見せない、例の笑顔とは違って、そこは幼い感じそのままに、こっちもカラダの力が抜けて。

 ちょっとぐらい気が重くても、たとえ気が滅入っても、いいもの食べられるからって、同伴っていう、おじさんとの疑似デート。“このまえ、言ってたことだけど…” 料理屋のトイレのなかで、化粧直しもそこそこに、口元にちょっと笑みを浮かべて、彼とチェットするのが…。“うん、だいじょうぶ” 一日じゅう部屋のなかで、ただぼんやりと、スマホを遠ざけようにも、そうかんたんに内側へ行けずに、すっと入れるぐらいなら。“じゃあ、なんか買ってくるね” 倦怠感というほどでも、ぐっと沈むものがあるだけで、ふしぎとそのプロセスへ、肝心のテクストに乗っかろうにも。

 このパターンだと午前三時ぐらいに、いつものように先に寝るわけも、だからってパソコンへ向かうのも、ただ内心に暗闇が襲ってくるだけで。“ごめん、おそくなって”“いまからコンビニ寄って…” そんな急がなくても、きらめきのなかで寂しく、その姿思うだけで同情じゃなく、ココロが動くっていう。“お疲れ様、気をつけて” ずっと待ってるつもりも、この日常の延長線にいるにしても、少しのズレを求めて、隔たりの隅で息をひそめて。“いいのあったよ”“いっしょに食べよ” だから立て直そうと、この時間であっても、たしかに空隙が、お腹はべつにして埋めるものを。

 夜の仕事ってふつうに休めるから、土・日の日常って、街に繰り出し歩行者天国とか、お店を何軒かはしごして、ふつうペアみたいに。「どこか行かない?」。その意味するところを、すぐには返せなくて、微妙な笑みを浮かべるしか、このあとのこと? この生活を見切って? 引き戻せないところへ? 痕跡を消したくて? ふたりいっしょに? 「うん…」。とりあえずってわけにも、リアルとイマージュのあいだで、まぼろしに苛まれて、だからってノマドを気取っても。「なに食べようか」。きょうの成果を足元に、脚を組んでアイスティーを、デイリーの真ん中で、かわいい服やアイテムに気分よく。

 けっきょく最寄り駅まで、コンビニの並びの居酒屋に、奥のテーブルじゃなくカウンターに肘ついて、ほっとするんだから。「なにする?」。ここのだし巻きが、無口のマスターが、明るいバイトの子が、うるさい客の少ないのが、まあそんなところで。「そうだね…」。それにしても、奥のおかみさんの、低い声にハッとしてる、マスターがおかしくて、そこがポイントってわけじゃないけど。「サワーにしようかな」。プライベートだからって、リラックスもほどほどに、だからこのデイリーに、レモンを浮かべて、酸っぱさ効かせて。

 たとえとつぜん姿を消したとしても、後腐れなくっていうには、未練たらしく袖つかんでみたいな、むかしの芝居じゃあるまいし、すっと引く感じでないと。“何してる? きょうはふつうに帰るから” べつに様子うかがってるふうも、愛想つかれるの怖いわけでも、ちょっとイヤな感じがして、ただ…っていうには。“うん、気をつけて” その姿を見るまではどうしても、不安探しが日課というには、いつまでも慣れなくて、だから確認作業を繰り返して。“じゃあね…” すぐに返してくれるから、なにも打ち消す必要なく、このプロセスのなかへ、先が見えなくても、漂うようであっても、スマホ握っていれば。

 今夜もコンビニ前で降ろされて、まだ二人乗ってるワゴンを見送るのも、一日の面倒から解放される、そういうセレモニーだから、不本意にも強い光に照らされて。「ただいま」。こんな日常を一年も、飽きることなくやってきて、なにかカタチのようなものを、この内側に積み上げなくとも。「おかえり」。パートナーかどうかはべつに、こうしていっしょにいるの、ふつうならもうそれでいいっていう、深く考えてみても。「どうだった?」。そう聞かれても、返すコトバがないぐらい、だから安心していいって、袋小路にはいってる?

 行ったり来たりっていう、そこいらを漂うだけで、けっきょくコンサーバティブに、ふたりの日常を保って、いろんなもの追っ払って。“早く帰るからね” そう送ってくることの、意味というほどでなくても、その程度はすっと伝わってきて、だからどうしろって。“待ってるよ” いつもどおりに、この日常のサイクルのなかで、寸分違わずとまでいかなくても、青白い横顔そのままに、シークエンスでいられるわけも。“ちょっと疲れた” だからって立ち上がってウロウロ、ソワソワするわけも、スマホのボリュームを抑える程度の、繰り返すミュージックを止めて。

 今夜はこちらから、少なくとも声をかけるぐらい、たまにはヒモのような心づかいで、笑顔で迎えてもバチはあたらない、そういうもので。「だいじょうぶ?」。早々に戻ってきて、熱があるようには、ただ不機嫌な顔して、どうしようもなく、放っておくしか。「……………」。狭いキッチンに立って、冷蔵庫を開けて、卵とハムを、パックご飯をフライパンに、ピラフというより焼き飯を、そのぐらいのことは。「食べれる?」。うなずくだけで、べつに返事しなくても、この日常が続くのなら、たとえ終わりが近づいていようと、しばらくはこのままで。

                   ❖

 まだ高校生のような、すれた感じというより、いまの子はだいたいこんな感じで、世の中のことみんな、わかったふうにスマホいじって。「おばさんの…」。にらんでるつもりも、ただ透き通るような肌で、しぜん艶のある髪の、だからってわけも、かえってこっちがドギマギして。「どうも…」。ただ隅にいるだけで、すぐスマホへ目をもどすも、内側へ来るものが、その存在感というか、若いっていう。「……………」。もうコトバはいらないってわけも、だからって通じ合おうとも、その場その時をたんに共有するだけで。

 こうして呼ばれることの、ふつうなら受け流すところを、どういうわけか自分でも、法事っていう十三回忌の、お参りするぐらい、たいしたことじゃなくて。「よく来てくれたね」。気安く声をかけられて、だからって懐かしいわけも、小さいころに何度か来たぐらいで、家の匂いだけ記憶の端に。「おばさんもお元気そうで」。母親の妹にしては、どこにでもいるおばさんふうだからって、構えがいらないわけも、心許せる道理がなくて。

 「やあ、どうしてた?」。面影という以前に、このひと誰っていう、身に覚えのない、せめておばさんの近くに、つがいのおじさんだろうけど、苦笑いするしか。「えぇ、適当にやってます」。きっと悪い人じゃないのに、場を盛り上げようと、小さな炎上を繰り返すのだから、どうしようもなく。「いま、何してるの?」。そう聞けるのも、この俺だけだろうと、覚悟もって言ってるようには、ふっと口をついて後悔するのでもなく、いまのご時世に稀有な、ただ興味本位に。「まあ、ふつうにやってます」。この髪の色を、左のピアスを、手の甲のタトゥーを、そう、この目つきを、異形とまでいかなくても。

 二、三歳しか変わらないのに、だから話しやすいとか、親近感を覚えるってことも、向こうがふつうで、こっちはこういう。「元気だった? ほんと久しぶり」。あいさつ程度なら、こういう場なら適当に、悪いけどそれぐらいの関係性で、従兄弟であっても、こんご会うことないし。「そうだね。いつぶりだろう…」。ちゃんと黒のスーツに黒のネクタイで、会社員だから迷わずにそうして、この胡散臭いヤツっていう目つきで、笑みを浮かべて。「小さいころはよかったね」。それはそのとおりでも、いまさら懐かしんだところで、意味がなさすぎて、意識して表情をつくろうとしても。

 白髪交じりの六十前後っていう、ステレオタイプにしか、そろって愛想笑いを浮かべて、扱いに困ってるの、なんで来たんだよって? それなら呼ぶなよ。「そろそろお寺さんが来られるので」。これって床の間という、その横の大きな仏壇を前に、下を向いたり目をつむったり、話さなくて済むのはいいけど。「エアコンの温度、下げるげましょうか」。けっこうな重ね着の、着物の上に袈裟までかけているのだから、ひとり暑いだろうと立ち上がるおばさんに、おじさんが手で抑えて。「それでは始めさせて…」。思いのほかリズムに乗って、この内側にすっと入って来なくても、少しのあいだ解き放たれて、さすが詠み継がれた、読経という…

 ぼんやりできる状(情)況でも、だから一緒に念仏を唱えようとも、ただ目をつむってあとどのぐらい、数えるのもどうかと思って。「………………」。それぞれが故人をしのんで、たいした思い出がなくても、うつむき加減にすまし顔で、この場をしのいでいるわけも。「………………」。しぜん頭に浮かんでくる、打ち消そうにも、表に漏れないのなら、その場にそぐわない、断続的なイメージを。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」。どこからともなく、お寺さんにつられて、ぶつぶつと少しは異次元へ、行けるものなら、すっとトランスポートして?

 母親が来ないから、来たくないだろうし、来られないのだから、こんな風采で代わりに、さすがにそのあたりの事情、あらためて聞かれることも、しめやかに会食の場で。「こうしてみんな集まって、お父さんも…」。きっとお墓のなかで、どこにいるにしても、気化して魂のような、ガイストという精神に近いものに、在るのならば。「たいして楽しみもなく、よくまじめに…」。おじさんの、義父へのオマージュっていうには、引き比べてるつもりも、口から出まかせってわけも、たんに印象でしか。「えらいよね、真似できないよ」。定年まで一つの会社に、その通りただえらいっていうしか、成し遂げた故人をしのんで。

 みんなでお茶を飲むのも、これで解散となれば次の法要まで、だからってわけも、けっこう話が盛り上がって、どうでもいいことを、誰からともなく。「はい…」。この春から専門学校だからって、希望を抱いてるわけも、そんな不機嫌な顔するの、おじさんおばさんの前でなくても。「まあ…」。楽しいことばかりで、箸がたおれてもっていう、そんなわけないし、よくわからないこと、言われても。「そう…」。就職にいいよね専門職って、まあ偏見でないにしても、底の浅い感想を言われても、反応に困るだけで。「えぇ…」。もういい加減スマホ見ても、ライン来てるし、早く返したいし、できたばかりの友だちなので。

 適当に相づち打って、最小限にコトバはさんで、流しているの放っておけなくて、やっぱりフォローするしか、愛想のないのもいい加減に。「これからが大変ですけど…」。親だから代わりに、できるだけ応えようと、けっきょく同じように適当にかわして、この場をおさめるしか。「そうなんですよ、このごろの子は…」。どのみちみんな、言いっぱなしなんだから、矛先が変わるのを待って、ひとり若いっていうのも、面倒なことで。「わたしはたいして。本人の…」。娘をだしに夫婦仲まで、単身赴任だから不自由だろうって、その意味するところ、あれやこれやと、そんなことまで。

 たしょう顔が引きつっても、この歳の夫婦なんだから、鈍感に構えていれば、そういう場なんだから。「お金が余計にかかって。それぐらいで…」。適当にやっていけば、気持ちが離れていても、これからもずっと錯覚したままで、向き合わずに済ませようと。「まあ、一カ月に二度ほど帰ってくるし…」。その程度がぎりぎりの、ほんとうなら半年に一回ぐらいでも、そこは気をつかって、そんな必要ないのに。「もう慣れてきたので、ひとりでも…」。可もなく不可もなしっていう、だから文句ないだろうと、不幸をよそおう必要も、幸福なはずもなく、どっちつかずに溜飲を下げて。

 ほかにも下らないこと、この日常にいっぱいあるからって、だから無駄に費やすのも、もうこのあたりで、どうにかしてって思うけど。「そうそう、このあいだ…」。まだまだ続きそうな雲行きの、もしや日が暮れるまで、表面をあげつらって、ネタを披露するように。「どう、仕事はたのしい?」。苦労して入ったんだから、そうかんたんには辞められない、ただそれだけなのに、どう返せばいいのか、親に頼るわけにもいかず。「まあ、なんとかやってます」。いとこ同士の真面目な方に、ふつうに聞けるから矛先が、妹に引き続いて面倒ばかりの、こんな集まりに。

 こんど集まるときはもう、社会から退いて家のなかで、無精ひげを生やして、退屈な日常と向き合って、悠々自適とはいかなくても。「年金が出るまで、まだ…」。だれも興味ないのに、年寄りになるって、遠い先のことをとつとつと、ピンと来ないことぐらい、察してほしいけど。「そうなの、嘱託になって。だから…」。おばさんが言うことでも、ほぼ専業主婦の、少しパートをした程度なのに、四十年近く働いたひとに対して。「おまえ、そんな…」。みるみる不機嫌になる、おじさんを無視してここぞとばかりに、不平不満とまでいかなくても、嫌みのひと言ぐらい。

 話が途切れたところで、もうそろそろと腰を上げる仕草を、合わせておばさんが別の部屋から、お供えの返しをもって。「きょうは遠いところから、忙しいところ…」。せっかくだから連絡先を、それならグループラインにしようかと、こんど集まるの何年も先なのに、死んでる人もいるだろうに。「いちおう交換しておきましょうか」。必要ないのにスマホ向け合って、おばさんたちにおじさんも加わって、いとこのふたりも、だからってオレまで…。「強制じゃないけど、べつにかまわないでしょ」。まあそうだけど、ここも両親の代わりだから仕方なく、断るほうが面倒で。

 いい具合に酔いもまわって、帰り際に玄関先で両親のこと、おじさんが少し触れたところで、そのぐらいうまくかわして、靴を履いてそれじゃぁ、と。「みなさん、きょうは…」。白髪のふたりが見送りを、微妙な笑みをうかべて、かまちのうえで無事法要を済ませ、ほっとひと息つくように。「お疲れさま、それでは…」。急ぎ足とまでいかなくても、和菓子の入った紙袋を下げて早々に、最寄り駅までぶらぶらと、ひとりってわけにもいかず。「同じ方向だね」。両親から離れてトコトコと、高校卒業したばかりの女の子に、駅までのあいだ、退屈だったろうと、声かけるぐらいは。「そうですね」。やっと日常が戻ってくるという、ほかのひとには非日常でも、彼女を見送りながら、少し解き放たれて。

 さっそく、お疲れさまとか、元気でとか、取るに足らないことを、だからって返さないわけも、相づち打つぐらい、おじさんおばさんとの、グループラインって。“きょうは…” 当分のあいだ、ちょっと面倒なことになるの、仕方なくもスマホを介して、こういうのって。“これを機会に…” 親戚づきあいっていう、退屈しのぎの、ほんと勘弁してほしいけど、べつに害ないし、表面的なことだし。“今度いっしょに…” スマホをテーブルに残してベランダへ出て、深呼吸するほどでも、ただ腕をぐるぐる回して。

 デイリーから離れようにも、こうしてネットワークに絡み取られて、なかなか抜け出せなくて、見えない沼に足をとられて、がんじがらめというほどでなくても。“あのときはどうも…” 相談ごとであるはずも、じゃなくてもちょっとした頼みごと程度の、餅は餅屋っていう、アンダーグラウンドの世界で、うまくやっていくにはって? “そういうことは…” こんなかっこうしてるけど、それほど外れてるわけも、たしかに見っともなくも、地べたを這ってウロウロあてどなく、かもしれないけど。“うちの子のことで…” こども相談室じゃあるまいし、親が思っているほど、子どもはちゃんと、その年ごろの、だから放っておくしか。

 客観というか、物理的にしか、目に見えることだけで、この世はそういう、ぐっと内側へ入ろうにも、たとえ表層をさらったところで、虚空に漂うだけで。“本人にしか…”。ちょっと世間から離れたところで、特殊詐欺をやってるようでも、信じてあげるしか、前科がつくか別にして、人を傷つけるという、それはたしかに。“お年寄りが…” 人の弱みにつけ込んで、数百万とか数千万という、なけなしのお金をかっぱらう、年金生活者をねらう生業って、悪魔の所業に違いないけど。“連絡先がわかるなら…” まだ足を洗える状況なら、なんとか救い出せないことも、新興宗教ほどには、警察が動きやすいので、そこは嫌でも利用して、蛇の道はヘビじゃなくて、話つけるのは。

 すべては関係性という、相対的にしか、ほんとうのところはわかるはずも、ましてや内側のことなんて、だからはすべては無駄で。“この前のことだけど…” チャットに加わるつもりも、勝手にやってくれれば、しぜん目に入ってきても眺める程度で、よくまあそんなに話すことあるかと、感心するぐらいで。“そうそう、それね…” 延々と続きそうで、たまに内側に触れても自覚なしに、中途半端にやり過ごすだけで、傷つくひとも出て来そうな。“だから、言ったでしょ” やっと終わるころに、こんどはおじさんが参戦して、もう手の施しようがなくなって。

 点でバラバラのくせに、それぞれ個体のうちで終始し完結してるのに、サークルみたいにつながろうと、シークエンスな円環じゃ、クマのハチミツじゃあるまいに。社会性があるかどうかはべつに、非生産的なことに躍起になって、そこに関わるってやっぱり、しっくり来ないのも仕方なく。“なるほどね、そんな見方も…” だからどうなのか、勝手に納得するのはいいけど何の糧にも、実になるの期待してるわけもないけど。だからもうそろそろ終わりにしないと、とりあえず区切りをつけるのなら、コトバを探しているうちに。 “あっ、そうそう…” ただただ言い散らかして、うっぷんを晴らしてそれで? それ以上考えても仕方ないの、わかってるけど。

 お兄ちゃんには言えないから、ましてや両親にはって、だからこっちに、わからなくもないけど、アドバイス程度なら他をあたったほうが。“どうしたの?” 埒が明かないというか、なかなか本題へ入ってくれなくて、だからこうしてだらだらと、若い子だからいいけれど。“べつにどうってことも…” 行間を読もうにも、センテンスというよりワードだから、チャットを延々と無意味に、こっちが試されてるわけも。“そうだね” 忍耐づよくコトバをつなごうにも、高校生出たての、その感覚にはどうしても、ついていけないところあるの、しかたなく。

 だからってわけじゃないけど、会うっていうのも、対面だからどうにかなるのでも、ただ約束の時間に遅れないよう、思わず急ぎ足になって。「ごめんね、こんな時間に」。たしかにこの程度の仲で、呼び出されるかたちになって、べつに構わないけど、彼じゃないのに、テーブルはさんで。「どうしたの?」。たいしたことないって言うだろうけど、ほんとうは胸の内にってことだろうけど、ただ前にいて話聞くだけでいいのなら。「うん…」。うまく切り出せないの、無理もないけどコトの重大性から? この子にとってはってことなんだろうけど。

 この時間に空いてるっていう、焼き肉屋のダクトに見え隠れする、無表情というより抑えた感じの、いとこの女の子って、どうってことないはずだけど。「まあ、うまくいかないことも…」。心配が先に来る、いまもむかしもそういう子らの、情緒不安というより若くてイタイ感じを、そのトシだからと片づけるのも。「でも、迷惑かけるし…」。ばくぜんと社会に対して向き合うのって、そうかんたんには、だから感じ方をそのままに、できれば考え方だけでも。「まあ、そうだけど…」。いわゆるパパ活ぐらいなら、少しトランスポートする程度だから、カラダつかってるわけでも、ココロが動いてないのなら。

 それってどこから来るの? 自分だけなのって日ごろ関係性を気にするくせに、この不安にさいなまれて、どうにもこうにも空回りするだけで。「なんか…。うまく言えないけど」。その顔みていれば、もともとクリアなんだから、明るさが差してくる瞬間に、こうして居合わせて、こっちも悪い気分じゃなし。「まあ、それなら…」。くすくす笑いだすものだから、テーブル越しにぐっと顔を寄せる感じに、こんどはうつむき肩をふるわせて、だからさぁって手で押し返すように、前で箸が転がってるわけも。「さっきから、まあって、そればかり…」。そこかと、まあこんな若い子が笑うって、べつにここも悪い気がしなくて。

 だからっていまからカラオケという、だけどそこぐらいしか選択の余地がないのも、焼き肉のニオイをまとい、そそくさと連れだっていくって。「久しぶりなんだけど…」。卒業式のあとに行ったきりって、そこを強調するのも、へんに引っかかる必要も、なにを歌うかも、何時間いようとも、先のこと考えても。「そうなの、こっちも…」。もうこうなってくると、時の流れも、視界に入る隔たりも、溶けて流れるように、だから内面に通じる可能性もって? 「ちょっと気合入ってきた…」。友だちといるように、そうじゃないと意味ないっていう、そのあたりは見習って、あとについていくのも。「どうする? 二時間ぐらいに」。ちょうどそのぐらいで電車が動き出すし、きっとそれもあっと言う間に、ただ朝日を浴びるのが嫌なだけで。

 やっぱり特別な感じで、薄っすらと明けてくる、東の空へ向かって、そういう二人じゃないけど、暮れるよりはましと、並んで駅へ行こうとして。「ちょっと寒い…」。掛けてやろうにも、カラダを近寄せるわけも、だからって手を差し出すわけも、温かいコトバをかけるのも違う気がするし。「だいじょうぶ? 風邪でもひいたら…」。彼女が寄って来るから、さっと引き寄せて、彼氏彼女じゃないにしろ、ここはそれこそ特別な、ちょっとした必然性のような。「……………」。プラットホームに電車が来れば、空の向こうに日が差すならば、離れていく彼女が振り返るようなら、ここも日常の到来を受け入れるしか。

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ふつうに、そういうことで… オカザキコージ @sein1003

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